魔王へのレクイエム

浜柔

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第二章 魔王は古に在り

第二十二話

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 持ち出すもの、持ち出さないもの、そしてほんの一、二ページでははっきりしないものの三つに分けつつ急いでも、ノルトが一通り書籍に目を通し終わった時にはやはり、夜が明けていた。
 書籍は内容がはっきりしないものが全体の一割ほどで、八割方が小説、残りが実用書などだ。はっきりしないのは、歴史書が神話から始まりがちなためだ。前の三日間で確認済みのことだが、困ったことに遺物の書籍には神話のような始まりの小説も多い。流行はやっていたのか、神と悪魔との戦いだとか言ったものだ。そして装丁もバラバラ。これでは区別を付けられない。
 だからと、もしも歴史書だったらと気にして全部持ち出すのは無理だ。何か起きた時に身動き取れなくなってしまう。心残りでも、はっきりしないものは省かざるを得ない。全体に占める小説の割合からすれば殆ど、恐らくは全部が小説だと思われるからでもある。
 小説の他には料理本、裁縫本、工作本、草木事典と言った実用書が多い。これの持ち主だった人物は自分で料理や裁縫をしていたのかと考えると、微笑ましくもなったノルトである。
 そうして最終的に選んだのは、ログリア帝国の歴史が書かれた歴史書、当時の馬車の応急修理の仕方やランプ用油の漉し方などの日常で必要だったらしい工作について書かれた工作本、それと小説だとは思いながらもどうにも気になってしまって選んだ魔王の伝説が書かれた本の三冊だ。自室に置きっぱなしの日記と魔法書を加えて合計五冊になる。
 ノルトは三冊の書籍を持ち、欠伸あくびを噛み殺しながら自室へと戻る。五冊の書籍を布でくるんで木製カバンに入れ、隙間に布を詰めて固定したら準備が終わる。後はサーシャとどう話を付けるかだ。昨晩ならいざ知らず、徹夜で作業をした今はもう後先考えずに飛び出す勢いが無くなっている。
 部屋に着いてドアを開ける。部屋に入ってランプの灯りが点いていることにまずびっくり。魔法結晶の節約のために部屋を出る前にはランプを消すのが昔からの習慣だ。しかしこれは「消し忘れかな」と自分を納得させる。
 ベッドに誰かが寝ているのを見てまたびっくり。心臓が跳ね上がって口から出そうになりながら後退。一度部屋の外に出てから顔を右左。部屋の位置を確かめる。自分の部屋の筈だと認識したら、部屋を覗き込んで顔を右左。見慣れた配置。昨日に読んだ日記や魔法本の姿も見える。
 やっぱりボクの部屋じゃないですか。
 内心でそう呟きながらベッドで寝ている人物をよく見ればサーシャである。
 ええー、勘弁してくださいよー。
 声には出なかっただけで、口の動きも顔の表情もそのまんまだ。年若い女性が男の部屋に泊まるのも世間体が悪いのだが、王女ともなれば極め付けだ。男の方も王女を部屋に連れ込んだことにされては命まで危うくなる。
 マリアンは何をしていたのかと、この場には居ない相手に苦情を言いたいノルトである。しかし今はそれを脇に置いて善後策だ。何とか捻り出そうと考える。
 ところが幾らも考えない内に、サーシャがむくりと身体からだを起こした。
 声は無くともどたばた動き回る気配が有れば目も覚めるものだ。サーシャもノルトが入ったり出たりする音で目を覚ました。
「マリアン、どうしたのですか?」
 目を擦りながらサーシャは尋ねた。視点が定まらず、ここがどこかをまだ認識していないのだ。
 ノルトは返事を躊躇する。そもそもここで声を掛けたものかも躊躇われるし、マリアンではないのだ。サーシャが勘違いしていることは判っているが。
「マリアン?」
 サーシャは返事が無いことをいぶかしみ、目をしばたたかせて視点を定めようと努力する。その努力は然程さほど時を置かずに実を結ぶ。
「ノルト!?」
 叫んでから慌てて自分の口を押さえ、部屋を見回すサーシャ。自分の部屋ではない。昨夜のことを思い出す。ここはノルトの部屋だ。一瞬で覚めた目を見開いて、みるみる顔を赤くする。
「わ、私の寝顔を見ました?」
 尋ねるべきはそこではない筈だが、そう訊いた。
「いえ、近寄ってはいませんから」
「そ、そうですか……」
 サーシャはホッと胸を撫で下ろす。しかしそれで僅かながら落ち着いたら落ち着いたで、外がもう明るいことにも気付いてしまう。そしてまた気付く。男の部屋で一夜を過ごしてしまったのだ。失態だ。恥ずかしさのあまり、顔を更に赤くする。
 無言で立ち上がり、真っ直ぐ突き下ろすように両の拳を握り締め、うつむききながらずんずんとノルトの立つ入り口へと歩く。気圧けおされたように廊下にさがるノルト。そのノルトに続いて廊下に出る。
「あ、あの……」
 俯いたままのサーシャが少し不気味でノルトは声を掛けてみた。
 サーシャはピクンと一回だけ肩を跳ねさせてから、顔を上げてキッとノルトを睨む。涙目だ。
「ノルトの馬鹿!」
 一言叫ぶなり、自室に向けて駆け出した。実のところ、サーシャ自身にもこうしてしまった理由が判っていない。
 見送るノルトは小さく呟く。
「ええー」

 この時のマリアンはと言うと、幾つも濃度を変えつつ塩や砂糖を溶かした水を舐めていた。
「味覚、大丈夫よね……」
 意外とマイペースである。
 因みに昨晩のマリアンは後片付けを終えたら休むように言い付けられていて、それに従っただけなので責任は無い。
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