親子樹

秋空夕子

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親子樹

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 十年前、Aさんが行方不明になったのは茹だるような夏だったそうだ。
「夫は結婚当初からそうでした。よく友人や知人と飲みに行ったり旅行に行ったりしてました」
 そう語るのはAさんの妻・Bさんである。
「私もその頃はそれでもよかったんです。私も友達とよく遊びに行きましたから。でも、子供ができたからにはそうもいかないでしょう?」
 うまくやっていた二人だったが、子供ができてから喧嘩が増えたのだと言う。
「夫は以前と変わらず飲み歩いて深夜まで帰らなかったり、なんでも好きな物を買ったり、困りますよね。だってもうすぐ子供が生まれるんですよ?少しでも節約したいじゃないですか」
 奥さんは苛立った様子を見せる。
「子供ができてから夫の自分勝手な部分ばかり目に付くようになって、それでギクシャクして……あの日もそうです。明日から三日間旅行に行くなんて突然言い出して。信じられます?もう妊娠後期の、お腹の大きくなった妻を三日間も放置なんて……それで今までにない大喧嘩をしたんです。もう帰ってくるなぐらいは言ったと思います……まさか本当に帰ってこないとは思いませんでしたけど」
 三日過ぎてもAさんは戻らず、携帯も通じず職場にも来ていないと言われ、当初は途方にくれたそうだ。
「それで夫の知り合いに片っ端から連絡したんですけど、そこでわかったんです。夫の友人たちは旅行のことなど何も知らず、職場の人には家族と旅行に行くって言っていたそうで……ああそういうことかと思いました」
 夫は浮気していた。そう確信した奥さんの心から夫への愛情は消えたらしい。
「その後は一応警察に連絡して、行方不明の届けみたいなのを出しました。別にあんな奴、戻って来なくてもいいんですけど、自分と子供の将来の為に。夫がいなくなって悲しむ義母さんには浮気の件は言いませんでした。旦那さんを亡くしてから女手一つで夫を育てた彼女には酷だと思ったので」
 義母とは今でも交流があるのだと言う。
「義母さんには本当にお世話になりました。私たちの生活が困らないようにとお金もくれましたし、子供が生まれてからはよく手伝いに来てくれました。本当に、本当に感謝してます」



 近所でも評判の綺麗な庭とバリアフリーのバも字もないような古いその家に昔から暮らしているその老婆は年齢を感じさせない足腰でキビキビと家事を行い、庭の手入れもしている。
 最近ぎっくり腰になってしまった母はよく羨ましいと口にしているが、まだ三十代に差し掛かったばかりの自分でもそう思う。歳をとるならこうなりたいものだ。
 けれど、その老婆が決して順風満帆な人生を送ってきたかと言うとそうでもないことも知っている。
 数十年前には旦那さんを、十年前には一人息子を失っているのだ。
 息子の方は行方不明らしいのだが、まあ生きてはいないのだろうと言うのが周囲の正直な意見である。勿論、老婆にはそんなこと言えないが。
 孫はいるが、普段は奥さんの実家で暮らしていて、たまに顔を見せにくるぐらいらしい。
 だからこうしてたまに近所の人間が顔を出して、様子を見に来るのだ。
「あなた、近々結婚するんだって?」
 老婆から出されたお茶を飲みながら喋っていると不意にそんなことを言われた。
「ええ、そうなんですよ。良い出会いがあったもので」
「いいね、幸せになりな」
 老婆はそう言って、快活に笑う。
 しかし、それをすぐに潜めて「でもね」と続けた。
「結婚しても帰って来たい時はいつでも帰ってくるんだよ。なんだかんだと言っても、その方がお母さんも喜ぶから」
「はい、ありがとうございます」
 不意に老婆は庭へと目を向けたので自分のつられてそちらを見る。
 色とりどりの美しい花や青々とした草が風に吹かれて揺れていた。
 その中央では二本の木が立っている。
 片方は自分が生まれる前から、もう一本は後から植えられたもので、大きさも形も違う木が寄り添う姿は親子を連想させた。
 これほど立派な庭は老婆の弛まぬ努力によって保たれていることをみんな知っている。
 雨の日も風の日も庭を手入れするその姿は、家族を支える母親そのもののように見えた。
「私の息子はね」
 ぽつり、と老婆は口にする。
「本当に優しい子だった。私を旅行に連れて行ってくれたり、ずっと母さんと暮らしたいと言ってくれたり」
「良い息子さんだったんですね」
 行方不明になる前、いや結婚する前の出来事だろうか。
「ええ、とっても。自慢の息子よ。あの子の母になれて、私は本当に幸せ」
 老婆の顔がこちらを向く。
「それに、やっぱり家族はいつまでも一緒にいるのが一番だからね」
 老婆は、妻であり母だったその人は、とてもとても幸せそうに微笑んだ。
 ふと、小さな方の木が植えられたのは十年前だったことをぼんやりと思い出したけれど、大した話ではないのですぐに忘れた。

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