私の幸せ

秋空夕子

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私の幸せ

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 母は美しい人だった。
 新雪のように透き通る白い髪に、冬の湖面を思わせる深い色の瞳。
 普段は人形のように無表情で、近寄りがたくさえあったけれど、ふとした瞬間に柔らかく微笑む姿は娘である私から見ても息を吞むほど美しいのだ。
 その美貌は年を重ねてなお衰えることは無く、むしろ時を重ねるほどに成熟され、妖艶さを帯びていった。
 そんなものだから、母は既婚でありながら様々な男たちから秋波を送られたものだ。
 恐らく、私が知らないところでもっと多くの男が母に言い寄っていたに違いない。
 けれども、母はそれら全てをまるで羽虫を追い払うかのように軽くあしらっていた。
 母は父だけを愛していた。
 そして父も、そんな母を深く愛していた。溺愛していたと言っても良い。
 普段は気難しく眉間のシワが取れない父だが、母の前でだけは相好を崩し、その鋭い眼光を柔らかく細めていた。
 そんな二人を見て育った私は、いつか自分も愛する人と幸せな家庭を築くのが夢になっていた。

 さて、話は変わるが私には三人の兄弟がいる。
 兄が一人、弟が二人だ。
 私たち兄妹は仲が良く、幼い頃からよく一緒に遊んだものである。
 大きくなってもそれは変わらず、両親も含め私たち家族は本当に仲が良かった。
 けれども、そんな平穏な日々は長くはある日突然壊れてしまった。
 何があったかのかは具体的には知らない。
 けれども、ある晩父が兄を激しく怒鳴りつける声が家の中に響き渡ったのだ。
 私と弟たちは怖くて様子を見に行くこともできず、嵐が過ぎ去るのを布団に包まり震えて待っていた。
 その翌日、兄の姿は家の中から消えていたのである。
 どうしたのかと両親に訊ねても、母は辛そうな顔でただ黙り込むだけで答えてはくれず、父は苦々しい表情で追い出したとだけ告げた。
 結局、父が兄を怒鳴りつけた理由も、兄が追い出された理由もわからぬまま、私たちは生活していくことになった。
 しかし、兄の不在以外にもう一つ、それまでとは変わったことがある。
 それは父が弟たちを時折鋭い目で見つめるようになったことだ。
 別に厳しく叱責したり、手を上げたりなどということはなかったが、まるで監視するようなその眼差しはとても家族に向けるようなものではなかった。
 ただ、いつもそんな目をしているわけではなく、決まって弟たちが母と接している時に限られていたので、弟たちは気づかなかったのは幸いだったのだろう。
 だが母は確実に気づいていたはずである。
 父がいつでも母のことを慮っていたように、母も常に父のことを気にかけていた。
 そんな人が、父の変化に気づかぬはずがないのだ。
 しかし、母は父を咎めることも、気にする様子もなかった。
 つまり、父の行動を母は認めているということである。
 兄が消えたことと、父の変化に母の黙認。
 これらがどう絡んでいるのか、その当時の私にはいくら考えてもわからないままだった。
 だが、答えは思わぬところで得ることになる。
 下の弟が恋人を連れてきた時のことだ。
 聞いたところ、彼女は弟の同級生らしく、弟の方から告白して付き合い始めたらしい。
 私と下の弟は少し歳が離れていることもあり、どこかまだ子どものように思っていたが、そんな弟が照れくさそうに恋人を紹介する姿にいつの間にか大きくなっていたのだなと感慨深いものを感じた。
 しかし、それ以上に気になったのは両親の態度である。
 両親は弟が恋人を連れてきたことを本当に喜んだ。
 いや、喜んだと言うよりも安心したと言った方が正しいのかもしれない。
 そしてこの件を機に父が弟たちを監視するような目で見ることがなくなったのだ。
 まるで何かの懸念が晴れたかのように。
 そんな父の変化に私は一つの答えに行き着いた。
 きっと……

「きっとお兄様はお母様のことを、一人の女性として愛してしまったのね。そして、それに父が気づいてお兄様を追い出されたんだわ」
 私の見解に上の弟は怪訝な表情を浮かべる。
「でも、そんなことあるのだろうか……」
 確かに、確固たる証拠など何も無い。私の妄想の産物だと言われてしまえば何も返せないだろう。
 けれど、こう考えればいろいろと辻褄が合うのだ。
「今思えば、お父様があなたたちを見つめる目は、お母様に言い寄る男性たちを睨みつける時の目と同じだったわ。あなたたちがお兄様同様、お母様に懸想してしまうんじゃないかと不安だったのでしょうね」
 ただでさえ、母には過保護な父だ。
 もしそうなれば容赦なく弟たちも家から追い出しただろう。
 だが、父親としての情もあるのだから、そんなことをしたくないとも思っていたはずだ。
「だから、あの子が恋人を連れてきた時、それは嬉しかったでしょうね。長男とは違い、三男は『まとも』だとわかった。であるなら、次男もきっと同じようにって」
「…………」
 私の言葉に、上の弟は苦しそうに唇を噛む。
 その胸にあるのは、両親を騙している負い目だろうか、それとも普通から外れたことに対する後ろめたさだろうか。
 私はそっと弟の頬を撫でた。
「……お父様たちの考えは正しいわ。確かにあなたもお母様のことはそういう目で見ていないものね」
 そう、彼が惹かれているのは母ではない。
「……姉上」
 上の弟が力強く私を抱きしめる。
 まるで、縋り付くように。
「俺は、俺は許されないことだとわかっていても、あなたのことを……!」
「ええ、私もよ。私も……あなたを愛してる」
 どちらともなく重ねられる唇。
 愛する人と結ばれて、結婚して、子どもを成すことが幼い頃の夢だった。
 残念ながらその夢は叶いそうにないし、家族には一生嘘をつき続けなければならないけれど、それでも、愛する人とこうして抱き合えるだけで私は幸せだ。

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