失声の歌

涼雅

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離れたくない

いくらそう強く願ったとしても、変わらない現実というものは存在するもので。

今夜、この村を発つ彼ら、サーカス団のことを見送りに、村の人々が集まっていた。

みんな口々に楽しかったとか、また来てねとか、思いを伝える中、俺はスケッチブックを握り締めるだけ。

こんな時に、声が出せたならって強く思う

隣に立つ紫音が心配な目を向けてくるけれど、今の俺は、これまでの俺とは違うんだ

少し笑って見せてからスケッチブックに想いを綴る

彼にこれを直接伝えることは、きっと遅くても1年後だ

そう思うとやっぱり寂しいけど。

紫音に紙切れを見せながら「大丈夫」と口パクで言うと、何か閃いたように俺の手からそれをそっと取る

その場で紙を折って伸ばして…

少し厚めの紙だからか、苦戦しながらもあっという間に大きい紙飛行機を作り上げる

にやりと口角を上げてから、村の人達を掻き分けてサーカス団とは逆方向に走っていく

紫音を追っていくとあの森の入り口、大きい岩の上に立っていた

そう遠くないサーカス団に向けて紙飛行機を丁寧な手つきで飛ばす

音もなく静かに、俺の想いを乗せたそれは飛んでいく

村の人達の上を優雅に伸び伸びと。

それを眺めながら、紫音に引き上げられて岩の上に立つ

彼のところに届きそうなところで、歌姫はこちらから視線を逸らしてしまう

あぁ、駄目だ。君が受け取ってくれなきゃ。

…汚いと、思われたくなかった

君の歌声に比べたら、俺の声なんてゴミ屑みたいなもので。

汚いと思われるのが怖かった。

だから唯一出せる母音でさえ君の前では出してこなかった

でも、今出せなかったら意味ないんだ

ねぇ、神様。たった一言、今だけでいい。

奇跡でもなんでもいいから起こしてください。

出るかも分からない

届くかさえ分からない

でも思いっきり息を吸って音を乗せた

優月輝ゆづき…!!」

腹から出た声

もう遠い彼に聞こえるはずもないと思ったのに、ばっとこちらを振り向いて、下降していた紙飛行機を受け取る

それを開いて、泣き出しそうな笑顔を向けてくれた

大きく手を振ると、彼も同じように返してくれた

驚く顔をする紫音に、ぐっと拳を掲げる

たった一言、彼の名前を呼ぶだけで息が絶え絶えで、なんか情けないね

情けないけど、少しだけ誇らしいよ

紫音が俺の拳にコツンと拳をぶつける

届くはずもないと思った想いを紫音が届けてくれた

ありがとう、と伝えたくても、もう声は出ないと確信していた

岩の上から2人、手を振りながら、今夜のこの奇跡を大切に胸に仕舞い込んだ
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