失声の歌

涼雅

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それでも

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歌姫はこの村の地を踏んだ時、少し泣きそうな顔をしていたんだ

それでここが君の住む村だと確信したんだけれどね

…せめて、彼のとびきりの笑顔でそれを察したかったよ

そして昨日、君がスケッチブックを持ってここに来てくれた

失声していると伝えてくれたね

昨日のやり取りで、君が、歌姫を救ってくれた人だと気が付いたよ

僕は君達の仲を深く知っているわけでもない

止める権利なんか持っていないとわかっている

けれど、僕には彼を守る義務がある

君が彼を傷付けてしまうのなら、僕は君を彼に会わせるわけにはいかないよ

きっと、彼の人生を動かしたのは君で

彼の心の一部を止めてしまったのも、また君だ

それが故意的でも、事故であったとしても。

人に興味を示さず、頓着することのない彼が昨日、君の肩を抱く僕の腕を払ったんだ

そして君の肩を抱いた

それなのに、彼は一言も君と言葉を交わさなかった

それどころか、視線さえも交わることは無かった

矛盾していると思わないか?

僕から守るために抱いたのに、直接接触することを避けたんだ

…君が書いて渡したんだろう、あの紙を見るあの子は、少し泣きそうな顔で、それでも優しく微笑んでいるのさ

僕はそんな彼を密かに見守ることしか出来ない

もし、彼が君と話すことで泣きそうな顔が晴れるのならば。

彼も君と会うことを望んでいるのならば。

僕は彼を守る義務があると言ったけれど、彼の意思を尊重し、自由にさせてあげることもまた義務だ。

昨日は歌姫に会いたいのなら同じ時間に来てくれと言ってしまったけれど、君のことはまだ伝えられていないんだ

嘘をついたと思うだろう

けれど、これも彼を守るひとつの方法だとわかって欲しい

「彼は、君があの時の人だとちゃんと気がついているはずなんだ

 けれど、彼が昨日見せた矛盾が引っかかってしまって」

舞台から降りる団長は俺に歩み寄る

「随分と長く話してしまったね

 君が失声していることをいい事に好き勝手言ってしまったことを許して欲しい」

俺の目の前で立ち止まると、団長はそう言いながら頭を下げた

俺はスケッチブックに黒を落とす

その音だけが響く舞台で、俺はいつかの歌姫とのやり取りを思い返していた

団長の肩を軽く叩き、スケッチブックを見せる

『団長のお話を聞いて、俺が彼を歌姫への道へ誘えていたのだと知れて、そのことを嬉しく思います

 団長の言う通り、俺たちはいい別れ方ができませんでした

 誤解の重なりで、それが解かれることはなく、彼と会うことは無かった

 それが彼の心の一部を止めてしまったのだとしても、彼に会いたいです

 俺が彼を救ったと言ってくれました

 それは、俺にとっても同じことなんです

 俺も彼に救われた、彼の歌に。』

拙い文章になってしまったけれど、いまの俺にはこんな伝え方しかできない

「…君が彼を傷付けないという保証は無い

 もし万が一、彼を傷付けるようなことがあったら僕は君を許さないよ

 それでも、彼に会いたいかい?」

試すような団長の言葉。

彼は彼なりに、歌姫を守ろうとしている

だから昨日もあんな頑なに会わせることを拒絶したんだ

いまだから団長の気持ちも分かる

俺も団長の立場なら会わせることを拒んだと思う

自分の大切な人を救ったと同時に傷付けた人だ

積極的に会わせたいとは思わないのが自然だろう

また、彼を傷付けてしまったら許されないのは承知の上だ

それが事故でも故意でも同じこと。

それでも俺は

どんな結果になったとしても

『それでも、彼に会いたいです』

前と変わらぬ力強い文字で

『好きだから』

そう見せれば安心したように、彼はふっと表情を緩めた

「うん、わかった。それでは彼を呼んでこよう。

 長話に付き合わせてしまって悪かった

 君と彼との時間は邪魔をしないと約束しよう」

ちょっと待っていてくれと言い、こちらに背を向けた
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