失声の歌

涼雅

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好き

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その日から俺は仕事終わりに彼に会いに行った

深い森の中

村の者なら入らない森の中

森の入口には門番のように大きな岩が佇んでいるけれど、俺はもう門番とは知り合いだ

余所者である彼と、失声してからは腫れ物のように扱われる俺

そんな2人が会える場所

彼は視界の悪い森の中でも、俺を見つけてふんわりとした笑みを浮かべてくれる

名前も知らない、歳だって知らない

互いに知っているのは彼は旅芸人であるサーカス団の歌姫にで、俺は声が出ないということ。

2人とも周りからの評判はあまり良くないことは確かだった

知らないことだらけなこの曖昧な関係が、互いに心地よかったのは言うまでもない

彼は歌を歌って、俺はそれを聴くだけ

この関係がずっと続くと思っていた

でも、彼は

「俺、歌うのあんまり好きじゃないんだ」

唐突に、そう俺に伝えた

互いの距離も近くなり、タメ口で話すようになっていたけれど、この時だけは彼のことがとても遠く感じた

『歌うことが好きではない』

そんなこと、言われると思ってもみなかった

いつも楽しそうに肩を揺らして、気持ちを込めて夜空に声を響かせる彼の姿は、とても生き生きとしていて羨ましかった

あえて言わなかったけれど、俺も声が出せたなら、一緒に…だなんてことも想像していた

でも、目の前の彼は歌が好きではないと、そう言った

『なんで?!俺、すごく好きなのに、なんでお前は好きじゃないの?!』

思わず走ったペンはとても身勝手で。

でも、それをとめることは出来なかった

ただただ、悲しかった

俺の事を救ってくれた彼の歌は、彼にとっては好きでは無いものだった。

気が付かないうちに、自分の思いを押し付けていたような感覚に陥って、心の中でごめん、と呟く

いつも好きだと伝えてきたことは、彼にとったらどんな思いだったのだろう

「だって、俺、歌下手だもん…皆に、馬鹿にされるから

 …俺は、歌声にしか価値が無いのにね」

へら、と力なく微笑む彼はとても悲しそうで、俺は言葉が浮かばなくなった

その代わりに、苛立ちが募った

どこが、下手なのだろう

なんで、馬鹿にするんだろう

歌声にしか価値が無いだなんて、なんでそんなことを言うんだ

『どこも下手じゃない!俺が保証する!

 お前の声は、歌は、綺麗だ』

本心を殴り書きする

伝われ、俺の、この気持ち

スケッチブックに想いを綴るのは、はじめてじゃない

でも、こんなに苦しくて、泣きそうになるくらい苛立ちを感じて、身から溢れ出そうになる、こんな愛おしい想いは、はじめてだ

想いを噛み締めて、気持ちを込めて、文字を綴った

『俺は、お前の歌が好きだよ』

『声が出なくなって、煩い喧騒の世界で、俺を救ってくれたのはお前の歌だ』

伝わって、伝わってくれ

あぁ、こんな時に強く思う

__声が、出せたなら。

きっと、こんなにも苦労しなくて済むんだ

俺の声で伝えられるはずなのに

でも。

声が出せて君の鼓膜を振るわせても

声が出なくても、網膜に焼き付けさせるような力強い文字も

どちらも、俺の言葉だ

ページを捲るのも煩わしくなり、紙を引きちぎった

それは2人の足元へはらはらと舞い落ちる

俺はそれを片隅で捉えながら、1枚の紙を茶髪の彼に突きつける

『好きだ』

最後の、俺の全身全霊をかけた言葉。

俺はお前の全部が好き

声も、優しい笑顔も、儚い歌声も

全てをひっくるめて、好きなんだ

『恋愛とか、友愛とか、そんなんじゃなくて、ひとりの人間として、お前が好きだよ』

思わず身を乗り出して彼に近づく

ここまで静かに文字を読んでいた彼は最後の紙に目を見開いた

その後脱力したように、はぁ…と息をつく

「……なに、好きって…俺、そんないい人じゃないんだよ…?

 でも、すごく…嬉しい…」

顔を手で隠すようにする彼の耳と首は真っ赤で

照れてるのかな、なんて。

不快に思われてないのなら、よかった。

いまも、彼の目の前に突き出していた紙を、土に舞った想いを、スケッチブックに挟もうとそっと彼から離れる

しかし、拾い集めた想いは俺の言うことを聞かず、彼の手元に収まっていた

「これは、俺がもらっとく」

_好きだ

そう書かれた紙を大事そうに持ち、「いいでしょ?」と伺ってくる

『いいよ』

少し吟味したあと了承をした

やったあ!と子供のようにはしゃぐ姿はとても幼く見える

たぶん俺と歳はそこまで差はないだろう

だけど、さほど歳の遠くない彼が大人びて見えたり、はたまた幼く見えるのだから不思議だ

ころころと楽しそうに表情を変えるところが無邪気で、見ていてこちらも楽しくなる

_楽しい時間は、有限だ

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