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二章 シェーンハイトに冬が来る
*婿の道①
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どうしたものだろうか。
ジルヴェスターは朝から頭を抱えていた。
「ジ、ジルヴェスター様。どうかしましたか?」
ここはジルヴェスターの執務室だ。会計補佐としてトーマスも毎日懸命に働いている。
以前の反抗的な態度はどこへやら。今ではすっかり態度を入れ替え、ジルヴェスターに元で研鑽を積んでいる。
そのトーマスに心配されるほど、ジルヴェスターは執務に全く集中出来ていなかった。
「すいません。少し考え事をしていました」
慌てて眉間のシワをた出したジルヴェスターは、トーマスに向けて笑顔を作る。
それもこれも、全て突然来訪してきたヴォーリアの使節団のせいだ。
(口先では謝罪を述べた風ではあるが、実として向こうは非を認めていない。先触れもなしに直接乗り込んできたのも、シェーンハイトへの礼儀が感じられなかった)
思い出すのは、先程起こった出来事の全てだ。
ヴォーリアからの使節団が突如として来訪し、ああして『悪いのは勝手な行動をした国民で、自分たちは何も知らない』と公式に釈明していた。
そして、事もあろうに、正式に婚約式を行ったジルヴェスターとクラウディアに対し、かの国の第七王子を婿入りさせるという申し出の傲慢さ。
全てがあの国の厚顔さを物語っている。
『ウルズス殿が以前我が国の姫を娶ったように、次はご息女に我が国から王子を婿入りさせるとのご意向です』
滔々と語る使者に、ジルヴェスターは頭を鈍器で殴られたような衝撃を覚えた。
その後、ウルズスが反対したにも関わらず、ヴォーリアの使者たちは涼しい顔をしている。
以前、クラウディアの母であるユスティーナが輿入れしたときも、きっとあのような高圧的な態度だったのだろう。
情に厚いウルズスであれば、冷遇された姫を捨て置けないに決まっている。
(私の見立てが正しければ、恐らくあの第七王子も同様の立場にあるのだろう)
物怖じしない態度は、そうしなければ生き残れないからだ。
クラウディアに気に入ってもらい、婿にしてもらうしか彼には活路がないからこそ、ああして捨て身でぶつかってくる。
ヴォーリアの現状とシェーンハイトの立場。それから機能していない中央。
ジルヴェスターは、なんだか胃が痛くなってきた。
実を言えば、例のシェーンハイト馬の盗難事件も、以前から続く会計の不正問題も、ジルヴェスターの中ではすっきり解決には至っていない。
なぜなら、首謀者が捕まっていないからだ。
「……トーマス。少し聞いてもいいですか?」
「はい、なんなりと」
「以前、君に会計事務の処理方法を教えていた人物は、急に辞めたんですよね」
例の不正帳簿の犯人だ。忽然とシェーンハイトから姿を消した男。
ジルヴェスターの問いかけに、トーマスは表情を固くして頷いた。
「はい。自分のことを会計担当に取り上げてくれて。まさかあの人がそんなことを企んでいたなんて思いもよりませんでした」
「ヴォーリアの訛りなどもありませんでしたか?」
「そうですね……あまり感じませんでした」
故郷に戻ったとされるその男だが、いまだ足取りが掴めていない。もしかしたら、ヴォーリアの関係者ではないかと思っているが、流石に外国までは捜索できない。
「ありがとう、トーマス。では、冬の準備に必要な資材を洗い出しましょうか」
「はい!」
一旦そのことを考えるのをやめる。
男の足取りが掴めないことも不可解ではあるが、シェーンハイトにとって冬支度は喫緊の作業だと聞いている。
それに、今はクラウディアが例の第七王子を道案内しているところだ。
仕事に取り組んでいないと、気になってしまって仕方がない。
『あなた方の企みはわかりませんが、わたしはジルヴェスター以外に靡くことはありません』
そうきっぱりと第七王子に告げた上で、彼女は彼女の役割を果たしている。
そう宣言してくれたことは嬉しい。
(ですが……気分が良くないですね。彼女があの王子と共にいると思うと)
ジルヴェスターも道案内をしようと思っていたのに、クラウディア本人からきっぱりと断られてしまった。
仕事が忙しいでしょうから、と言われてしまえば、ジルヴェスターも仕事をするしかない。
もちろん、クラウディアのことを疑っているわけではない。ただ、嫌なのだ。彼女の眩しいあの桃色の瞳が、自分以外に向けられることが。
「ジルヴェスター様。姫様ならば、大丈夫ですよ。すぐに終わらせて、ここに来ると思います」
集中できていないことが、トーマスにも露見していたらしい。唐突にそう励まされてしまったことに対して、ジルヴェスターにじわじわとした羞恥心が込み上げてくる。
「……うん、ありがとう」
トーマスの言葉に頬に朱が差しつつ、少しだけ心が軽くなったジルヴェスターは、ようやく気を取り直して目の前の書類へと向かった。
そして。トーマスの言ったとおり、午前のフィーカの時間にクラウディアは現れた。
いつもと変わらないクラウディアに安堵していると、トーマスがそそくさと立ち上がったのが見える。
「あ、では自分は別室に……!」
「あらトーマス。別にいいのよ?」
「いえっ! 大丈夫です! 後でまた戻って参りますので!」
不思議そうに思ったクラウディアが引き止めようとしたが、トーマスは俊敏に部屋を出ていった。
(気を遣ってくれたのか。……にしても、そこまで顔に出ているなんて)
こうして部下に気を遣わせてしまったことを申し訳なく思いつつも、トーマスがそこまで自分のことを慮ってくれるようになったことに対する嬉しさも感じる。
そして……色々と悩みが尽きない婿ジルヴェスターだったが、クラウディアの『添い遂げる』発言に大いに元気を取り戻した。
トーマスが食堂でフィーカを済ませて部屋に戻った時にはすでにクラウディアの姿はなく、代わりに山盛りの書類を片付けるジルヴェスターがそこにいたのだった。
ジルヴェスターは朝から頭を抱えていた。
「ジ、ジルヴェスター様。どうかしましたか?」
ここはジルヴェスターの執務室だ。会計補佐としてトーマスも毎日懸命に働いている。
以前の反抗的な態度はどこへやら。今ではすっかり態度を入れ替え、ジルヴェスターに元で研鑽を積んでいる。
そのトーマスに心配されるほど、ジルヴェスターは執務に全く集中出来ていなかった。
「すいません。少し考え事をしていました」
慌てて眉間のシワをた出したジルヴェスターは、トーマスに向けて笑顔を作る。
それもこれも、全て突然来訪してきたヴォーリアの使節団のせいだ。
(口先では謝罪を述べた風ではあるが、実として向こうは非を認めていない。先触れもなしに直接乗り込んできたのも、シェーンハイトへの礼儀が感じられなかった)
思い出すのは、先程起こった出来事の全てだ。
ヴォーリアからの使節団が突如として来訪し、ああして『悪いのは勝手な行動をした国民で、自分たちは何も知らない』と公式に釈明していた。
そして、事もあろうに、正式に婚約式を行ったジルヴェスターとクラウディアに対し、かの国の第七王子を婿入りさせるという申し出の傲慢さ。
全てがあの国の厚顔さを物語っている。
『ウルズス殿が以前我が国の姫を娶ったように、次はご息女に我が国から王子を婿入りさせるとのご意向です』
滔々と語る使者に、ジルヴェスターは頭を鈍器で殴られたような衝撃を覚えた。
その後、ウルズスが反対したにも関わらず、ヴォーリアの使者たちは涼しい顔をしている。
以前、クラウディアの母であるユスティーナが輿入れしたときも、きっとあのような高圧的な態度だったのだろう。
情に厚いウルズスであれば、冷遇された姫を捨て置けないに決まっている。
(私の見立てが正しければ、恐らくあの第七王子も同様の立場にあるのだろう)
物怖じしない態度は、そうしなければ生き残れないからだ。
クラウディアに気に入ってもらい、婿にしてもらうしか彼には活路がないからこそ、ああして捨て身でぶつかってくる。
ヴォーリアの現状とシェーンハイトの立場。それから機能していない中央。
ジルヴェスターは、なんだか胃が痛くなってきた。
実を言えば、例のシェーンハイト馬の盗難事件も、以前から続く会計の不正問題も、ジルヴェスターの中ではすっきり解決には至っていない。
なぜなら、首謀者が捕まっていないからだ。
「……トーマス。少し聞いてもいいですか?」
「はい、なんなりと」
「以前、君に会計事務の処理方法を教えていた人物は、急に辞めたんですよね」
例の不正帳簿の犯人だ。忽然とシェーンハイトから姿を消した男。
ジルヴェスターの問いかけに、トーマスは表情を固くして頷いた。
「はい。自分のことを会計担当に取り上げてくれて。まさかあの人がそんなことを企んでいたなんて思いもよりませんでした」
「ヴォーリアの訛りなどもありませんでしたか?」
「そうですね……あまり感じませんでした」
故郷に戻ったとされるその男だが、いまだ足取りが掴めていない。もしかしたら、ヴォーリアの関係者ではないかと思っているが、流石に外国までは捜索できない。
「ありがとう、トーマス。では、冬の準備に必要な資材を洗い出しましょうか」
「はい!」
一旦そのことを考えるのをやめる。
男の足取りが掴めないことも不可解ではあるが、シェーンハイトにとって冬支度は喫緊の作業だと聞いている。
それに、今はクラウディアが例の第七王子を道案内しているところだ。
仕事に取り組んでいないと、気になってしまって仕方がない。
『あなた方の企みはわかりませんが、わたしはジルヴェスター以外に靡くことはありません』
そうきっぱりと第七王子に告げた上で、彼女は彼女の役割を果たしている。
そう宣言してくれたことは嬉しい。
(ですが……気分が良くないですね。彼女があの王子と共にいると思うと)
ジルヴェスターも道案内をしようと思っていたのに、クラウディア本人からきっぱりと断られてしまった。
仕事が忙しいでしょうから、と言われてしまえば、ジルヴェスターも仕事をするしかない。
もちろん、クラウディアのことを疑っているわけではない。ただ、嫌なのだ。彼女の眩しいあの桃色の瞳が、自分以外に向けられることが。
「ジルヴェスター様。姫様ならば、大丈夫ですよ。すぐに終わらせて、ここに来ると思います」
集中できていないことが、トーマスにも露見していたらしい。唐突にそう励まされてしまったことに対して、ジルヴェスターにじわじわとした羞恥心が込み上げてくる。
「……うん、ありがとう」
トーマスの言葉に頬に朱が差しつつ、少しだけ心が軽くなったジルヴェスターは、ようやく気を取り直して目の前の書類へと向かった。
そして。トーマスの言ったとおり、午前のフィーカの時間にクラウディアは現れた。
いつもと変わらないクラウディアに安堵していると、トーマスがそそくさと立ち上がったのが見える。
「あ、では自分は別室に……!」
「あらトーマス。別にいいのよ?」
「いえっ! 大丈夫です! 後でまた戻って参りますので!」
不思議そうに思ったクラウディアが引き止めようとしたが、トーマスは俊敏に部屋を出ていった。
(気を遣ってくれたのか。……にしても、そこまで顔に出ているなんて)
こうして部下に気を遣わせてしまったことを申し訳なく思いつつも、トーマスがそこまで自分のことを慮ってくれるようになったことに対する嬉しさも感じる。
そして……色々と悩みが尽きない婿ジルヴェスターだったが、クラウディアの『添い遂げる』発言に大いに元気を取り戻した。
トーマスが食堂でフィーカを済ませて部屋に戻った時にはすでにクラウディアの姿はなく、代わりに山盛りの書類を片付けるジルヴェスターがそこにいたのだった。
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