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二章 シェーンハイトに冬が来る
シェーンハイトの異変④
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「ジルヴェスター、休憩にしませんか?」
厨房に寄ったクラウディアは、ジルヴェスターの執務室の扉を叩いた。
取り替えられたドアノブは新品だ。あの日メリっと壊してしまった時は本当に驚いたものだ。
少し間が空いて、扉が開く。
優しい笑顔のジルヴェスターがそこに立っていた。
「いつもありがとうございます」
「ふふ。わたしがやりたくてやっているのです!」
朝のおやつの時間、こうしてジルヴェスターのところにお菓子とお茶を運ぶのはクラウディアの役目だ。
そうすれば毎日会いに行けるし、一緒に楽しくおしゃべりも出来る。
「あ、では自分は別室に……!」
「あらトーマス。別にいいのよ?」
「いえっ! 大丈夫です! 後でまた戻って参りますので!」
席を立ったトーマスがそそくさと部屋を出ていく。すっかり心を入れ替えて、ジルヴェスターの元で真剣に仕事に励むようになった彼の分のおやつも持ってきていたのに。
「……彼なりに、気を利かせてくれたのでしょう」
バタバタとした後ろ姿を見つめていると、背後にいるジルヴェスターからそんな声がかかった。
長椅子とテーブルのある場所にワゴンを運び入れたクラウディアは、お皿を並べてその上に菓子を並べた。
今日のお菓子はキャロットケーキだ。
シナモンの効いたキャロットと胡桃入りのカップケーキの上に、レモン風味のチーズクリームが載せている。
しっとりとした甘さ控えめの生地にチーズソースの濃厚で酸味のある味わいが美味しいお菓子だ。
「あっ、お茶は私が」
ティーポットから美しい褐色の紅茶を注ぐのはジルヴェスターの役割だ。部屋に甘い香りと紅茶の香りが広がる。
お茶をジルヴェスターが担当してくれるおかげで、あれからクラウディアは茶器を壊していない。
(わたしも早く精進しないといけませんわ)
とはいえ、ジルヴェスターにお茶をいれてもらうこの時間が大好きなのも事実なので、少しずつ頑張ることにする。
「……クラウディア、その」
「?」
お茶を飲み、ケーキの頬張っているクラウディアに、ジルヴェスターがどこか言いにくそうに切り出した。
今はもくもくと口を動かしているから、生憎おしゃべりができない。クラウディアは口をおさえながら首を傾けて、ジルヴェスターの次の言葉を待った。
「第七王子は、どのような様子でしたか?」
ちらりと上目遣いでこちらの様子を窺うジルヴェスターは、どこか恥ずかしそうにもしている。
(かっ……かわいいですわ!)
その表情があまりにも可愛らしくて、クラウディアは口の中にあるケーキを一気に飲み込んでしまった。かわいい。
慌ててどんどんと胸元を叩きつつ、はしたないけれど紅茶を一気に流し込む。
「大丈夫ですか!?」
驚いたジルヴェスターがクラウディアの隣に来て背中をさすってくれる。けほけほと浅い咳をして呼吸を整えたクラウディアは、隣のジルヴェスターを見上げた。
「ごめんなさい、驚いてケーキを丸呑みしてしまいました。恥ずかしいですわ」
「気分は悪くありませんか?」
「ええ、もう大丈夫です!」
(わたしのジルヴェスターがあまりにも可愛らしくて、なんてとてもじゃないけれど言えません!)
正直であることを信条としているクラウディアだけれど、そのことを口にするのはちょっと恥ずかしい。
「ニクス王子に関してですよね。必要最低限の施設だけご案内しました。彼らのお部屋と、食堂と、それから避難経路を」
先程までの出来事をジルヴェスターに説明する。ジルヴェスターの若草の瞳は真剣だ。クラウディアをじっと見下ろしている。
「……何か変なことを言われたりなどは」
「変なことですか? 部屋に遊びにおいでなどと言っていましたが、わたしは用がないのでお断りしました!」
クラウディアは得意げに胸を張る。
その言葉を聞いたジルヴェスターから「……やはり私も行くべきでした」と後悔の念が漏れ出るのが聞こえた。大きなため息もセットだ。
「あとは、明日からはニクス王子にも冬支度の手伝いをお願いすることにしました!」
「お手伝いですか?」
最初は向かいの席に座っていたのに、クラウディアが喉に詰まらせたせいでジルヴェスターは隣にいる。
狭くはないはずの長椅子で、ピッタリくっつくように座っていることにハタと気が付いて、なんだかクラウディアは恥ずかしくなってきた。
(密着していますわ。なんだかとっても恋人同士みたい……!)
既に結婚も決まった婚約者なのだが、いつまでも気持ちは新鮮だ。
「はい。滞在期間はわたしがあの方に惚れるまでだそうなのです。でもそうすると、ニクス王子は永遠にシェーンハイトから出られませんから、お手伝いをしていただくことにしました」
うんうんと頷きながらそう話すクラウディアを見て、ジルヴェスターは一度目を丸くした後にその若草色の瞳をゆるりと細めた。
「永遠に、ですか」
「ええ! だってわたしはジルヴェスターと添い遂げるでしょう? そうするとあの方はシェーンハイト暮らしのプロになるしかないですもの、だから」
「クラウディア、ごめんその辺で」
気が付けば、ジルヴェスターが顔を両手でおさえて項垂れるように頭を下げていた。
ちらりと見える頬が赤い。
(ジルヴェスター、どうしたのかしら。えっと……わたしは何と言いましたか)
添い遂げる、と言った。
得意気に話していたクラウディアはようやく自身の発言に気が付いた。愛の告白だ。
つられてクラウディアまで顔が熱くなる。
本当に心からそう思っているし、それ以外を考えたことなんてない。
「……ありがとう、クラウディア」
「い、いえ、えへへ……」
「ふー……。よし、私もキャロットケーキをいただきます」
「ええ、どうぞどうぞ!」
お互いにあせあせと落ち着かない気持ちになりながら、ティータイムを再開する。
そしてそのささやかな時間が終わり、いつも以上に気合いが入ったクラウディアは昼までの鍛錬に大層力が入り、軍人たちは宙を舞った。
厨房に寄ったクラウディアは、ジルヴェスターの執務室の扉を叩いた。
取り替えられたドアノブは新品だ。あの日メリっと壊してしまった時は本当に驚いたものだ。
少し間が空いて、扉が開く。
優しい笑顔のジルヴェスターがそこに立っていた。
「いつもありがとうございます」
「ふふ。わたしがやりたくてやっているのです!」
朝のおやつの時間、こうしてジルヴェスターのところにお菓子とお茶を運ぶのはクラウディアの役目だ。
そうすれば毎日会いに行けるし、一緒に楽しくおしゃべりも出来る。
「あ、では自分は別室に……!」
「あらトーマス。別にいいのよ?」
「いえっ! 大丈夫です! 後でまた戻って参りますので!」
席を立ったトーマスがそそくさと部屋を出ていく。すっかり心を入れ替えて、ジルヴェスターの元で真剣に仕事に励むようになった彼の分のおやつも持ってきていたのに。
「……彼なりに、気を利かせてくれたのでしょう」
バタバタとした後ろ姿を見つめていると、背後にいるジルヴェスターからそんな声がかかった。
長椅子とテーブルのある場所にワゴンを運び入れたクラウディアは、お皿を並べてその上に菓子を並べた。
今日のお菓子はキャロットケーキだ。
シナモンの効いたキャロットと胡桃入りのカップケーキの上に、レモン風味のチーズクリームが載せている。
しっとりとした甘さ控えめの生地にチーズソースの濃厚で酸味のある味わいが美味しいお菓子だ。
「あっ、お茶は私が」
ティーポットから美しい褐色の紅茶を注ぐのはジルヴェスターの役割だ。部屋に甘い香りと紅茶の香りが広がる。
お茶をジルヴェスターが担当してくれるおかげで、あれからクラウディアは茶器を壊していない。
(わたしも早く精進しないといけませんわ)
とはいえ、ジルヴェスターにお茶をいれてもらうこの時間が大好きなのも事実なので、少しずつ頑張ることにする。
「……クラウディア、その」
「?」
お茶を飲み、ケーキの頬張っているクラウディアに、ジルヴェスターがどこか言いにくそうに切り出した。
今はもくもくと口を動かしているから、生憎おしゃべりができない。クラウディアは口をおさえながら首を傾けて、ジルヴェスターの次の言葉を待った。
「第七王子は、どのような様子でしたか?」
ちらりと上目遣いでこちらの様子を窺うジルヴェスターは、どこか恥ずかしそうにもしている。
(かっ……かわいいですわ!)
その表情があまりにも可愛らしくて、クラウディアは口の中にあるケーキを一気に飲み込んでしまった。かわいい。
慌ててどんどんと胸元を叩きつつ、はしたないけれど紅茶を一気に流し込む。
「大丈夫ですか!?」
驚いたジルヴェスターがクラウディアの隣に来て背中をさすってくれる。けほけほと浅い咳をして呼吸を整えたクラウディアは、隣のジルヴェスターを見上げた。
「ごめんなさい、驚いてケーキを丸呑みしてしまいました。恥ずかしいですわ」
「気分は悪くありませんか?」
「ええ、もう大丈夫です!」
(わたしのジルヴェスターがあまりにも可愛らしくて、なんてとてもじゃないけれど言えません!)
正直であることを信条としているクラウディアだけれど、そのことを口にするのはちょっと恥ずかしい。
「ニクス王子に関してですよね。必要最低限の施設だけご案内しました。彼らのお部屋と、食堂と、それから避難経路を」
先程までの出来事をジルヴェスターに説明する。ジルヴェスターの若草の瞳は真剣だ。クラウディアをじっと見下ろしている。
「……何か変なことを言われたりなどは」
「変なことですか? 部屋に遊びにおいでなどと言っていましたが、わたしは用がないのでお断りしました!」
クラウディアは得意げに胸を張る。
その言葉を聞いたジルヴェスターから「……やはり私も行くべきでした」と後悔の念が漏れ出るのが聞こえた。大きなため息もセットだ。
「あとは、明日からはニクス王子にも冬支度の手伝いをお願いすることにしました!」
「お手伝いですか?」
最初は向かいの席に座っていたのに、クラウディアが喉に詰まらせたせいでジルヴェスターは隣にいる。
狭くはないはずの長椅子で、ピッタリくっつくように座っていることにハタと気が付いて、なんだかクラウディアは恥ずかしくなってきた。
(密着していますわ。なんだかとっても恋人同士みたい……!)
既に結婚も決まった婚約者なのだが、いつまでも気持ちは新鮮だ。
「はい。滞在期間はわたしがあの方に惚れるまでだそうなのです。でもそうすると、ニクス王子は永遠にシェーンハイトから出られませんから、お手伝いをしていただくことにしました」
うんうんと頷きながらそう話すクラウディアを見て、ジルヴェスターは一度目を丸くした後にその若草色の瞳をゆるりと細めた。
「永遠に、ですか」
「ええ! だってわたしはジルヴェスターと添い遂げるでしょう? そうするとあの方はシェーンハイト暮らしのプロになるしかないですもの、だから」
「クラウディア、ごめんその辺で」
気が付けば、ジルヴェスターが顔を両手でおさえて項垂れるように頭を下げていた。
ちらりと見える頬が赤い。
(ジルヴェスター、どうしたのかしら。えっと……わたしは何と言いましたか)
添い遂げる、と言った。
得意気に話していたクラウディアはようやく自身の発言に気が付いた。愛の告白だ。
つられてクラウディアまで顔が熱くなる。
本当に心からそう思っているし、それ以外を考えたことなんてない。
「……ありがとう、クラウディア」
「い、いえ、えへへ……」
「ふー……。よし、私もキャロットケーキをいただきます」
「ええ、どうぞどうぞ!」
お互いにあせあせと落ち着かない気持ちになりながら、ティータイムを再開する。
そしてそのささやかな時間が終わり、いつも以上に気合いが入ったクラウディアは昼までの鍛錬に大層力が入り、軍人たちは宙を舞った。
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