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   第一章 婿探しの夜


「……困りましたわ」

 ここは、南北に長い国土を有するバーティカル王国の中央、王都セントレアである。
 そこで開かれている夜会会場の片隅で、ひとりの令嬢が途方に暮れて物憂げなため息をついていた。
 きらびやかな内装と豪華な料理、それから色とりどりのドレスと華麗なダンス。まさに思い描いていた華やかな世界がそこにある。
 だが、少女の表情は晴れない。
 この春十八歳になったクラウディア・シェーンハイトは、婿を探していた。
 生家の辺境伯家を飛び出し、はるばるこうして王都にまで来た彼女は、初めての夜会に参加してみたところである。同年代の子女たちはデビュタントはとうに済ませているが、その頃の彼女は領地で野山を駆け回っていた。
 王都にいる叔母の伝手でこうして参加できたものの、当の本人は仲のよいご婦人がたのところに行ってしまい、勝手がわからない。
 クラウディアは壁を背にし、給仕が運んできたシャンパンを手に取る。

(条件にぴったりあてはまる方を探すのは、なかなか難しいものですわね)

 色とりどりのドレスをまとう人のかたまりを目で追いながら嘆息した。
 夜会は狩場だと叔母に聞いていたから心して参加したはずなのに、なかなかどうして難しいものである。
 地元にはクラウディアのお眼鏡にかなう人物はひとりとしていない。というか、彼らもクラウディアを女性として意識していないように思う。
 シェーンハイト辺境伯の爵位をいずれ継ぐ予定であるクラウディアが、伴侶に求める条件は三つある。


 一、健康であること。
 二、書類仕事に強いこと。
 三、筋骨隆々きんこつりゅうりゅうではないこと。


 武を重んじる領地には血の気の多い若者が多く、皆ムキムキだ。幼い頃からその環境で育ってきたクラウディアは、その反動で筋骨隆々きんこつりゅうりゅうではない男性を理想として求めるようになった。

(とはいえ、貧弱すぎるのも考えものですわ。環境が厳しいですもの)

 山深く、雪に覆われることも多い領地で、身体が弱い男は体調を崩してしまうに違いない。
 またクラウディアは、脳筋だらけでどんぶり勘定なところがある領地経営にも、なんとかテコ入れをしたいと考えていた。賢く、きちんとしている人材がほしい。
 そう、つまり……クラウディアの婚活は難航している。

(あの方は……先程からいろいろな女性に声をかけているわね。健康そうだけれど軽薄そうだわ。うーん、あの身体付きでは二日で寝込んでしまうわね……。こうして眺めていても、頭のよさまではわからないものねえ)

 クラウディアが頭を傾けると、ひと房の黒髪が揺れた。
 叔母の嫁ぎ先であるクロウリー伯爵家の敏腕侍女によってまとめあげられた髪は、耳周りに少し後れ毛を残し、妖艶な雰囲気をつくりあげている。
 クラウディアは濡れ羽色の黒髪に、雪深い土地だからこその透きとおるような白い肌、それから桃色の瞳を持つ令嬢である。
 王都では見慣れない、身体のラインが出たスレンダーなドレスを身にまとったクラウディアのことをチラチラと見ている者はいるが、なぜだか声はかけられない。
 彼女から無意識に発せられる覇気により、男たちはクラウディアに近づくのを尻込みしてしまっていたのだ。

(声をかけられたら、名乗って歓談をするものだと聞いていたけれど……これが噂の壁の花というものなのね! 新しい体験だわ)

 新体験にほくほくした気持ちになりながら、とりあえず、今は人間観察に勤しむことにする。
 狩りに焦りは禁物だ。
 命取りになる恐れがある。
 成果を急いで失敗してしまっては元も子もない。叔母からは社交シーズンはこれから三ケ月ほど続くと聞いている。

(今回は敵情視察ということで、次回に向けて傾向を知り対策を練りましょう!)

 クラウディアがそう前向きに決意した時、場の空気がざわりと一変した。

「ジルヴェスター、わたくしは真実の愛を見つけてしまったの。残念だけれど、わたくしたちの婚約は破棄いたしましょう!」

 パーティー会場の中央から高らかな宣言が聞こえた。
 よく通る声だ。
 だが生憎あいにく、会場端の壁にくっついているクラウディアにはその声の主が誰なのかわからない。

「……何が起きているのでしょう」

 クラウディアはグラスを近くのテーブルに置くと、中央の騒動が見えやすい場所を求めてタンッと軽やかに床を蹴った。
 そして空高く、大きく飛翔する。

「えっ、あのっ、今……えっ何?」

 皆の目線はすでに中央の騒動に向いていたため、近くにいた給仕だけがクラウディアがしでかした常人離れした行動に気づき、目を丸くする。
 跳躍したクラウディアは二階からその様子を見る。
 上からだと、何もかもがクリアに見えた。
 戦場でも同じで、まずは陣地を高い位置から見て戦略を立てるのだ。


   ***


 パーティー会場の中央で、ジルヴェスターと呼ばれた青年は困惑の表情を浮かべていた。
 淡い茶色の髪に緑色の瞳。華やかな貴族の中では地味な見た目だと婚約者によく言われている。

「……何をおっしゃっているのですか。アデーレ殿下」

 そんなジルヴェスターの目の前には、べったりと寄り添う男女がいる。
 まさにジルヴェスターの婚約者である王女アデーレと、最近もっぱら景気がいいと噂の商人の若い男だ。
 彼は特に貴族を相手にした商売の羽振りがよく、近々男爵位をたまわるのではと噂になっている目鼻立ちの整った派手な男だった。長い赤髪を後ろで束ね、漆黒の瞳は勝ち誇ったようにこちらを見ている。
 貴族には大きく五つの爵位がある。
 高いほうから公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵と順に続き、基本的にはその土地をべるものたちが役割に応じて世襲により家門を維持している。
 男爵位は貴族の爵位で最も低いものではあるが、いくら金があるからといって誰でもそう易々となれるものではない。
 ただ、その例外に国王の勅許状がある。
 国王が認めれば、土地の領主であることを問わずに一代限りの貴族位をたまわることもできる。
 そしてその例外を、国王が溺愛するアデーレ王女をはじめ各貴族夫人たちを虜にしているあの男が、その身で享受しようとしている。

(眉唾ものだと思っていた噂も、こうしてみれば信憑性が高い)

 何かと忙しくしていたジルヴェスターがこれまで直接目にすることはなかったが、アデーレ王女とこの商人が恋仲であると一目瞭然いちもくりょうぜんだ。
 そしてこの王女であれば、恋人に身分を与えたいと直接国王に頼むのは容易である。

「わたくしたちの婚約は破棄しましょうと言ったのよ」


「我々の婚約は、国王陛下が定めたものでしょう」

 もちろん聞こえなかったわけではない。聞き間違いと思いたい言葉だったため、念のために確認したのだ。
 幼い頃に決まった婚約だ。
 意図があってのもので、そう易々と覆されるものであってはならない。
 この国の将来を見据えての長期的な策略があるというのに。

「そんなもの、どうとでもなるわ。わたくしが望めば」

 ぱちり、と扇子を閉じた金髪の王女は乾いた笑みをジルヴェスターに向けた。
 この国にほかに王子はいない。王位継承権第一位であるアデーレは国王に溺愛されており、幼い頃から周囲に甘やかされてそのまま成長してしまった。
 側妃との間に第二王女がいるが、国王が彼女を冷遇していることは公然の秘密である。
 つまり、彼女が望めば大抵のことは叶ってしまう。

「本気なのですか、アデーレ殿下」

 ジルヴェスターは、動揺を相手に悟られないよう意識しながら問う。
 ジルヴェスターが彼女の王配となるべく幼少の頃から厳しい教育を受け、これまでの人生の大半を捧げていようが、彼女が『不要だ』と言えばそこで呆気なく終わる可能性はずっとあった。
 彼女が強く望まなかったから、この婚約関係が歪ながらもこれまで維持できていたと言える。
 そうは言っても、この婚約破棄が彼女の一存だけでは決められないのもまた事実。それを了承する存在がないことには、王家と侯爵家の間で取り交わされた婚姻に関する重要な契約が反故ほごにはならない。
 あの自信たっぷりな言い方からすると、すでに国王の了解は取りつけているのだろう。そして、それをマルツ侯爵家は知らされていない。
 今日だって、どうしても重要な夜会でエスコートが必要だという王女からの急な要請に応え、仕事が残っているのにおして駆けつけたのだ。またいつもの我儘わがままだと思っていた。

「ええ、もちろん本気よ」

 アデーレはひどく不快そうな顔をしてジルヴェスターを見る。

「お前、わたくしの婚約者という立場を利用して、これまでずいぶん偉そうにしていたらしいじゃない。偉いのはわたくしであってお前じゃないのに、そんな振る舞いは信じられないわ」
「……恐れながら、王女殿下が何を指してそうおっしゃっているのか、私にはまるで見当もつきません」

 ひどく憎々しげにこちらを睨みつけるアデーレに、流石さすがのジルヴェスターも困惑した。
 王女との関係は良好とまではいかずとも、こうして明らかな嫌悪を向けられるほどではなかったはずだ。
 ふたりの間には愛はないが、王族と貴族として生まれ、結婚は政略的なものとして捉えていたジルヴェスターにとってそれはなんの問題もないことだった。
 王女はまたこちらをキッときつく睨みつける。

「お前の悪行をわたくしは知っているのだから! この度の財務局での横領事件に、宰相が深く関わっていたというじゃない……わたくし、報告を受けて気が遠くなりましたわ」
「横領事件ですか? 今のお話自体が私にとって寝耳に水です。どなたがそのような報告をしたのかわかりませんが、誓ってそのような事実はありません」
「口ではなんとでも言えるわ! ああ、本当に嘆かわしい。お前は今日付けで文官の職はなくなったわ」
「!」

 根も葉もないことを公然と叱責し、ジルヴェスターの職も奪ったアデーレは、額に手を当てくらりとしたような仕草でうしろに控える男に身体を預ける。
 商人の男はそれを優しく支え、彼女の耳元で何やらささやいている。

「ふふっ、やだっ、ダニエルったら」

 ……一体何を見せられているのだろうと思いながらも、ジルヴェスターはうつろな視線をふたりに向けた。

(すでに文官の職までないものにされているとは……王女にしては行動が早い)

 婚約破棄に、役職の剥奪はくだつ
 突然のことで不可解な部分は大いにあるが、彼女がこうした公式の場で宣言した以上、この決定は覆らないだろう。
 それほどまでに、国王は手放しで彼女を溺愛しているし、何よりこの場には大勢の貴族がいる。

「まあ、不正ですって」
「婚約破棄とは……なんたる醜聞しゅうぶん。マルツ家の子息ともあろうものが」

 彼らはひそひそと話しながら、楽しそうにジルヴェスターの様子を窺う。マルツ侯爵家に降りかかっている醜聞しゅうぶんを、周囲の者はただニヤニヤと見つめるだけだ。

「しかしアデーレ様。我々だけ幸せになるのも、ジルヴェスター殿に悪い気がしますね」

 いけしゃあしゃあと、商人の男はそんなことを言う。ちょうどゆるやかな階段の踊り場に立つ彼らは、明らかにジルヴェスターを見下していた。
 このようなおおやけの場で、宰相子息であるジルヴェスターをはずかしめようという目的もあるように思える。

「まあ、わたくしのダニエルはとっても優しいわ」

 アデーレ王女はうっとりとした瞳をダニエルに向けたあと、口角をいやらしく吊り上げた。

「……そうだわ、わたくし最近おもしろいことを耳にしたの。あの野蛮なシェーンハイト家の熊女が婿を探しているんですって」

 王女がそう言うと、周囲からもクスクスと醜悪な笑い声が上がる。
 シェーンハイトとは、北方の国境に位置する辺境伯の家名である。
 恐ろしく強く、武にけた一族であるとの噂はこの王都でも有名だ。
 ――その息女が、僅か齢八歳の時に熊を仕留めたという御伽話おとぎばなしのような逸話もまことしやかにささやかれていた。
 おそらくこれは本当のことだろうとジルヴェスターは考えている。

「アデーレ殿下。シェーンハイト家は、国家の北方を守ってくれているいしずえです。そのように揶揄やゆするものではありません」

 当然のことながら、ジルヴェスターは王女の軽率な物言いを諫めた。
 贅を尽くし私腹を肥やすことが目的の中央の貴族たちは、武を尊ぶ南北の辺境の人々を軽視するきらいがある。
 王都がこうして平和を享受していられるのも彼らのおかげだと言うのに、中央の貴族は平和な場所でお茶を飲みながら、彼らを野蛮な一族だと蔑んだ目を向けているのだ。

「あいかわらず、お前はねちねちとうるさいわね……!」

 ジルヴェスターの苦言に王女はわかりやすく不機嫌な表情を浮かべている。
 だが、ジルヴェスターは為政者いせいしゃたる教育を受けた者として、彼女の浅慮な振る舞いを指摘しないわけにはいかなかった。たとえもう、その立場が失われるとしても。

「誰がなんと言おうと、お前はシェーンハイト家に婿入りするの! ジルヴェスター・マルツ、これは王命よ!」
「は……王命、ですか?」
「この件についてはお父様ももう認めてくださっているのだから、覆せると思わないことね。これまでのあなたの頑張りを一応考慮して、この程度の断罪で済ませることをありがたく思いなさい。ふふ、残念だったわねジルヴェスター。お前はこの国の王配にふさわしくないわ。一生辺境の地で野蛮な熊と楽しく過ごしなさい?」

 周囲がくすくすと嘲笑あざわらう声も、ジルヴェスターの耳に届く。

(この茶番のような婚約破棄が正式な決定事項であり、加えてシェーンハイトへの婿入りも王命だって? 一体どういう……)

 一瞬のうちに考えを巡らせ、理解した。
 この夜会は、もともとこのためにもよおされたものだと。
 どう考えても異常な王女の振る舞いを誰もとがめないのは、中央の政界からマルツ侯爵家を遠ざけ、その地位をおとしめるという目的があるからだ。
 王女の肩を抱く商人ダニエルは、勝ち誇った顔をジルヴェスターに向けている。

「わかったわね、ジルヴェスター!」
「……王命とあらば」

 かの商家の叙爵じょしゃくに反対していたのは、マルツ侯爵家を筆頭とした派閥だった。王女の寵愛めでたい商人だからといって、貴族家として認めることはできないと国王に忠言していると父も言っていた。
 そのことで対立してる背景があるとはいえ、敵対する派閥がこのような強硬手段に出るとは思ってもみなかった。

(父上を宰相の座から引きずり下ろそうとする派閥があるとは知っていたが……ダニエル側に回るとは。シェーンハイト辺境伯にも事前の話などしていないはずだ。このことを事前に想定できなかったのは私の落ち度だ)

 のこのことこの場に出てきてしまった悔しさに、ジルヴェスターが唇を噛んだ時。

「エッ!!!!! よろしいのですか!?」

 天から嬉々とした声がした。
 そして、ひらりと蝶が舞うように、ひとりの令嬢が空から舞い降りてきたのだった。


   ***


 ジルヴェスターの前にひらりと降り立ったクラウディアは、膝を曲げた着地の姿勢のまま対峙する王女を見上げた。
 先ほど上から確認したとおり、この場の誰よりも威圧的で支配的だ。
 スリットが大きく入ったタイトなドレスからはすらりとした美脚がのぞく。いつ何時でも闘えるようにという侍女の配慮もあり、王都で流行りのプリンセスラインのドレスと比較すれば、当然格段に動きやすい。

「な、なんですの、お前は」

 突如として中央に現れた令嬢に、当然ながらアデーレ王女は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。

(そうですわ、まずは自己紹介をしなくては)

 立ち上がったクラウディアは、スカートの裾を払い、足元を整える。それから、類稀たぐいまれな体幹から繰り出されるこの世でもっとも美しい礼をした。

「失礼いたしました。王女殿下におかれましてはご機嫌麗しゅうございます。わたしはシェーンハイト家の長女、クラウディアと申します。先ほどからお褒めにあずかり恐縮です」
「シェ、シェーンハイト……!?」
「はい。くだんの熊女でございます、王女殿下」

 クラウディアはにこりと寸分の隙もない笑顔を作る。
 この狩場に来るにあたり、叔母から社交場の武器だと聞かされていたため、笑顔も鍛錬済みだ。

(熊女と呼んでいただいているだなんて……最高の誉れだわ)

 お婿さん探しが露見しているのは置いておいて、熊を倒したことまで王都に知られていると思うとうれし恥ずかし、そして誇らしい。

(あの熊はなかなか強かったですわ。卒業試験だったから、わたしも張り切っちゃいましたもの)

 シェーンハイト流の武術において、熊を倒すことは最後の難関である。
 大人でも苦労するその難関を僅か八歳で成し遂げたことを、クラウディアはとても誇らしく思っていた。
 シェーンハイト領では、熊を倒すと、熊バッジがもらえる。
 その熊バッジをつけていることが最高の名誉なのだ。今日だって、イブニングドレスの胸元にその熊バッジをしっかり付けている。
 クラウディアはこっそりと胸を張り、胸元で燦然さんぜんと輝く黄金の熊バッジをアピールした。嫌味でもなんでもなく、ただただ心から王女に敬意を示したのだ。
 しかし、相手の顔色はなぜか悪くなったように見える。

「……」

 無言の王女カップルを尻目に、クラウディアはくるりとうしろを振り返った。
 すると、若草色の瞳とぱちりと目が合う。

(どうしましょう……こんなところに理想の殿方がいらっしゃるなんて)

 クラウディアは思わずほほを赤らめる。
 目の前の青年はとても理知的で賢そうだし、誠実かつ健康そうで、筋骨隆々きんこつりゅうりゅうでもない。
 やわらかな茶色の髪は焼きたてのパンのようで、ほわほわとおいしそうだし、緑の瞳は雪深いシェーンハイトに春の訪れを感じさせる新緑のようだ。
 それに、マルツ侯爵家の名をクラウディアは唯一知っていた。北方の民を尊び理解する、中央には珍しい気概のある男だと父が褒めていたのだ。
 ――どう考えても好きだ。
 そう考え至ったクラウディアは、再度王女のほうに向き直ると、感激そのままに両手で王女の手を取った。

「この度は、領地から出て勝手のわからないわたしのために、こんなに素敵なお婿さんも探していただいていたなんて……本当にありがとうございます、王女殿下!!」
「っ、痛いですわ、離しなさい!」

 王女の手をぎゅうぎゅうと握りしめる。うれしさのあまりどうやら力を込めすぎていたようで、王女に怒られたので急いで手を離す。

「申し訳ございません! いつものように掴んでしまいました。はしたなかったですわ」

 いつも領地では組み手ばかりしていたため力加減をする必要などなかったが、ここは王都だ。叔母から伝授された『淑女のいろは』を思い出しながら、クラウディアは反省してアデーレにすぐさま謝罪した。

「ちょ、ちょっと、待ちなさい。お前があのシェーンハイトの熊女だというの? 本当に?」
「はい。わたしが紛れもなくクラウディアです。八歳の時に倒した熊は、それはもう大きくて。流石さすがのわたしも手に汗握る闘いでしたの! 王女殿下にもぜひ聞いていただきたいですわ。そう、熊と対決したあの時――」

 王女の戸惑いをものともせず、クラウディアは武勇伝をそれはもう楽しそうに語る。
 周囲も『シェーンハイトの熊女』だという令嬢をただただ唖然とした様子で見つめた。まずなぜ天から現れたのか、そこから理解が追いついていない。

「とても分厚い毛皮と鋭い牙と爪。わたしも緊張しましたわ。だけれど、野放しにしておくと領民に被害が出ますもの!」
(((この少女が、熊を?)))

 この場にいる皆の考えていることは一致していた。
 シェーンハイト家は社交の場に出てくることはほとんどない。
 そのため、この場に集まった貴族たちが辺境伯令嬢クラウディアを実際に見たのは初めてのことだったのだ。


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