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五
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少しのざわめきを残して、タイミングよく曲が切り替わる。スローテンポの穏やかな曲だ。
「アレナリア様。しばしご辛抱を」
「あの、レジナルド様、私少し休みたくて」
「はい、では」
「えっ!?」
言うが早いか、レジナルドはアレナリアをさっと抱き上げた。急に横抱きにされたアレナリアは、驚いて彼の首元にしがみつく。
ふわり、といい香りがして、近すぎてくらくらする。
「おいおいレジナルド。リアは病み上がりだぞ?」
そんな時、くつくつと笑いながら、盛装に身を包んだスチュアートがアレナリアたちのそばにやって来た。
その隣には、眩く着飾ったシャーリーもいる。
「お兄様にお義姉様……! 本日はおめでとうございます。私、このような格好で……」
もっと完璧な所作で兄たちに祝いの言葉を贈るつもりだったのに、突貫の淑女教育で学んだ礼の作法も上手く出来ない。
それはまあ、こうしてレジナルドに抱えあげられているからなのだけれど。
「いいんだよ、リア。全てはお前の番犬の策略だから気にするな。『待て』が出来ないようだが」
スチュアートは呆れた視線をレジナルドに向ける。
(レジナルド様の……策略……?)
その視線を追うようにしてアレナリアがレジナルドを見上げると、ふいと顔を逸らされた。
「レジナルド様。アレナリア様のお加減は良さそうですが、だからといって無理はいけませんからね?」
「心得ています」
「それならば良かったです」
スチュアートの隣でにこにこと柔らかく微笑んでいた王妃シャーリーは、その表情とは裏腹の咎めるような口調で釘を刺す。
三人のやりとりがよく分からないアレナリアの頭には疑問符が浮かぶばかりだ。
「リア。レジナルドにされて嫌なことがあったら、なんでも私に言うんだぞ」
「は、はい……。そのようなことはあるとは思いませんけれど」
困惑のアレナリアがそう答えると、兄は大きなため息をつき「うちの妹が心配だ」と零した。
そんなスチュアートを、若き王妃が笑顔で見守っている。
「陛下。退出の許可をいただいてもよろしいでしょうか。アレナリア様にお話があります」
「ああ。約束どおり、無理強いは禁止だからな。レジー」
「当然だ」
気安く呼びかけるスチュアートに、レジナルドも同じく友人のように返す。そこにふたりの信頼関係が垣間見えて、アレナリアはくすりと笑った。
「では、アレナリア様。行きましょう」
「えっ、あの、レジナルド様っ――」
レジナルドはその長い脚でずんずんと会場を後にする。
観衆に対する気恥ずかしさと、振り落とされないようにという少しの恐怖心から、アレナリアはぎゅうぎゅうとレジナルドにくっついた。
そうして夜会から連れ出されたあと、到着したのはいつかのあの庭園だった。
レジナルドは四阿のベンチにアレナリアをそっと降ろす。そしてそのまま、アレナリアの足元に跪いた。
「――姫様。アレナリア殿下」
アレナリアを見上げるレジナルドの表情はとても真剣だ。月に照らされ、夜でもその輪郭ははっきりと分かる。
そっとアレナリアの手をとったレジナルドの手のひらは熱く大きい。
「これから先、あなたを守り続ける権利を私にください。王女と騎士ではなく、生涯の伴侶として共にありたいと……そう願っております」
「――っ」
「お慕い申しております。どうか、私と結婚してくださいませんか」
(まるで、夢を見ているようだわ)
心臓が大きく音を立て、壊れてしまいそう。涙も溢れてきて、せっかくの景色が滲んでしまう。
「……でも私、欠陥王女なの」
「そんなことはない。心優しい貴女をそのように思う人は周囲にはひとりもいません」
レジナルドの双眸は、偽りなくアレナリアを見つめていた。そのことに胸がまた熱くなる。
「私……レジナルド様が好きです。だから、一緒にいたいです」
将来を諦めていたアレナリアにとって、レジナルドからの求婚は青天の霹靂で。まさに夢のようだった。
これまで口には出来なかった願いを込めて、アレナリアは真っ直ぐに自分の気持ちを伝えた。
涙をふいて笑顔を作れば、レジナルドも微笑んでくれる。
それからそっと彼の顔が近づいてきて――アレナリアとレジナルドは、触れるだけの口付けを交わした。
それから少しだけ二人で話をする。
実はあの夏の夜。これまでの褒美として欲しいものを聞かれたレジナルドは、国王のスチュアートに王女アレナリアとの婚約を願い出て、認められていたらしい。
そして祝勝の夜会を抜け出してひとりで祝い酒をして……酔い醒ましのために、あの庭園に来たという。
深く慕うアレナリアの部屋に近いあの場所に。
思いがけずアレナリア本人と遭遇したことで混乱して説教をしてしまったのだと、少し照れた顔で後で教えてくれた。
国王の成婚から間もなく、王女アレナリアと騎士レジナルドの婚約が正式に発表された。
準備は着々と進み、晴れてアレナリアは伯爵夫人となった。誰にも邪魔されることなく、婚儀もつつがなく進んだ。
****
「……リア、何を考えている?」
レジナルドの大きな手がアレナリアの髪を撫でる。病気から回復したアレナリアは、蛹が蝶になるように美しさが増した。
その姫を我が手中に収めるまで、気が気ではなかった番犬騎士の深い執着にはこの純真な姫は気がついていないだろう。
ぼんやりとした表情のアレナリアが、弱々しい笑顔を見せた。随分と無理をさせたことは、レジナルド本人が重々承知している。
「レジナルド様にお会いした日のことを……思い出していました」
「私に?」
「あの夏の夜、あなたに会えてとても嬉しかったな、って」
――アレナリアはそのまま疲れて眠ってしまった。
レジナルドはそのすこやかな寝顔を眺めている。無垢で純真な、レジナルドの姫。
「……知ったらきっと、呆れられるな」
アレナリアは何も知らない。レジナルドが何年も前からアレナリアに思いを寄せていたことも。
彼女の身に降りかかる火の粉――例えばあの太ましく浅ましい口の軽い貴族たち――がこれまでどうなってきたかも。
何のためにレジナルドが武勲を上げ、王女を賜ることができるような立場を手に入れたのかも。
アレナリアの病気が治ろうともそのまま緩やかに悪化しようとも、レジナルドは最初からアレナリアに求婚するつもりだった。
幼い頃から共にあり、兄妹のように家族のように過ごしていたはずの男が、深い執着を持っていたなど、彼女にはとても伝えられない。
『リアの番犬のようだな、レジーは』
そう言って笑っていた友人の姿を思い出す。
「番犬でも、貴女を守れるのであれば」
アレナリアの髪にそっと口づけをし、レジナルドは彼女の隣にそっと横になる。
それから、二人ですっかり眠ってしまい、起きたときには日が高く上っていた。
【後書き】
お読みいただきありがとうございます
儚げなヒロインも大好きです(*´`)
「アレナリア様。しばしご辛抱を」
「あの、レジナルド様、私少し休みたくて」
「はい、では」
「えっ!?」
言うが早いか、レジナルドはアレナリアをさっと抱き上げた。急に横抱きにされたアレナリアは、驚いて彼の首元にしがみつく。
ふわり、といい香りがして、近すぎてくらくらする。
「おいおいレジナルド。リアは病み上がりだぞ?」
そんな時、くつくつと笑いながら、盛装に身を包んだスチュアートがアレナリアたちのそばにやって来た。
その隣には、眩く着飾ったシャーリーもいる。
「お兄様にお義姉様……! 本日はおめでとうございます。私、このような格好で……」
もっと完璧な所作で兄たちに祝いの言葉を贈るつもりだったのに、突貫の淑女教育で学んだ礼の作法も上手く出来ない。
それはまあ、こうしてレジナルドに抱えあげられているからなのだけれど。
「いいんだよ、リア。全てはお前の番犬の策略だから気にするな。『待て』が出来ないようだが」
スチュアートは呆れた視線をレジナルドに向ける。
(レジナルド様の……策略……?)
その視線を追うようにしてアレナリアがレジナルドを見上げると、ふいと顔を逸らされた。
「レジナルド様。アレナリア様のお加減は良さそうですが、だからといって無理はいけませんからね?」
「心得ています」
「それならば良かったです」
スチュアートの隣でにこにこと柔らかく微笑んでいた王妃シャーリーは、その表情とは裏腹の咎めるような口調で釘を刺す。
三人のやりとりがよく分からないアレナリアの頭には疑問符が浮かぶばかりだ。
「リア。レジナルドにされて嫌なことがあったら、なんでも私に言うんだぞ」
「は、はい……。そのようなことはあるとは思いませんけれど」
困惑のアレナリアがそう答えると、兄は大きなため息をつき「うちの妹が心配だ」と零した。
そんなスチュアートを、若き王妃が笑顔で見守っている。
「陛下。退出の許可をいただいてもよろしいでしょうか。アレナリア様にお話があります」
「ああ。約束どおり、無理強いは禁止だからな。レジー」
「当然だ」
気安く呼びかけるスチュアートに、レジナルドも同じく友人のように返す。そこにふたりの信頼関係が垣間見えて、アレナリアはくすりと笑った。
「では、アレナリア様。行きましょう」
「えっ、あの、レジナルド様っ――」
レジナルドはその長い脚でずんずんと会場を後にする。
観衆に対する気恥ずかしさと、振り落とされないようにという少しの恐怖心から、アレナリアはぎゅうぎゅうとレジナルドにくっついた。
そうして夜会から連れ出されたあと、到着したのはいつかのあの庭園だった。
レジナルドは四阿のベンチにアレナリアをそっと降ろす。そしてそのまま、アレナリアの足元に跪いた。
「――姫様。アレナリア殿下」
アレナリアを見上げるレジナルドの表情はとても真剣だ。月に照らされ、夜でもその輪郭ははっきりと分かる。
そっとアレナリアの手をとったレジナルドの手のひらは熱く大きい。
「これから先、あなたを守り続ける権利を私にください。王女と騎士ではなく、生涯の伴侶として共にありたいと……そう願っております」
「――っ」
「お慕い申しております。どうか、私と結婚してくださいませんか」
(まるで、夢を見ているようだわ)
心臓が大きく音を立て、壊れてしまいそう。涙も溢れてきて、せっかくの景色が滲んでしまう。
「……でも私、欠陥王女なの」
「そんなことはない。心優しい貴女をそのように思う人は周囲にはひとりもいません」
レジナルドの双眸は、偽りなくアレナリアを見つめていた。そのことに胸がまた熱くなる。
「私……レジナルド様が好きです。だから、一緒にいたいです」
将来を諦めていたアレナリアにとって、レジナルドからの求婚は青天の霹靂で。まさに夢のようだった。
これまで口には出来なかった願いを込めて、アレナリアは真っ直ぐに自分の気持ちを伝えた。
涙をふいて笑顔を作れば、レジナルドも微笑んでくれる。
それからそっと彼の顔が近づいてきて――アレナリアとレジナルドは、触れるだけの口付けを交わした。
それから少しだけ二人で話をする。
実はあの夏の夜。これまでの褒美として欲しいものを聞かれたレジナルドは、国王のスチュアートに王女アレナリアとの婚約を願い出て、認められていたらしい。
そして祝勝の夜会を抜け出してひとりで祝い酒をして……酔い醒ましのために、あの庭園に来たという。
深く慕うアレナリアの部屋に近いあの場所に。
思いがけずアレナリア本人と遭遇したことで混乱して説教をしてしまったのだと、少し照れた顔で後で教えてくれた。
国王の成婚から間もなく、王女アレナリアと騎士レジナルドの婚約が正式に発表された。
準備は着々と進み、晴れてアレナリアは伯爵夫人となった。誰にも邪魔されることなく、婚儀もつつがなく進んだ。
****
「……リア、何を考えている?」
レジナルドの大きな手がアレナリアの髪を撫でる。病気から回復したアレナリアは、蛹が蝶になるように美しさが増した。
その姫を我が手中に収めるまで、気が気ではなかった番犬騎士の深い執着にはこの純真な姫は気がついていないだろう。
ぼんやりとした表情のアレナリアが、弱々しい笑顔を見せた。随分と無理をさせたことは、レジナルド本人が重々承知している。
「レジナルド様にお会いした日のことを……思い出していました」
「私に?」
「あの夏の夜、あなたに会えてとても嬉しかったな、って」
――アレナリアはそのまま疲れて眠ってしまった。
レジナルドはそのすこやかな寝顔を眺めている。無垢で純真な、レジナルドの姫。
「……知ったらきっと、呆れられるな」
アレナリアは何も知らない。レジナルドが何年も前からアレナリアに思いを寄せていたことも。
彼女の身に降りかかる火の粉――例えばあの太ましく浅ましい口の軽い貴族たち――がこれまでどうなってきたかも。
何のためにレジナルドが武勲を上げ、王女を賜ることができるような立場を手に入れたのかも。
アレナリアの病気が治ろうともそのまま緩やかに悪化しようとも、レジナルドは最初からアレナリアに求婚するつもりだった。
幼い頃から共にあり、兄妹のように家族のように過ごしていたはずの男が、深い執着を持っていたなど、彼女にはとても伝えられない。
『リアの番犬のようだな、レジーは』
そう言って笑っていた友人の姿を思い出す。
「番犬でも、貴女を守れるのであれば」
アレナリアの髪にそっと口づけをし、レジナルドは彼女の隣にそっと横になる。
それから、二人ですっかり眠ってしまい、起きたときには日が高く上っていた。
【後書き】
お読みいただきありがとうございます
儚げなヒロインも大好きです(*´`)
応援ありがとうございます!
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いつも素敵なお話をありがとうございます!
悲喜交々、大変楽しく読ませて頂いています。
蛇足で申し訳ないのですが、三-5中段の頭辺り
「顔を見合わせて、微笑みを讃える二人が…」
となっていますが、たたえるの漢字が違うのではないかと思います
讃えるは賞賛の意味なのでこの場合、湛える=たっぷりと溢れさせる。がふさわしいかと思われます
ご指摘ありがとうございます!湛えるが正ですので直しておきます〜!!!
このシリーズ大好き🍀😌🍀です。地味に相手にギャフンと言わせるヒロインが何とも最高です🎵
わー!こちらも覗いていただきありがとうございます✨短編作品が増えてきたのでまとめてみました!