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アンナ=セラーズ編
その12 変化
しおりを挟む「……国王は、どうして何もしないのですか」
思ったよりも、ずっと低い声が出た。
こうして彼を襲撃する手がやまないのは、父である国王陛下が、王子同士の諍いを放置しているということではないのか。
王子同士がこの状態ということであれば、それは母君である正妃と側妃同士もきっと険悪な仲なのだろう。
それが王族というものなのだろうか。
貴族同士の権力争いは、私の国にもあった。
先の粛清で断罪された貴族たちも、ロートネル侯爵家を貶めて、自らの地位を高めようとする目論見だったことは間違いない。
――だけど。
子どもが毒を盛られているというのに、何も手を打たないなんて、そんなの親じゃない。
少なくとも、セラーズ家やロートネル家では、そうなのに。
「静観しているんだろう。こういう時は膿を出すいい機会だからな。第1王子派を謳う者たちの中には、早く国王を代替わりさせようとする動きもあるようだし、色々ときな臭いんだ。俺の態度もこれまで誤解を生むようなものだったから、悪かった所もある。兄より優れていると、優秀だと言われて悪い気はしなかった。天狗になっていた部分も大いにあるならな」
「ですが……っ」
「だから今帰るんだ。兄と父に伝えるために。王位は望んでいないと、臣籍に下るということを、宣言するために。もっと早くこうしていれば良かったんだが」
言葉を区切った殿下は、私の近くへと来ると、ぽふ、と私の頭にその手を置いた。
じんわり温かく、優しいその手を。
「……だからアンナ、どうかそんなに泣かないでくれ」
困ったように眉を下げる彼の表情が月光に照らされる。
そこで初めて私は、自分がはらはらと泣いていることに気が付いた。
頰に触れると確かに濡れている。
悔しくて、悲しくて。
意識すると次から次へと溢れて止まらない。
ぽたぽたと落ちる涙を止める術が分からないのだ。
「どうしたらいい? どうしたら泣き止んでくれる? アンナの泣き顔は見たくない」
困ったようにそう言いながら、頭に乗っていた彼の手が、滑るように私の頬へと降りてくる。自分の手よりもひと回り大きいその手が頬を包んで心地いい。
その手にすり寄るように、瞳を閉じる。
そして思った。
誰か、この人を守って欲しい。
――いいえ。
この不器用な人を、もう何者にも傷つけさせたくない。
功績を上げた幼い頃から、彼はその身に大人たちの思惑や醜い策略を一身に浴びてきたのだ。
この前ぽろりと話してくれていた、幼き日の彼の護衛の騎士のことを思い返す。
慕っていたその人を、毒殺犯に仕立て上げた汚い謀略は、幼い心にどれだけの衝撃を与えただろう。
その人が本当に犯人だったとしても、そうでなかったとしても、初めて毒を飲まされて、生死の境を彷徨う時、幼い彼は、どんなに孤独で、どんなに辛かったのだろう。
それでも殿下は、その人の無実を信じている。
だから私も、そう信じる。
出来ることならば、この陰謀渦巻く王宮に滞在している間に探りを入れて、その人のことを調べたいと思っている。
あんなに願っていた、毒薬の事を後回しにしても構わないと、そう思ってしまっている。
上から目線で態度が悪いからと、この方を毛嫌いしていた私はもういない。
今はただ、この方を守りたいと、心の中で強く願ってしまっていることに気が付いた。
それは、これまでレティ様を守ることしか考えていなかった私にとって、大きな心境の変化とも言えるものだった。
静寂が落ちた室内に、こほん、という咳払いがひとつ。
「――僭越ながら、私もいるのでその辺でよろしいでしょうか」
冷静なこの声は、ユーリアン様の声だ。
私はその声にぱちりと目を開ける。
思わずうっとりしてしまっていたが、まだやるべき事は色々と残っている。
守ると決めたからには、役目を果たさなければ。
まだ最後の夜は長い。
出来ることはたくさんある。
この男の身元を調べあげて、そして手首にアザのある女を探す。
十中八九、リリー王女の侍女の女だとは思うけれど、一応確認に行かなければならないだろう。
ーーでも、まずは。
「泣き止んだな」
「……はい。ありがとうございます」
「いや。……良かった」
一番辛いはずの殿下がそう言って笑うから、私も仕方なく笑顔を返す。
「では私は、とっておきのお茶を淹れて参ります。飲んだら心が安まりますよ」
ーー侍女として、温かいお茶をお淹れするべきだろう。
毒も何も入っていない、温かで心が安らぐような、美味しいお茶を。
眠れぬ夜になるだろうこのお方が、少しでも一息つけるように。
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