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アンナ=セラーズ編
その11 襲撃
しおりを挟む旅程もほとんど終わり、旅の一団は最後の宿をとっていた。
何度も食べ物や飲み物には異物が混入されていたが、私とユーリアン様でそれを未然に防いだ。
隣国から来た護衛騎士はほとんどその役割を果たしていない。
警備についてわざと手を抜いているとしか思えないが、そこまで口出しする権限はないため、黙っていた。
食事時になると、妹姫であるリリー様が『お兄さまと一緒がいいわ』と言ってメイドや騎士たちを振り切って同席するようになり、日中に毒が盛られることはほとんどなくなった。
今夜は城に着く前の最後の機会。
うまくいかずに焦れた犯人が、何が何でも成功させようとする可能性が高い。
夜も更け、既に証明を落とした室内には、窓から差し込む月明かりしかない。
キィ、と木製の扉が開く音がする。
そのまま、ゆっくりとした忍び足がベッドへと近づいていく。
足音から判断するに、敵はひとりだ。
家具の影に隠れている私の目に、一瞬、月の光が反射したようなキラリとした光が見えた。
振りかぶったその手は、そのままベッドの膨らみへと振り下ろされ――
「やった! やったぞ! これで俺も金持ちだ……! あれ……?」
その侵入者は、振り下ろしたその刃に、手応えが無かったことに今更ながら気がついたのだろう。
だけど、もう遅い。
「――誰の命でやったのか、言いなさい」
先程まで歓喜の声を上げていたその男の首元には、ひたりと剣が添えられている。
そして、抑揚のない冷めた口調でそう言うのは、他でもないユーリアン様だ。
「っ! な、なんだお前っっ! 俺は何も知らねぇっ」
「この後に及んで、往生際が悪いですね。何も知らない人が、人が泊まっている部屋に深夜に侵入して、刃を突き立てたりする筈がないでしょう。何故こんな事をする?」
「し、知らねぇよ! この部屋に泊まってる客を仕留めたら大金を貰えるって言うからやっただけだっ!」
どうやらこの男は、この町で金で雇われただけの男のようだ。
恐怖の中でも、知らない知らないとそればかり。
きっと、本当に深淵は知らないのだろう。
「結局殺せてねぇんだから、見逃してくれよ」
な?と男の下卑た笑みが月夜に浮かぶ。
私が思わずスカートをたくし上げた時、ユーリアン様と目が合った。
「……堪えてください。まだ早いです」
「はあ? 誰と話してんだ。な、なあ、これ、どけてくれよ」
「どけません。何故あなたの指図を受ける必要がある」
『堪えてください』というユーリアン様のその言葉は私に向けられたものだ。
手をかけていた太腿の暗器から手を下ろし、深呼吸をする。そう。まだ早い。この男が小物だとしても、何か情報を得ないといけない。
「……アンナ……スカートが……。……心臓に悪いな」
彼に危害を加えないよう、意識を集中することに努めていた私は、隣で身を潜めていたジークハルト殿下のそんな呟きなど耳に入ってはいなかった。
◇
「小物ですね」
男を縛りあげた後、ユーリアン様は息を吐いた。
その男は私の睡眠薬により、猿ぐつわをしたままぐっすりと眠っている。
「ええ。一流ではないようですね」
私もそう相槌を打つ。
私やレティ様に色々な事を教えてくれたロートネル侯爵家お抱えの家庭教師であるエマ先生から聞いた所によると、一流の暗殺者はその役目に失敗すると自害することが多いらしい。
文字通りの自爆や、歯に仕込んだ毒薬、舌を噛み切るなどなど方法は様々だ。依頼主の情報を漏らさない事が鉄則で、命乞いなどしないだろう。
だけどこの男は違った。
命乞いもしたし、怪しい動きもない。
本当に、場当たり的に雇われただけの男だった。
「黒いローブの女から依頼された、と言っていましたね。後は、その女の手首に痣があった、と」
前金として報酬を支払われた際、女が着ていた黒いローブの袖から、痣が見えたらしい。
珍しいあざだったから、いやに目についたと男は言っていた。
ーーその女が特定されるのも、そう遅くはないだろう。
「本当に、どうしてここまでジークハルト殿下を狙うのでしょうか。こんな小物まで雇って、口を割る可能性も高いのに」
「……そうだな。ここまで恨まれているとは、流石の俺も思わなかった」
連日の毒や襲撃で、ジークハルト殿下は目に見えて落ち込んでいる。それもそうだ。誰かが自分の死を望んでいるということは、とても恐ろしいことだもの。
「……アンナ、君は以前にどうして狙われるのか心当たりはないかと言ったな」
「はい」
「こうして尽力してくれている2人に隠し立てをするのも良くないな。大いにあるんだ。俺の未熟さもあり、立場もあり、どうにも捻れてしまった問題が」
月明かりだけの部屋でも、彼の瞳が悲しみを帯びていることは私にも分かった。
ユーリアン様も黙って殿下を見つめて、次の言を待つ。
「第1王子である兄と、第2王子である俺は、それぞれ母親が違う。俺の母は側妃で身分も低い。俺は王家の証である瞳の紫色の色彩も薄い。だから順当にいけば、何も考えずに兄が王家を継ぐことになる筈だった」
ふう、と殿下は息を吐く。
「……自分で言うのもなんだが、勉学においては俺の方が兄より優秀だった。隔離されるように育った俺とリリーは、兄との交流は殆どなく、人伝に話を聞く程度だ。それに……俺の国に、独自の食文化があることは知っているか? うどんや緑茶、それに醤油と言った調味料。それらは我が国で生み出され、国内では既にほとんど流通しているだろう」
急に食べ物の話をし始めたジークハルト殿下に、私は首を傾げる。食べ物の流通と、暗殺未遂が頭の中で繋がらないのだ。
うどんの話については、レティ様が隣国の本を読んで夜更かしをしていたから私も目にはしていた。あの時目を輝かせていたレティ様はとても可愛らしかった。
レティ様の笑顔を思い浮かべて、ついでにうどんのレシピも持ち帰ろうと決めた時、
「8歳の時、うどんを正式に外向けに提案したのは俺だ。本当はリリーの案だったが、6歳の姫が思い付くような内容では無かったため、俺が矢面に立つ事にした。それからもリリーの案を俺が形にして……そうしている内に、"革新的な案を生み出す優秀な第2王子"という国民の評価がついた。その評価がうなぎ上りになるにつれ、王宮での評価は第1王子派と第2王子派とで対立するようになっていったんだ。ーーだから、俺が邪魔なんだろう」
リリーに害が及ばなくて良かった、とジークハルト殿下は真剣な顔で告げた。
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