悪役令嬢のおかあさま

ミズメ

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番外編置き場

小さな庭園(後) ーテオフィル視点ー 

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 レティに会ったら、アルとの事を祝福しようと思っていた。
 だけど実際に会うと、彼女を想う気持ちが止まらなくて。
 病み上がりだと知っていたのに、もっとちゃんと考えた台詞を言おうと思っていたのに。


「俺だって……ずっと、レティが好きだった」


 絞り出すように、掠れた声が出る。
 今さらこんな事を言っても遅い。だけど、情けなくも、溢れる気持ちを抑えることが出来なかった。

 勢いのまま、彼女の唇を奪おうと顔を寄せる。

「ぐっ!」


 ーーだが、その唇は触れることが無かった。
 何が起きたのか分からないが、額がじんじんと痛む。
 レティから手を離して座ったまま後退したが、未だ状況が理解できない。


 ベンチから立ち上がったレティが、呆然とする俺の前に立つ。
 彼女の名を呼んだが、思いの外弱々しい声になってしまった。

 (口づけを、避けられたのか? それもそうか……王太子の婚約者の身で、他の男とそのような事をする訳がない)


 何を言われるだろう。無作法を咎められるのか。
 嫌われてしまったかもしれない。
 

「テオは、わたしがアルのプロポーズを断ったから、その説得に来たんじゃないの?」
「は、断った⁉︎ いや、俺はてっきり……」
「それに、『好きだった』って、なんで過去形なの?」
「レティがアルの気持ちを受けるなら、俺は諦めないといけないと思って」


 断った……?
 アルはそんな素振りは何も見せなかった。
 レティの言葉に、頭が真っ白になる。
 腰に手を当て、俺を問い質すレティの陶器のような白い頬が上気して桃色に染まっている。
 混乱した中でも、そんな彼女の様子が愛しくて、またぼんやりしてしまう。

 諦める、と口にしながらも、きっとそんな事は出来ないだろう。
 アルの隣で微笑む王妃のレティの姿も想像に難くない。
 他にもっと愛する人が今後出来るとも思えない。
 政略が当たり前のこの貴族社会で、どこかの貴族令嬢と婚姻を結ぶことになったとして、その相手に心を傾けられる気がしない。


「……ねえ、テオ」

 いやだ。
 彼女の隣には、ずっと俺がいたい。
 この声で、ずっと俺の名を優しく呼ばれたい。

 見上げると、柔らかな琥珀の瞳が真っ直ぐに俺を見ていた。


「わたし、あなたが好き。いつか、青いお花の花冠がほしいな」


 ふわりと微笑む彼女の様は、さながら花が綻んだようで。
 つられるように、俺も笑顔になった。

 好き? レティが、俺を?


「レティ!」
「ほわっ!」

 急いで立ち上がり、彼女を自分の胸元に押し込む。
 きっと、顔が赤くなっていると思う。
 嬉しさと驚きと……愛おしさが胸の底からどんどんと湧き上がってくる。

 青い花冠の言葉が意味するもの。
 レティも俺と同じ気持ちであると、そういうことだよな。

 あの頃は同じ目線だった彼女はいつの間にか抱きしめるとすっぽりと胸元に収まってしまう。
 柔らかくて、甘やかで、温かい。
 腕の中に愛しい人がいるこの確かな感触は、この気持ちがーー気持ちが通じ合ったことが事実なのだと、本物なのだと俺に知らせてくれる。

「……なんで先にプロポーズするんだ」

 本当はもっとスマートに婚約の申し込みをしたかった。
 だが、こんなに格好がつかない俺でも、彼女が選んでくれるのなら……俺は俺で良かったと、心から安堵する。


「レティには敵わないな。いつか絶対に仕返しする」
「……お手柔らかにお願いシマス」

 心からの本音と、いつかは見返してやりたいと思う気持ち。

 抱きしめている彼女から、ぎゅうっと抱きしめ返されて、例えようがない幸福感と心地良い花の香りに満たされる。







 その後、レティによって明かされたアルの手紙の正体は、王家の特別なものでもなんでもなく、俺とレティを案ずる内容だった。


 それでも。


「……今度、アルと一緒にテオの家の花壇を見に行きたいな」
「は……、まさか」
「綺麗なが年中咲いているんだよね? ふふふっ」
「アルのやつ……!」
 
 レティから告げられた内容に、顔から火が出る思いだった。
 完全に自分の趣味で、レティの髪色と同じ花である菫を会えなくなった時から大切に大切に育てている事を暴露されてしまったのだ。

 レティは気持ち悪がったりしていないだろうか。
 彼女の反応が怖くて思わず顔を背けてしまう。
 彼女に気持ちを知って欲しかったのは本音だが、そんな執着じみたところはまだ知られたくは無かった。

 頭の中に、いい笑顔をしているアルの様子がありありと浮かんで来て。感謝の気持ちと、怒りたい気持ちが複雑に入り混じる。
 だけど、きっと。
 煮え切らない俺の背を押してくれたのもアルだから。
 こうして笑い話にして、気まずさを昇華させようとしているのも彼なりの気遣い……だと思いたい。


 「レティ……その、嫌じゃないか……?」

 意を決して後ろを振り向く。
 おそるおそる見た彼女は、にんまりと満面の笑みを浮かべている。

 「ふふ、全然嫌じゃないよ。偶然でもなんでもなく、わたしのため……って思って、いいんだよね?」

 よく見たら、彼女の顔もほんのりと色づいている。

 その表情かおを見て、また感情がぶわりと揺さぶられる。
 触れたい。もう少しだけ、近づきたい。

 
「そうだ、レティ。ーー俺の愛は重いぞ」

 
 熱に浮かされるように、レティに近づいて、また抱きすくめた。

「……もう、頭突きはしないでくれ」
「へ……」
「ここに触れたい。いいか?」

 左手で彼女の腰をしっかりと支え、右手で柔らかな頬とーーその先の小さな唇にぷにぷにと触れる。
 
 顔を真っ赤にして、それでもレティが小さく頷いたのを見て、俺は今度こそ彼女に口付けたのだった。







 それから、レティと手を繋いで邸までの短い道のりをゆっくりと時間をかけて歩いた。
 ここに来るまでは重かった足取りも、今では浮いているかのように軽い。
 実際、浮かれているのは自分でも分かっている。
 先程から、頬が緩んで仕方がないのだ。


「レティ。婚約の件は、正式にブライアム様に話をしてもいいか?」
「……うん。ふふ、お父様はどんな顔をするだろう」
「俺は……あんまり想像したくないな」

 
 ブライアム様の反応を想像しただけで、背筋が凍るようだ。
 これまでレティに寄せられた数々の縁談を粉砕している、という話は絶対に事実だろう。
 今日帰ったら、父と母にもきちんと話をしないといけない。
 母はきっと、喜んでくれるだろう。

 緩みきった顔でロートネル家の本邸に戻った俺たちは、見知った使用人たちに笑顔で出迎えられたのだった。
 
 
 

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