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番外編置き場
クリスティンと騎士 ークリスティン視点ー
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裁定後のクリスティン=マクドウェル嬢のお話
ーーーーーーーーーーーー
住み慣れた屋敷を振り返る。
数日前までは賑わっていたマクドウェル家は、今は使用人たちの次の仕事先も決まり、閑散として寂しい雰囲気が漂っている。
かく言うわたくしも、今日この邸宅を離れ、先の騒動の責任をとっていち庶民として修道院へ行くことになる。
わたくしが直接手を下した訳ではないが、ヴァイオレット=ロートネル侯爵令嬢に幼い頃から対抗心を燃やしていたことは周知の事実。
お茶会や学園、出会う機会があれば声をかける時に嫌味もよく言った。
ただ違うのは、いつもわたくしは友人たちと複数で対峙していたけれど、彼女はひとりでも凛として、決してわたくしに怯むことはなかった。
わたくしが彼女に対して抱く感情――そのことを知っていた友人たちが、増長して彼女に対して必要以上の行為をしてしまったことを、ただ咎められる立場でないことはよく分かっている。
お父様はわたくしを王妃にしたかった。
だけどわたくしは、テオフィル様をお慕いしていた。
初めてお茶会でお会いしてから、ずっと。
だから羨ましく、憎らしかった。
わたくしが欲しい場所も、お父様が望む場所も。
全て自然に手にして、楽しげに笑っているあの子が。
「……お嬢様、お手を」
回想に耽っていると、我が家の護衛騎士のひとりであったエイブラムが声をかけてきた。
周りにはもう他の騎士も、侍女ももういない。
ただ一頭立の質素な馬車がそこにあるだけだ。
きっと彼が、わたくしを修道院へ送る役割のために最後に残ったのだろう。
「わたくしはもう、お嬢様ではないわ。いち庶民よ」
そう告げると、彼の淡いグリーンの瞳が揺らぐ。
これまでずっとマクドウェル家に仕えてくれた騎士。
彼らも職を失うのかと思うと、胸が締め付けられて、顔を見ていられなくなる。
「それでは、私と同じですね」
責められると思ったのに、エイブラムがわたくしに見せたのは歯が見える程の笑顔だった。
「お嬢様……いえ、クリスティン様」
「な、何かしら」
「貴女がいち庶民であるならば、私の話を聞いてくださいますか?」
わたくしの手を取り、こちらを見て跪くエイブラムの真剣な瞳から目が逸らせない。
「叶わない想いだと、諦めようと思いました。だけど私は、貴女をお慕いしております」
「――っ!」
「必ず功を挙げ、迎えに行きます。待っていてくださいませんか?」
「で、でもわたくしは罰で修道院へ行くのですよ?それに性格も悪いわ!ロートネル嬢に意地悪をしたもの!それに……」
わたくしは、好きな人がいた。
その一言が何故か言葉にならなくて、口をパクパクしていると、眼下にいるエイブラムはふんわりと優しく表情を緩めた。
「存じています。貴女がリシャール公爵子息をお慕いしていたことも。ロートネル侯爵令嬢に嫉妬していたことも。しかしそれは些末なことです。そんな理由では、私の想いを遮る盾にはなりませんよ」
「な……!しゅ、修道院へ行ったらもう出られないわ」
「そんなことはありません。見習いならば結婚しても問題ないでしょう」
「け、結婚……?!」
「貴女に苦労をかけないよう、金銭面でも頼りにしてもらえるよう頑張ります。ああでも、貴女の手料理は食べたいので、修道院ではしっかり修行してきてください」
「は、あ、貴方……」
人懐っこい笑顔を浮かべるエイブラムは、当たり前のようにつらつらと言葉を並べる。
驚きのあまり返す言葉が見つからない。
「――そのくらい、お慕いしております。我が姫よ」
彼の唇が、わたくしの手の甲に触れる。
ほんの一瞬だったけれど、その行為に顔がカッと熱くなる。
「どうかご無事でお過ごし下さい。貴女が私を選ばないとしても、必ずそこから連れ出します」
情熱に燃えるその眼差しに捉われたわたくしは、気圧されるようにただこくりと頷いたのだった。
それから3年後。
修道院で真面目にお務めを果たし、最初はぎこちなかったけれど料理も覚えたわたくしの元に、彼はやってきた。
「姫、お手を」
差し出された手を、素直に取る。
どうやったのか分からないが、彼は確かにわたくしを連れ出すための正当な許可を取ったという。
あの日別れた時よりも、精悍さが増し、顔には所々小さな傷も増えている。
以前よりも彼の掌はゴツゴツとしていて、これまでの努力が見える気がした。
「もう、姫ではないって言ったでしょう。わたくし……いえ、私は今は、ティーナ、ティーナ=フロレンツと名乗っているのよ」
この修道院に来てからすぐ、シスターにクリスティンの名を捨てるように言われた。
貴女はただの平民の女の子、しがらみなどない、ただのティーナだと。
それにここでの暮らしはそう辛いものではなかった。
田舎にある修道院ではあったけれど、手入れも行き届いており、何故か警備も強固で、周囲の人々も皆優しかった。
最初は何の役にも立たない私に、辛抱強く色々な事を教えてくれた。
人の温もりに包まれて慎ましく暮らす生活は、物に不自由しなくともどこか殺伐としていたあの貴族社会よりずっと新鮮で、ずっと安心できた。あの頃のことなど、遠い昔のように思える。
「では、ティーナ。とりあえず、ここを出ましょう」
「本当に?追手に追われたりしない?」
「大丈夫です。国王陛下直々に許可はいただいております。それに元々、貴女に対する刑罰は今年までだったようです」
「私も知らなかったんですけどね」と言いながら、エイブラムはわたしを馬車へと乗せる。
そして続けて彼も乗り込むと、ばたんと扉を閉めた。
「ーーとあるお方が、貴女に対する減刑を強く望まれたそうです。お陰で私は英雄にも反逆者にもなり損ねました」
冗談まじりに笑いながらそう告げる彼の言葉を聞いていると、どうしてか分からないが、私の頭にはあの子の姿がぼんやりと浮かんだ。
「……相変わらず、憎らしい女ね」
「おや、誰だか分かるんですか?」
「当然よ。そんな物好きな事をするのなんて、あのお人好ししかいないもの。何なのかしら、本当に」
「姫……ティーナ……泣かないで」
私は素直じゃないから、こうして憎まれ口しか叩けない。
だけどもしも会うことができたなら、一度だけでいいから、まっすぐに彼女とーーヴァイオレットと向き合いたいとそう思えた。
その夜。エイブラムと共に立ち寄った宿屋の一室で眠りについた私は、夢を見た。
夢の中の私は、何処か田舎の、小さな邸宅のベッドの上で、やつれた顔をしている。
自慢の金髪もくすみ、肌もカサカサで瞳には覇気が全くない。
(ここは……マクドウェル家の領地の別宅……?どうして私は独りで、こんな寂しい場所にいるのかしら)
そんな自分の様子を、映像を見るように俯瞰で見ていることが不思議だ。
『ーー我が姫よ!』
ばん、という激しい音と共にこの部屋の扉が開かれる。
その音に、ぼんやりと外を眺めていた私の死んだ魚のような目がその方向を向いた。
『迎えに参りました。ここから出て、何処かへ行きましょう。この国を出てもいい。もう大丈夫です』
無表情な私の瞳から、ぽろりと一筋の涙が落ち、頬を伝う。
夢の中のエイブラムは、今日見た彼よりもずっと傷だらけで、土埃と汗に塗れている。
だけど、光を失った私にとってはずっと輝いて見えた。
◇◇◇
夢から目が覚めた私は、隣室で眠っているだろう彼のことを想って、壁の方をじっと見遣る。
(そうだったのね。エイブラム。あなたはまた私を迎えに来てくれたのね)
何故だかそう、自然と思えた。
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住み慣れた屋敷を振り返る。
数日前までは賑わっていたマクドウェル家は、今は使用人たちの次の仕事先も決まり、閑散として寂しい雰囲気が漂っている。
かく言うわたくしも、今日この邸宅を離れ、先の騒動の責任をとっていち庶民として修道院へ行くことになる。
わたくしが直接手を下した訳ではないが、ヴァイオレット=ロートネル侯爵令嬢に幼い頃から対抗心を燃やしていたことは周知の事実。
お茶会や学園、出会う機会があれば声をかける時に嫌味もよく言った。
ただ違うのは、いつもわたくしは友人たちと複数で対峙していたけれど、彼女はひとりでも凛として、決してわたくしに怯むことはなかった。
わたくしが彼女に対して抱く感情――そのことを知っていた友人たちが、増長して彼女に対して必要以上の行為をしてしまったことを、ただ咎められる立場でないことはよく分かっている。
お父様はわたくしを王妃にしたかった。
だけどわたくしは、テオフィル様をお慕いしていた。
初めてお茶会でお会いしてから、ずっと。
だから羨ましく、憎らしかった。
わたくしが欲しい場所も、お父様が望む場所も。
全て自然に手にして、楽しげに笑っているあの子が。
「……お嬢様、お手を」
回想に耽っていると、我が家の護衛騎士のひとりであったエイブラムが声をかけてきた。
周りにはもう他の騎士も、侍女ももういない。
ただ一頭立の質素な馬車がそこにあるだけだ。
きっと彼が、わたくしを修道院へ送る役割のために最後に残ったのだろう。
「わたくしはもう、お嬢様ではないわ。いち庶民よ」
そう告げると、彼の淡いグリーンの瞳が揺らぐ。
これまでずっとマクドウェル家に仕えてくれた騎士。
彼らも職を失うのかと思うと、胸が締め付けられて、顔を見ていられなくなる。
「それでは、私と同じですね」
責められると思ったのに、エイブラムがわたくしに見せたのは歯が見える程の笑顔だった。
「お嬢様……いえ、クリスティン様」
「な、何かしら」
「貴女がいち庶民であるならば、私の話を聞いてくださいますか?」
わたくしの手を取り、こちらを見て跪くエイブラムの真剣な瞳から目が逸らせない。
「叶わない想いだと、諦めようと思いました。だけど私は、貴女をお慕いしております」
「――っ!」
「必ず功を挙げ、迎えに行きます。待っていてくださいませんか?」
「で、でもわたくしは罰で修道院へ行くのですよ?それに性格も悪いわ!ロートネル嬢に意地悪をしたもの!それに……」
わたくしは、好きな人がいた。
その一言が何故か言葉にならなくて、口をパクパクしていると、眼下にいるエイブラムはふんわりと優しく表情を緩めた。
「存じています。貴女がリシャール公爵子息をお慕いしていたことも。ロートネル侯爵令嬢に嫉妬していたことも。しかしそれは些末なことです。そんな理由では、私の想いを遮る盾にはなりませんよ」
「な……!しゅ、修道院へ行ったらもう出られないわ」
「そんなことはありません。見習いならば結婚しても問題ないでしょう」
「け、結婚……?!」
「貴女に苦労をかけないよう、金銭面でも頼りにしてもらえるよう頑張ります。ああでも、貴女の手料理は食べたいので、修道院ではしっかり修行してきてください」
「は、あ、貴方……」
人懐っこい笑顔を浮かべるエイブラムは、当たり前のようにつらつらと言葉を並べる。
驚きのあまり返す言葉が見つからない。
「――そのくらい、お慕いしております。我が姫よ」
彼の唇が、わたくしの手の甲に触れる。
ほんの一瞬だったけれど、その行為に顔がカッと熱くなる。
「どうかご無事でお過ごし下さい。貴女が私を選ばないとしても、必ずそこから連れ出します」
情熱に燃えるその眼差しに捉われたわたくしは、気圧されるようにただこくりと頷いたのだった。
それから3年後。
修道院で真面目にお務めを果たし、最初はぎこちなかったけれど料理も覚えたわたくしの元に、彼はやってきた。
「姫、お手を」
差し出された手を、素直に取る。
どうやったのか分からないが、彼は確かにわたくしを連れ出すための正当な許可を取ったという。
あの日別れた時よりも、精悍さが増し、顔には所々小さな傷も増えている。
以前よりも彼の掌はゴツゴツとしていて、これまでの努力が見える気がした。
「もう、姫ではないって言ったでしょう。わたくし……いえ、私は今は、ティーナ、ティーナ=フロレンツと名乗っているのよ」
この修道院に来てからすぐ、シスターにクリスティンの名を捨てるように言われた。
貴女はただの平民の女の子、しがらみなどない、ただのティーナだと。
それにここでの暮らしはそう辛いものではなかった。
田舎にある修道院ではあったけれど、手入れも行き届いており、何故か警備も強固で、周囲の人々も皆優しかった。
最初は何の役にも立たない私に、辛抱強く色々な事を教えてくれた。
人の温もりに包まれて慎ましく暮らす生活は、物に不自由しなくともどこか殺伐としていたあの貴族社会よりずっと新鮮で、ずっと安心できた。あの頃のことなど、遠い昔のように思える。
「では、ティーナ。とりあえず、ここを出ましょう」
「本当に?追手に追われたりしない?」
「大丈夫です。国王陛下直々に許可はいただいております。それに元々、貴女に対する刑罰は今年までだったようです」
「私も知らなかったんですけどね」と言いながら、エイブラムはわたしを馬車へと乗せる。
そして続けて彼も乗り込むと、ばたんと扉を閉めた。
「ーーとあるお方が、貴女に対する減刑を強く望まれたそうです。お陰で私は英雄にも反逆者にもなり損ねました」
冗談まじりに笑いながらそう告げる彼の言葉を聞いていると、どうしてか分からないが、私の頭にはあの子の姿がぼんやりと浮かんだ。
「……相変わらず、憎らしい女ね」
「おや、誰だか分かるんですか?」
「当然よ。そんな物好きな事をするのなんて、あのお人好ししかいないもの。何なのかしら、本当に」
「姫……ティーナ……泣かないで」
私は素直じゃないから、こうして憎まれ口しか叩けない。
だけどもしも会うことができたなら、一度だけでいいから、まっすぐに彼女とーーヴァイオレットと向き合いたいとそう思えた。
その夜。エイブラムと共に立ち寄った宿屋の一室で眠りについた私は、夢を見た。
夢の中の私は、何処か田舎の、小さな邸宅のベッドの上で、やつれた顔をしている。
自慢の金髪もくすみ、肌もカサカサで瞳には覇気が全くない。
(ここは……マクドウェル家の領地の別宅……?どうして私は独りで、こんな寂しい場所にいるのかしら)
そんな自分の様子を、映像を見るように俯瞰で見ていることが不思議だ。
『ーー我が姫よ!』
ばん、という激しい音と共にこの部屋の扉が開かれる。
その音に、ぼんやりと外を眺めていた私の死んだ魚のような目がその方向を向いた。
『迎えに参りました。ここから出て、何処かへ行きましょう。この国を出てもいい。もう大丈夫です』
無表情な私の瞳から、ぽろりと一筋の涙が落ち、頬を伝う。
夢の中のエイブラムは、今日見た彼よりもずっと傷だらけで、土埃と汗に塗れている。
だけど、光を失った私にとってはずっと輝いて見えた。
◇◇◇
夢から目が覚めた私は、隣室で眠っているだろう彼のことを想って、壁の方をじっと見遣る。
(そうだったのね。エイブラム。あなたはまた私を迎えに来てくれたのね)
何故だかそう、自然と思えた。
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