上 下
18 / 26

しおりを挟む
(どうしてこうなったのかしら……)

 フェリシアは戸惑いと共に、なぜだか知らないが、アーサー殿下の膝の上にいた。

 先刻、ルーカスと共に執務室を訪ね、『これ最近拾ったんだけどかわいいネコチャン』という説明になっているのかいないのか分からない言葉と共に、猫になったフェリシアはアーサーに引き合わされた。

 もしかしたら、自分がいない所で誰かと逢い引きしているのかも……という不安がなかったとはいえない。

 だけれど、目の前にいるアーサーはいつも整っている黒髪も少し乱れて、なによりも目の下の隈が凄まじい。

 猫から見た世界ではあるが、机の上には書類が山盛りになっていて、彼がちっとも休めていないことが窺えた。

 フェリシアを連れて下がろうとしたルーカスを引き留めたのは殿下だ。


 『その猫ともう少し共にいたい』と切実な声でルーカスに頼みこんでいた。

 フェリシアといえば、すぐに去るつもりだったからどうしたらいいか分からず、アーサーとルーカスの間でキョロキョロと焦るほかない。

 しばらく考える様子を見せたルーカスだったが、『うーん……じゃあ、夕方また迎えに来る時まで預かってください』と言って、去ってしまったのだ。

 戸惑うフェリシア猫に近づき、『そういうことだから。大丈夫、まだ魔法の効果は切れないよ』と言ってひと撫でし、ルーカスは部屋を出ていった。

 それから、これである。

「この美しい銀の毛並みに、愛らしく吸い込まれるような青い瞳。まるでフェリシアのように美しい猫だな……」

 物憂げな表情のアーサーは、そう言いながらフェリシアの背中を撫でる。

 撫でられる感覚など始めてで、びっくりして「みゃ!」と鳴いてしまうと、「愛らしい声だ」と愛おしげに微笑まれる。


(ど、どうやらアーサー殿下は猫派だったようですね)

 フェリシアはそう結論づけた。

 こんな甘やかな表情のアーサーを見たことがない。目尻が下がり、口角にはずっと笑みを湛えている。

(とりあえず、元気そうで安心しました)

 猫を撫でることで、彼の仕事の癒しになれるのであれば幸いだ。少しだけ、猫の姿の自分自身に対して嫉妬のような気持ちが芽生えたけれど……競っても意味が無い。

 それに、大きな手でふわふわと撫でられて行く内に、猫としての感覚なのかもしれないが、フェリシアはうとうとと眠くなってくる。

「おや、眠いのか。それにしても、こんなに毛並みのいい猫を拾うだなんて……飼い主が探しているだろうに。人懐っこいから飼い猫だろうし」

「みゃあ……」

「ははっ。そのまま眠りなさい。よしよし、きっとすぐに見つかる」

 アーサーの声は、絹布の肌触りのように静かで優しい。とろりとろりとフェリシアの意識もとろけてゆく。

《本当に愛らしい猫だ。フェリシアと同じ色を持つだなんて。飼い主が見つからなければ、ルーカスに頼んで私が飼い主になりたいものだ》


 不意に、そんな声が聞こえた。

 アーサーのものと同じ声。だけれど、どこか脳に直接伝わるような明瞭な響き。

 フェリシアは耳を立て、蕩けそうになっていた身体をピンと起き上がらせてアーサーを見上げた。


「おや。どうしたんだ?」

《耳が立った姿もかわいいな、ネコチャン》

 するとどうだろう。アーサーの口の動きと、全く違う声が聞こえた。

《フェリシアのことも、こうして撫でられたら幸せだろうな》

 今度は、目の前のアーサーが口を開いていないというのに、そんな声が降って聞こえてきた。アーサーの手は、フェリシアの喉元をふわふわと撫でている。

(アーサー殿下の声が二重に聞こえるわ。どういう事なのかしら)

 まるで分からない。分からないが、ひとつ確かなことは、アーサーに撫でられるとどうしようもなく眠くなってしまう。

「おやすみ。良い夢を」
《ねんねだよ、ネコチャン》

 また聞こえた……そう思ったけれど、フェリシアの瞼はどんどんと重くなってきた。
 「みゃ……」と短く鳴いたフェリシアは、アーサーの膝の上で身体を丸くする。

 どちらかというと、アーサーの口から聞こえない声の方が、とびきり甘やかした声だ。
 そんなことを思いながら、フェリシアはゆっくりと眠りについた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【短編】悪役令嬢と蔑まれた私は史上最高の遺書を書く

とによ
恋愛
婚約破棄され、悪役令嬢と呼ばれ、いじめを受け。 まさに不幸の役満を食らった私――ハンナ・オスカリウスは、自殺することを決意する。 しかし、このままただで死ぬのは嫌だ。なにか私が生きていたという爪痕を残したい。 なら、史上最高に素晴らしい出来の遺書を書いて、自殺してやろう! そう思った私は全身全霊で遺書を書いて、私の通っている魔法学園へと自殺しに向かった。 しかし、そこで謎の美男子に見つかってしまい、しまいには遺書すら読まれてしまう。 すると彼に 「こんな遺書じゃダメだね」 「こんなものじゃ、誰の記憶にも残らないよ」 と思いっきりダメ出しをされてしまった。 それにショックを受けていると、彼はこう提案してくる。 「君の遺書を最高のものにしてみせる。その代わり、僕の研究を手伝ってほしいんだ」 これは頭のネジが飛んでいる彼について行った結果、彼と共に歴史に名を残してしまう。 そんなお話。

妾の子である公爵令嬢は、何故か公爵家の人々から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
私の名前は、ラルネア・ルーデイン。エルビネア王国に暮らす公爵令嬢である。 といっても、私を公爵令嬢といっていいのかどうかはわからない。なぜなら、私は現当主と浮気相手との間にできた子供であるからだ。 普通に考えて、妾の子というのはいい印象を持たれない。大抵の場合は、兄弟や姉妹から蔑まれるはずの存在であるはずだ。 しかし、何故かルーデイン家の人々はまったく私を蔑まず、むしろ気遣ってくれている。私に何かあれば、とても心配してくれるし、本当の家族のように扱ってくれるのだ。たまに、行き過ぎていることもあるが、それはとてもありがたいことである。 ※下記の関連作品を読むと、より楽しめると思います。

冷酷王子が記憶喪失になったら溺愛してきたので記憶を戻すことにしました。

八坂
恋愛
ある国の王子であり、王国騎士団長であり、婚約者でもあるガロン・モンタギューといつものように業務的な会食をしていた。 普段は絶対口を開かないがある日意を決して話してみると 「話しかけてくるな、お前がどこで何をしてようが俺には関係無いし興味も湧かない。」 と告げられた。 もういい!婚約破棄でも何でも好きにして!と思っていると急に記憶喪失した婚約者が溺愛してきて…? 「俺が君を一生をかけて愛し、守り抜く。」 「いやいや、大丈夫ですので。」 「エリーゼの話はとても面白いな。」 「興味無いって仰ってたじゃないですか。もう私話したくないですよ。」 「エリーゼ、どうして君はそんなに美しいんだ?」 「多分ガロン様の目が悪くなったのではないですか?あそこにいるメイドの方が美しいと思いますよ?」 この物語は記憶喪失になり公爵令嬢を溺愛し始めた冷酷王子と齢18にして異世界転生した女の子のドタバタラブコメディである。 ※直接的な性描写はありませんが、匂わす描写が出てくる可能性があります。 ※誤字脱字等あります。 ※虐めや流血描写があります。 ※ご都合主義です。 ハッピーエンド予定。

幼馴染の公爵令嬢が、私の婚約者を狙っていたので、流れに身を任せてみる事にした。

完菜
恋愛
公爵令嬢のアンジェラは、自分の婚約者が大嫌いだった。アンジェラの婚約者は、エール王国の第二王子、アレックス・モーリア・エール。彼は、誰からも愛される美貌の持ち主。何度、アンジェラは、婚約を羨ましがられたかわからない。でもアンジェラ自身は、5歳の時に婚約してから一度も嬉しいなんて思った事はない。アンジェラの唯一の幼馴染、公爵令嬢エリーもアンジェラの婚約者を羨ましがったうちの一人。アンジェラが、何度この婚約が良いものではないと説明しても信じて貰えなかった。アンジェラ、エリー、アレックス、この三人が貴族学園に通い始めると同時に、物語は動き出す。

姉の身代わりで冷酷な若公爵様に嫁ぐことになりましたが、初夜にも来ない彼なのに「このままでは妻に嫌われる……」と私に語りかけてきます。

恋愛
姉の身代わりとして冷酷な獣と蔑称される公爵に嫁いだラシェル。 初夜には顔を出さず、干渉は必要ないと公爵に言われてしまうが、ある晩の日「姿を変えた」ラシェルはばったり酔った彼に遭遇する。 「このままでは、妻に嫌われる……」 本人、目の前にいますけど!?

ゆるふわな可愛い系男子の旦那様は怒らせてはいけません

下菊みこと
恋愛
年下のゆるふわ可愛い系男子な旦那様と、そんな旦那様に愛されて心を癒した奥様のイチャイチャのお話。 旦那様はちょっとだけ裏表が激しいけど愛情は本物です。 ご都合主義の短いSSで、ちょっとだけざまぁもあるかも? 小説家になろう様でも投稿しています。

当て馬令息の婚約者になったので美味しいお菓子を食べながら聖女との恋を応援しようと思います!

朱音ゆうひ
恋愛
「わたくし、当て馬令息の婚約者では?」 伯爵令嬢コーデリアは家同士が決めた婚約者ジャスティンと出会った瞬間、前世の記憶を思い出した。 ここは小説に出てくる世界で、当て馬令息ジャスティンは聖女に片思いするキャラ。婚約者に遠慮してアプローチできないまま失恋する優しいお兄様系キャラで、前世での推しだったのだ。 「わたくし、ジャスティン様の恋を応援しますわ」 推しの幸せが自分の幸せ! あとお菓子が美味しい! 特に小説では出番がなく悪役令嬢でもなんでもない脇役以前のモブキャラ(?)コーデリアは、全力でジャスティンを応援することにした! ※ゆるゆるほんわかハートフルラブコメ。 サブキャラに軽く百合カップルが出てきたりします 他サイトにも掲載しています( https://ncode.syosetu.com/n5753hy/ )

婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました

Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。 順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。 特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。 そんなアメリアに対し、オスカーは… とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。

処理中です...