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③
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(どうしてこうなったのかしら……)
フェリシアは戸惑いと共に、なぜだか知らないが、アーサー殿下の膝の上にいた。
先刻、ルーカスと共に執務室を訪ね、『これ最近拾ったんだけどかわいいネコチャン』という説明になっているのかいないのか分からない言葉と共に、猫になったフェリシアはアーサーに引き合わされた。
もしかしたら、自分がいない所で誰かと逢い引きしているのかも……という不安がなかったとはいえない。
だけれど、目の前にいるアーサーはいつも整っている黒髪も少し乱れて、なによりも目の下の隈が凄まじい。
猫から見た世界ではあるが、机の上には書類が山盛りになっていて、彼がちっとも休めていないことが窺えた。
フェリシアを連れて下がろうとしたルーカスを引き留めたのは殿下だ。
『その猫ともう少し共にいたい』と切実な声でルーカスに頼みこんでいた。
フェリシアといえば、すぐに去るつもりだったからどうしたらいいか分からず、アーサーとルーカスの間でキョロキョロと焦るほかない。
しばらく考える様子を見せたルーカスだったが、『うーん……じゃあ、夕方また迎えに来る時まで預かってください』と言って、去ってしまったのだ。
戸惑うフェリシア猫に近づき、『そういうことだから。大丈夫、まだ魔法の効果は切れないよ』と言ってひと撫でし、ルーカスは部屋を出ていった。
それから、これである。
「この美しい銀の毛並みに、愛らしく吸い込まれるような青い瞳。まるでフェリシアのように美しい猫だな……」
物憂げな表情のアーサーは、そう言いながらフェリシアの背中を撫でる。
撫でられる感覚など始めてで、びっくりして「みゃ!」と鳴いてしまうと、「愛らしい声だ」と愛おしげに微笑まれる。
(ど、どうやらアーサー殿下は猫派だったようですね)
フェリシアはそう結論づけた。
こんな甘やかな表情のアーサーを見たことがない。目尻が下がり、口角にはずっと笑みを湛えている。
(とりあえず、元気そうで安心しました)
猫を撫でることで、彼の仕事の癒しになれるのであれば幸いだ。少しだけ、猫の姿の自分自身に対して嫉妬のような気持ちが芽生えたけれど……競っても意味が無い。
それに、大きな手でふわふわと撫でられて行く内に、猫としての感覚なのかもしれないが、フェリシアはうとうとと眠くなってくる。
「おや、眠いのか。それにしても、こんなに毛並みのいい猫を拾うだなんて……飼い主が探しているだろうに。人懐っこいから飼い猫だろうし」
「みゃあ……」
「ははっ。そのまま眠りなさい。よしよし、きっとすぐに見つかる」
アーサーの声は、絹布の肌触りのように静かで優しい。とろりとろりとフェリシアの意識もとろけてゆく。
《本当に愛らしい猫だ。フェリシアと同じ色を持つだなんて。飼い主が見つからなければ、ルーカスに頼んで私が飼い主になりたいものだ》
不意に、そんな声が聞こえた。
アーサーのものと同じ声。だけれど、どこか脳に直接伝わるような明瞭な響き。
フェリシアは耳を立て、蕩けそうになっていた身体をピンと起き上がらせてアーサーを見上げた。
「おや。どうしたんだ?」
《耳が立った姿もかわいいな、ネコチャン》
するとどうだろう。アーサーの口の動きと、全く違う声が聞こえた。
《フェリシアのことも、こうして撫でられたら幸せだろうな》
今度は、目の前のアーサーが口を開いていないというのに、そんな声が降って聞こえてきた。アーサーの手は、フェリシアの喉元をふわふわと撫でている。
(アーサー殿下の声が二重に聞こえるわ。どういう事なのかしら)
まるで分からない。分からないが、ひとつ確かなことは、アーサーに撫でられるとどうしようもなく眠くなってしまう。
「おやすみ。良い夢を」
《ねんねだよ、ネコチャン》
また聞こえた……そう思ったけれど、フェリシアの瞼はどんどんと重くなってきた。
「みゃ……」と短く鳴いたフェリシアは、アーサーの膝の上で身体を丸くする。
どちらかというと、アーサーの口から聞こえない声の方が、とびきり甘やかした声だ。
そんなことを思いながら、フェリシアはゆっくりと眠りについた。
フェリシアは戸惑いと共に、なぜだか知らないが、アーサー殿下の膝の上にいた。
先刻、ルーカスと共に執務室を訪ね、『これ最近拾ったんだけどかわいいネコチャン』という説明になっているのかいないのか分からない言葉と共に、猫になったフェリシアはアーサーに引き合わされた。
もしかしたら、自分がいない所で誰かと逢い引きしているのかも……という不安がなかったとはいえない。
だけれど、目の前にいるアーサーはいつも整っている黒髪も少し乱れて、なによりも目の下の隈が凄まじい。
猫から見た世界ではあるが、机の上には書類が山盛りになっていて、彼がちっとも休めていないことが窺えた。
フェリシアを連れて下がろうとしたルーカスを引き留めたのは殿下だ。
『その猫ともう少し共にいたい』と切実な声でルーカスに頼みこんでいた。
フェリシアといえば、すぐに去るつもりだったからどうしたらいいか分からず、アーサーとルーカスの間でキョロキョロと焦るほかない。
しばらく考える様子を見せたルーカスだったが、『うーん……じゃあ、夕方また迎えに来る時まで預かってください』と言って、去ってしまったのだ。
戸惑うフェリシア猫に近づき、『そういうことだから。大丈夫、まだ魔法の効果は切れないよ』と言ってひと撫でし、ルーカスは部屋を出ていった。
それから、これである。
「この美しい銀の毛並みに、愛らしく吸い込まれるような青い瞳。まるでフェリシアのように美しい猫だな……」
物憂げな表情のアーサーは、そう言いながらフェリシアの背中を撫でる。
撫でられる感覚など始めてで、びっくりして「みゃ!」と鳴いてしまうと、「愛らしい声だ」と愛おしげに微笑まれる。
(ど、どうやらアーサー殿下は猫派だったようですね)
フェリシアはそう結論づけた。
こんな甘やかな表情のアーサーを見たことがない。目尻が下がり、口角にはずっと笑みを湛えている。
(とりあえず、元気そうで安心しました)
猫を撫でることで、彼の仕事の癒しになれるのであれば幸いだ。少しだけ、猫の姿の自分自身に対して嫉妬のような気持ちが芽生えたけれど……競っても意味が無い。
それに、大きな手でふわふわと撫でられて行く内に、猫としての感覚なのかもしれないが、フェリシアはうとうとと眠くなってくる。
「おや、眠いのか。それにしても、こんなに毛並みのいい猫を拾うだなんて……飼い主が探しているだろうに。人懐っこいから飼い猫だろうし」
「みゃあ……」
「ははっ。そのまま眠りなさい。よしよし、きっとすぐに見つかる」
アーサーの声は、絹布の肌触りのように静かで優しい。とろりとろりとフェリシアの意識もとろけてゆく。
《本当に愛らしい猫だ。フェリシアと同じ色を持つだなんて。飼い主が見つからなければ、ルーカスに頼んで私が飼い主になりたいものだ》
不意に、そんな声が聞こえた。
アーサーのものと同じ声。だけれど、どこか脳に直接伝わるような明瞭な響き。
フェリシアは耳を立て、蕩けそうになっていた身体をピンと起き上がらせてアーサーを見上げた。
「おや。どうしたんだ?」
《耳が立った姿もかわいいな、ネコチャン》
するとどうだろう。アーサーの口の動きと、全く違う声が聞こえた。
《フェリシアのことも、こうして撫でられたら幸せだろうな》
今度は、目の前のアーサーが口を開いていないというのに、そんな声が降って聞こえてきた。アーサーの手は、フェリシアの喉元をふわふわと撫でている。
(アーサー殿下の声が二重に聞こえるわ。どういう事なのかしら)
まるで分からない。分からないが、ひとつ確かなことは、アーサーに撫でられるとどうしようもなく眠くなってしまう。
「おやすみ。良い夢を」
《ねんねだよ、ネコチャン》
また聞こえた……そう思ったけれど、フェリシアの瞼はどんどんと重くなってきた。
「みゃ……」と短く鳴いたフェリシアは、アーサーの膝の上で身体を丸くする。
どちらかというと、アーサーの口から聞こえない声の方が、とびきり甘やかした声だ。
そんなことを思いながら、フェリシアはゆっくりと眠りについた。
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