39 / 43
本編
第三十八話 大団円のその後
しおりを挟む
「おーい、あんちゃん、はやくこっちにもビールの追加!」
「は、はい! ただいま!」
入院から半年、リハビリを経てなんとか回復したクリフは、酒場で働いていた。とにかく金を稼がないと駄目だからである。
あの事件以降、クリフの評判はがた落ちだった。偽勇者はまだ良い方で、変態騎士、これが主流である。婚約者の尻を大衆に晒した。これが原因で、クリフのファンだった女性達からも、汚物を見るような目つきで見られるようになった。
――俺だって、俺だって、あそこまでやるつもりじゃあ……
医療院で、我に返ったクリフは頭を抱えたものだ。
あの時は、もの凄く気が大きくなって、なんでも出来るような気がしたんだよぉ。そんでもって、つい、調子に乗ったっていうか……
狂戦士の呪縛から解放されれば、まともな思考が戻る。クリフは自分のやったことが恥ずかしくて仕方がない。婚約者だったセイラの下着を剥ぎ、得意満面で大勢の人の目にさらした。黒歴史と言っても過言ではない記憶である。
――レイチェルは俺のもんだぁああああああ!
これまた記憶にばっちり残っている。クリフはそう叫んだ自分を殴りたかった。
――捨てた女性との復縁を一方的に迫ったんですって。
――まぁ、最低だわ。
ひそひそ女性達の間で交わされる台詞が痛かった。
そんなこんなで、退院後は騎士団長から自宅謹慎を言い渡されたが、それではすまなかった。なにせ、末端でもセイラは貴族である。娘を公衆の面前で侮辱されたと、ルモン男爵の怒りが凄まじく、多額の慰謝料を請求されただけでなく、騎士の資格を剥奪されたのだ。
そして、莫大な慰謝料を払う為、こうしてせっせと酒場で働く毎日である。護衛も兼ねているので、普通のウェイターよりは給金がいい。王都での就職を諦めて、村へ帰ろうかとも思ったが、結局それも出来ずじまいだ。
クリフはふうっとため息をつく。
なにせ、騎士の資格を剥奪され、借金まみれである。レイチェルを捨ててまで得た、逆玉の輿だったセイラとも破談。これらをひっさげて帰る勇気が、どうしても持てなかった。
そして……
「あらぁ、いい男ねぇ。あたしといいことしない?」
そう粉をかけてきたのは、酒場にやってきた客の一人だ。二十代の女盛りと言ったところか。とまぁ、クリフの場合、顔がいいので、彼の評判を知らなければ、こうしてモテてしまう。相変わらずモテはするのだが、クリフはその誘いを断った。断るほかなかった。
「あ、いや、疲れているので……」
クリフはそそくさと厨房へと引っ込んだ。
バーサーク状態の時、ブラッドに散々殴られた後遺症なのか、それとも呪いなのか分からないが、あれがもの凄く小さくなっていた。人には言えない症状だ。デフォルトで、まるで恐怖に縮んだ時のような有様である。
――体のどこにも異常はないから、幽体を直接殴られ後遺症かもなぁ……
などと治療にあたった神官が口にし、クリフは目を剥いた。
冗談ではなかった。何とか治らないかと、様々な治療を試してみたが、一向に治る気配がない。使用に問題があるわけではない。尿はきちんと出るし、刺激にも反応もする。反応はするのだが、小さいままって……
クリフは泣きそうだった。
――恐怖心がなくなれば、元に戻るかも?
これは神官の台詞だ。ブラッドを見ると更にあれが縮むから、確かに神官の言う通りなのかもしれないが、それっていつだよと、クリフは叫んだ覚えがある。
ブラッドを見て、恐怖心にかられなくなるまで……
それって、いつだよぉおおおおお!
クリフは絶叫するしかない。
レイチェルに一言謝ろうと、彼女のところへ行っても、いつでもブラッドがいる。どこで待ち伏せても、あれがべったり張り付いて離れない。というか、黒髪長身のあいつの後ろ姿を見ただけで血の気が引いて、足ががくがくする。あれが縮こまって、近づけない。
無理無理無理、なんとかしてくれぇえええええ!
ブラッドの存在が、本当に怖くて仕方がない。
王都で新装開店したというパン屋の評判を聞きつけて、さっそく行ってはみたが、やはりあれがいる。ブラッドがレイチェルの傍にひっついて離れない。なので結局、彼女に近付くこと出来ず、今日もクリフは内心絶叫していた。
レイチェル、悪かったぁあああああああ、と!
ここはいいのだが、反省しているから、頼む、これ、何とかしてぇ! とまぁ、なんとも本当に反省しているのか、というような叫びが後に続くのだ。
こちらとしては真面目に働いて借金返済しろ、としか言えない。レイチェルに近付いては駄目である。でないと、さらに酷い目に遭うことは想像に難くない。ブラッドの攻撃は幽体損傷という、とんでもないおまけ付きなのだから。
◇◇◇
「あら?」
「どうした? レイチェル?」
「え? いえ……クリフの姿を見たような気がして……」
週に一度、休みの日になると、レイチェルはこうして、両親が経営するパン屋を手伝っていた。可愛い売り子がいると評判で、今ではすっかり看板娘である。
そして、もちろんブラッドがひっついて離れない。護衛士なのに、せっせと店の手伝いまでしてくれる。掃除をしたり焼き上がったパンを並べてくれたり……そんな彼目当てで店に来る女性客もいて盛況だった。
そこへ、クリフの姿を見たとレイチェルが言った事で、彼の機嫌が一気に悪くなった。
「今度は地獄門の向こう側へ蹴っ飛ばそうか?」
「そ、そこまでしなくていいわ!」
慌ててレイチェルが止める。
「クリフの事を好きだったのは確かだし、あんまり酷い目にあって欲しくないもの」
「……あんな奴のどこが良かったんだか……」
ブラッドがむくれたようにそう呟く。
ふてくされてる?
レイチェルは苦笑した。
「優しいところもあったのよ? パパが王都で買ってきてくれたお土産を、川で失くしてしまった時があったの。とってもとっても大事にしていたから悲しくて、それを彼が見つけて届けてくれたの。感激したわ」
「ふうん? 親父さんからの土産、ね……ああ、そーいや、マーガレットのブローチも大事だったんだろ? 川遊びで失くしたって落ち込んでたから、なんとか探し出したけど、川で遊ぶときは、大事なものは身に着けない方がいいかもな?」
ブラッドの台詞にレイチェルは目を見張った。
え? マーガレットのブローチ?
弾かれたように見上げると、ブラッドの赤い眼差しとかち合った。血の色なのに、魔性の色なのに、やっぱり彼の瞳は包み込むように温かい。
クリフが見つけてくれたブローチの事よね?
レイチェルがまじまじとブラッドの顔を見つめると、彼は自分の黒髪をくしゃりと掻き上げた。まいったというようにため息交じりに。
「流石にあれはなぁ……。レイチェルが川遊びで落としたのって、普通のブローチだったろ? 魔法がかかってるわけでもなく、魔素で作ったもんでもないから、目印がなんもない。探し出すのに二週間もかかっちまった。なんつーか……あん時は吸血できなかったから、空腹と疲労で目が回りそうだったよ」
レイチェルは心底慌てた。
「も、もしかして、もしかしてマーガレットのブローチを見つけてくれたのって、ブラッドだったの? 二週間もかけて……な、なんで? ど、どうしてそこまで……」
ブラッドが不思議そうにくいっと首を曲げた。
「なんでって……レイチェルが必死こいて探してたから?」
ブラッドは、何度も川へ探しに行く自分を見たという。レイチェルは呆然となった。けど、あの時は風邪を引くからと母親に止められて、泣く泣く、そう泣く泣く諦めたのだ。
ブラッドがふっと思い出したように言う。
「ああ、そうそう、クリフの野郎もなんでそこまでするんだって、あん時、同じ事言いやがってさ」
え? クリフ?
「泥だらけになって俺が帰る途中、呑気に魚釣りをするあいつと鉢合わせだ。こっちは雨で増水した川で失せ物探しで、へとへとだってーのに、憎まれ口叩きやがって。たかがブローチになんでそこまでするんだって、鼻で笑いやがった。新しいものを買えばいいだけだろって。んなもん、レイチェルが大事にしてたもんだからに決まってるじゃねーか、なぁ? だから言ってやったよ。レイチェルにとっちゃ、たかがブローチじゃねーんだってな」
あれは十二歳の夏だった。空が青くて水が冷たくて、川遊びがとっても気持ちよくて、夢中になって遊んだ。大事な大事なブローチを失くすなんて、夢にも思わなくて。それを見つけてくれたのが、クリフだった。クリフだったはず……
――ええっ? さ、探し出してくれたの? でもでも、大変だったんじゃあ……
川で失くしてしまった筈の、マーガレットのブローチをクリフに差し出されて、感激して泣いたことを覚えている。本当に嬉しかった。
――だって、ほら、レイチェルが大事にしてたもんなんだろ? だからさ、がんばって探したんだ。レイチェルにとっちゃ、たかがブローチじゃないんだろうなって思ったし……
照れくさそうに、クリフがあの時口にした言葉まで、ブラッドの今の台詞と同じ。
え、え、えぇ?
「あ、あの、そのブローチは……」
どうしたの? と問うと、ブラッドが奇妙な顔をした。
「あん? 流石にぶっ倒れそうだったから、レイチェルの家に寄る気力もなくて、クリフの野郎に渡すよう頼んだよ。あいつからブローチを受け取ったろ?」
あ、それで……それでクリフが、私にあのブローチを渡したの?
――ありがとう、ありがとう、クリフ! 大好き!
って抱きついた相手はクリフで……。たかがブローチじゃない、そう言ってもらった事が嬉しくて、初恋を自覚したのもあの時で……
え、と……
もしかして、私の初恋の相手って、クリフじゃなくてブラッドだったの? 大切なブローチを必死で探してくれたのはブラッドで。たかがブローチじゃないって言ってくれたのも彼だった……
あのマーガレットのブローチは特別だった。
既視感っていうのか、父親にお土産として渡されたとき、何故だろう? 誰かからこんな風にマーガレットのブローチを贈られたことがあったような気がして、大切にしていた。
だから失くしてしまった事が悲しくて、悲しくて……大事な絆が切れてしまうような気がして、どうしても、どうしても諦めきれなくて、探し回った。そのブローチを見つけてくれたのはブラッドで、私の気持ちを分かってくれたのも彼だった。
私が本当に恋した相手は……
ブラッド?
驚きから立ち直れば、じわりと涙が浮かんでしまう。目にする彼の美貌は、やはり女性のように柔らかい。血のように赤い瞳も唇も魔性のもの。でも、温かい。
「どうした? レイチェル?」
感極まって、思わずブラッドに抱きついてしまったけれど、ひゅうという周囲の冷やかしが耳に届いて、レイチェルは慌てた。
そ、そうよ、ここ、お店……
慌てて離れようとしたけれど、駄目だった。すかさずブラッドにぎゅうぎゅう抱きしめられてしまったから。離してくれそうにない。
「んー、レイチェルが俺に甘えてる。お、れ、に、甘えてる」
感激しきりといったブラッドの声が、耳をくすぐる。もの凄く嬉しそうで気恥ずかしい。
「はいはい、ご馳走様」
新装開店したパン屋に足を運んでいたエイミーに言われてしまった。恥ずかしいけれど、心だけはじんわりと温かい。
**********
本編はここで終了です。後、番外編を二話追加する予定です。よかったら最後までお付き合い下さい。
「は、はい! ただいま!」
入院から半年、リハビリを経てなんとか回復したクリフは、酒場で働いていた。とにかく金を稼がないと駄目だからである。
あの事件以降、クリフの評判はがた落ちだった。偽勇者はまだ良い方で、変態騎士、これが主流である。婚約者の尻を大衆に晒した。これが原因で、クリフのファンだった女性達からも、汚物を見るような目つきで見られるようになった。
――俺だって、俺だって、あそこまでやるつもりじゃあ……
医療院で、我に返ったクリフは頭を抱えたものだ。
あの時は、もの凄く気が大きくなって、なんでも出来るような気がしたんだよぉ。そんでもって、つい、調子に乗ったっていうか……
狂戦士の呪縛から解放されれば、まともな思考が戻る。クリフは自分のやったことが恥ずかしくて仕方がない。婚約者だったセイラの下着を剥ぎ、得意満面で大勢の人の目にさらした。黒歴史と言っても過言ではない記憶である。
――レイチェルは俺のもんだぁああああああ!
これまた記憶にばっちり残っている。クリフはそう叫んだ自分を殴りたかった。
――捨てた女性との復縁を一方的に迫ったんですって。
――まぁ、最低だわ。
ひそひそ女性達の間で交わされる台詞が痛かった。
そんなこんなで、退院後は騎士団長から自宅謹慎を言い渡されたが、それではすまなかった。なにせ、末端でもセイラは貴族である。娘を公衆の面前で侮辱されたと、ルモン男爵の怒りが凄まじく、多額の慰謝料を請求されただけでなく、騎士の資格を剥奪されたのだ。
そして、莫大な慰謝料を払う為、こうしてせっせと酒場で働く毎日である。護衛も兼ねているので、普通のウェイターよりは給金がいい。王都での就職を諦めて、村へ帰ろうかとも思ったが、結局それも出来ずじまいだ。
クリフはふうっとため息をつく。
なにせ、騎士の資格を剥奪され、借金まみれである。レイチェルを捨ててまで得た、逆玉の輿だったセイラとも破談。これらをひっさげて帰る勇気が、どうしても持てなかった。
そして……
「あらぁ、いい男ねぇ。あたしといいことしない?」
そう粉をかけてきたのは、酒場にやってきた客の一人だ。二十代の女盛りと言ったところか。とまぁ、クリフの場合、顔がいいので、彼の評判を知らなければ、こうしてモテてしまう。相変わらずモテはするのだが、クリフはその誘いを断った。断るほかなかった。
「あ、いや、疲れているので……」
クリフはそそくさと厨房へと引っ込んだ。
バーサーク状態の時、ブラッドに散々殴られた後遺症なのか、それとも呪いなのか分からないが、あれがもの凄く小さくなっていた。人には言えない症状だ。デフォルトで、まるで恐怖に縮んだ時のような有様である。
――体のどこにも異常はないから、幽体を直接殴られ後遺症かもなぁ……
などと治療にあたった神官が口にし、クリフは目を剥いた。
冗談ではなかった。何とか治らないかと、様々な治療を試してみたが、一向に治る気配がない。使用に問題があるわけではない。尿はきちんと出るし、刺激にも反応もする。反応はするのだが、小さいままって……
クリフは泣きそうだった。
――恐怖心がなくなれば、元に戻るかも?
これは神官の台詞だ。ブラッドを見ると更にあれが縮むから、確かに神官の言う通りなのかもしれないが、それっていつだよと、クリフは叫んだ覚えがある。
ブラッドを見て、恐怖心にかられなくなるまで……
それって、いつだよぉおおおおお!
クリフは絶叫するしかない。
レイチェルに一言謝ろうと、彼女のところへ行っても、いつでもブラッドがいる。どこで待ち伏せても、あれがべったり張り付いて離れない。というか、黒髪長身のあいつの後ろ姿を見ただけで血の気が引いて、足ががくがくする。あれが縮こまって、近づけない。
無理無理無理、なんとかしてくれぇえええええ!
ブラッドの存在が、本当に怖くて仕方がない。
王都で新装開店したというパン屋の評判を聞きつけて、さっそく行ってはみたが、やはりあれがいる。ブラッドがレイチェルの傍にひっついて離れない。なので結局、彼女に近付くこと出来ず、今日もクリフは内心絶叫していた。
レイチェル、悪かったぁあああああああ、と!
ここはいいのだが、反省しているから、頼む、これ、何とかしてぇ! とまぁ、なんとも本当に反省しているのか、というような叫びが後に続くのだ。
こちらとしては真面目に働いて借金返済しろ、としか言えない。レイチェルに近付いては駄目である。でないと、さらに酷い目に遭うことは想像に難くない。ブラッドの攻撃は幽体損傷という、とんでもないおまけ付きなのだから。
◇◇◇
「あら?」
「どうした? レイチェル?」
「え? いえ……クリフの姿を見たような気がして……」
週に一度、休みの日になると、レイチェルはこうして、両親が経営するパン屋を手伝っていた。可愛い売り子がいると評判で、今ではすっかり看板娘である。
そして、もちろんブラッドがひっついて離れない。護衛士なのに、せっせと店の手伝いまでしてくれる。掃除をしたり焼き上がったパンを並べてくれたり……そんな彼目当てで店に来る女性客もいて盛況だった。
そこへ、クリフの姿を見たとレイチェルが言った事で、彼の機嫌が一気に悪くなった。
「今度は地獄門の向こう側へ蹴っ飛ばそうか?」
「そ、そこまでしなくていいわ!」
慌ててレイチェルが止める。
「クリフの事を好きだったのは確かだし、あんまり酷い目にあって欲しくないもの」
「……あんな奴のどこが良かったんだか……」
ブラッドがむくれたようにそう呟く。
ふてくされてる?
レイチェルは苦笑した。
「優しいところもあったのよ? パパが王都で買ってきてくれたお土産を、川で失くしてしまった時があったの。とってもとっても大事にしていたから悲しくて、それを彼が見つけて届けてくれたの。感激したわ」
「ふうん? 親父さんからの土産、ね……ああ、そーいや、マーガレットのブローチも大事だったんだろ? 川遊びで失くしたって落ち込んでたから、なんとか探し出したけど、川で遊ぶときは、大事なものは身に着けない方がいいかもな?」
ブラッドの台詞にレイチェルは目を見張った。
え? マーガレットのブローチ?
弾かれたように見上げると、ブラッドの赤い眼差しとかち合った。血の色なのに、魔性の色なのに、やっぱり彼の瞳は包み込むように温かい。
クリフが見つけてくれたブローチの事よね?
レイチェルがまじまじとブラッドの顔を見つめると、彼は自分の黒髪をくしゃりと掻き上げた。まいったというようにため息交じりに。
「流石にあれはなぁ……。レイチェルが川遊びで落としたのって、普通のブローチだったろ? 魔法がかかってるわけでもなく、魔素で作ったもんでもないから、目印がなんもない。探し出すのに二週間もかかっちまった。なんつーか……あん時は吸血できなかったから、空腹と疲労で目が回りそうだったよ」
レイチェルは心底慌てた。
「も、もしかして、もしかしてマーガレットのブローチを見つけてくれたのって、ブラッドだったの? 二週間もかけて……な、なんで? ど、どうしてそこまで……」
ブラッドが不思議そうにくいっと首を曲げた。
「なんでって……レイチェルが必死こいて探してたから?」
ブラッドは、何度も川へ探しに行く自分を見たという。レイチェルは呆然となった。けど、あの時は風邪を引くからと母親に止められて、泣く泣く、そう泣く泣く諦めたのだ。
ブラッドがふっと思い出したように言う。
「ああ、そうそう、クリフの野郎もなんでそこまでするんだって、あん時、同じ事言いやがってさ」
え? クリフ?
「泥だらけになって俺が帰る途中、呑気に魚釣りをするあいつと鉢合わせだ。こっちは雨で増水した川で失せ物探しで、へとへとだってーのに、憎まれ口叩きやがって。たかがブローチになんでそこまでするんだって、鼻で笑いやがった。新しいものを買えばいいだけだろって。んなもん、レイチェルが大事にしてたもんだからに決まってるじゃねーか、なぁ? だから言ってやったよ。レイチェルにとっちゃ、たかがブローチじゃねーんだってな」
あれは十二歳の夏だった。空が青くて水が冷たくて、川遊びがとっても気持ちよくて、夢中になって遊んだ。大事な大事なブローチを失くすなんて、夢にも思わなくて。それを見つけてくれたのが、クリフだった。クリフだったはず……
――ええっ? さ、探し出してくれたの? でもでも、大変だったんじゃあ……
川で失くしてしまった筈の、マーガレットのブローチをクリフに差し出されて、感激して泣いたことを覚えている。本当に嬉しかった。
――だって、ほら、レイチェルが大事にしてたもんなんだろ? だからさ、がんばって探したんだ。レイチェルにとっちゃ、たかがブローチじゃないんだろうなって思ったし……
照れくさそうに、クリフがあの時口にした言葉まで、ブラッドの今の台詞と同じ。
え、え、えぇ?
「あ、あの、そのブローチは……」
どうしたの? と問うと、ブラッドが奇妙な顔をした。
「あん? 流石にぶっ倒れそうだったから、レイチェルの家に寄る気力もなくて、クリフの野郎に渡すよう頼んだよ。あいつからブローチを受け取ったろ?」
あ、それで……それでクリフが、私にあのブローチを渡したの?
――ありがとう、ありがとう、クリフ! 大好き!
って抱きついた相手はクリフで……。たかがブローチじゃない、そう言ってもらった事が嬉しくて、初恋を自覚したのもあの時で……
え、と……
もしかして、私の初恋の相手って、クリフじゃなくてブラッドだったの? 大切なブローチを必死で探してくれたのはブラッドで。たかがブローチじゃないって言ってくれたのも彼だった……
あのマーガレットのブローチは特別だった。
既視感っていうのか、父親にお土産として渡されたとき、何故だろう? 誰かからこんな風にマーガレットのブローチを贈られたことがあったような気がして、大切にしていた。
だから失くしてしまった事が悲しくて、悲しくて……大事な絆が切れてしまうような気がして、どうしても、どうしても諦めきれなくて、探し回った。そのブローチを見つけてくれたのはブラッドで、私の気持ちを分かってくれたのも彼だった。
私が本当に恋した相手は……
ブラッド?
驚きから立ち直れば、じわりと涙が浮かんでしまう。目にする彼の美貌は、やはり女性のように柔らかい。血のように赤い瞳も唇も魔性のもの。でも、温かい。
「どうした? レイチェル?」
感極まって、思わずブラッドに抱きついてしまったけれど、ひゅうという周囲の冷やかしが耳に届いて、レイチェルは慌てた。
そ、そうよ、ここ、お店……
慌てて離れようとしたけれど、駄目だった。すかさずブラッドにぎゅうぎゅう抱きしめられてしまったから。離してくれそうにない。
「んー、レイチェルが俺に甘えてる。お、れ、に、甘えてる」
感激しきりといったブラッドの声が、耳をくすぐる。もの凄く嬉しそうで気恥ずかしい。
「はいはい、ご馳走様」
新装開店したパン屋に足を運んでいたエイミーに言われてしまった。恥ずかしいけれど、心だけはじんわりと温かい。
**********
本編はここで終了です。後、番外編を二話追加する予定です。よかったら最後までお付き合い下さい。
25
お気に入りに追加
871
あなたにおすすめの小説

五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。
【完結】妖精姫と忘れられた恋~好きな人が結婚するみたいなので解放してあげようと思います~
塩羽間つづり
恋愛
お気に入り登録やエールいつもありがとうございます!
2.23完結しました!
ファルメリア王国の姫、メルティア・P・ファルメリアは、幼いころから恋をしていた。
相手は幼馴染ジーク・フォン・ランスト。
ローズの称号を賜る名門一族の次男だった。
幼いころの約束を信じ、いつかジークと結ばれると思っていたメルティアだが、ジークが結婚すると知り、メルティアの生活は一変する。
好きになってもらえるように慣れないお化粧をしたり、着飾ったりしてみたけれど反応はいまいち。
そしてだんだんと、メルティアは恋の邪魔をしているのは自分なのではないかと思いあたる。
それに気づいてから、メルティアはジークの幸せのためにジーク離れをはじめるのだが、思っていたようにはいかなくて……?
妖精が見えるお姫様と近衛騎士のすれ違う恋のお話
切なめ恋愛ファンタジー
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
君は僕の番じゃないから
椎名さえら
恋愛
男女に番がいる、番同士は否応なしに惹かれ合う世界。
「君は僕の番じゃないから」
エリーゼは隣人のアーヴィンが子供の頃から好きだったが
エリーゼは彼の番ではなかったため、フラれてしまった。
すると
「君こそ俺の番だ!」と突然接近してくる
イケメンが登場してーーー!?
___________________________
動機。
暗い話を書くと反動で明るい話が書きたくなります
なので明るい話になります←
深く考えて読む話ではありません
※マーク編:3話+エピローグ
※超絶短編です
※さくっと読めるはず
※番の設定はゆるゆるです
※世界観としては割と近代チック
※ルーカス編思ったより明るくなかったごめんなさい
※マーク編は明るいです

夫の書斎から渡されなかった恋文を見つけた話
束原ミヤコ
恋愛
フリージアはある日、夫であるエルバ公爵クライヴの書斎の机から、渡されなかった恋文を見つけた。
クライヴには想い人がいるという噂があった。
それは、隣国に嫁いだ姫サフィアである。
晩餐会で親し気に話す二人の様子を見たフリージアは、妻でいることが耐えられなくなり離縁してもらうことを決めるが――。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
頑張らない政略結婚
ひろか
恋愛
「これは政略結婚だ。私は君を愛することはないし、触れる気もない」
結婚式の直前、夫となるセルシオ様からの言葉です。
好きにしろと、君も愛人をつくれと。君も、もって言いましたわ。
ええ、好きにしますわ、私も愛する人を想い続けますわ!
五話完結、毎日更新
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる