恋した相手は貴方だけ

白乃いちじく

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本編

第二十話 反感と陶酔

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 ブラッドと連れだって顔を出した大食堂は、聖職者達であふれかえっていた。神官や神官見習いの衣装はグレーで、聖神官はそれに金のラインが入っている。聖女の服は白地に金のラインの入った衣装で、聖女候補生達にその金の装飾はない。なので、まだ聖女認定されていないレイチェルは白い聖職衣である。

 配膳を手に、ブラッドと一緒に長テーブルの隅に腰掛けると、多くの好奇の目がレイチェルに集まった。正確には護衛士としてくっついてきたブラッドに、であろうか。レイチェルはひやりとした感触を覚え、ちらりと横手のブラッドに視線を走らせる。黒髪に赤い瞳、整った顔立ちは女性のように柔らかく、ほっそりとした体躯は黒豹のようにしなやかだ。

 ぱっと見は、普通の人間に見えるけれど……
 神聖魔法を使える聖神官と聖女の目は誤魔化せない。どうしてもヒヤヒヤしてしまう。

「食欲がない?」

 ブラッドに声を掛けられ、レイチェルははっとなった。

「い、いえ、そんなことはないです」

 手をつけていない配膳に手をつけ、レイチェルは無理矢理笑う。
 あなたの事が心配で、とは言えなかった。食事は自分の部屋でとった方が良かったのかしら? レイチェルはそう考えるも、でも、それでは根本的な解決にはならないと考え直す。なんとかして、彼の事を周囲に認めて貰わないと、こういった視線がなくなることはない。

「ね、隣、いいかしら?」

 そう声を掛けてきたのは、赤毛の美しい女性だった。金のラインの入った白い聖職衣を身につけているので聖女候補ではなく、れっきとした聖女だと分かる。

「は、はい、どうぞ」
「ふふ、ありがとう」

 笑う仕草に色気がある。テーブルに肘を突く形で、赤毛の聖女が身を乗り出した。

「ね、あなた、もの凄く注目を集めているわよ? 護衛士にヴァンパイアを指名した変わり者の聖女候補だって」
「も、申し訳ありません」

 レイチェルが身を縮め、そう謝った。赤毛の女性が面白そうに笑う。

「あらあ? そこで謝っちゃうの? 私はあなたの気持ちが分かるわよ? こんなに素敵なんだもの。もし自分に忠実なら、私だって傍に置いておきたいって思うわね」

 テーブルの上の葡萄を一粒口に入れる。何気ない仕草が逐一色っぽい。

「そ、そうなんですか?」

 肯定的な意見に、レイチェルの気持ちが明るくなるも、赤毛の女性が意味ありげに笑う。

「もちろん、そう思わない者もいるでしょうけれど」

 ちらりと周囲に視線を走らせる。

「いろんな意見が入り乱れているわよ? 大神官様の命令に従おうとする者もいれば、ヴァンパイアに聖女の護衛をさせるなんてとんでもないと、反発する者もいる。そして私のように、あなたの護衛士に傾倒しちゃう者もいるわね」
「え」
「あらあ? 分からない? それっくらい彼は素敵だってこと。周りを見てごらんなさいよ。彼に注目している女性がたくさんいるわよ?」

 レイチェルはざっと周囲を見回した。殆どの者が自分達のやりとりに注目している。

「てっきり、ブラッドさんのことが気に入らないのだとばかり……」
「ああ、もちろんそういう視線もあるわ。魔物、だものね? がっちがちにお堅い聖職者だと追い払おうとするでしょうけれど……。でもねぇ、ほら、見て? 彼ってもの凄く魅力的よ? これっくらい素敵な魔物だと、あえて手を出したがる人も出るってこと。私もそのひ、と、り」

 赤毛の女性がくすくすと笑う。

「カサンドラ様……」

 彼女の護衛士らしい男性がたしなめるように声を掛ける。金褐色の髪を短く刈り上げた偉丈夫だ。白地に金の装飾が施された聖騎士服を身につけ、帯剣している。カサンドラと呼ばれた聖女の護衛士を引き受けているのだろう、堅く引き結んだ口元が、どことなく不快そうである。
 カサンドラが赤い唇を拗ねたように尖らせた。

「これっくらいいいじゃないの。ギーはいっつも堅いわぁ」
「……私は否定派ですので」
「ううん。彼が気に入らない?」

 ギーと呼ばれた聖騎士の灰色の目が、射るようにブラッドを見た。

「ええ、気に入りませんね。聖女様の周囲を魔物が四六時中うろつく。言語道断。大神官様のお言葉が無ければ、力尽くでも追い出したいところです」
「でも、彼、とっても強いらしいわよ?」
「許可さえあれば、叩きのめしてみせます」

 ギーが大真面目に言い切った。体格の良い聖騎士である。正義感に溢れた若者、といったところか。カサンドラの目がブラッドに向く。

「うーん……ね、あなた、名前は、ええっと確か、ブラッド・フォークスよね? 私の護衛士と試合をしてみない?」

 ちらりとブラッドの視線がギーに向き、ふいっと視線を逸らす。

「……めんどくせぇ」

 ぼそりとそう言った。本当に面倒臭そうだ。

「そう言わずに。そうだ、彼に勝ったら私の血を上げるというのはどう?」
「カサンドラ様!」
「あらぁ、負けなければいいだけよ。自信あるんでしょう?」

 赤毛の美女カサンドラがくすりと笑う。挑戦的な笑みだ。勝ってみなさい、そういった命令にも取れる。ギーはぐっと言葉に詰まり、ブラッドに向き直る。

「立て。勝負だ」
「……ざっけんな」

 ふっと、ブラッドの赤い瞳に怒気がこもった。苛ついているようにも見える。

「いい加減にしろ。面倒くさいつっただろーが。人間とやりあう? 冗談じゃねぇ。殺さねーように注意しなくちゃならねぇ、こっちの身にもなってみろ。ほんのちょっと撫でただけで、死ぬ死ぬ騒ぐくせに、やってらんねぇ。どうしてもというのなら、お前の首をもらう」
「首を? は、出来るものなら……」

 ブラッドの姿ふっと揺らいで消え、赤い煌めきが走ったかと思うと、壁に沿ってずらりと並んでいた燭台の悉くが真っ二つだ。
 鋭利な刃で切断されたされた燭台の上部が、ゆっくりと滑り落ち、ゴトゴトゴットンという重々しい音と共に床に転がった。それはまるで一列に並んでいた人間の首が落ちる様を連想させ、その場にいた者達全員の視線が釘付けだ。しんっと静まりかえる。

「見えたか?」

 声が聞こえたのは真後ろだ。ギーが慌てて振り向けば、赤い瞳が笑っている。

「目で追っても無駄だぞ? 俺の動きを捉えたいのなら、アストラルサイドから接触するんだな。体が物体化する直前を捉えて攻撃するんだよ。アウグストはそうやって俺と遊んだ」

 ギーが眉をひそめた。

「アウグストって……まさか大魔法士様の事か? どうして彼を知って……」

 ブラッドの赤い瞳に宿る凄味が増した。

「もう一度言う。俺とやり合う気なら、その首をもらう。けど、ここで殺生は御法度だろ? だから、その許可を大神官から貰ってくるんだな? その時は喜んで殺してやる」

 くいっと首をかっ切る動作をし、ブラッドは背を向けた。
 気が付けば、ブラッドは再び椅子に腰掛け、カップを手にしている。ギーにはその動きすら見えなかった。視覚不能な動きをするヴァンパイア……嘘だろ、そんな呟きがギーから漏れ、背に冷や汗が伝った。カサンドラが割って入る。

「ああ、もう。ギー、あんたの負けよ。下がりなさいな」
「し、しかし……」
「私が祝福を与えても、彼の攻撃が見えないんじゃ、どうしようもないでしょう?」

 聖騎士は護衛する聖女から祝福を貰い、魔に対抗する。幽霊でも切ることが可能になるのだ。けれど、その攻撃が届かないのでは、確かにお話にならない。
 聖女カサンドラがぐっと身を乗り出した。

「凄いわ。あなた、本当に強いのね?」
「まぁな」

 カサンドラの賞賛にも素っ気ない。どう見ても不機嫌である。

「謙遜はなし?」
「謙遜? したって意味ねーよ。魔族なら、どんな小物でも力の差は感じ取れる。上位の者につっかかる阿呆は人間くらいだ。ほんっと鬱陶しい。どうして分からないんだってイライラする」

 カサンドラが色気たっぷりに微笑んだ。

「魔界の住人は、力に従属する性質があるからよね? だからみな魔王に従う……強い奴が主ってわけ。人間は違うから大目に見てくれないかしら? 弱くても主になる場合があるわ」
「そうらしいな?」

 カサンドラがじっとブラッドを眺めた。

「ね、あなたが彼女の護衛士を引き受けたのは何故? 不思議だわ。聖女は基本、あなたのような魔物の敵だと思うけれど? もしかして、彼女はあなたに勝ったのかしら? 従属契約でもした?」
「……大切だから」

 ブラッドの返答に、カサンドラは目を丸くする。

「え……大切って、あらぁ? もしかして彼女に惚れたってこと? あらあらあら……」

 ぐっとレイチェルの方に身を乗り出す。

「でも、首に噛み跡はないのね? 治癒魔法を使っても、二、三日は吸血痕が残ると思うけれど……まだ手を出していないってことかしら? 随分と純情なヴァンパイアさんね?」

 カサンドラがくすくすと笑う。

「まぁ、でも、ここにはあなたに血を上げたいって女性はたくさんいると思うわ? 彼女に手を出しにくいなら、他を当たってもいいかもしれないわね?」

 そう囁いて、聖女のカサンドラは、聖騎士のギーを連れて立ち去った。意味ありげな甘い微笑みを残して。
 レイチェルはちらりとブラッドを見た。
 そっと自分の首筋に手を当てる。彼が以前つけた吸血痕は小一時間で綺麗に消えている。自分の神聖魔法ならそれが可能だ。なので、毎日でも血を上げようと思えば出来るけれど、彼は自分の血を欲しいとは言わない。

 でも、お腹、すくわよね? ブラッドさんはこのままで大丈夫なのかしら?
 ヴァンパイアの食事事情になど、自分は詳しくない。血がどれくらい必要なのかも……
 一度、聞いてみた方が良いのかしら?

 レイチェルは黙ってコーヒーを口にするブラッドを眺めた。
 彼はやっぱり普通の食事を口にしない。勧めれば食べるけれど、多分、私に気を遣っているのよね? 血を口にしなかった時は飢餓状態だったから、やっぱり血が一番のはず……

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