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本編

第十五話 懐かしい面影

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 翌朝、目を覚ましたレイチェルは、ブラッドに抱っこされていて驚いた。目の前にブラッドの端正な顔がある。気を失う前に垣間見た顔だ。

「ブラッド、さん?」

 恐る恐るレイチェルが問えば、ブラッドがにっと笑う。

「そう、俺」

 声にも仕草にも覚えがある。彼なのは間違いないのだけれど、やっぱりレイチェルは不思議だった。どうしても今の彼の顔を見ると、胸が詰まってどうしようもない。涙が零れそうになる。黒髪に赤い瞳、女性のように柔らかい顔立ちに浮かべた微笑みは、どことなく見覚えがあって……。目を細めて、レイチェルがそっと手を伸ばせば、かの赤い唇が動いた。

「気分はどうだ? よく眠れたか?」

 そう問われて、思わずぱっと手を引っ込める。無意識に彼の顔を触ろうとしている自分に気が付いて、レイチェルは頬を赤らめた。
 やだ、失礼、よね……

「ええ、その……気分は爽快よ? でも、あの、どうして……」

 どうしてブラッドさんに抱っこされているの? と問えば、エイミーが口を挟んだ。

「吸血蠅から、レイチェルを守ってくれたらしいわ」
「吸血蠅が出たの? 私、今回は結界を張らなかったけれど、大丈夫だった?」

 レイチェルがそう問うと、エイミーは頷く。

「だーいじょーぶ。ニーナが風の結界を張ってくれたから!」

 自分とジョージアナだけに、という部分はきっちり端折る。
 次いで、エイミーはブラッドの姿をまじまじと見つめた。もの凄く格好良い。漆黒の髪の美青年だ。じっと見つめていると、気後れしそうなほどの……。これならレイチェルと恋人になってもいいかなと、エイミーは思うけれど、やっぱりネックは彼がヴァンパイア、というところか。

「あんたが人間だったら良かったのになー」

 ついエイミーがぼやくと、ブラッドに「無理」と即答される。

「分かってるわよぅ」

 エイミーは肩をすくめて、引き下がった。
 その後、全員で朝食を取る段になって、レイチェルは驚いた。クリフとセイラの顔が見るも無惨な有様だったからだ。吸血蠅にさされたのであろう彼らの顔はひどく腫れあがっている。幼なじみのエイミーも女剣士のジョージアナも猫娘のニーナも、そして御者でさえ無事なのに、どうして彼らだけ被害に遭ったのか分からない。

「あの……それ……」
「吸血蠅にやられたのよ! 何か文句ある?」

 セイラが噛み付くように言い、その間も痒い痒いとやっている。

「もう、クリフの役立たず! どうして私がこんな目に遭わなくちゃならないのよ!」

 同じように痒がっているクリフが食ってかかった。

「俺のせいか? 大人しく吸血蠅よけの薬を塗っていればよかったじゃないか! そもそも、庶民の生活を知りたいって、乗合馬車を希望したのはセイラだろ! こういった事態が嫌なら、男爵家の馬車に乗れば良かったんだよ!」

 セイラのまなじりがきりりとつり上がる。

「なによ! クリフだって賛成したじゃないの! 護衛を買って出たのはクリフなんだから! 危険くらい全部排除したらどうなのよ! あなた、聖女を守る聖騎士希望でしょう?」

 クリフが反撃する。

「吸血蠅を剣で追い払う騎士なんかいるもんか! 火魔法か風魔法を使える奴じゃないと……いや、君が結界さえ張れればこんなことにはならなかったんだよ!」
「なんですって! 人のせいにしないで!」

 朝っぱらからなんとも騒がしい。ブラッドがパチンと指を鳴らすと、音が消えた。罵り合っている二人は見えるが声は聞こえない。

「お前の仕業か?」

 ひそっとジョージアナがブラッドに言えば、「そう」と短く返される。
 レイチェルは困ってしまった。
 神聖魔法で傷の治癒促進や痛みの軽減は出来ても、痒みを止める魔法は存在しない。かゆさだけはどうにもならないので、虫除けで予防が一番である。せめて虫刺されの薬、とも思うが、吸血蠅の痒みは強烈で、どんな薬もまったくと言っていいほど効き目がなかった。

「大丈夫にゃ、一週間くらいで痛みも痒みもおさまるから、がんばるにゃ?」

 猫娘のニーナだけは呑気なものである。彼女にとってあくまで他人事だからなのかもしれない。その間にもセイラ付の侍女は、濡れたタオルをセイラの顔にあてがうなど甲斐甲斐しい。
 王都に着けば、男爵令嬢のセイラは侍女につれられて、神殿付の医療院に姿を消した。セイラの護衛役を買って出ていたクリフもその後を追う。乗合馬車を降りた一行の目の前に見えるのは、立派な神殿と、寄り添うようにして建つ医療院である。

「ふんだ、ずうっと医療院から出てこなければ良いのに……」

 クリフとセイラの二人の背を見送ったエイミーが、ぼそりと言う。

「それはちょっと……」

 レイチェルが苦笑いをすると、ずいっとエイミーが顔を近づけた。

「そんなこと言って……あの女、気を付けないと、ブラッドを狙っていたみたいよ?」
「え」

 レイチェルの顔が強ばった。

「で、でも、彼女にはクリフが……」

 エイミーが甘いというように指をちちちと振った。

「レイチェルが寝ている時の事よ。私を守って~、なんてブラッドにしなだれかかろうとしたんだから。まぁ、ブラッドに撥ね付けられたけど! 本当に何考えているのよ、あの女は! クリフがいるっていうのに、まーだ他の男を狙うって信じられない! いい? あれと口きいちゃ駄目よ? 何を企んでいるかわからないんだからね!」

 レイチェルがブラッドの顔を見上げれば、彼の整った顔がふわりとほころび、気恥ずかしくなってぱっと下を向く。
 え、と……私なんでこんなに慌てているんだろう?
 自分の気持ちにどぎまぎする自分がいる。

「レイチェルとブラッドの宿泊先は神殿かにゃ? エイミーはどうするにゃ?」

 ピンク髪の猫娘の仕草は、相変わらず可愛らしい。にゃんにゃんと猫特有の柔らかさがある。エイミーが肩をすくめた。

「あたしは残念ながら宿をとらないと駄目ー。便乗して神殿に泊まりたいところだけど、流石に無理よね。レイチェルはまだ聖女候補だし……」
「なら、あちし達と一緒の宿にするにゃ?」

 猫娘ニーナの提案に、エイミーがぱっと顔を輝かせた。

「え? いいの?」
「もちろんにゃ。エイミーはもうあちしと友達にゃ? 王都の観光も一緒にするにゃ? そんでもって、また全員で酒盛りするにゃ? あちしはブラッドとグールダンスするにゃー!」

 ニーナが楽しそうにぴょんぴょん跳ね回った。のんべぇの猫娘は、ブラッドのグールダンスがお気に入りのようである。

「……グールは呼び出さないようにね?」

 ぽつりとエイミーが呟いた。ブラッドならやりかねない、そう思ったようである。

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