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本編
第十三話 吸血蠅にご用心
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「うわーん、怖いよぉ!」
「大丈夫、大丈夫よ、お姉ちゃんがいるから!」
魔獣に襲われた商隊は全滅しかかっていた。のんびりした街道沿いの旅の筈が、どうやら危険な荷を積んでいたようで、それが魔物の群れをおびき寄せたようである。魔物が好む香料……そんな事とは露知らず、ぞんざいな扱いで運んだために、魔狼達を引き寄せてしまったらしい。
「お嬢様、こっちへ!」
護衛の一人が泣き叫ぶ姉弟を背に庇えば、巨大な魔狼が大口を開けて襲いかかってきた。咄嗟に剣を向けるも弾かれてしまう。魔狼が再度跳躍し、護衛の男が死を覚悟したまさにその瞬間、一陣の風が吹き、「丁度いい」そんな声を聞いた気がした。黒い霧と赤い煌めきが視界をよぎったかと思うと、魔狼の首が消失していた。
護衛の男はあんぐりと口を開けてしまう。
その光景に度肝を抜かれる間もあらばこそ、忽然と現れた黒衣の男がとった行動にも目を見張った。切り落とした魔狼の首を掲げ、流れ出る血を飲み始めたからだ。口の端から血が滴り、眼差しは恍惚としている。
ヴァンパイア……護衛の男はそう呟いた。
けれど、日はまだ沈んでいない……
困惑気味に、頭上に輝く太陽に目を向ける。
その間にも事態は刻々と変化していた。ふっとかの姿が揺らいで消え、赤い煌めきが走り、別の魔狼の首が消失する。血がしたたり落ちる頭部を掲げ、美貌の男は血をすすった。その繰り返しだ。他の護衛達もその光景に気が付き、剣を手にしたまま呆然と立ち尽くす。
恐ろしくも不思議な光景だった。
ひやりとした怖気を感じるのに、黒髪に赤い瞳の美しい男から目が離せない。血を飲む仕草が、妙に艶めかしいからかもしれない。魔性の色気を感じる。気が付けば、魔狼達は全て姿を消していた。生き残った魔狼達は、森の奥へ逃げ帰ったのだろう。
こちらが全滅する寸前だったのに……
姉弟を背に庇った護衛は、その場にへたり込んだ。助かった安堵感に浸りながら。
◇◇◇
半刻ほどでブラッドは帰ってきた。
一見痩せ過ぎなように見える肢体だが、必要な筋肉で覆われているので、こうして見るとしなやかで美しい。彼が地上に降り立てば、ばさりと打ち振った翼がすうっと消える。角も魔文様も同時に消え、こうなるともう、普通の美貌の青年である。闇の空気をまとわりつかせながらも、血の色をした唇に笑みを乗せれば、妖しい魅力で人を惹きつける。
クリフはその姿に顔をしかめた。何故かと言うと……
「素敵ね……」
セイラがそんなことを言い始めたからだ。
「ねぇ、凄いと思わない? 魔王討伐隊の勇者とヴァンパイアがここに揃うなんて! 王城には大魔法士様がいまだに健在だし、あとは大聖女よね? ね? もしかして私かしら?」
そう言いながら、セイラの視線がブラッドに向く。
セイラの眼差しは熱っぽく、頬が赤い……
クリフはやはり面白くなかった。
なんであんな奴をそんなに褒めるんだよ。確かに容姿が激変したけど、あの肖像画に似てるってだけで、ブラッドの野郎はあの英雄じゃない。そこまでうっとりしなくてもいいだろと思う。
ちらりと見ると、十七、八才の美麗な若者がそこにいた。
肌は抜けるように白くて、すらりと背が高い。闇色の髪はつややかで、赤い瞳はぞくりとするほど美しく、顔立ちは女性のように柔らかく艶やかだ。それでいて影のある雰囲気が、さらに神秘性を煽ってやまない。
クリフはぎゅうっと拳を堅く握る。
あいつはヴァンパイアだ。その上、死人のように不気味な外見だから、絶対女に相手にされない、そう思っていたのに……セイラが態度をころっと変えたものだからたまらない。もしかして、あいつの方が良くなったか? クリフはそんな風に勘ぐってしまう。
「……セイラは俺が好きなんだよな?」
「え? ええ、もちろんそうよ?」
ふわりと笑う顔はいつものものだ。黒髪の美少女は、自分を好きだと言う。
そうだよ、な……いくら容姿端麗でも化け物だし……
ブラッドは鬼人のイライアスにかかえられたレイチェルのところへ直行だ。レイチェルの寝顔に視線を注ぐ、ブラッドのなんとも言えない優しい眼差しに、クリフは苛立ちを募らせる。
「にしても、あんた、容姿激変したわね」
エイミーがそう言い、ブラッドの姿をじろじろと眺める。
「そうか?」
ブラッドが自身の黒髪をかき上げる。そんな何気ない仕草ですら見惚れそうだ。
「いや、そうかって……あんたって、ほんっと容姿を気にしないの?」
「……魔界の判断基準は力だからな。力があれば、たとえ首なしでもモテるぞ?」
「そ、そう……」
何て言って良いのか分かららず、エイミーは口を閉じる。
「満腹か?」
ジョージアナが問う。
「一応な……けど、やっぱり人間がいい」
口に合わなかったとブラッドが言う。それを聞いた猫獣人のニーナの耳がぴんっと立った。
「ならあちしが……」
「血を提供してくれるのなら、献血パックにしてくれ」
すかさずブラッドが言葉を遮った。
「ヴァンパイア・キスで、首にがっぷりのほうが新鮮でいいにゃ?」
「……レイチェルがいるから駄目だ」
ブラッドがそう告げ、ふいっと横を向く。
「レイチェルがいるとなんで駄目にゃ?」
ジョージアナがぱんっと猫娘の頭をはたく。
「ヴァンパイア・キスは求愛行為だからだよ。疑似性交って言えば分かるか? 他の女となんて不味いって。浮気と一緒。あ、そうだ。だったらいっそ、普通に噛み付いてもらうか? 魔獣に噛み付かれたような感じで痛いと思うけど、それでじゅるじゅるじゅると……」
きししとジョージアナが笑い、ブラッドが顔を曇らせた。
「……それやると、痛がって暴れるのを押さえ込まなくちゃならないから、傷が酷くなるぞ? 下手すりゃ、肉を食いちぎっちまう」
ニーナのピンクの獣毛がぞぞぞと逆立った。
「い、嫌にゃー、痛いのは嫌にゃー! 遠慮するにゃー!」
ニーナが涙目でふるふる首を横に振った。
その夜、こんこんと眠っているレイチェルを、まるで幼子のように膝上に乗せ、抱きしめているブラッドに、クリフは腹が立ってしょうがなかった。眠っているレイチェルの頭は、当然ブラッドの胸にもたれかかっている。
恋人でもないくせに、なんだよあれは……
「レイチェルはいつ目を覚ますんだ?」
「明日の朝」
クリフの問いに、つっけんどんにブラッドが答える。ブラッドの手がレイチェルの白金の髪をさらりとすく。その仕草もまた気に入らない。
「だったら、寝袋に寝かせてやれよ。そんな体勢で寝ているとレイチェルが疲れる」
「嫌だね」
「お前な!」
「吸血蠅の羽音がうるさい」
ブラッドの台詞にクリフは眉をひそめた。
「吸血蠅?」
「ああ、周辺を先程からぶんぶん飛び回っている。レイチェルが起きていれば結界を張ったんだろうが……吸血蠅の群れは数が膨大で、焼き払っても焼け石に水だ。襲ってくるのを弾く方がいい」
ジョージアナがはははと笑う。
「……つまり、ブラッドはレイチェルだけそうやって避難させてるってわけか」
ニーナはピンク色の耳をぴんっと立て、ジョージアナにすり寄った。
「ジョーとエイミーは、あちしと一緒に寝るといいにゃ? 風の結界を張れば吸血蠅はそれで弾けるにゃ? 安心にゃー」
にゃにゃっとニーナが請け負う。クリフが不安げに身を乗り出した。
「あのさ、俺達、は?」
「結界大きくすると疲れるから嫌にゃー」
猫娘はにべもない。突き放されたクリフは目を剥いた。
「おおい!」
「大丈夫にゃ! 吸血蠅に刺されても痛がゆくて、体がちょっと腫れ腫れになるだけにゃ? 死なないにゃ? 一週間くらい痛い痛い痒い痒いになるだけにゃー」
「全然大丈夫じゃねぇええええええ! そ、そうだ、セイラ、結界張ってくれよ!」
セイラはふるふる首を横に振る。出来ないと口にする。
「だって、君、聖女候補だろう?」
「私は予言者だもの」
「予言者?」
「そうよ。予言の巫女なの。未来を予知する能力に特化しているから、神聖魔法は使えないのよ」
「そ、そんなぁ! あ、だったら御者は? 吸血蠅よけの薬持ってるよな?」
「へえ、それはもう」
御者の男が頷く。王都への定期便を出している御者は必須の品だ。
「俺にも分けてくれ!」
「まぁ、いいですけど、ね……以前臭いから嫌だと言っていましたが、いいんですか?」
「いいんだよ。あの時はレイチェルがいたから必要なかっただけで……」
「ああ、彼女の結界で事なきを得たんでしたね。今回は駄目だったようで、ご愁傷さまです」
御者がはははと笑う。セイラがそろりとブラッドに近寄った。
「あ、あのう……王都まで私の護衛もしてもらえないかしら? お金は父が払うわ? あなたがほしいだけ、ね、どうかしら?」
「セイラ?」
クリフが非難するも、セイラが拗ねたように口を尖らせる。
「だって……吸血蠅に刺されるの嫌なんだもの。クリフはあれを追い払えるの?」
「薬があるって!」
「臭いから嫌よ。吸血蠅避けの薬をつけると、三日間は何やっても匂いが取れないのよ? 帰ったら夜会に出る予定なのに冗談じゃないわ」
こうなるともう、黙るしかない。不満げな顔のクリフを尻目に、セイラは甘えるようにブラッドの腕に自分の手を添えようとするも、パンと見えない何かに弾かれた。見えない手に叩かれた感じで、手がじんじんするが、彼は動いていない。
面食らったセイラは、自分の手と彼を交互に見るも、剣呑な光を宿した赤い瞳に睨まれ、セイラがびくりと身をすくませる。
「触んな、このくそ女」
ブラッドがそう吐き捨てる。敵意がむき出した。
◇◇◇
セイラは二の句が継げなかった。ブラッドに冷たくされて、ショックを受けている自分がいる。まさか、彼からこんな扱いを受けるとは思ってもみなかった。
だって、私は美少女だもの。それも、とびきりの……
自分が甘えれば、優しくされるものとばかり思い込んでいた。前世ではそう、いつだって選ばれるのは美しい女だったから。美人は得よね、ちょっと甘えればちやほやしてもらえるんだから、かつての自分はやっかみ混じりに何度そう言っただろう。
だから自信があった。
その美しい女になったのだから、言い寄れば、どんな男も絶対落ちるって……
ブラッドの腕に抱かれているレイチェルが視界に入り、かぁっと頭に血が上った。
「な、なんなのよ! そんな女のどこがいいのよ! 取るに足らない田舎娘じゃないの!」
セイラは思わずそう叫ぶ。
ブラッドは態度を変えていない。急に冷たくなったわけではなく、初めからこうだったのに、セイラはこうした彼の態度を受け入れられなかった。自分が手に入らないものを、今まで見下していた女が手にしているというだけで許せない気持ちになる。
そうよ、私の方がずっとずっとあなたにふさわしいわ!
途端、虚空にキィンと魔法陣が現れ、そこからぶぅんと黒いうねりが飛び出した。殺人蜂である。これにとりかこまれるくらいなら吸血蠅のほうがはるかに可愛いと言わざるを得ない。なにせ、その名の通り殺人蜂だ。殺傷能力が異様に高い。
黒い固まりを目にしたセイラが悲鳴を上げた。
「きゃあああああああああああああ!」
「お嬢様!」
男爵令嬢であるセイラ付の侍女が慌てるも、流石に殺人蜂相手では分が悪すぎる。
「セイラ!」
「いやああああああ! 助けてぇ!」
森の中へと逃げ出したセイラの後をクリフが追う。セイラ付の侍女は二の足を踏み、その場で待機だ。どうしようもない。ジョージアナがぽつりと言う。
「今の……」
「さあな、俺は無関係だ」
ブラッドがきっぱり言い切り、ジョージアナが叫ぶ。
「うそつけぇえ! 真顔でしれっと言い切るな! しれっと! 虚空に魔法陣を描いたのお前だろ! 鬼人を呼び寄せた時と同じじゃないか! さらっとあんなもんを召喚しやが……あ、召喚ってことはあの殺人蜂、お前が操ってるんだよな? おい、大丈夫なのか? あれ?」
「大丈夫にゃ? ブラッドはレイチェルを悲しませることはしないにゃ? ちゃんと手加減するはずにゃ? 多分……」
自信なさげにニーナがにゃははと笑う。
その後、這々の体で野宿の場所へ戻ってきた二人は、気絶するようにばたんと倒れた。吸血蠅に格好の獲物にされたのだろう、顔も腕も刺されまくってぷっぷくぷうである。刺されまくった顔など腫れあがって見る影もない。
「これ……」
二人の姿を見下ろしたジョージアナの顔が引きつった。
「大丈夫にゃ? 一週間くらい痛い痛い痒い痒いになるだけにゃ?」
「なるだけって……ま、まぁ、王都につけば薬があるだろうけど……」
その間は痛みと痒みで七転八倒だ。ちょっとばかり気の毒そうな視線を、ジョージアナは気絶している二人に向けた。
「大丈夫、大丈夫よ、お姉ちゃんがいるから!」
魔獣に襲われた商隊は全滅しかかっていた。のんびりした街道沿いの旅の筈が、どうやら危険な荷を積んでいたようで、それが魔物の群れをおびき寄せたようである。魔物が好む香料……そんな事とは露知らず、ぞんざいな扱いで運んだために、魔狼達を引き寄せてしまったらしい。
「お嬢様、こっちへ!」
護衛の一人が泣き叫ぶ姉弟を背に庇えば、巨大な魔狼が大口を開けて襲いかかってきた。咄嗟に剣を向けるも弾かれてしまう。魔狼が再度跳躍し、護衛の男が死を覚悟したまさにその瞬間、一陣の風が吹き、「丁度いい」そんな声を聞いた気がした。黒い霧と赤い煌めきが視界をよぎったかと思うと、魔狼の首が消失していた。
護衛の男はあんぐりと口を開けてしまう。
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ヴァンパイア……護衛の男はそう呟いた。
けれど、日はまだ沈んでいない……
困惑気味に、頭上に輝く太陽に目を向ける。
その間にも事態は刻々と変化していた。ふっとかの姿が揺らいで消え、赤い煌めきが走り、別の魔狼の首が消失する。血がしたたり落ちる頭部を掲げ、美貌の男は血をすすった。その繰り返しだ。他の護衛達もその光景に気が付き、剣を手にしたまま呆然と立ち尽くす。
恐ろしくも不思議な光景だった。
ひやりとした怖気を感じるのに、黒髪に赤い瞳の美しい男から目が離せない。血を飲む仕草が、妙に艶めかしいからかもしれない。魔性の色気を感じる。気が付けば、魔狼達は全て姿を消していた。生き残った魔狼達は、森の奥へ逃げ帰ったのだろう。
こちらが全滅する寸前だったのに……
姉弟を背に庇った護衛は、その場にへたり込んだ。助かった安堵感に浸りながら。
◇◇◇
半刻ほどでブラッドは帰ってきた。
一見痩せ過ぎなように見える肢体だが、必要な筋肉で覆われているので、こうして見るとしなやかで美しい。彼が地上に降り立てば、ばさりと打ち振った翼がすうっと消える。角も魔文様も同時に消え、こうなるともう、普通の美貌の青年である。闇の空気をまとわりつかせながらも、血の色をした唇に笑みを乗せれば、妖しい魅力で人を惹きつける。
クリフはその姿に顔をしかめた。何故かと言うと……
「素敵ね……」
セイラがそんなことを言い始めたからだ。
「ねぇ、凄いと思わない? 魔王討伐隊の勇者とヴァンパイアがここに揃うなんて! 王城には大魔法士様がいまだに健在だし、あとは大聖女よね? ね? もしかして私かしら?」
そう言いながら、セイラの視線がブラッドに向く。
セイラの眼差しは熱っぽく、頬が赤い……
クリフはやはり面白くなかった。
なんであんな奴をそんなに褒めるんだよ。確かに容姿が激変したけど、あの肖像画に似てるってだけで、ブラッドの野郎はあの英雄じゃない。そこまでうっとりしなくてもいいだろと思う。
ちらりと見ると、十七、八才の美麗な若者がそこにいた。
肌は抜けるように白くて、すらりと背が高い。闇色の髪はつややかで、赤い瞳はぞくりとするほど美しく、顔立ちは女性のように柔らかく艶やかだ。それでいて影のある雰囲気が、さらに神秘性を煽ってやまない。
クリフはぎゅうっと拳を堅く握る。
あいつはヴァンパイアだ。その上、死人のように不気味な外見だから、絶対女に相手にされない、そう思っていたのに……セイラが態度をころっと変えたものだからたまらない。もしかして、あいつの方が良くなったか? クリフはそんな風に勘ぐってしまう。
「……セイラは俺が好きなんだよな?」
「え? ええ、もちろんそうよ?」
ふわりと笑う顔はいつものものだ。黒髪の美少女は、自分を好きだと言う。
そうだよ、な……いくら容姿端麗でも化け物だし……
ブラッドは鬼人のイライアスにかかえられたレイチェルのところへ直行だ。レイチェルの寝顔に視線を注ぐ、ブラッドのなんとも言えない優しい眼差しに、クリフは苛立ちを募らせる。
「にしても、あんた、容姿激変したわね」
エイミーがそう言い、ブラッドの姿をじろじろと眺める。
「そうか?」
ブラッドが自身の黒髪をかき上げる。そんな何気ない仕草ですら見惚れそうだ。
「いや、そうかって……あんたって、ほんっと容姿を気にしないの?」
「……魔界の判断基準は力だからな。力があれば、たとえ首なしでもモテるぞ?」
「そ、そう……」
何て言って良いのか分かららず、エイミーは口を閉じる。
「満腹か?」
ジョージアナが問う。
「一応な……けど、やっぱり人間がいい」
口に合わなかったとブラッドが言う。それを聞いた猫獣人のニーナの耳がぴんっと立った。
「ならあちしが……」
「血を提供してくれるのなら、献血パックにしてくれ」
すかさずブラッドが言葉を遮った。
「ヴァンパイア・キスで、首にがっぷりのほうが新鮮でいいにゃ?」
「……レイチェルがいるから駄目だ」
ブラッドがそう告げ、ふいっと横を向く。
「レイチェルがいるとなんで駄目にゃ?」
ジョージアナがぱんっと猫娘の頭をはたく。
「ヴァンパイア・キスは求愛行為だからだよ。疑似性交って言えば分かるか? 他の女となんて不味いって。浮気と一緒。あ、そうだ。だったらいっそ、普通に噛み付いてもらうか? 魔獣に噛み付かれたような感じで痛いと思うけど、それでじゅるじゅるじゅると……」
きししとジョージアナが笑い、ブラッドが顔を曇らせた。
「……それやると、痛がって暴れるのを押さえ込まなくちゃならないから、傷が酷くなるぞ? 下手すりゃ、肉を食いちぎっちまう」
ニーナのピンクの獣毛がぞぞぞと逆立った。
「い、嫌にゃー、痛いのは嫌にゃー! 遠慮するにゃー!」
ニーナが涙目でふるふる首を横に振った。
その夜、こんこんと眠っているレイチェルを、まるで幼子のように膝上に乗せ、抱きしめているブラッドに、クリフは腹が立ってしょうがなかった。眠っているレイチェルの頭は、当然ブラッドの胸にもたれかかっている。
恋人でもないくせに、なんだよあれは……
「レイチェルはいつ目を覚ますんだ?」
「明日の朝」
クリフの問いに、つっけんどんにブラッドが答える。ブラッドの手がレイチェルの白金の髪をさらりとすく。その仕草もまた気に入らない。
「だったら、寝袋に寝かせてやれよ。そんな体勢で寝ているとレイチェルが疲れる」
「嫌だね」
「お前な!」
「吸血蠅の羽音がうるさい」
ブラッドの台詞にクリフは眉をひそめた。
「吸血蠅?」
「ああ、周辺を先程からぶんぶん飛び回っている。レイチェルが起きていれば結界を張ったんだろうが……吸血蠅の群れは数が膨大で、焼き払っても焼け石に水だ。襲ってくるのを弾く方がいい」
ジョージアナがはははと笑う。
「……つまり、ブラッドはレイチェルだけそうやって避難させてるってわけか」
ニーナはピンク色の耳をぴんっと立て、ジョージアナにすり寄った。
「ジョーとエイミーは、あちしと一緒に寝るといいにゃ? 風の結界を張れば吸血蠅はそれで弾けるにゃ? 安心にゃー」
にゃにゃっとニーナが請け負う。クリフが不安げに身を乗り出した。
「あのさ、俺達、は?」
「結界大きくすると疲れるから嫌にゃー」
猫娘はにべもない。突き放されたクリフは目を剥いた。
「おおい!」
「大丈夫にゃ! 吸血蠅に刺されても痛がゆくて、体がちょっと腫れ腫れになるだけにゃ? 死なないにゃ? 一週間くらい痛い痛い痒い痒いになるだけにゃー」
「全然大丈夫じゃねぇええええええ! そ、そうだ、セイラ、結界張ってくれよ!」
セイラはふるふる首を横に振る。出来ないと口にする。
「だって、君、聖女候補だろう?」
「私は予言者だもの」
「予言者?」
「そうよ。予言の巫女なの。未来を予知する能力に特化しているから、神聖魔法は使えないのよ」
「そ、そんなぁ! あ、だったら御者は? 吸血蠅よけの薬持ってるよな?」
「へえ、それはもう」
御者の男が頷く。王都への定期便を出している御者は必須の品だ。
「俺にも分けてくれ!」
「まぁ、いいですけど、ね……以前臭いから嫌だと言っていましたが、いいんですか?」
「いいんだよ。あの時はレイチェルがいたから必要なかっただけで……」
「ああ、彼女の結界で事なきを得たんでしたね。今回は駄目だったようで、ご愁傷さまです」
御者がはははと笑う。セイラがそろりとブラッドに近寄った。
「あ、あのう……王都まで私の護衛もしてもらえないかしら? お金は父が払うわ? あなたがほしいだけ、ね、どうかしら?」
「セイラ?」
クリフが非難するも、セイラが拗ねたように口を尖らせる。
「だって……吸血蠅に刺されるの嫌なんだもの。クリフはあれを追い払えるの?」
「薬があるって!」
「臭いから嫌よ。吸血蠅避けの薬をつけると、三日間は何やっても匂いが取れないのよ? 帰ったら夜会に出る予定なのに冗談じゃないわ」
こうなるともう、黙るしかない。不満げな顔のクリフを尻目に、セイラは甘えるようにブラッドの腕に自分の手を添えようとするも、パンと見えない何かに弾かれた。見えない手に叩かれた感じで、手がじんじんするが、彼は動いていない。
面食らったセイラは、自分の手と彼を交互に見るも、剣呑な光を宿した赤い瞳に睨まれ、セイラがびくりと身をすくませる。
「触んな、このくそ女」
ブラッドがそう吐き捨てる。敵意がむき出した。
◇◇◇
セイラは二の句が継げなかった。ブラッドに冷たくされて、ショックを受けている自分がいる。まさか、彼からこんな扱いを受けるとは思ってもみなかった。
だって、私は美少女だもの。それも、とびきりの……
自分が甘えれば、優しくされるものとばかり思い込んでいた。前世ではそう、いつだって選ばれるのは美しい女だったから。美人は得よね、ちょっと甘えればちやほやしてもらえるんだから、かつての自分はやっかみ混じりに何度そう言っただろう。
だから自信があった。
その美しい女になったのだから、言い寄れば、どんな男も絶対落ちるって……
ブラッドの腕に抱かれているレイチェルが視界に入り、かぁっと頭に血が上った。
「な、なんなのよ! そんな女のどこがいいのよ! 取るに足らない田舎娘じゃないの!」
セイラは思わずそう叫ぶ。
ブラッドは態度を変えていない。急に冷たくなったわけではなく、初めからこうだったのに、セイラはこうした彼の態度を受け入れられなかった。自分が手に入らないものを、今まで見下していた女が手にしているというだけで許せない気持ちになる。
そうよ、私の方がずっとずっとあなたにふさわしいわ!
途端、虚空にキィンと魔法陣が現れ、そこからぶぅんと黒いうねりが飛び出した。殺人蜂である。これにとりかこまれるくらいなら吸血蠅のほうがはるかに可愛いと言わざるを得ない。なにせ、その名の通り殺人蜂だ。殺傷能力が異様に高い。
黒い固まりを目にしたセイラが悲鳴を上げた。
「きゃあああああああああああああ!」
「お嬢様!」
男爵令嬢であるセイラ付の侍女が慌てるも、流石に殺人蜂相手では分が悪すぎる。
「セイラ!」
「いやああああああ! 助けてぇ!」
森の中へと逃げ出したセイラの後をクリフが追う。セイラ付の侍女は二の足を踏み、その場で待機だ。どうしようもない。ジョージアナがぽつりと言う。
「今の……」
「さあな、俺は無関係だ」
ブラッドがきっぱり言い切り、ジョージアナが叫ぶ。
「うそつけぇえ! 真顔でしれっと言い切るな! しれっと! 虚空に魔法陣を描いたのお前だろ! 鬼人を呼び寄せた時と同じじゃないか! さらっとあんなもんを召喚しやが……あ、召喚ってことはあの殺人蜂、お前が操ってるんだよな? おい、大丈夫なのか? あれ?」
「大丈夫にゃ? ブラッドはレイチェルを悲しませることはしないにゃ? ちゃんと手加減するはずにゃ? 多分……」
自信なさげにニーナがにゃははと笑う。
その後、這々の体で野宿の場所へ戻ってきた二人は、気絶するようにばたんと倒れた。吸血蠅に格好の獲物にされたのだろう、顔も腕も刺されまくってぷっぷくぷうである。刺されまくった顔など腫れあがって見る影もない。
「これ……」
二人の姿を見下ろしたジョージアナの顔が引きつった。
「大丈夫にゃ? 一週間くらい痛い痛い痒い痒いになるだけにゃ?」
「なるだけって……ま、まぁ、王都につけば薬があるだろうけど……」
その間は痛みと痒みで七転八倒だ。ちょっとばかり気の毒そうな視線を、ジョージアナは気絶している二人に向けた。
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