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本編

第九話 好きになってくれてありがとう

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 レイチェルはソファに座り、パンを口にするブラッドをじっと眺めた。
 黒髪は艶がなくパサパサで、唇も同様だ。ヴァンパイアなのに、血を口に出来ないからだろう。顔は頬骨が浮き出るほど痩せこけて、なんとも痛々しい。手も、そうよね? 大きくても節くれ立っているのは限界まで痩せているせい。彼は本当にあちこち骨張っている。

 顔に今一度視線を戻せば、赤い瞳が目に入った。
 じっと見つめれば、キラキラと輝いているようにも見える。ブラッドの赤い瞳は魔性だけれど、レイチェルは彼の目が好きだった。血のように赤くて禍々しいけれど、彼が自分に向ける眼差しはいつだって優しい。

 見つめられると、本当はちょっとだけドキドキする瞬間もあったのだけれど……
 レイチェルは自分の手元に視線を落とす。
 気のせいだと思っていた。だって、自分にとって彼は優しいお兄さん、だったから。

 ――俺がレイチェルを好きだから。

 そんな言葉を思い出して、頬が熱くなる。
 彼は一体、自分のどこを気に入ってくれたのだろう? 血が美味しそうに見えたからかしら?
 レイチェルは今一度、ブラッドを見やった。

 パンは相変わらずすすり泣いている。しくしくしく、ぎゃああああ! 死ぬ死ぬ死ぬ……もの凄く賑やかだ。自分で作っておいてなんだが、心臓に悪いパンだと思う。
 レイチェルはブラッドにそろりと聞いてみた。

「ブラッドさん」
「ん?」
「私の、その、どこが好き、ですか?」
「……どこだろう?」

 ブラッドにそう返されて、レイチェルは困惑する。
 いえ、それ、私が聞いているんですけれど……

「きっとレイチェルが可愛かったからにゃ? お洒落した姿にメロメロにゃ?」

 ニーナが無邪気に、にゃにゃっと口を挟み、ブラッドが天井を振り仰ぐ。

「まぁ、可愛いは可愛いけれど……」
「違うにゃ?」
「俺はレイチェルなら、どんな容姿でも可愛いって思っちまうから、そこじゃない」

 ニーナの猫耳がぴんっと立った。

「にゃー! それ凄いにゃー!」
「デビルは大抵そうだぞ?」
「にゃ?」
「魂を直で見るから、肉体は入れ物って感覚が強いんで、容姿ってあんまり関係ないっていうか……人間みたいに外見の美醜だけで惹かれるってのはまぁ、ない。美人を見れば、それなりにああ綺麗だな、とは思うけど、ただそれだけ。どうだ? コップが立派だけど、中身が美味しくないジュースを飲みたいって思うか?」
「それは、まぁ……」
「何を好むかは個体ごとに違うけど……自分と似たような魂を好むものもいれば、その逆がいいというものもいる。手が届かないような崇高なものに手を出す奴もいる。俺は……俺はなんだろう?」

 ブラッドが言葉を句切り、考え込んだ。

「そうだな、最初は好きって感覚がよく分からなくて……。そもそも俺は人を好きになったことがない。君の事がなんとなく気になったって感じかな? 気になってしょうがなくて、なんとなく足が向く……そうそう、そんな風だった。毎日花を持って……あ、ここはいい。君は覚えていない部分だから」

 パン屋に足繁く通った時の事、かしら?
 昔を思い出しているらしいブラッドに、レイチェルはじっと視線を注ぐ。
 村の守護者、無害なヴァンパイア……
 ブラッドは村の人達からそう言われているけれど、彼の赤い目はやっぱり魔性である。自分は聖印の乙女だからそれが分かってしまう。彼は無害なんかじゃない、分かってはいるけれど、でも優しい、そう思ってしまうのは、彼の行動がそうだったから。
 ブラッドが言う。

「君の事がどうしても気になってしょうがない、これがもう、惹かれてたってことなんだろうな。君は良く笑う子だった。心臓が悪くて、ほんの少し動いただけで息切れがするのに……」

 レイチェルは目をパチパチさせた。

「私、健康ですよ?」
「そう、今はな?」

 ブラッドが意味ありげに笑う、というか、寂しげ? 違う……嬉しいのかな?

「そう、笑うんだ。風が気持ちいいと言っては笑い、水が冷たいと言っては笑い、太陽が温かいと言って笑う。風が心地良いのも、水が冷たいのも、太陽が温かいのもあたりまえだろって、俺はそう思うけれど、君に取っては当たり前の事が当たり前じゃないみたいで……」

 レイチェルはつい、首を捻ってしまった。
 私、そんなこと言ったかしら?

「君は生きている事が嬉しくてしょうがないみたいだった」
「ええっと……ええ、そうですね? 生まれて良かったと思いますよ?」
「俺も嬉しいよ。君が生まれてくれて」

 真っ直ぐ見つめられて、やっぱり恥ずかしい。彼の視線を避けるように下を向いてしまう。

「俺は生きてるってことに感動したことがない」

 ええぇ!

「そうなんですか?」
「だって、不老不死だもんな。生きてて当たり前?」

 あ、そうか……

「デビルはみんなそうだよ。滅多に死なない。だから死ぬって感覚がどっか希薄で……。封印されても切り刻まれてもいつかは復活するし。ああ、でも、厳密には人間もそうだけどな?」

 え?

「ほら、魂は輪廻転生を繰り返すから、生と死を繰り返しながらも永遠の時を刻んでいる。ただ、いつどこで生まれるか分からないし、記憶もなくなるから、本当は死んで欲しくない。死は消滅ではないけれど、お別れなんだよ。再び会えたとしても、相手は覚えていない。同じ笑顔は返してもらえない。初めましてなんて言われると、もう……ああ、今のは聞き流してくれていいよ。君にそんな顔をさせたいわけじゃないから」

 ブラッドが待ったをかける。

「なんだろうな? 君が生きる喜びを全身で表現するからなのか、君と一緒にいる時だけ、その感覚を共有できるっていうか、俺は生きてることを嬉しいって思うんだ」
「生きている事が嬉しい……」

 レイチェルが繰り返すと、ブラッドが微かに笑った。

「そう、君と一緒にいると、特別な時間を生きている気がするんだ。君が笑うように笑える。生きる喜びを感じられる。単なる錯覚なのかもしれないけれど、俺はそれが嬉しくて仕方がない。それが多分、君を好きになった理由なんじゃないかな? それで必死になって君を追い求めて、今ここにこうしている」

 そこでレイチェルははたと気が付く。
 あ、そうか……何だか深刻そうな話で、つい自分の質問を忘れてしまっていたけれど……どこが好きかと聞いたから、ブラッドさんは一生懸命考えて、答えてくれたんだ。

 ブラッドさんは死ぬって感覚が希薄で、生に対する喜びが薄いけれど、私はその逆で、生を謳歌しているように見える。それが眩しい。だから、私が好き。傍にいたい。私と一緒なら、自分もまた生きることが嬉しいと思えるから……
 ちょ、これ、誰のことって言いたくなるけれど、私、なのよね? 駄目だ、もの凄く照れくさい。これだとまるで女神様に祭り上げられたかのよう……

「いえ、あの……何て言うか、ありがとうございます?」
「何故、疑問形?」

 苦笑されちゃった。そ、そうよね……

「褒めすぎかなって……なんか自分のことじゃないみたいに聞こえたから。でも、嬉しいです、そこまで好きになってくれてありがとう」

 レイチェルが照れ臭げに笑った。


◇◇◇


 ブラッドはその姿を見て思う。
 ありがとう、じゃなくて、自分を好きだと言ってもらえるのはいつなのか、と……
 でも、前世よりはましか、そんな風にも思う。レイチェルが好きで好きでひっついて回っていたのに、自分の気持ちに気が付かず、大切だったと分かったのは君が死んでからだもんな。告白すら出来なかった。あああ、情けねぇ……

 ――結婚してくれ!

 そして、出会った途端の第一声がこれで、レイチェルに逃げられた。間抜けもいいとこだ。
 ブラッドは大きく息を吐き出し、手にしたコーヒーを口にするも、その香りを堪能することなく、血が飲みたい、そんなことを考えた。
 ヴァンパイアだもんな、俺は……
 やっぱり血が一番のご馳走だ。

 ふっと、レイチェルの白い首筋に目が行った。ヴァンパイアの本能が刺激され、噛み付きたい衝動にかられたが、ふいっと視線を逸らした。無意味だと分かっているから。血を口にしたってどうせ吐いてしまう。口から漏れ出るのは、どうしたってため息だ。

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