骸骨殿下の婚約者

白乃いちじく

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第四章 真実と虚構の狭間

第七十九話

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「流石、世に名高い大魔女だ。本当、感心するよ」
「それは、どうも?」
 アロイスの賞賛にスカーレットがそう答える。
「美人だしな?」
「皆に言われる」
「老婆だと聞いたが」
「あー、半分はね」
「姿を偽っているのか?」
「どっちも本当のあたしだよ」
「ほう? どちらも本当、ね」
 アロイスが喉の奥で笑う。
「……呪いの依頼を頼めるか?」
「あたしは高いよ?」
「相応の報酬は払う」
「まぁ、いいけどさ。あんた自分でやりたいんじゃないのか?」
「注文通りの呪いが欲しいだけだ。つまり、助手ってことだ」
「あたしを顎でこき使う気なら、代金は通常の倍だ」
「……助手で高くなるのか?」
「あたりまえだろ? 大魔女のプライドがある。人に使われるなんざゴメンだよ。あたしは自分のやりたいようにやる。それが嫌なら代金を上乗せするこった」
「なら、通常の三倍払おう」
「随分気前が良いな?」
「それだけお前の腕は魅力的だ」
 アロイスはそう答えて、にやりと笑った。
 客室から出て、城の廊下を歩いていたアロイスは、ふと、中庭に通じる階段の前で足を止める。歌声? 夜空に瞬く星……アイリスも好んで歌っていた。
 ――お兄様の事を言っているみたい。
 そう言って妹は笑った。キラキラと夜空で瞬く星々は、地上を去った善良なる人々の魂が、空に昇ったからなのだと歌は語る。神に愛でられた美しい魂が夜空に昇り、その輝きで地上を照らすのだと。今の自分からはほど遠い。
 木漏れ日を浴びて、歌を披露していたのは例の妃殿下だった。
 ベアトリス・サ・ラ・ウィスティリア。
 その姿に目を細めてしまう。
 際だって美しいというわけではなかったが、妙に神々しく感じるのは気のせいだろうか? 輝く光が彼女を取り巻いているようにも見える。流れる艶やかな長い黒髪を風がもてあそび、笑う姿はかくも愛らしい。
 近づくのは止めた方が良いだろう、アロイスはそう判断し、足を止めた。
 それにしても、護衛の数が一気に増えたなと、アロイスはそう思う。
 自分のせいなのだろうが、彼女を取り囲んでいるのは、手練れの護衛騎士が六名に魔術師が二人、そして侍女三名……これらがぞろぞろ彼女の後をついて回るのか。あの王太子はどこまで過保護なのかと、つい苦笑が漏れる。まぁ、もしアイリスが生きていたのなら、自分も同じようにしてしまうのかもしれないが……。
 ――僕が君になっていたかもって、そう思った。
 ふと、王太子のそんな言葉を思い出し、不思議な感慨を覚えた。あの男は何故あんな言葉を口にしたのか、いくら考えても理解出来そうにない。
 けれど、あれで心を動かされたのは事実だ。今考えれば、随分と大胆な賭に出たものだとそう思う。敵の言葉を信じ、切り札を渡すなど、今までの自分では到底考えられない愚かな行動だ。あの時の己の選択が、今でも笑えて仕方が無い。もし裏切られていたら、どうするつもりだったのか、と。
「何かご用でしょうか?」
 険悪な声にはっとなれば、例のモリーという侍女が眼前に迫り、アロイスを睨み付けていた。完全に敵と認定されたようである。敵意むき出しだ。
 アロイスはいつものように愛想良く笑って、それを受け流す。
「いえ、何でもありません。直ぐに立ち去りますので、どうかご容赦を」
 今までに身につけた処世術は、こんな風にどんな時でも発揮される。そう、親の仇の前でも笑ってみせるだろう。アイリスの仇の前でさえも……。
 アロイスの微笑みの奥に、危険な色が浮かんで消える。殺意の猛毒をそうやって隠すのだ。そう、笑ってみせるとも。あのノエル皇子を地獄のどん底に叩き落とすまでは。誇りの全てを剥ぎ取り、必ず処刑台へと送ってやる。恥辱にまみれた形で!
「そうですか。でしたら、お帰りはあちらです」
 そう言って、目の前の侍女が出口を指し示す。アロイスは苦笑した。
 主人に忠実なのはいいが、これは問題だな、とアロイスはそう考える。こんな風に敵意をむき出しにすれば、軋轢の元だ。それが功を奏する場合もあるが、主人を困った立場に追い込むこともある。侍女ならば、そこら辺をきっちり弁えた方がいい。
「侍女に最も必要なものはなんでしょうね?」
 そう言って注意を促した。
「はあ?」
「忠誠心はあたりまえですが、主人の立場を慮ることも必要ですよ? 私はこれでもルドラス帝国の第二皇子です。不興を買えば、攻撃されるのはあなたではなく、あなたの主人ということになります。そうなっても構わないと、あなたはそう思っているのでしょうか?」
 アロイスがそう告げると、目の前の侍女が目に見えてオロオロし始める。よほど主人を好いているのだろう、何ともまぁ分かりやすい。アロイスは吹き出さないよう注意しつつ、
「冗談です」
 そう告げた。
「はへ?」
「あなたがあまりにも可愛らしいので揶揄いました」
 そう言うと、ぽかんとした後に、モリーという侍女は顔を真っ赤にさせて、
「さ、さっさと帰って下さい! あ、あなたのように不謹慎な方は……」
「あの、モリー?」
 そう声をかけてきたのは、ベアトリス妃殿下だった。アロイスは舌打ちが漏れそうになる。まずいな。彼女に接近すれば、おそらくあの王太子が、今度こそ容赦しないだろう。そうそうに立ち去った方が良い、そう考えるも、
「ご一緒にいかがですか?」
 王太子妃がそんなことを言い出して、困惑させられた。
「歌が気に入ったのでしたら、是非どうぞ」
 そう言われてしまう。
「……聞いていませんか?」
「何をでしょう?」
「私はあなたの誘拐を企てました。この国の王太子との取引で、こうして無罪放免という扱いを受けていますが、実際の所、犯罪者ということになります」
「ええ、知っています。大丈夫ですよ。是非どうぞ」
 ベアトリス妃殿下がそう言って笑う。
「妃殿下、そちらの方は……」
 何か言いかけた護衛騎士の言葉を妃殿下はあえて手で制し、椅子を勧められる。アロイスは迷ったものの、結局受け入れた。知っていてこれなら、仕方が無い、か。
「あなたに届くといいのですけれど……」
 そんな意味不明な言葉を、ベアトリス妃殿下に投げかけられた。
 自分を見つめる黒い瞳は真っ直ぐで、やはり困惑させられる。自分の笑顔を怖いと言っていたはずだが、一体どういう心境の変化だろう? どうにも居心地が悪い。
 だがそれでも、耳にした歌声は素晴らしく、懐かしいものだった。
 どこか子供っぽさが残っているせいだろうか、妹アイリスの面影と、ベアトリス妃殿下の姿が重なって見えてしまう。
 ――お兄様の事を言っているみたい。
 そんなアイリスの声が今にも聞こえてきそうで……。
 あれから九年、九年の年月が流れた。そうだ、もし生きていれば同じ年……奇しくもベアトリス妃殿下と同じ年だ。もし妹が生きていたとしたら、目の前の彼女のようになっていたかもしれない。気が付けば、あふれる思いがアロイスの頬を伝い降りた。
 周囲の息をのむ空気が伝わってくる。
 だが、かまうものか。どうせ今この時だけだ。あの頃に帰れるのは、今この場だけ。明日になれば、いつもの自分に戻る。自分を欺き、他を欺き、飄々と世の中を渡り歩く、そんな自分へと戻るのだから。

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