骸骨殿下の婚約者

白乃いちじく

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第四章 真実と虚構の狭間

第七十一話

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「ああ、あいつ? さあ?」
 ノエル皇子は興味もなさそうにそう言った。
 オスカーがたたみかける。
「あの魔術師は君の護衛でしょう? どうして一緒に行動しないの?」
「さあね。あんなのに始終つきまとわれたら、うっとうしくて敵わない。気にしなくていい。その内戻ってくるよ」
 オスカーの表情は変わらない。
「そう。なら彼が戻ってくるまで、この僕と一緒にいてね? 逃がさないから」
「どういうこと?」
「そのまんま。意味が分からないなら、それでもいいよ。大人しくしてて。精々あのアロイス・フォレストが、何か仕出かさないよう祈るんだね。命が惜しかったら」
 笑っているけれど、猛烈な怒りを感じさせて、ノエルの背にぞくりとした悪寒が走った。何だよ、いきなり……ノエル皇子が感じた率直な感想である。
 つい先程までは愛想が良かった。何を言っても受け流していたはずなのに、この変化は一体何なんだ? 再び歩き出したオスカーの背に、ノエルは怪訝そうな視線を送る。罵倒されたわけではなかったけれど、何か人が変わったようで落ち着かない。同一人物か、これ? そう思ってしまうほどだ。
「……あのへぼが何か仕出かしても僕のせいじゃないからな?」
 ノエル皇子は、ようようそんな事を口にする。オスカーは答えない。歩く速度は変わらず、無言のままだ。それが返って不気味で、
「おい、何とか言ったらどうなんだよ? 急に態度が変わって……」
 そう叫べば、オスカーの杖が突きつけられ、
「煩い、黙れ!」
 そんな罵声が飛び、ががが! っという、耳をつんざくような破壊音が、直ぐ傍で立て続けに響く。仰天したノエル皇子が目にしたのは、大理石の床に突き刺さった槍、槍、槍だった。まるで針山のように周囲に槍が乱立している。
「ひっ!」
 ノエル皇子が引きつった声を上げる。付き従っていた側近達も慌てたようで、そこここで悲鳴が上がった。な、何だ、これ? こんなもの一体どこから……。ごくりと生唾を飲み込む。こんなものが体に刺さればひとたまりも無い。魔術は弾いても、体が鉄で出来ているわけではないのだから。
 もしかして、これが降ってきた? ノエルが上を見上げても、装飾の施された高い天井がそこにあるだけだ。周囲に人影はない。
「な、何だよ、これ!」
 ノエル皇子がそう叫べば、
「さあね。誰かが手を滑らせたんじゃない?」
 オスカーがしれっとそう言い切った。
「手が滑って、こんな風に槍がふってくるなんてありえな……」
「だったら、君に殺意をもった誰かがいるって事だよ。いいから黙ってて。君の甲高い声イライラする。気色悪いったらないよ、この腐れ野郎」
 豹変としかいいようがなく、オスカーの暴言にノエルは目を剥いた。先程までの穏やかさがかき消え、これでは敵意むき出した。
 あっけにとられて何も言えず、次いで意味を理解し、顔を赤黒くして怒鳴った。
「どういう言い草……」
「その柳みたいに細い体も、なよっちい女顔も気色悪い」
 オスカーの台詞に、ぴたりとノエルの動きが止まった。気色悪い?
 ノエル皇子がそろりとオスカーの顔を見返せば、彼の険悪な眼差しとぶつかった。それはまるで汚物でも見るような侮蔑に満ちた眼差しで、人間離れした彼の美貌と相まって、まるで美を司る神に軽蔑されたかのように見える。
「それを鏡で見るってどんだけ? 自虐趣味も極まれりだね。いたぶられて喜ぶタイプ? この変態のくず野郎。精々女の足に踏まれて、喜んでれば良いよ、この「ピー」の「ピー」の「ピー」野郎」
 口をぱくぱくさせるノエル皇子に向かって、オスカーがさらにたたみかける。
「その見るに堪えない顔、晒すの止めてよね。厚顔無恥にも程がある。ああ、そう言えば君は、その悪趣味な顔がご自慢なんだっけ? お幸せで結構だけど、嘲笑って言葉知ってる? その空っぽな頭に少しはまともな思考を詰め込んだらどうなの」
 見るに堪えない顔……悪趣味……嘲笑……空っぽな頭……呆然としたノエルの脳裏に、そんな言葉がリフレインする。
「さっさと国へ帰れ、この痛い勘違い野郎」
 それが、とどめだった。ノエルは膝から崩れ落ち、一歩も歩けそうにない。他の誰かに言われたのなら一蹴しただろう。やっかみだとせせら笑ったに違いない。しかし、至高の美の持ち主にけなされると、こうも効くものなのか……。
「気色悪い……見るに堪えない顔……痛い勘違い野郎……」
 床に膝を突いたままノエルがぶつぶつとそう呟く。完全な放心状態だ。
「あ、あのう……皇子?」
 側近の一人が肩を揺すっても反応しない。気色悪い、見るに堪えない顔、痛い勘違い野郎と、ぶつぶつと呟くだけだ。
「何であんたがノエル皇子を叩きのめしてるんだよ?」
 そう文句を口にしたのはスカーレットだった。どうやらノエル皇子をつけ回していたらしい。打ちひしがれたノエル皇子を見下ろしつつ言った。
「あーあ、もしかして、せっかく作ったこれが無駄になっちまったか? あんたの罵倒って逐一核心を突くからたまらないんだよな。人の心を抉るのが上手すぎる」
 スカーレットは手にした小瓶をちゃぽちゃぽ振った。反応を示さないオスカーに怪訝そうな視線を向ける。
「オスカー殿下?」
「……夕闇の魔女、そいつを見張ってて」
「え?」
 やおら駆け出したオスカーの背に向かって怒鳴った。
「ちょ、おい!」
「絶対逃がさないで! 逃げるようなら、そいつの翼もいで構わないから!」
「いきなり何怖いこと言ってんだよ? こいつらの翼をもぐってことがどういうことか分かって……ちょ、おーい、一体どうした?」
 スカーレットの疑問に答えることもなく、走って行くオスカーの背が、廊下の向こうに消えた。

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