骸骨殿下の婚約者

白乃いちじく

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番外編 白亜の城の王子様

第十九話 エメット編 番外編最終話

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 写光画は動かない。だから気付かなかったけれど、こうして実物を見ると、こちらのほうが数段魅力的だ。そう感じたら、さらに怖くなった。彼に過去の自分の態度をいつなじられるか、侮蔑の眼差しを向けられるか、始終びくびくした。
 醜い。彼にだったらそう言われても僕は言い返せない。
 夜会に出席し、遠くからでも目立つ彼の容姿に視線を注ぐ。夜会に出席した貴族達が、入れ替わり立ち替わり彼の所へ挨拶へ行った。オスカー殿下の対応は完璧で、所作の一つ一つまでもが美しい。僕、僕はどうだった? こんな風に堂々としていただろうか? 何もかも自信がなくなっていて、どうしても卑屈になってしまう。
 そんな思いに囚われていたからだろう、エレーヌがオスカー殿下の所へ行ったのにも気が付かなかった。周囲がざわついて、初めて彼女の行動に気が付いたという有様だった。まさか正面から堂々と求婚するとは考えていなかった。
 慌てて彼女の行動を止めた。
「オスカー殿下はもう結婚しているんだよ。何度もそう言ったじゃないか」
 そう言ってエレーヌをたしなめたけれど、分かってくれたのかどうか自信は無い。
 立ち去り際、
「君も大変だね。彼女のお守りを押しつけられて」
 オスカー殿下にそう言われ、僕は心底びっくりした。
 エレーヌほど素晴らしい人はいないのに、お守りってどういうことだろう? 手のかかる子供、まるでそう言いたげだ。エレーヌに結婚の申し込みをされて嬉しくなかったの? ちらりと横手にいる王太子妃に視線を走らせる。
 確かに可愛いけど、エレーヌほどじゃない。どうみたってエレーヌの方が美しい。なのにオスカー殿下はやっぱり迷惑そう。もしかしてエレーヌの事が好きじゃない? 僕だったら喜んで彼女の手を取るのに、どうしてだろう?
「え? いえ、その……それほどでは……」
 戸惑いながらも、そう答えるしかなかった。
 だって、違う、なんて言うわけにもいかない。僕の考えとオスカー殿下の考えが違うんだろうって事くらいはわかるもの。
 そう言えば、兄上もエレーヌに対して似たような態度をとっていなかった? 今更だけど……。もしかして、もしかしたら兄上もエレーヌの事は好きじゃなかった? ああ、そうかも。そうだよ、散々こき下ろされてきたんだから、そりゃあ好きになるはずもない。そんなことにすら僕は気が付かなかったのか……。
 美しいから……美しいエレーヌは誰にでも愛される、そう思ってしまっていたんだ。だから勝手に兄上はエレーヌに気があるものとばかり思っていた。僕と結婚することになってさぞ悔しいだろう、なんて見当違いもいいとこだったのかも……。
 その後も僕はずっとオスカー殿下の顔色をうかがっていたけれど、僕の過去の態度をなじる様子は微塵もなく、彼の物腰は相変わらず丁寧で柔らかい。優しいと感じるくらいだ。
「薬草園の案内は今回研究員がやるけど、欲しい物があったら交渉してくれて構わないから」
 そう言って笑ってくれる。こうしてオスカー殿下に微笑まれると、やっぱり戸惑ってしまうくらい綺麗で……男なんだけど、男だって分かっているけれど、どうしても見惚れてしまう。エレーヌよりも綺麗な人がいるなんて、本当に信じられなかった。
 なのに、どうして彼はこうも変わらないのか……。
 僕に対しても、周囲の人間に対しても、彼の振る舞いは記憶にある通りで、全く変わっていない。彼はいつだって愛想が良くて、こんな風に親切で……もしかして忘れてる? ふっとそんな事を思った。ああ、気付いていなかったのかも……そう思ったら、途端に気が楽になった。
 エメットはほっと胸をなで下ろす。
 なあんだ、心配する必要なんて無かったんだ。彼は僕の意地悪な態度にも気が付いていなかったってことだ。僕が国王になっても、これなら上手くやっていけるだろう。あの時はそう思っていたのに……。
 エレーヌがウィスティリアの王太子と王太子妃に薬を盛るなんて馬鹿な真似をしてくれて、国交断絶の危機に直面する羽目となった。本当に何でこんな事になったんだろう。いくら考えても分からない。
「兄上、申し訳ありませんでした」
 帰りの馬車で、迎えに来てくれた兄上にそう謝罪したけれど。
「処罰は覚悟しろ」
 そう言われてしまい、僕は目を剥いた。
「賠償金はもう支払ったのでしょう?」
 そうだよ、もう事件は解決したのに何で! そう思うも、兄上の仏頂面は崩れない。
「金はどこから取り立てたと思っている」
 兄上にそう言われてしまう。
「どこから、って……」
「どこからか降って湧いたとでも思ったか? お前の後ろ盾となっていた貴族達から取り立てたんだ。お前に力を貸していた貴族達は、今回の件で大きく力をそがれたぞ? 勢力図がこの先大きく入れ替わるだろう。結果、どうなるか予想もつかないのか?」
「わかりま、せん……」
「廃太子の可能性もある。覚悟しておけ」
 仰天した。そんなの納得がいかない!
「どうして! 僕は何もやっていない!」
 そうだよ、何にもしていない! やったのはエレーヌだ! なのにどうしてこの僕が責任を取らされるの! そう思ったけれど、
「何もしていないから問題なんだ!」
 兄上が馬車の扉を力任せに叩き、身をすくませた。見るとドアがへこんでいる。ぎょっとなった。兄上が力任せに叩いたのは分かったけれど、でも、こんな風に叩いただけで、鉄製のドアがへこむ、もの? ごくりと生唾を飲み込んだ。
 怖々見上げれば、兄上はまなじりをつり上げて怒鳴った。
「エレーヌが夜会で何をしたか、お前は見ていなかったのか? その場にいたお前がなんてざまだ! ウィスティリアの王太子に向かって何と言った! 結婚の申し込み? 正気の沙汰じゃない! あれはお前の婚約者だぞ? そしてお前は王太子! 次期国王! 国の代表がこのざまか! 国の恥さらしめ! その場で国へ送り返すべきだった! あの非常識娘をとっとと国へ返さなかったお前の失態だ!」
 エメットは愕然となる。エレーヌを国へ……そんな事は思いつきもしなかった。僕はただ、問題なく、そつなく過ごせれば良いと思っていただけで……思っていただけで、そう、何もしていなかった事に思い当たる。何もしなかった、何も手を打たなかった、その結果がこれ……。
 兄上がため息をついたような気がした。
「……問題は起こってからでは遅いんだ。起こる前に食い止める。上に立つ者には、そういった配慮が必要なんだ。どうしてそれくらいの事が分からない」
 苛立たしげにそう言われ、うなだれるしかなかった。
 その後、兄上の宣言通り、僕は廃太子となった。もう、王座は継げないって事だ。でも、これでよかったのかもしれない。寂しいようなほっとしたような妙な気分だ。兄上のような采配を振るう自信は無かったから。あんな風な判断はとても出来そうにない。
  ――あなたは特別なのよ。
 母上が言う。
  ――お前こそが次期国王に相応しい。
 父上がそう言った。
  ――あなたは美しいわ。わたくしの夫に相応しいわね。
 エレーヌが僕をそう賞賛する。
 けれど、あれは本当の事だったのか、今となっては疑問だ。
 だって、周囲の者達が褒め称えるのはいつだって兄上だ。
 確かに貴婦人達の視線は僕に集まるけれど、王家を支える貴族達の信頼は兄上に注がれている。真っ先に駆けつけるのは、決まって兄上の所だ。顔だけ王太子……そうかもしれない。僕が兄上に勝てていたのはこの容姿だけ、そんな気がする。いろんな人の意見に踊らされて、真実が見えていなかっただけなのではと、今ではそう思う。
「兄上、チェスをやりませんか?」
 そう、僕はこれですら勝てたことがない。兄上の部屋に置いてあったチェス盤に目を付け、それを手に僕が近寄れば、奇妙な顔をされてしまった。
「……気が変わったのか?」
 え?
「もう私とはやらないと啖呵を切ったじゃないか。ずるをするからと」
 あ、そうだ。僕が兄上に勝てないのは、きっとずるをしているからよと、そう言ったエレーヌの言葉を真に受けて……。僕は何て馬鹿なことを言ったんだろう。
 僕が口ごもると、
「まあ、いい。やりたいのなら相手をしてやる」
 テーブルの前に腰掛けた兄上に習い、自分も真向かいに座る。
「……怒っていないんですか?」
 怖々そう問えば、
「子供の悪口くらいで目くじらを立てるものか」
 ばっさり切って捨てられた。本当に自分は子供だったのだと思い知らされる。
 チェスをしつつ、
「兄上は本当に強いですよね」
「オスカーのおかげだ」
 そんな兄上の台詞に思わず顔を上げてしまう。
「彼がずっと私の対戦相手だった。彼がいたからこその私だな」
 呪いが解ける前の彼ってどんなだったろう? エメットはそんな事を考える。
 始終にこにこしていた顔しか思い出せない。オスカー殿下が怒ったのを目にしたのは、謁見の間でエレーヌを咎めたあの時が初めてで……いや、よそう。あれは思い出したくもない。今でも冷や汗が出る。
「少し、変わったなお前」
 兄上の呟きに、再び僕は顔を上げる。
「険がとれた。私の顔を見ても嫌な顔をしない」
 びくりとなった。兄上は気が付いていたんだ。僕の侮蔑の眼差しに。だったら、もしかして……。そう、もしかしたら、ウィスティリアのあの王太子もまた、僕の侮蔑の視線に気が付いていたのでは、という気がしてしまう。気が付いていながら見逃してくれた、そんな気がしてならない。
「あ、その……思うところがありまして……」
「思うところ、ね……」
 冷や冷やだった。けれど、兄上はそれ以上追求せず、
「人が一番美しいと感じる瞬間ってどこだろうな?」
 そんな謎めいた言葉を口にした。つい首を傾げてしまう。
「一番美しい、ですか?」
「そうだ」
 エレーヌみたいな人を指して言っているのではない、ということだけは分かるけれど、どういった答えを望んでいるのか分からず、エメットは口ごもる。
「どん底に落ちた人間が、そこから這い上がろうとしている時かもしれない」
 兄上の呟きに眉をひそめてしまう。
「それが美しい? みっともないような気がしますけど」
「そうだな。忘れてくれ」
 兄上はそう言って口を閉じた。
 けれど、夕日に照らし出された兄上の顔がやけに印象深くて、
「……美しいとは言いがたい気がしますけど」
 そう前置きをして言い添えた。
「でも、気になりますよね、兄上のその台詞。どうしてでしょう? 忘れがたい言葉です」
 僕がそう言うと、
「ああ、そうだな。私もそうだった」
 そう言って兄上が笑った。その顔を僕はこの先ずっと忘れないかもしれない。

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