骸骨殿下の婚約者

白乃いちじく

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第三章 御伽の国のお姫様

第四十六話

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 まさか、オスカー自身からそんな反論をされるとは夢にも思わず、エレーヌは二の句が継げない。しかもベアトリスを自分の方へ引き寄せて、キスまでするという溺愛ぶりである。どうみても仲睦まじい夫婦の姿だ。
「え、まぁ、そうですわ、ね……」
 困惑を隠せず、エレーヌはふいっと視線をそらした。
 どういうことなのだろう? エレーヌはそう自問自答した。どうしてオスカーが妃殿下を愛するようなふりをするのか分からない。もしかして彼は、自分に焼き餅を焼かせようと、こんな真似をしているのだろうか? きっと、そうだ。そうに違いない。でなければ辻褄が合わないもの。
 エレーヌは気を取り直すように視線を上げ、
「あの、オスカー……」
「これに見覚えある?」
 エレーヌの台詞を遮るようにして、オスカーが差し出したのは砂糖壺だ。花柄で可愛らしい女性が好むデザインだが、エレーヌに見覚えはなかった。彼女が首を横に振れば、
「そう。やったのは侍女だから、そうなのかもね。なら、これは?」
 次いで目にした小瓶に、エレーヌは目を見張った。例の魔法薬が入った小瓶ではないか。何故これが彼の手にあるのか……。
 視線を彼に向ければ、オスカーは相変わらす笑っていて、
「見覚えあるみたいだね? 悪いけど、君の荷物から失敬させてもらったよ?」
 小瓶をかざしながらそう言った。
「これも記憶障害を起こさせる薬だね? 十年分の記憶が綺麗に消えるから、子供時代に逆戻りだ。何故こんなものを王太子妃に飲ませようとしたのか、教えてくれる?」
「そ、それはその……」
 エレーヌは手をもじもじさせ、
「焼き餅を焼いたからよ」
 正直にそう答えた。オスカーは眉をひそめるしかない。
「焼き餅?」
 オスカーの眼差しは冷たかったが、エレーヌは彼と自分との温度差に気が付かない。恋する乙女の眼差しで、熱弁を振るった。
「ええ、そうよ。妃殿下はわたくしの知らないあなたを知っている。それが許せなかったの。だから記憶を消そうと思ったの。あなたをわたくしだけものにしたかったのよ」
 どう? あなたを愛しているからそうしたのよ。嬉しいでしょう? エレーヌはそう考え、口元に微笑みを浮かべた。きっと彼は感激するはず、そう確信して。
 ――本来ならあなたのものになるはずだったものを、あなたの恋敵が所有している。許せないのではありませんか? だったら、そう、その記憶を全て消してしまえば良い。この薬で子供時代に帰ってもらうんです。
 そう言ったのは市井で出会ったあの魔術師だったけれど、エレーヌ自身もまたその考えに賛同したことは確かだ。そうだ、自分の知らない彼をあの女が知っている。許せない、確かにそう考えた。
 エレーヌの返答に、オスカーが嘆息する。
「焼き餅、ね。なら、質問を変えようか。この薬を君に都合したのは誰?」
 エレーヌは言葉に詰まった。
 それだけは言えなかった。もし、言えばどうなるか……。
 ――代償として若さをいただきますよ。この私の事を誰かに話せばね。
 薬を都合してくれたあの魔術師は、確かにそう言った。自分が顔を引きつらせると、あの美しい男は何てことはないというように笑ったものだ。整った顔立ちは鋭利で、浮かべる微笑みは蕩けるように甘い。
 ――ああ、大丈夫ですよ。約束を違えなければ良いだけですから。簡単でしょう? この私の事を誰にも話さなければいい。ただそれだけで……。
 ただそれだけで、あなたの思い人はあなたのものになる。
 あの魔術師は耳元でそう囁いた。甘い媚薬のように。言葉が巧みで、危険は全くないのだと、あの時はそう思った。オスカーが自分のものになる未来を思い浮かべ、酔いしれた。そう思わされただけかもしれないけれど……。
 どうすればいい? どうすれば……。エレーヌは目をぎゅっと瞑った。言えない。だって、言えば、最も大切なものが失われる。
 あんな醜い姿になどなりたくない。
 そう、老婆はエレーヌが最も忌み嫌うものだ。
 自分の世話係としてやってきた老婆のあの醜い姿を嫌悪し、早々に城から追い出した。あの皺だらけの醜い手で触れられると考えただけでぞっとする。我慢できなかった。立ち去る老婆の背に向かって、さっさと死ねば良いのに、自分はそう罵倒した。
 老婆はこの世で最も醜く汚らわしい生き物だ。そうだ、あんな者に生きる価値などない。どうして誰も何も言わないのか。知恵者? くだらない。美しくなければ生きる価値などないのだから。惨めったらしく死ねばいい。
「エレーヌ、正直に言うんだ!」
 割って入ったのはエメットだった。
「この国の王太子と王太子妃に薬を盛るなんて、一体何て真似をしてくれたんだ! 君が仕出かしたことは重罪だよ? 断頭台に送られたって文句は言えないんだからね?」
「だ、断頭台?」
 ぎょっとしたようにエレーヌが言う。
「そうだよ! 王太子と王太子妃暗殺未遂! そういう扱いになるんだから!」
「ま、待って、エメット! わたくしはオスカー殿下を殺すつもりなど毛頭……」
「じゃあ、どんなつもりだったんだ!」
 エメットに睨み付けられ、ようようエレーヌは言った。
「妻になりたかったんです……オスカー殿下の……」
 エレーヌの告白に、周囲がざわめいた。
「その、聞いて下さい。わたくしが混入した薬は、毒などではありません。このわたくしが愛する者をどうして傷つけたりしましょうか。あれはオスカー殿下から妻の記憶を……妃殿下の記憶を奪うだけのものです。決して彼の命を奪うものではありません。あの女、いえ、妃殿下の記憶がなくなれば、彼はわたくしを妻として迎え入れてくれると、そう思ったんです」
 周囲のざわめきはさらに大きくなり、
「すると、王家の乗っ取りを企んだというわけですな?」
 重臣の一人が苦々しい口調でそう言った。
「陛下、これは由々しき事態ですぞ」
「我が国に対する侮辱ですな」
「確かに。宣戦布告にも等しい行為だ」
「見過ごせませんな。早速クリムト王国に抗議いたしましょう」
「開戦も視野に入れて……」
 重臣達のざわめきを耳にしたエレーヌは焦った。
 そんなつもりは毛頭無かったからだ。単純にオスカーと愛し愛される関係になりたかった、本当にただそれだけだ。けれども、そうした自分の行為を政治的にとらえればどう見えるのか、今初めて理解したエレーヌは、声高に弁明した。
「ち、違います! わたくしは、ただただオスカー殿下をお慕いしただけです!」
 周囲の視線がエレーヌに集中する。
「王家の乗っ取りを企むなど、そんな滅相な事を考えたことは、ただの一度もございません! 本当に彼と愛し愛される夫婦になりたかった、ただそれだけでございます!」
 冷たい視線が浴びせられる中、エレーヌは言った。
「だって、だって、彼に相応しいのはわたくしでしょう?」
 必死に取り繕う。
「そんな平々凡々な女が愛されるわけがありませんもの! きっと仕方なく結婚したに決まってます。わたくしはそれを正そうとしただけです! オスカー殿下を救って差し上げたかった、ただそれだけですわ! 愛する者同士が結婚するのが、一番の幸福ですもの! このわたくしと結婚した方が、ずっとずっと幸せになります!」
「ふうん? どうしてそう思ったの?」
 オスカーにそう問われ、エレーヌは口ごもる。
「どうして、って……だって、どう見ても……」
「僕は君が嫌いだよ?」
 オスカーに笑いながらそう言われ、エレーヌは愕然となった。ありえない現実を目にして、思考が止まったような気がする。こんな言葉は一度も聞いたことがない。

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