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番外編 王子殿下の思い人
第四話
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「あの剣術大会があった日、君、体調を崩して寝込んでいただろ? 君を診察して薬を調合したのが兄上だから。どう? 思い出せない?」
そう言えば……熱が中々引かなくて、見覚えのないお医者様が、深夜にいらっしゃったような……。これといって特徴の無い凡庸な顔立ちの男性だったような気がする。あれが王太子様? 写光画で目にした姿とは似ても似つかない。
――よかった、熱は下がったみたいだね?
目を覚ますと、ベッドの脇にいた男性が立ち上がる。どうやら明け方まで傍にいてくれたようで驚いてしまった。
――あの、ずっとここに?
――うん、そう。君を診察してくれって陛下に頼まれたんだ。この国の医者では治せなかったみたいだから、僕が呼ばれたの。具合はどう? 喉渇いてない?
そう言って笑った顔もあまり印象に残っていない。ただ、酷くほっとしたような感覚を覚えている。眼にした男性の醸し出す雰囲気が、とても温かかったから。
傍に控えていた侍女に水を持ってきてもらい、喉を潤していると、
――君は癒やしの姫君だよね? もしかして医療院に通ってる?
そんな風に問われた。
――え? は、はい。時々……。
クラリスは頷くも、自分に付けられたご大層な渾名に身が縮む思いだった。
癒やしの姫君と言っても、自分に出来るのは、単に痛みを取る事だけ。決して治癒しているわけではないのだから、こんな渾名は重いだけだった。単なる気休め程度の魔法である。それでも喜んでもらえた時は嬉しいのだけれど……。
――医療院から帰ってきた日に、こうやって熱を出すこと、結構あるんじゃない?
見透かしたようなお医者様の物言いに、クラリスはどきりとなる。
――今度からね、浄化魔法を使える神官か巫女を頼るといいよ。
意味が分からず顔を上げると、穏やかに笑うお医者様と目が合った。
――君ね、痛みを取り除く時、患者から毒素をもらってるの。それが蓄積するとこんな風に熱を出すんだ。だから解熱剤を使っても、毒素が抜けきるまで熱は下がらないってわけ。死ぬほど、じゃないけど……こう毎度毎度だと、しんどいでしょ? 医療院からの帰りに浄化魔法をかけてもらえば、もう熱を出すこともないよ。
聞いた事実にクラリスは驚いた。熱を出すのは、体が弱いからだと思っていたのに、見立て違いだったのだ。
お医者様が立ち上がり、書棚の前に立つ。
――君、本が好きなの?
お医者様が、そう気軽に声をかけられたけど、侍女が彼の態度をたしなめた。
――あなたが先程から相手になさっているのは、我が国の王女様です。もう少し態度を改めて頂きたいですわ。
医者風情が馴れ馴れしい、言外にそう含ませて侍女が言い切った。彼女は幼少の頃から勤め上げてくれていた侍女なので、融通が利かないのだ。
年若いお医者様は、特に気にした風もなく言った。
――ああ、それは申し訳なかったね。僕はいつもこんな調子だから、つい、ね。
彼が向き直って、優雅な貴族の礼をしてくれた。それが実に様になっていて美しく、そこだけは印象に残っている。
――王女殿下、数々の非礼をお詫びします。申し訳ありませんでした。
――あ、いえ、そんな……。
随分とお世話になったのだから、これくらい良いではないかと、クラリスはそう思ってしまう。彼は再び笑って、
――熱は下がったようですので、僕はここで失礼させて頂きますね、王女殿下。
退出しかけ、扉の前で立ち止まる。
――ああ、そうそう。そこの書棚にある「魔術大全」ね。どこで手に入れましたか?
再びどきりとしてしまう。市井に下った時に手に入れたものだ。
どこの誰が書き記したのかはっきりせず、どことなく胡散臭い書物だったものの、内容が面白くて、つい興味本位で手に取ってしまったのだ。「恋の秘薬」などという怪しげな薬の作り方まで載っているので、作るつもりはなくても、何となく後ろめたい。お父様に知られたら、きっと叱られてしまう。
――これは処分した方が良いですよ?
お医者様がそう言った。危険だと言う。
――あまり良い物じゃない。素人がいたずらに禁じ手に踏み込んだ記述もあって、鵜呑みにすると危ないですから。まぁ、王女殿下のような異能持ちの場合だと、術自体が発動しないので、さほど影響はないのでしょうが、一応念のため。それでは、お大事に。
お医者様が扉の向こうへ姿を消すと、
――やれば出来るんじゃありませんの。
そう呆けたように侍女が言った。やっぱり彼女も所作が綺麗だと思ったのだろう。あれは上級貴族の立ち振る舞いだ、と。きっと名のあるお医者様に違いない。
と、そこまで思い出したクラリスは、ひっと喉を詰まらせた。大国ウィスティリアの王太子に謝罪させたという事実に思い当たったのだ。
「ど、どうしたんだ?」
ふらりと倒れそうになったクラリスをビンセントが支えた。
そう言えば……熱が中々引かなくて、見覚えのないお医者様が、深夜にいらっしゃったような……。これといって特徴の無い凡庸な顔立ちの男性だったような気がする。あれが王太子様? 写光画で目にした姿とは似ても似つかない。
――よかった、熱は下がったみたいだね?
目を覚ますと、ベッドの脇にいた男性が立ち上がる。どうやら明け方まで傍にいてくれたようで驚いてしまった。
――あの、ずっとここに?
――うん、そう。君を診察してくれって陛下に頼まれたんだ。この国の医者では治せなかったみたいだから、僕が呼ばれたの。具合はどう? 喉渇いてない?
そう言って笑った顔もあまり印象に残っていない。ただ、酷くほっとしたような感覚を覚えている。眼にした男性の醸し出す雰囲気が、とても温かかったから。
傍に控えていた侍女に水を持ってきてもらい、喉を潤していると、
――君は癒やしの姫君だよね? もしかして医療院に通ってる?
そんな風に問われた。
――え? は、はい。時々……。
クラリスは頷くも、自分に付けられたご大層な渾名に身が縮む思いだった。
癒やしの姫君と言っても、自分に出来るのは、単に痛みを取る事だけ。決して治癒しているわけではないのだから、こんな渾名は重いだけだった。単なる気休め程度の魔法である。それでも喜んでもらえた時は嬉しいのだけれど……。
――医療院から帰ってきた日に、こうやって熱を出すこと、結構あるんじゃない?
見透かしたようなお医者様の物言いに、クラリスはどきりとなる。
――今度からね、浄化魔法を使える神官か巫女を頼るといいよ。
意味が分からず顔を上げると、穏やかに笑うお医者様と目が合った。
――君ね、痛みを取り除く時、患者から毒素をもらってるの。それが蓄積するとこんな風に熱を出すんだ。だから解熱剤を使っても、毒素が抜けきるまで熱は下がらないってわけ。死ぬほど、じゃないけど……こう毎度毎度だと、しんどいでしょ? 医療院からの帰りに浄化魔法をかけてもらえば、もう熱を出すこともないよ。
聞いた事実にクラリスは驚いた。熱を出すのは、体が弱いからだと思っていたのに、見立て違いだったのだ。
お医者様が立ち上がり、書棚の前に立つ。
――君、本が好きなの?
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――あなたが先程から相手になさっているのは、我が国の王女様です。もう少し態度を改めて頂きたいですわ。
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年若いお医者様は、特に気にした風もなく言った。
――ああ、それは申し訳なかったね。僕はいつもこんな調子だから、つい、ね。
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――熱は下がったようですので、僕はここで失礼させて頂きますね、王女殿下。
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――ああ、そうそう。そこの書棚にある「魔術大全」ね。どこで手に入れましたか?
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どこの誰が書き記したのかはっきりせず、どことなく胡散臭い書物だったものの、内容が面白くて、つい興味本位で手に取ってしまったのだ。「恋の秘薬」などという怪しげな薬の作り方まで載っているので、作るつもりはなくても、何となく後ろめたい。お父様に知られたら、きっと叱られてしまう。
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「ど、どうしたんだ?」
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