30 / 121
番外編 王子殿下の思い人
第二話
しおりを挟む
退出しかけたクラリスに、アニエスが笑いながら言った。
「そうそう、お姉様、あなたにも縁談が来ているわよ?」
クラリスが足を止め、振り返れば、
「近く、お父様からお話があると思うけど、相手は誰だと思う?」
心底嬉しそうなアニエスの口調に首を傾げてしまう。一体何がそんなに嬉しいのだろう? アニエスが自分をあざ笑っているなどと思いたくはなかったけれど、そう見えてしまうほど、今の自分の心はゆがんでいるのだろうか? アニエスの笑顔の端々に、意地悪そうな色も見え隠れしていて、クラリスはどう反応すれば良いのかわからなかった。
アニエスが赤い唇をゆがめて笑う。
花のように美しい微笑みだと、いつも思っていたけれど、今は酷く毒々しい。やはり、どこかゆがんでいるのだろう。打ちのめされて、疲れているのかもしれない。出来れば早くこの場を立ち去りたかったけれど、アニエスがそれを許してはくれなかった。会話がそのまま続く。
「ウィスティリアの王太子様との縁談よ。嬉しいでしょう? お姉様は未来の王太子妃ってわけね」
ウィスティリアの王太子様……そう言えば、まだ結婚していないと聞く。お年は確か、二十代半ば、だったかしら? けど、ウィスティリアは大国だ。しかも魔術王国と言われるほど、魔術に長けた国でもある。きっと縁談が殺到しているに違いない。サビニアのような小国を相手にするだろうか?
「……無理じゃないかしら。相手にされないと思うわ」
クラリスがそう言えば、アニエスが鼻で笑った。
「嫌だ、何言ってるの。ほぼ確定よ。内々で話が進んでいるらしいわ」
部屋を出る直前に、お姉様にはぴったりのお相手よ、そうアニエスが言っていたけれど、その意味を理解したのは、ずっと後だった。ウィスティリアの王太子様がどんな方なのか気になって、後日、父親に問えば、
「ウィスティリアの王太子様かい? それはもう素晴らしい方だよ」
父親が破顔する。どうやら父王は彼と面識があるらしい。
「とにかく良い方でね、慈悲深く温厚で、国民からも慕われている。ただ、見た目がその、少々とっつきにくいかもしれないけど、ね」
父親の奥歯に物の挟まったような言い方に、クラリスは首を傾げてしまった。見た目が怖いのかとそう問えば、父王は言いにくそうに言った。
「怖い、というか、不気味、なんだろうな……。根暗殿下、とか、そうそう、幽霊殿下なんて渾名もついてたっけ……」
幽霊殿下? 失礼にも程がある渾名のような気が。
クラリスが眉をひそめれば、それに気が付いた父王が、慌てたように言い添える。
「あ、いや、だから! クラリス、万が一にも、そういった事を本人を前にして言ってはいけないよ? 本当に良い方なんだから……。我が国が流行病に苦しんだ時も、真っ先に治癒術士を派遣して下さったのもあの方だし、稀代の魔術師としてこれまた尊敬されてる。彼の花嫁になる人は幸せだね」
父親の顔から心底そう思っていることがうかがえる。
きっと、本当にいい人なのだろう。
「彼の容姿は分かりますか?」
クラリスがそう問えば、付いてきなさいと言う。彼の姿を映した写光画があるらしい。
高価な調度品に囲まれた豪奢な父王の部屋で手渡された写光画を見て、クラリスは成る程と納得してしまっていた。確かに不気味である。
目にした黒髪の男性は背が高く痩せていて、落ちくぼんだ目は淀んで暗く、顔色も悪い。これで暗闇にでも立たれて、にやりと笑われれば、幽霊だと叫んで逃げ出す人の姿が容易に想像できてしまう。
陰気な私にはお似合いだと、アニエスはそう皮肉ったわけだ。
「この方がわたくしの婚約者になるのですか?」
クラリスがそう問うと、
「誰がそんな事を言った?」
父王は目を丸くした。
「アニエスですが……違いましたか?」
父王が首を横に振る。
「残念ながら、違う。こちらとしても、最初はそちらをと希望したのだが……どうやら婚約者がいるようでね、断られてしまったんだ。代わりに、次男のビンセント殿との縁談が来ているから、そちらを進めようかと思っている。夜会で顔合わせをさせてから、言おうと思っていたのだが、どこから漏れたのやら……」
「……お断りすることは出来ますか?」
一応聞いてみるも、ぶったまげられた。
「気に入らないのか? まだ会ってもいないのに……」
そういうわけではなかった。単純に振られたばかりなので、ほんの少し我が儘を口にしただけである。申し分けございません、お父様。クラリスは心の中で謝った。
「大国ウィスティリアの第二王子だぞ? しかもこちらは相当な色男だ。ほら、見てみろ。これで気に入らないなどと言う娘がいるとは思えん」
もう一つの写光画を手渡され、そこには先程とは全く違う、魅力的な男性の姿が映し出されていた。金髪碧眼の精悍な顔立ちの若者だ。剣を身につけ正装した姿は、優美で凜々しい。確かに熱を上げる女性は多そうだとクラリスは思った。
手渡された写光画にじっと見入っていると、
「どうだ? ハンサムだろう?」
父王がにやにやと笑う。
「評判も良いぞ? 縁談が殺到しているらしいが、なに、お前が気に入れば話を進める予定だ」
「……あちらが気に入らなかったら、どうなるのでしょう?」
「何だ、そんな事を気にしているのか? 心配はいらない。お前は十分魅力的な娘だよ。アニエスとお前の両方を顔合わせの場に連れて行こうと思っていたのだが、アニエスは婚約してしまったので、お前で決まりだな」
父王がそう言うと、再びクラリスの心は沈んだ。どうしてもディオン様の事を思い出してしまうからだ。もし自分が順当にディオン様と婚約していれば、顔合わせの場には妹のアニエスが行くことになっていたのだろう。
妹と立場が入れ替わったのだという事に気が付く。
クラリスはため息をついた。写光画で目にしたビンセント様は、とても魅力的な男性だったけれど、今のクラリスにはどうしても喜べそうになかった。
「そうそう、お姉様、あなたにも縁談が来ているわよ?」
クラリスが足を止め、振り返れば、
「近く、お父様からお話があると思うけど、相手は誰だと思う?」
心底嬉しそうなアニエスの口調に首を傾げてしまう。一体何がそんなに嬉しいのだろう? アニエスが自分をあざ笑っているなどと思いたくはなかったけれど、そう見えてしまうほど、今の自分の心はゆがんでいるのだろうか? アニエスの笑顔の端々に、意地悪そうな色も見え隠れしていて、クラリスはどう反応すれば良いのかわからなかった。
アニエスが赤い唇をゆがめて笑う。
花のように美しい微笑みだと、いつも思っていたけれど、今は酷く毒々しい。やはり、どこかゆがんでいるのだろう。打ちのめされて、疲れているのかもしれない。出来れば早くこの場を立ち去りたかったけれど、アニエスがそれを許してはくれなかった。会話がそのまま続く。
「ウィスティリアの王太子様との縁談よ。嬉しいでしょう? お姉様は未来の王太子妃ってわけね」
ウィスティリアの王太子様……そう言えば、まだ結婚していないと聞く。お年は確か、二十代半ば、だったかしら? けど、ウィスティリアは大国だ。しかも魔術王国と言われるほど、魔術に長けた国でもある。きっと縁談が殺到しているに違いない。サビニアのような小国を相手にするだろうか?
「……無理じゃないかしら。相手にされないと思うわ」
クラリスがそう言えば、アニエスが鼻で笑った。
「嫌だ、何言ってるの。ほぼ確定よ。内々で話が進んでいるらしいわ」
部屋を出る直前に、お姉様にはぴったりのお相手よ、そうアニエスが言っていたけれど、その意味を理解したのは、ずっと後だった。ウィスティリアの王太子様がどんな方なのか気になって、後日、父親に問えば、
「ウィスティリアの王太子様かい? それはもう素晴らしい方だよ」
父親が破顔する。どうやら父王は彼と面識があるらしい。
「とにかく良い方でね、慈悲深く温厚で、国民からも慕われている。ただ、見た目がその、少々とっつきにくいかもしれないけど、ね」
父親の奥歯に物の挟まったような言い方に、クラリスは首を傾げてしまった。見た目が怖いのかとそう問えば、父王は言いにくそうに言った。
「怖い、というか、不気味、なんだろうな……。根暗殿下、とか、そうそう、幽霊殿下なんて渾名もついてたっけ……」
幽霊殿下? 失礼にも程がある渾名のような気が。
クラリスが眉をひそめれば、それに気が付いた父王が、慌てたように言い添える。
「あ、いや、だから! クラリス、万が一にも、そういった事を本人を前にして言ってはいけないよ? 本当に良い方なんだから……。我が国が流行病に苦しんだ時も、真っ先に治癒術士を派遣して下さったのもあの方だし、稀代の魔術師としてこれまた尊敬されてる。彼の花嫁になる人は幸せだね」
父親の顔から心底そう思っていることがうかがえる。
きっと、本当にいい人なのだろう。
「彼の容姿は分かりますか?」
クラリスがそう問えば、付いてきなさいと言う。彼の姿を映した写光画があるらしい。
高価な調度品に囲まれた豪奢な父王の部屋で手渡された写光画を見て、クラリスは成る程と納得してしまっていた。確かに不気味である。
目にした黒髪の男性は背が高く痩せていて、落ちくぼんだ目は淀んで暗く、顔色も悪い。これで暗闇にでも立たれて、にやりと笑われれば、幽霊だと叫んで逃げ出す人の姿が容易に想像できてしまう。
陰気な私にはお似合いだと、アニエスはそう皮肉ったわけだ。
「この方がわたくしの婚約者になるのですか?」
クラリスがそう問うと、
「誰がそんな事を言った?」
父王は目を丸くした。
「アニエスですが……違いましたか?」
父王が首を横に振る。
「残念ながら、違う。こちらとしても、最初はそちらをと希望したのだが……どうやら婚約者がいるようでね、断られてしまったんだ。代わりに、次男のビンセント殿との縁談が来ているから、そちらを進めようかと思っている。夜会で顔合わせをさせてから、言おうと思っていたのだが、どこから漏れたのやら……」
「……お断りすることは出来ますか?」
一応聞いてみるも、ぶったまげられた。
「気に入らないのか? まだ会ってもいないのに……」
そういうわけではなかった。単純に振られたばかりなので、ほんの少し我が儘を口にしただけである。申し分けございません、お父様。クラリスは心の中で謝った。
「大国ウィスティリアの第二王子だぞ? しかもこちらは相当な色男だ。ほら、見てみろ。これで気に入らないなどと言う娘がいるとは思えん」
もう一つの写光画を手渡され、そこには先程とは全く違う、魅力的な男性の姿が映し出されていた。金髪碧眼の精悍な顔立ちの若者だ。剣を身につけ正装した姿は、優美で凜々しい。確かに熱を上げる女性は多そうだとクラリスは思った。
手渡された写光画にじっと見入っていると、
「どうだ? ハンサムだろう?」
父王がにやにやと笑う。
「評判も良いぞ? 縁談が殺到しているらしいが、なに、お前が気に入れば話を進める予定だ」
「……あちらが気に入らなかったら、どうなるのでしょう?」
「何だ、そんな事を気にしているのか? 心配はいらない。お前は十分魅力的な娘だよ。アニエスとお前の両方を顔合わせの場に連れて行こうと思っていたのだが、アニエスは婚約してしまったので、お前で決まりだな」
父王がそう言うと、再びクラリスの心は沈んだ。どうしてもディオン様の事を思い出してしまうからだ。もし自分が順当にディオン様と婚約していれば、顔合わせの場には妹のアニエスが行くことになっていたのだろう。
妹と立場が入れ替わったのだという事に気が付く。
クラリスはため息をついた。写光画で目にしたビンセント様は、とても魅力的な男性だったけれど、今のクラリスにはどうしても喜べそうになかった。
15
お気に入りに追加
2,096
あなたにおすすめの小説
転生して捨てられたけど日々是好日だね。【二章・完】
ぼん@ぼおやっじ
ファンタジー
おなじみ異世界に転生した主人公の物語。
転生はデフォです。
でもなぜか神様に見込まれて魔法とか魔力とか失ってしまったリウ君の物語。
リウ君は幼児ですが魔力がないので馬鹿にされます。でも周りの大人たちにもいい人はいて、愛されて成長していきます。
しかしリウ君の暮らす村の近くには『タタリ』という恐ろしいものを封じた祠があたのです。
この話は第一部ということでそこまでは完結しています。
第一部ではリウ君は自力で成長し、戦う力を得ます。
そして…
リウ君のかっこいい活躍を見てください。
旦那の真実の愛の相手がやってきた。今まで邪魔をしてしまっていた妻はお祝いにリボンもおつけします
暖夢 由
恋愛
「キュリール様、私カダール様と心から愛し合っておりますの。
いつ子を身ごもってもおかしくはありません。いえ、お腹には既に育っているかもしれません。
子を身ごもってからでは遅いのです。
あんな素晴らしい男性、キュリール様が手放せないのも頷けますが、カダール様のことを想うならどうか潔く身を引いてカダール様の幸せを願ってあげてください」
伯爵家にいきなりやってきた女(ナリッタ)はそういった。
女は小説を読むかのように旦那とのなれそめから今までの話を話した。
妻であるキュリールは彼女の存在を今日まで知らなかった。
だから恥じた。
「こんなにもあの人のことを愛してくださる方がいるのにそれを阻んでいたなんて私はなんて野暮なのかしら。
本当に恥ずかしい…
私は潔く身を引くことにしますわ………」
そう言って女がサインした書類を神殿にもっていくことにする。
「私もあなたたちの真実の愛の前には敵いそうもないもの。
私は急ぎ神殿にこの書類を持っていくわ。
手続きが終わり次第、あの人にあなたの元へ向かうように伝えるわ。
そうだわ、私からお祝いとしていくつか宝石をプレゼントさせて頂きたいの。リボンもお付けしていいかしら。可愛らしいあなたととてもよく合うと思うの」
こうして一つの夫婦の姿が形を変えていく。
---------------------------------------------
※架空のお話です。
※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。
※現実世界とは異なりますのでご理解ください。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
またね。次ね。今度ね。聞き飽きました。お断りです。
朝山みどり
ファンタジー
ミシガン伯爵家のリリーは、いつも後回しにされていた。転んで怪我をしても、熱を出しても誰もなにもしてくれない。わたしは家族じゃないんだとリリーは思っていた。
婚約者こそいるけど、相手も自分と同じ境遇の侯爵家の二男。だから、リリーは彼と家族を作りたいと願っていた。
だけど、彼は妹のアナベルとの結婚を望み、婚約は解消された。
リリーは失望に負けずに自身の才能を武器に道を切り開いて行った。
「なろう」「カクヨム」に投稿しています。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
後宮の棘
香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。
☆完結しました☆
スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。
第13回ファンタジー大賞特別賞受賞!
ありがとうございました!!
絶対に間違えないから
mahiro
恋愛
あれは事故だった。
けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。
だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。
何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。
どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。
キャンプに行ったら異世界転移しましたが、最速で保護されました。
新条 カイ
恋愛
週末の休みを利用してキャンプ場に来た。一歩振り返ったら、周りの環境がガラッと変わって山の中に。車もキャンプ場の施設もないってなに!?クマ出現するし!?と、どうなることかと思いきや、最速でイケメンに保護されました、
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる