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番外編 王子殿下の思い人
第一話
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「お姉様、わたくし達、婚約したの」
クラリスは妹の台詞に唖然となった。
言われた意味が分からず、クラリスは応接室の椅子に腰掛けたまま、紅茶の入った白磁の陶器を手に微動だにしない。いや、陶器を手にした自分の手が微かに震えているのだから、微動だにしていないとは言いがたかったが。
「お祝いを言って下さらないの?」
悲しそうな口調で、妹にそう言われてしまう。
妹のアニエスの横には婚約者となったのであろう、ダーナ公爵家次男のディオン・ダーナが申し訳なさそうな瞳でこちらを見ている。
けれど、彼は自分の恋人で、求婚していたはずの人物だ。父王に許可を頂いてくると、つい先日、そう聞かされたばかりである。
だからてっきり、今回はその報告だと思っていたのだ。陛下から許可を頂いてきましたという彼の報告を耳に出来ると想像して、心を躍らせていた。それが何故? どうして妹のアニエスと婚約したのか、訳が分からない。
まさか父王から、妹と婚約しろとでも命令されたのだろうか? いろいろな憶測が頭の中を飛び交うも、どれ一つとして明確な形とはならなかった。思考が空回りしていると言った方が的確かもしれない。
アニエスがふわりと笑った。
美しく華のある妹……。
柔らかな茶色の髪をふんわりと肩に垂らし、化粧を施した顔は美しく、微笑む姿は花のように可憐だ。顔の作りは同じでも眼鏡をかけ、髪をきっちり結い上げた自分とは、見た目の印象がまるで違う。双子だけれど、異性が好意を寄せるのは、いつだって明るく社交性のあるアニエスの方だった。
「ごめんなさいね、お姉様。わたくし、自分の気持ちを偽れずに、彼に告白してしまったの」
申し訳なさそうにアニエスが言う。
「自分の気持ち?」
上の空でオウム返しのように繰り返した。
「ええ、ディオン様をお慕いしております、と」
クラリスはヒュッと息を飲む。でも、でも例えそうだとしても、二年もの間、自分達は愛を育んできたはずだ。何度も手紙のやりとりをし、気持ちを確かめ合った。なのに、彼の突然の心変わりが信じられない。
縋るように恋人であったディオン・ダーナに目を向ければ、
「申し訳ありません、クラリス王女殿下」
彼がそう言って謝罪する。いつになく緊張しているようで、その表情は硬い。
「あなたを好ましく感じていました。妻にすれば心安らぐだろうと。ですが……私はどうしてもアニエス王女殿下を忘れられなかった。彼女は私の初恋の人なのです」
頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
ディオン様が妹のアニエスを好きだったなどと、今初めて知ったのだ。妹ではなく、初めて自分を見てくれた人だと、そう思っていたのに……。彼もまた違ったのだ。明るく社交性のあるアニエスに、誰もが惹かれてしまう。自分はいつだって妹の引き立て役で……ああ、やっぱり彼も……。
すっかり冷たくなってしまった指先を何度もさすった。
優しい面立ちの彼は争いを好まないので、第一騎士団の副団長を任されていても、どこか頼りなく見えるところもあったが、クラリスはそんな彼を好いていた。優しい彼が好きだったのだ。なのに……。
ディオン様の言葉が続く。
「私は以前に一度、アニエス王女殿下に告白して、振られているんです。それが、今回は彼女の方から好きだと告白して下さって、それで……」
自分に求婚する筈の言葉を、そっくりそのままアニエスに置き換えて、父王に許可を求めたのだと、ディオン様はそう言った。申し訳ないと謝る元恋人に、この場合、何と言えばいいのだろう? 泣き叫べばいいのだろうか? 裏切り者と罵ればいいのだろうか? あいにくとそんな真似は、自分には出来そうになかったけれど……。だから、かわいげが無いと言われるのだと、ささやくような声を聞いた気がした。
かわいげが無い、愛想がない、何度そう言われただろう。
人付き合いが苦手で、どうしても妹のような笑顔が浮かべられない。社交性のあるアニエスと比べられ、陰気だと陰口をたたかれるたびに、人の眼が怖くなり、ますます人との交流が苦手になった。社交の場を嫌がり、書物の世界に逃げ込んだ結果がこれなのだろうか? そんな事をぼんやり思うも、既にどうしようもない。
「ディオン様、どうぞお幸せに……」
そう言うほか無く、クラリスはソファからふらりと立ち上がる。ぐらりと倒れそうになる自分を必死で支えた。これ以上ここにいたくなかった。幸せそうな二人を見るのが辛い。
双子なのに、どうしてこんなにも違うのか……。
こぼれ落ちそうになる涙を必死でこらえる。顔の作りは悪くないはずなのだ。双子なのだから、装えばそれなりに見られるはず……。けれども自分にはアニエスのような花がない。人目を引くような華やかさが、どうしても欠けている。
そこでふと思う。そう、顔の作りは同じなのだ。だとしたら、もしかしたらディオン様はアニエスの身代わりに自分を選んだのでは? そんな考えにクラリスはすうっと血の気が引いた。元々アニエスを好きだったというのなら、あり得ない話ではない。
そこまで考えて、クラリスはそれ以上考えることを止めた。妹の身代わりだったなんて惨めすぎると思ったのだ。それも、初めて自分を見てくれた男性だと浮かれていた相手がそうだったなんて、考えたくもなかった。
クラリスは妹の台詞に唖然となった。
言われた意味が分からず、クラリスは応接室の椅子に腰掛けたまま、紅茶の入った白磁の陶器を手に微動だにしない。いや、陶器を手にした自分の手が微かに震えているのだから、微動だにしていないとは言いがたかったが。
「お祝いを言って下さらないの?」
悲しそうな口調で、妹にそう言われてしまう。
妹のアニエスの横には婚約者となったのであろう、ダーナ公爵家次男のディオン・ダーナが申し訳なさそうな瞳でこちらを見ている。
けれど、彼は自分の恋人で、求婚していたはずの人物だ。父王に許可を頂いてくると、つい先日、そう聞かされたばかりである。
だからてっきり、今回はその報告だと思っていたのだ。陛下から許可を頂いてきましたという彼の報告を耳に出来ると想像して、心を躍らせていた。それが何故? どうして妹のアニエスと婚約したのか、訳が分からない。
まさか父王から、妹と婚約しろとでも命令されたのだろうか? いろいろな憶測が頭の中を飛び交うも、どれ一つとして明確な形とはならなかった。思考が空回りしていると言った方が的確かもしれない。
アニエスがふわりと笑った。
美しく華のある妹……。
柔らかな茶色の髪をふんわりと肩に垂らし、化粧を施した顔は美しく、微笑む姿は花のように可憐だ。顔の作りは同じでも眼鏡をかけ、髪をきっちり結い上げた自分とは、見た目の印象がまるで違う。双子だけれど、異性が好意を寄せるのは、いつだって明るく社交性のあるアニエスの方だった。
「ごめんなさいね、お姉様。わたくし、自分の気持ちを偽れずに、彼に告白してしまったの」
申し訳なさそうにアニエスが言う。
「自分の気持ち?」
上の空でオウム返しのように繰り返した。
「ええ、ディオン様をお慕いしております、と」
クラリスはヒュッと息を飲む。でも、でも例えそうだとしても、二年もの間、自分達は愛を育んできたはずだ。何度も手紙のやりとりをし、気持ちを確かめ合った。なのに、彼の突然の心変わりが信じられない。
縋るように恋人であったディオン・ダーナに目を向ければ、
「申し訳ありません、クラリス王女殿下」
彼がそう言って謝罪する。いつになく緊張しているようで、その表情は硬い。
「あなたを好ましく感じていました。妻にすれば心安らぐだろうと。ですが……私はどうしてもアニエス王女殿下を忘れられなかった。彼女は私の初恋の人なのです」
頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
ディオン様が妹のアニエスを好きだったなどと、今初めて知ったのだ。妹ではなく、初めて自分を見てくれた人だと、そう思っていたのに……。彼もまた違ったのだ。明るく社交性のあるアニエスに、誰もが惹かれてしまう。自分はいつだって妹の引き立て役で……ああ、やっぱり彼も……。
すっかり冷たくなってしまった指先を何度もさすった。
優しい面立ちの彼は争いを好まないので、第一騎士団の副団長を任されていても、どこか頼りなく見えるところもあったが、クラリスはそんな彼を好いていた。優しい彼が好きだったのだ。なのに……。
ディオン様の言葉が続く。
「私は以前に一度、アニエス王女殿下に告白して、振られているんです。それが、今回は彼女の方から好きだと告白して下さって、それで……」
自分に求婚する筈の言葉を、そっくりそのままアニエスに置き換えて、父王に許可を求めたのだと、ディオン様はそう言った。申し訳ないと謝る元恋人に、この場合、何と言えばいいのだろう? 泣き叫べばいいのだろうか? 裏切り者と罵ればいいのだろうか? あいにくとそんな真似は、自分には出来そうになかったけれど……。だから、かわいげが無いと言われるのだと、ささやくような声を聞いた気がした。
かわいげが無い、愛想がない、何度そう言われただろう。
人付き合いが苦手で、どうしても妹のような笑顔が浮かべられない。社交性のあるアニエスと比べられ、陰気だと陰口をたたかれるたびに、人の眼が怖くなり、ますます人との交流が苦手になった。社交の場を嫌がり、書物の世界に逃げ込んだ結果がこれなのだろうか? そんな事をぼんやり思うも、既にどうしようもない。
「ディオン様、どうぞお幸せに……」
そう言うほか無く、クラリスはソファからふらりと立ち上がる。ぐらりと倒れそうになる自分を必死で支えた。これ以上ここにいたくなかった。幸せそうな二人を見るのが辛い。
双子なのに、どうしてこんなにも違うのか……。
こぼれ落ちそうになる涙を必死でこらえる。顔の作りは悪くないはずなのだ。双子なのだから、装えばそれなりに見られるはず……。けれども自分にはアニエスのような花がない。人目を引くような華やかさが、どうしても欠けている。
そこでふと思う。そう、顔の作りは同じなのだ。だとしたら、もしかしたらディオン様はアニエスの身代わりに自分を選んだのでは? そんな考えにクラリスはすうっと血の気が引いた。元々アニエスを好きだったというのなら、あり得ない話ではない。
そこまで考えて、クラリスはそれ以上考えることを止めた。妹の身代わりだったなんて惨めすぎると思ったのだ。それも、初めて自分を見てくれた男性だと浮かれていた相手がそうだったなんて、考えたくもなかった。
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