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第二章 麗し殿下のお妃様
第二十五話
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――鏡よ、鏡、鏡さん。愛しい愛しいあの人を、ここへ連れてきておくれ。
妙な声が耳に残って離れなかった日の朝の事だ。鉛を飲み込んだように体が重くてだるくて仕方がなくて、身を起こしてもしばらくぼんやりしていたっけ……。
横を見るとオスカーがまだ寝ている。
珍しい。ぼんやりとそんな事を思う。いつも私の方がオスカーに起こされるのに。しかも、その起こされ方が、なんていうか……ビー、朝だよ、ほら起きて(ちゅー)だもんなぁ。毎度毎度これで、ばっちり目が覚めます。まさか夕闇の魔女さん、見てないよね? あれ、小説に書かれたら、恥ずかしすぎる。
「オスカー? 朝だよ?」
流石に、ちゅーはなし。そう思って、ゆさゆさ揺さぶるも反応がない。
耳元でオスカーと呼びかけてみるも、やっぱり無反応で。どうしよう……。すねてる、とか? キスするまで起きないってこと? オスカーって、子供みたいなとこあるんだよね、しょうがないなぁ……どきどきしながら、そうっと彼の頬に口を寄せたところで、ばあんっと扉が開き、飛び上がった。
見るとスカーレットさんがそこにいる。よ、良かった、未遂で。キスしてたら絶対ネタにされそう。っていうか、いきなり入ってこないで。お願いだから!
「嬢ちゃん! オスカー殿下は!?」
え? ええっと、寝ています、と言うと、スカーレットさんが駆け寄ってきて、
「起きろ! このバカッタレ!」
耳元で怒鳴っても起きない。ええぇ? こんなに寝起き悪かったっけ?
「あの、どうかしましたか?」
そう言うと、じろりとスカーレットさんに睨まれる。
「嬢ちゃん、こいつにあたしの名前、教えたか?」
あ……。
「ご、ごめんなさい!」
しゃべっちゃいけないことを知らなくてと言うと、ため息一つ。
「ああ、ちゃんと注意しておかなかったあたしが悪いのか……。まぁ、いいか。いや、よくないけどね」
「どうかしましたか?」
「どうもこうもないね、いきなり呼びつけられたよ。名前を秘匿している魔女が、名前を知られると干渉されやすくなるんだ。魔術師に干渉されるとね、直ぐ来いって怒鳴られるようなもんなのさ。あたしは使い魔じゃないって言っときな! もう一回やったらただじゃおかないってね!」
「オスカー? 起きて? スカーレットさん、怒ってるよ?」
でも、やっぱり起きなくて、スカーレットさんがオスカーの顔をのぞき込んできた。
「ん? 何だい? こりゃあ……」
邪粉の臭いがするね、そう言って鼻をひくひくさせた。
「邪粉?」
「妖精のいたずらとも言うか……あいつらたちが悪くてね、気に入った人間を見ると、こっちの意志なんか関係なく、さらっちまうんだ。取り替え子とか、妖精隠しって言葉があるだろ? あれさ」
「え? じゃあ、あの……オスカー、は?」
嫌な予感を覚え、心臓がどきどきと早鐘を打つ。顔も多分、血の気が引いているように思う。スカーレットさんが難しい顔を作った。
「まぁ、オスカー殿下の容姿なら、ああいったのに目を付けられてもおかしかないとは思うけど、こいつは魔術師だよ? しかも相当の実力者だ。たかが妖精ごときに、ありえない……。けど、実際持ってかれちまってるし、どういうことだ?」
「持ってかれてる?」
「魂を抜かれちまってる。魂を取り戻さない限り、こいつは目を覚まさないよ」
目を見開く。そんな……。傍らに目を向ければ、眠っているオスカーが見える。普通に眠っているだけに見えるのに、ずっとこのまま目を覚まさないの?
私は起きないオスカーに必死ですがりついた。
「オスカー? 起きて、お願いだから……」
何度も何度も揺さぶったけど、やっぱり起きなくて……。何で、どうして? そんな言葉が頭の中をぐるぐる回る。いつものように、おはよう、ビーって言ってよ、お願いだから!
そうこうしている内に人がいっぱい集まってきて、オスカーの師匠のクレバー・ライオネットさんが、オスカーの診察をしてくれた。
「オスカーはどうしたら目を覚ますの?」
宮廷魔術師長さんにそう尋ねてみるも、
「申し訳ありません、妃殿下。魂が戻らない限り、この先殿下が目を覚ますことはありますまい」
難しい顔で、そう言われてしまう。
明け方頃、手紙が届いた。魔術の手紙なのだろう、ふっと虚空から現れたそれが、ひらりと手元に落ちる。中を見て心臓が跳ね上がった。
――王太子の魂を返して欲しければ、以下の場所へこられたし。ただし一人で来ること。誰かに知らせれば、二度と王太子の魂は戻らない。
読み終えると手紙がぱっと燃え上がって消える。ど、どうしよう……。規則正しい寝息を立てているオスカーの傍らには、治癒術士さんが控えている。私は気付かれないよう、そうっと部屋を抜け出すも、
「魂を取り戻しに行くよ、嬢ちゃん」
スカーレットさんの声に飛び上がった。神出鬼没で本当に心臓に悪い。振り返ればやっぱりスカーレットさんがいる。黒いマントを羽織った見慣れた老婆の姿だ。
「て、手紙を見たの?」
あれを見たのは私だけだと思ったけど……。
「手紙? 何の話だ?」
スカーレットさんに首を傾げられてしまう。先程目にした手紙の内容を話すと、スカーレットさんは手をふった。
「ああ、やめやめ、行ったって無駄だよ。無視した方がいい。そいつらがオスカー殿下の魂を捕まえているわけじゃないからね。単なるはったりさ。行くんなら迷いの森だよ」
「迷いの森……そこにオスカーがいるの?」
「いるさ。鏡魔法を使うのは妖精姫だけだからね。妖精姫の住処は迷いの森にある」
「鏡魔法?」
「鏡よ、鏡、鏡さんから始まる例の呪法だよ。あんたが言ったんじゃないか。聞いたんだろ?」
え? ああ、そういえば……。朝方そんな声を聞いたんだ。綺麗なんだけど、どことなく不気味で、何か悪夢を見た後のような嫌な感触が残ったっけ。
「迷いの森の幻視は、あたし一人だとやっかいなんだよ。けど、嬢ちゃん、あんたならあの森を抜けられる。妖精が紡いだ幻視を見破れるだろ? さ、ほら、行くよ」
「ビーを使うの止めてよね」
え? 今の……聞き慣れた声に思わず足を止める。
「彼女に何かあったら僕、許さないよ?」
「スカーレットさん?」
しゃべってるのは、夕闇の魔女さんなんだけど、声がオスカー? あれ?
「人の体を勝手に使うんじゃないよ!」
怒声を張り上げたのは、夕闇の魔女さんで……。
「しょうがないじゃない。体と魂が分離しちゃって、どうしようもないんだもの」
こっちはオスカー……。一人で二人分しゃべってる?
スカーレットさんが、はんっと鼻を鳴らした。
「まったく……たかが妖精ごときに魂を取られただって? あんた、何やってんだよ?」
「妖精姫はたかが妖精じゃないでしょ? それに今回の件は魔術師がかかわってるよ。とぼけるのはなし。とっくに気が付いているよね?」
何故かスカーレットさんが言葉に詰まって、
「殿下! お待ちください!」
慌てたような治癒術士さんの声に振り返れば、部屋からオスカーが出てくるところで、私は目を見張った。治癒術士さんが、オスカーの動きを止めようとしている。
「オスカー!」
魂が戻ったの? 私は喜んで急ぎ走り寄ったものの、呼びかけても反応はなく、目は堅く閉じられたままだ。目を瞑ったまま歩く姿はまるで夢遊病者のよう。
「……付いてくる気か?」
スカーレットさんがそう言うと、
「魂と体は引き合うからね。僕が行けば、妖精姫の所までたどり着けるから、ビーは必要ないでしょ?」
オスカーの声でそう答えたのは、やっぱりスカーレットさん。オスカーは突っ立ったままで、ぴくりとも動かない。追いかけてきた治癒術士さんに向かって、
「持ち場に戻って。僕は大丈夫だから」
オスカーの声でスカーレットさんが言う。
「……殿下ですか?」
治癒術士さんが不審そうにそう尋ねた。
「そう。今は夕闇の魔女の口を借りてる。師匠のところへ行って伝えて。僕はこれから妖精姫のところへ行くってね」
オスカーの指示に従って、治癒術士さんが姿を消すと、
「体を動かせるんなら、口もそっちを使いな」
スカーレットさんが文句を言う。
「さっきっからやってるんだけど、どうもうまくいかないんだ。名前でつながってる夕闇の魔女の方がやりやすい」
「このあたしを使い魔扱いか? ああ、もう! 礼金をはずんでもらうよ、まったく……」
歩き出した二人について行こうとして、
「ビー、君は来ちゃ駄目」
オスカーに止められる。
「どうして?」
「どうしてって……危ないから」
「いや」
はっきり言い切ると絶句したみたいで、
「だって、スカーレットさんは私の力が必要だって言ったもの」
「ビー……お願いだから……」
「絶対にいや! オスカーの姿が見えないのも、声が聞こえないのも、不安で辛くて苦しいの! ここでじっと待ってるだけなんて絶対いや!」
わんわん大泣きすれば、スコールで……。
窓の外を眺めながら、夕闇の魔女が言う。
「連れて行った方がいい。嵐になるよ、これ」
「……そうだね。ビーは普段物わかりが良すぎるくらいいいから、こういう時、爆発するのか……」
諦めてくれたらしい。
「ビー、雨を止める練習をしようか?」
意味は直ぐに分かって、涙を無理矢理止めた。すうっと雨が上がる。
「妖精姫は誰が起こしたのかな?」
城の廊下を三人そろって歩きながら、オスカーがそんな事を尋ねた。話したのはスカーレットさんだけど。
「さあね。どっかのあほタレが、鏡よ鏡、鏡さんなんて、鏡の前で言っちまったんじゃないのか? 妖鏡が反応して、そりゃー、目が覚めるだろうよ」
「禁句なんだけどねぇ。幼い時にみんな聞かされるはずなのに」
鏡よ、鏡、鏡さん、これを三度唱えたらいけないよ? 妖精姫にさらわれる。これが大人が子供達に言い聞かせる常套句だ。
「オスカー、苦しくない?」
どんな状態なのか知りたくて尋ねると、
「ん? 大丈夫。いや、そうでもないか……」
「何! やっぱり苦しいの?」
「僕がいるとこって、鏡の間みたいな場所なんだよねぇ……たくさんある鏡全部に、自分の姿が映るってほんっとやめて。精神的な拷問って感じ?」
えーっと……。まぁ、大丈夫みたいだね、うん。夢遊病者のオスカーの手をきゅっと握ってみる。握り返してくれないのが寂しいけど、仕方ないよね。
「転移魔法を使うよ。しっかりつかまってな」
スカーレットさんの右手がオスカーの腕をつかみ、彼女の左腕に私が掴まると、ふうっと浮遊する感覚があり、ついですうっと落ちる感覚を感じた後、まったく別の場所に立っていた。転移魔法って凄い。私は初体験だ。
「嬢ちゃん。迷いの森に入るよ。妖精達が作った光る道があるはずだ。それをたどるんだ。道から外れないように注意しな。道からちょっとでも外れると命取りになるよ」
私は頷き、うっそうとした森の中を、縦一列になって歩き出す。
光る道はまっすぐで、迷いそうにないけれど、
「空中浮遊とはね」
途中スカーレットさんがそんな事を言い出した。
空中浮遊? 普通の道の上だけど。首を傾げてしまう。
何が見えているんだろう? そう思って、見ようとしたのが良くなかったのか、幻視が現れた。ムカデの巣! 足下に大量のムカデがうねってる! 悲鳴を上げる直前に幻視が消えたものの、心臓に悪い。も、もう見ないようにしよう。けど、スカーレットさん、凄い。あの幻視の中、普通に歩いてたって事だよね?
たどり着いた先は、不気味な屋敷だった。キーキーという、奇妙な動物の鳴き声が周囲で響いていて、古びた屋敷は長いこと誰も住んでいなかったように見える。
「ようこそ。お待ちしていましたわ」
屋敷の中へ足を踏み入れると誰かが待ち構えていて、
「マリエッタお姉様!?」
思わず叫んだ。赤いドレスを身にまとい、微笑んでいる女性はどこからどう見ての姉のマリエッタだ。どうして? どうしてお姉様がここにいるの?
妙な声が耳に残って離れなかった日の朝の事だ。鉛を飲み込んだように体が重くてだるくて仕方がなくて、身を起こしてもしばらくぼんやりしていたっけ……。
横を見るとオスカーがまだ寝ている。
珍しい。ぼんやりとそんな事を思う。いつも私の方がオスカーに起こされるのに。しかも、その起こされ方が、なんていうか……ビー、朝だよ、ほら起きて(ちゅー)だもんなぁ。毎度毎度これで、ばっちり目が覚めます。まさか夕闇の魔女さん、見てないよね? あれ、小説に書かれたら、恥ずかしすぎる。
「オスカー? 朝だよ?」
流石に、ちゅーはなし。そう思って、ゆさゆさ揺さぶるも反応がない。
耳元でオスカーと呼びかけてみるも、やっぱり無反応で。どうしよう……。すねてる、とか? キスするまで起きないってこと? オスカーって、子供みたいなとこあるんだよね、しょうがないなぁ……どきどきしながら、そうっと彼の頬に口を寄せたところで、ばあんっと扉が開き、飛び上がった。
見るとスカーレットさんがそこにいる。よ、良かった、未遂で。キスしてたら絶対ネタにされそう。っていうか、いきなり入ってこないで。お願いだから!
「嬢ちゃん! オスカー殿下は!?」
え? ええっと、寝ています、と言うと、スカーレットさんが駆け寄ってきて、
「起きろ! このバカッタレ!」
耳元で怒鳴っても起きない。ええぇ? こんなに寝起き悪かったっけ?
「あの、どうかしましたか?」
そう言うと、じろりとスカーレットさんに睨まれる。
「嬢ちゃん、こいつにあたしの名前、教えたか?」
あ……。
「ご、ごめんなさい!」
しゃべっちゃいけないことを知らなくてと言うと、ため息一つ。
「ああ、ちゃんと注意しておかなかったあたしが悪いのか……。まぁ、いいか。いや、よくないけどね」
「どうかしましたか?」
「どうもこうもないね、いきなり呼びつけられたよ。名前を秘匿している魔女が、名前を知られると干渉されやすくなるんだ。魔術師に干渉されるとね、直ぐ来いって怒鳴られるようなもんなのさ。あたしは使い魔じゃないって言っときな! もう一回やったらただじゃおかないってね!」
「オスカー? 起きて? スカーレットさん、怒ってるよ?」
でも、やっぱり起きなくて、スカーレットさんがオスカーの顔をのぞき込んできた。
「ん? 何だい? こりゃあ……」
邪粉の臭いがするね、そう言って鼻をひくひくさせた。
「邪粉?」
「妖精のいたずらとも言うか……あいつらたちが悪くてね、気に入った人間を見ると、こっちの意志なんか関係なく、さらっちまうんだ。取り替え子とか、妖精隠しって言葉があるだろ? あれさ」
「え? じゃあ、あの……オスカー、は?」
嫌な予感を覚え、心臓がどきどきと早鐘を打つ。顔も多分、血の気が引いているように思う。スカーレットさんが難しい顔を作った。
「まぁ、オスカー殿下の容姿なら、ああいったのに目を付けられてもおかしかないとは思うけど、こいつは魔術師だよ? しかも相当の実力者だ。たかが妖精ごときに、ありえない……。けど、実際持ってかれちまってるし、どういうことだ?」
「持ってかれてる?」
「魂を抜かれちまってる。魂を取り戻さない限り、こいつは目を覚まさないよ」
目を見開く。そんな……。傍らに目を向ければ、眠っているオスカーが見える。普通に眠っているだけに見えるのに、ずっとこのまま目を覚まさないの?
私は起きないオスカーに必死ですがりついた。
「オスカー? 起きて、お願いだから……」
何度も何度も揺さぶったけど、やっぱり起きなくて……。何で、どうして? そんな言葉が頭の中をぐるぐる回る。いつものように、おはよう、ビーって言ってよ、お願いだから!
そうこうしている内に人がいっぱい集まってきて、オスカーの師匠のクレバー・ライオネットさんが、オスカーの診察をしてくれた。
「オスカーはどうしたら目を覚ますの?」
宮廷魔術師長さんにそう尋ねてみるも、
「申し訳ありません、妃殿下。魂が戻らない限り、この先殿下が目を覚ますことはありますまい」
難しい顔で、そう言われてしまう。
明け方頃、手紙が届いた。魔術の手紙なのだろう、ふっと虚空から現れたそれが、ひらりと手元に落ちる。中を見て心臓が跳ね上がった。
――王太子の魂を返して欲しければ、以下の場所へこられたし。ただし一人で来ること。誰かに知らせれば、二度と王太子の魂は戻らない。
読み終えると手紙がぱっと燃え上がって消える。ど、どうしよう……。規則正しい寝息を立てているオスカーの傍らには、治癒術士さんが控えている。私は気付かれないよう、そうっと部屋を抜け出すも、
「魂を取り戻しに行くよ、嬢ちゃん」
スカーレットさんの声に飛び上がった。神出鬼没で本当に心臓に悪い。振り返ればやっぱりスカーレットさんがいる。黒いマントを羽織った見慣れた老婆の姿だ。
「て、手紙を見たの?」
あれを見たのは私だけだと思ったけど……。
「手紙? 何の話だ?」
スカーレットさんに首を傾げられてしまう。先程目にした手紙の内容を話すと、スカーレットさんは手をふった。
「ああ、やめやめ、行ったって無駄だよ。無視した方がいい。そいつらがオスカー殿下の魂を捕まえているわけじゃないからね。単なるはったりさ。行くんなら迷いの森だよ」
「迷いの森……そこにオスカーがいるの?」
「いるさ。鏡魔法を使うのは妖精姫だけだからね。妖精姫の住処は迷いの森にある」
「鏡魔法?」
「鏡よ、鏡、鏡さんから始まる例の呪法だよ。あんたが言ったんじゃないか。聞いたんだろ?」
え? ああ、そういえば……。朝方そんな声を聞いたんだ。綺麗なんだけど、どことなく不気味で、何か悪夢を見た後のような嫌な感触が残ったっけ。
「迷いの森の幻視は、あたし一人だとやっかいなんだよ。けど、嬢ちゃん、あんたならあの森を抜けられる。妖精が紡いだ幻視を見破れるだろ? さ、ほら、行くよ」
「ビーを使うの止めてよね」
え? 今の……聞き慣れた声に思わず足を止める。
「彼女に何かあったら僕、許さないよ?」
「スカーレットさん?」
しゃべってるのは、夕闇の魔女さんなんだけど、声がオスカー? あれ?
「人の体を勝手に使うんじゃないよ!」
怒声を張り上げたのは、夕闇の魔女さんで……。
「しょうがないじゃない。体と魂が分離しちゃって、どうしようもないんだもの」
こっちはオスカー……。一人で二人分しゃべってる?
スカーレットさんが、はんっと鼻を鳴らした。
「まったく……たかが妖精ごときに魂を取られただって? あんた、何やってんだよ?」
「妖精姫はたかが妖精じゃないでしょ? それに今回の件は魔術師がかかわってるよ。とぼけるのはなし。とっくに気が付いているよね?」
何故かスカーレットさんが言葉に詰まって、
「殿下! お待ちください!」
慌てたような治癒術士さんの声に振り返れば、部屋からオスカーが出てくるところで、私は目を見張った。治癒術士さんが、オスカーの動きを止めようとしている。
「オスカー!」
魂が戻ったの? 私は喜んで急ぎ走り寄ったものの、呼びかけても反応はなく、目は堅く閉じられたままだ。目を瞑ったまま歩く姿はまるで夢遊病者のよう。
「……付いてくる気か?」
スカーレットさんがそう言うと、
「魂と体は引き合うからね。僕が行けば、妖精姫の所までたどり着けるから、ビーは必要ないでしょ?」
オスカーの声でそう答えたのは、やっぱりスカーレットさん。オスカーは突っ立ったままで、ぴくりとも動かない。追いかけてきた治癒術士さんに向かって、
「持ち場に戻って。僕は大丈夫だから」
オスカーの声でスカーレットさんが言う。
「……殿下ですか?」
治癒術士さんが不審そうにそう尋ねた。
「そう。今は夕闇の魔女の口を借りてる。師匠のところへ行って伝えて。僕はこれから妖精姫のところへ行くってね」
オスカーの指示に従って、治癒術士さんが姿を消すと、
「体を動かせるんなら、口もそっちを使いな」
スカーレットさんが文句を言う。
「さっきっからやってるんだけど、どうもうまくいかないんだ。名前でつながってる夕闇の魔女の方がやりやすい」
「このあたしを使い魔扱いか? ああ、もう! 礼金をはずんでもらうよ、まったく……」
歩き出した二人について行こうとして、
「ビー、君は来ちゃ駄目」
オスカーに止められる。
「どうして?」
「どうしてって……危ないから」
「いや」
はっきり言い切ると絶句したみたいで、
「だって、スカーレットさんは私の力が必要だって言ったもの」
「ビー……お願いだから……」
「絶対にいや! オスカーの姿が見えないのも、声が聞こえないのも、不安で辛くて苦しいの! ここでじっと待ってるだけなんて絶対いや!」
わんわん大泣きすれば、スコールで……。
窓の外を眺めながら、夕闇の魔女が言う。
「連れて行った方がいい。嵐になるよ、これ」
「……そうだね。ビーは普段物わかりが良すぎるくらいいいから、こういう時、爆発するのか……」
諦めてくれたらしい。
「ビー、雨を止める練習をしようか?」
意味は直ぐに分かって、涙を無理矢理止めた。すうっと雨が上がる。
「妖精姫は誰が起こしたのかな?」
城の廊下を三人そろって歩きながら、オスカーがそんな事を尋ねた。話したのはスカーレットさんだけど。
「さあね。どっかのあほタレが、鏡よ鏡、鏡さんなんて、鏡の前で言っちまったんじゃないのか? 妖鏡が反応して、そりゃー、目が覚めるだろうよ」
「禁句なんだけどねぇ。幼い時にみんな聞かされるはずなのに」
鏡よ、鏡、鏡さん、これを三度唱えたらいけないよ? 妖精姫にさらわれる。これが大人が子供達に言い聞かせる常套句だ。
「オスカー、苦しくない?」
どんな状態なのか知りたくて尋ねると、
「ん? 大丈夫。いや、そうでもないか……」
「何! やっぱり苦しいの?」
「僕がいるとこって、鏡の間みたいな場所なんだよねぇ……たくさんある鏡全部に、自分の姿が映るってほんっとやめて。精神的な拷問って感じ?」
えーっと……。まぁ、大丈夫みたいだね、うん。夢遊病者のオスカーの手をきゅっと握ってみる。握り返してくれないのが寂しいけど、仕方ないよね。
「転移魔法を使うよ。しっかりつかまってな」
スカーレットさんの右手がオスカーの腕をつかみ、彼女の左腕に私が掴まると、ふうっと浮遊する感覚があり、ついですうっと落ちる感覚を感じた後、まったく別の場所に立っていた。転移魔法って凄い。私は初体験だ。
「嬢ちゃん。迷いの森に入るよ。妖精達が作った光る道があるはずだ。それをたどるんだ。道から外れないように注意しな。道からちょっとでも外れると命取りになるよ」
私は頷き、うっそうとした森の中を、縦一列になって歩き出す。
光る道はまっすぐで、迷いそうにないけれど、
「空中浮遊とはね」
途中スカーレットさんがそんな事を言い出した。
空中浮遊? 普通の道の上だけど。首を傾げてしまう。
何が見えているんだろう? そう思って、見ようとしたのが良くなかったのか、幻視が現れた。ムカデの巣! 足下に大量のムカデがうねってる! 悲鳴を上げる直前に幻視が消えたものの、心臓に悪い。も、もう見ないようにしよう。けど、スカーレットさん、凄い。あの幻視の中、普通に歩いてたって事だよね?
たどり着いた先は、不気味な屋敷だった。キーキーという、奇妙な動物の鳴き声が周囲で響いていて、古びた屋敷は長いこと誰も住んでいなかったように見える。
「ようこそ。お待ちしていましたわ」
屋敷の中へ足を踏み入れると誰かが待ち構えていて、
「マリエッタお姉様!?」
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