骸骨殿下の婚約者

白乃いちじく

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第二章 麗し殿下のお妃様

第十六話

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「それはもちろん。彼女がクラリスですよ、兄上。私の婚約者」
 ビンセントがそう言うと、大人しそうな方の女性が進み出て、優雅な貴婦人の礼をした。
「は、初めまして、オスカー殿下。サビニア王国の第二王女クラリスと申します。どうぞお見知りおきを」
 眼鏡をかけ、茶色の髪をきっちり結い上げている。化粧も控えめで、教師のように堅い雰囲気だ。ということは、彼女がお姉さんか。
 ビンセントは苦笑し、
「でも、兄上はもう彼女に会ったことがあるでしょう?」
 そんな事を口にした。え? 会ったことがある?
「そこは言わぬが花だよ、ビンセント」
 オスカーもまたくすくすと笑う。まるでいたずらっ子のよう。
 でも、クラリス王女は初めましてって言っていたけれど、どういうことだろう?
 私が不思議そうにオスカーを見上げると、その視線に気が付いたのか、幻術を使ったからねと耳打ちされる。なるほど。クラリス王女はオスカーだと知らずに会っていたってことか。
 続いてもう一人の女性が進み出た。
「初めまして、オスカー殿下。わたくしはサビニア王国の第三王女アニエスと申します」
 そう言って挨拶をした第三王女のアニエスは大輪の花のようだった。長く伸ばした茶の髪を肩に流し、明るい口元が春を思わせる。社交性があるとでもいうのだろうか、人を引きつける魅力がある。きっと性格が全く違うんだろうな。
 アニエス王女が言う。
「オスカー殿下。少々よろしいでしょうか?」
「うん?」
「わたくし、ビンセント殿下とお姉様を二人っきりにさせてあげたいと思っておりますの。ご一緒してよろしいかしら?」
 ビンセントの代わりに、オスカーに城の中を案内して欲しいと言う。
「アニエス、待って。それはちょっと……」
 姉のクラリスが慌てたように反対するも、妹のアニエスがにっこりと笑ってそれを遮った。
「わたくしがいてはお邪魔でしょう? どうぞ、お二人でごゆっくり……」
 何か言いかけたクラリスの声が、すうっと消える。
 やっぱり見た目通り、姉のクラリスの方は大人しいようだ。妹のアニエスに頭が上がらないようにも見えるけど……。
「兄上、よろしいですか?」
 ビンセントがそう尋ねると、
「うん、いいよ。二人で親交を深めておいで?」
 オスカーが気軽に引き受け、ビンセントはクラリス王女殿下を連れて立ち去った。
 クラリス王女殿下は何か言いたげに、途中何度もこちらを振り返ったものの、やがて二人そろって廊下の向こうへ消えた。
「では、オスカー殿下。腕をよろしいかしら?」
 アニエス王女殿下がそう言って手を差し出した。
 エスコートして欲しいという。
「ごめんね? それは駄目」
 にっこり笑ってかわされ、アニエスが唖然となる。断られるとは思っていなかったのか、どうしてです? と食い下がった。
「だって、ビーがいるもの。夫婦が同席している場合、他の女性をエスコートするのは非常識だよ? お客様だから、我が儘聞いてあげたいけど、勘弁して?」
「妃殿下、だったんですのね? 申し訳ありません」
 アニエスが謝罪するも、何故か睨まれたような気がして、身がすくんだ。妻以外の女性に抱きついてキスなんてしていたら、問題のような気がするけど……。見えてたよね? 確実に。廊下は見通しがいいもの。そんな疑問が頭の中をよぎる。
「では、アニエス王女殿下。こちらへどうぞ」
 オスカーの誘導に従って歩き出す。
 後ろ姿も綺麗だよなぁ、オスカーの背を眺めながら、私はぼんやりとそう思う。オスカーは見目形だけじゃなくて、立ち振る舞いも綺麗。幼少の頃は放っておかれた私と違って、生まれながらの王子様だもんね。
 庭園につくと、アニエスが言った。
「オスカー殿下。殿下は幻術がお得意だとお聞きしました。とても幻想的で美しい光景を作り出せるそうですわね? 是非、見せていただけませんか?」
 そう言えば……パーティーではよくやると聞いている。とっても綺麗だとか……私には見えないから、どんなものか知らないけれど。
「そうだね、いいよ」
 オスカーは気軽に引き受け、
「ビー、おいで?」
 何故か側へ来るよう言われてしまう。何だろう? 近づくと、顎を持ち上げられ、両のまぶたにキスをされた。顔が真っ赤になったと思う。ここでそれする必要あるの? 物言いたげに見上げた私に、オスカーはふんわりと笑いかけ、
「ほら、見てごらん? 見えるといいけどね?」
 私は目を見張った。色とりどりの蝶が舞っている! 庭園の景色と二重写しになっているけれど、確かに幻想的で素敵な光景だった。
 私は思わず手を叩いて喜んでしまったけれど、はっとなる。
 淑女らしからぬはしゃぎ方だったような気がして、ちらりとアニエス王女殿下に視線を走らせ、そこでぎくりとなった。やっぱり睨まれている、そう感じた瞬間、アニエス王女殿下は何事もなかったかのようにふっと相好を崩し、
「素晴らしいですわ、殿下」
 そう褒めちぎった。気のせい……じゃないような……。心臓がばくばくいっている。
 予想外の出来事は、やはり心臓に悪い。私、何やったんだろう? 初対面だし、何かした覚えは全くない。無作法な真似でもしただろうか? やったのかもしれない。オスカーに引き取られるまで、私は礼儀作法なんてまったく教わってこなかったから、時々そういったものが出てしまう時がある。
 再び歩き出したオスカーの背を追い、
「ね、さっきは何をしたの?」
 幻覚が見えたことを不思議に思って問うと、
「ん? 君の天眼に働きかけたの。要は力の強弱を加減すればいいだけなんだけどね、自分じゃまだ出来ないでしょ? だから代わりに僕がやったの」
「強弱?」
「そ、天眼を完全に閉じると、みんなと同じように幻覚が見える。逆に全開すると、多分、君の目は深紅になって、天竜が降りて来ちゃうから、そこらへんちゃんとしようか?」
「どうするの?」
「詳しいことは後でね?」
 オスカーが柔らかく笑う。ふわっと包み込むような笑い方だ。
「ときに、オスカー殿下。殿下は側室をおもちにはなりませんの?」
 アニエス王女殿下の言葉で、私の心臓は跳ね上がった。側室って……。オスカーが別の女の人とってことだよね? 砂を飲み込んだような嫌な気分になる。
「ん? とらないよ? 僕には必要ないもの」
 オスカーの返答にアニエスは驚いたようで、
「どうして?」
「どうしてって……側室の目的は子供でしょう? 僕は魔術師だよ? ビーに必ず子供を産ませることが出来るから必要ないよ」
「で、ですが、一度くらい試してみては如何です? その方がもっと殿下の見識も広がるかと……。殿下好みの美女を集めてみては?」
「いらない。必要ないって言ったろ?」
「でも……」
 アニエスが食い下がり、
「……しつこいよ?」
 うわっ。オスカーの目つきが変わった。本当にうっとうしいと思ってる時の目だ。私はそっと目をそらした。自分に向けられてなくても怖い。これは嫌だ。
「も、申し訳ありません!」
 慌ててアニエスが謝った。
 うん、それで正解だと思う。オスカーを本気で怒らせると本当に怖いから。普段が穏やかすぎるくらい穏やかだから、そのギャップがまた凄い。
 恐る恐る見上げると、もういつもの彼になっていて、ごめんね、というように私の髪に触れた。オスカーは本当によく見てるなぁ。私が怖がったのが分かったんだ。
「あの王女は問題だね」
 部屋に戻ってからオスカーがそんなことを言い出して、私は首を捻った。
「問題?」
 どの辺が? 無作法な真似なら多分、自分の方がしてる。
 私がそう言うと、オスカーが苦笑したのが分かった。
「気が付かなかったんなら、いいよ。その方がね」
 首を傾げると、前のようにいい子いい子と撫でられる代わりに、オスカーにキスされる。対応が完全に変わったなぁ。嬉しいけど、やっぱり恥ずかしい。
「天眼を使うのはね、そんなに難しくない。思うだけでいいから」
「思うだけ?」
「そう、こうして欲しい、ああして欲しいって思うだけ。力の強弱もそう。自分の意志で見ようとすればいい。使おうと意識すれば、直ぐに使いこなせるようになると思う。ただ、一つ問題なのはね」
 オスカーが諭すように言う。
「天眼の意志に従う天竜はね、君の感情に引きずられるんだ。激しい感情の高ぶりがあると大雨が降ったり、最悪、嵐になったりする。そして、怒りの感情のままに天竜に命じると、大災害が起こる」
 何か怖くない? 私がそう言うと、オスカーが頷く。
「使い方を誤るとそうだね。でも、君の場合はそんなに心配はしていないよ? 優しい心根の持ち主だもの。ただ、きちんと注意しておかないと、何かあった場合困るでしょ?」
 オスカーの誘導に従って窓辺に近寄った。
「雨を降らせてごらん? 優しく、そっとね。大地の生命を優しく包み込むようにお願いするんだ。きっと叶えてくれる」
 優しく、そっと?
 庭に咲く花に触れるように、そっと雨を降らせて欲しいと思うと、晴れていた空が曇り始め、ぱらぱらと霧雨のような優しい優しい雨が降った。緑の色が濃くなり、景色が変わる。不思議な光景だった。いつもと変わらない光景のように見えるのに、何か大きなものに包み込まれているような安心感を覚える。
「天竜が喜んでるからだよ、多分ね」
 オスカーが私の疑問に答えてくれた。
 しとしとふる雨を眺めながら、
「ね、オスカー……どうして今まで教えてくれなかったの?」
 本当に凄く簡単なことなのにと、そう言うと、
「だって、天眼の力を君に使って欲しくなかったもの」
 私が見上げると、オスカーが笑った。
「だからずっと、使わせないように、意識させないようにしていたかな。天眼の持ち主だってことを、周りに秘密にしておきたかったからね。僕は君に幸せになって欲しかったんだよ、ビー。あの時はまさかこの僕と結婚するなんて思ってもいなかったからさ」
 そう答えて優しいキスをくれた。

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