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第四章 最狂公爵は妻を愛でたい
第百七十四話 意趣返しは必須(ハロウィンネタⅤ)
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「そうやってオルモード公爵も誘惑したのか? とんだあばずれだな」
ふんっとレイが鼻を鳴らせば、シリウスの額にぴしりと青筋が浮かんだ気がした。セレスティナはひやりとする。レイ・グラシアンの言い様は酷かったが、シリウスを怒らせるとそれ以上に怖い。セレスティナは急ぎ一歩前へ出た。
「あ、あの、待って、彼は……」
「ふんっ、教師もそうやって誘惑してテストの点を誤魔化したか? おかしいと思ったんだ。お前のような女が首席合格なんてな。女の武器を使ったのなら納得……」
言葉途中でレイはシリウスに髪を鷲掴みにされ、がつんとテラスの縁に顔面殴打だ。「がふっ!」といううめき声を上げてレイがうずくまる。抑えた手の間から赤い液体がしたたったので、多分鼻血を出したのだろう。
「シリウス!」
咄嗟に上げたセレスティナの悲鳴に「何をするんだ!」というレイの罵声が途中で消える。代わりにレイの口から漏れたのは困惑の声だ。
「シリウス?」
「そう、私だ。だが、ファーストネームを呼ばれる筋合いはない」
レイ・グラシアンが恐る恐る顔を上げれば、いつものシリウスがそこにいた。魔道具の年齢操作を解除し、今は三十六才の貫禄ある美男子だ。レイ・グラシアンを見下ろす片眼鏡をかけた青い瞳が射貫くように鋭い。レイが目を見開いた。信じられないと言いたげである。
「あ、なん、で……」
シリウスがにぃっと笑う。
「なに、魔道具を使って若返っていただけだ。それよりも……あばずれとは誰の事だ? 教師も誘惑してテストの点を誤魔化した? とんだ言いがかりだな」
レイ・グラシアンは目に見えて狼狽えた。
「も、申し訳ありません。ま、まさか、お相手が公爵様本人だとは思いもせず……てっきり公爵様の親戚と浮気をしていると思いました。で、ですから、少々懲らしめようとしただけで……」
「言い訳はいい。さぁ、来るんだ」
ぐいっと首根っこを引っ掴まれ、ずるずると引きずられる。
「ちょ、ちょっと待……」
「ああ、きちんと顔を拭け。血塗れでは皆が騒ぐ」
乱暴に顔をハンカチでぬぐわれ、さらに悲鳴だ。多分、鼻が折れているのだろう。
「待って、シリウス! 何をする気なの?」
セレスティナが追いすがれば、シリウスが笑った。宥めるように栗色の髪をさらりとすく。
「何、ほんのデモンストレーションだ」
「デモンストレーション?」
「そう。彼は君の実力を認められないようだから、ここで君との能力差を見せてやる」
「あ、あの、いえ、いいわ、シリウス。そこまでしなくても。不正をしていないことはシリウスも教師の方々も分かっていると思うし……シリウス?」
レイ・グラシアンを引きずったまま背を向け、シリウスが歩き出す。シリウスは担任教師であるエバ・マシュートを探し出し、ニッコリ笑顔で提案した。
「計算勝負、ですか?」
教師のエバが困惑気味にシリウスの提案を繰り返す。
「そうだ、いい余興になる。グラシアン侯爵令息は計算クラブに所属しているし、ティナも計算は得意だ。今この場で二人を競わせろ」
「でしたら、他に参加したい生徒達を集めて……」
「ははは、必要ない。不正を行ったとティナを侮辱したのでさらし者……身の程を知ってもらおうと思っただけだ」
「は、え? オルモード公爵夫人を侮辱?」
流石にそれはと言いたげにエバの顔がさぁっと青ざめる。
公爵夫人を侮辱……不敬罪に相当するだろう。
「そうだ。テストの結果は不正をしたからだと言い切ったぞ。グラシアン侯爵家への抗議は後回しにするとして、ここでこのくそったれをきっちり締め上げ……二度と立ち直れないようにプライドズタズタ……仕置きを加えようかと思う」
「あの、ところどころ物騒な言葉が混じって……」
「返事は?」
圧のあるシリウスの笑顔にエバは屈服した。
「は、はははははい! 厳正な審査をさせて頂きます!」
びしぃっとエバ・マシュートの背が伸びる。
急遽、計算勝負をする舞台が整えられた。問題を表示する魔道掲示板と、回答者用の椅子が二つ用意され、興味津々たくさんの生徒達が周囲に集まっている。
出される問題は五桁同士のかけ算で、教諭のエバが問題を提示するという手はずだ。計算スピードを競うので、先に十問正解した方が勝ちである。だが、魔道計算機は使用不可だと聞かされ、レイ・グラシアンは担任のエバに食ってかかった。計算クラブでは魔道計算機の操作スピードを競うのに、どうしてと言いたいらしい。
「数学のテストで魔道計算機の使用は認められていないだろう?」
ぴしゃりとシリウスに言い切られ、レイ・グラシアン侯爵令息は黙った。不正行為という言いがかりに対する意趣返しなのだから、当然と言えば当然であろうか。その様子を目にしたセレスティナは、そんなもの必要ないのにとひっそり思う。彼女に取っては簡単な計算問題だったからだ。
「あの、シリウス?」
「いつも通りやればいい。そら、遊びで私と一緒になって十桁同士のかけ算を暗算でよくやるだろう? 今回はたったの五桁だ。楽勝だな?」
シリウスの言葉を耳にしたレイ・グラシアンは目を剥いた。嘘だろと唇の動きが告げる。
「でも、あの……」
ちらちらと顔色を失ったレイ・グラシアンに視線を送った。
「彼はやりたくないみたい。それに、私はシリウスが分かってくれていたらそれで……」
「女の天才はいない。こう言われて悔しくはないか?」
そう言われてセレスティナは縮こまる。
「わ、私は天才なんかじゃ……」
「ティナ、ティナ、私を見なさい」
ふっと顔を上げれば、真剣なシリウスの顔がある。圧倒する何かがあって、セレスティナは口をつぐんだ。シリウスはいつだって優しい白銀の天使様だけれど、意志を押し通そうとする時の彼には逆らえない。逆らってはいけないという気にさせられる。
「ティナ。君が自分の為にがんばれないというのなら、そうだな……。同じ女生徒の為にがんばってみたらどうだ?」
「同じ女生徒の為?」
「そうだ。過去、君と同じ立場になった女生徒がいないとはいいきれまい? 男以上の能力を示しても、不正を行ったと君と同じように言われた者がいるかもしれない」
セレスティナは黙り込んだ。確かにいない、とは言い切れない。女性蔑視は女性であるなら誰もが感じているだろう。特に秀でた能力をもっている女性は……
「そういった蛮行がまかり通るのは、女は男より劣った生き物だという前提が、世論に横たわっているからだ。誰もが無意識のうちにそう考える。ごく自然にな。だから、覆せ。君が持つ能力を示して他を圧倒するといい。ああ、ティナ、ティナ、私のティナ。君が私の背すら超えて羽ばたく姿を見れたらどんなにか……」
手の甲に口づけられ、セレスティナは目を見開いた。
シリウスを超えて? そんなこと自分は考えたこともなかった。シリウスに追いつけたら、そう考えはしたけれど……シリウスの考えは自分より一歩も二歩も先を行っている。見据える未来の先が、考えるスケールが違うんだわ。
「ここで君が奮闘すれば、君の後に続こうとする女性も出るだろう」
シリウスがそう言って笑った。
能力を潰される……ええ、そうかもしれないわ。一生懸命頑張っても、不正だと言いがかりをつけられて脇へ押しやられる。きっと今までに何度もあったんじゃないかしら。私にはシリウスがいるから、こうして真っ直ぐに歩けるけれど……もし、私が平民だったら? なんの後ろ盾もなければ、侯爵令息の圧力に屈していたかもしれない。
――少しは強くならないとね。
これはシャルお姉様の言葉。そうね、引いちゃいけない場合もあるんだわ。
「……やるわ」
「それでいい。手は抜くな?」
出来ればけっちょんけっちょんに、二度と立ち上がれないようにしてやれ。
そう囁かれて顔が引きつった。
いえ、あの、そこまでは……
ふんっとレイが鼻を鳴らせば、シリウスの額にぴしりと青筋が浮かんだ気がした。セレスティナはひやりとする。レイ・グラシアンの言い様は酷かったが、シリウスを怒らせるとそれ以上に怖い。セレスティナは急ぎ一歩前へ出た。
「あ、あの、待って、彼は……」
「ふんっ、教師もそうやって誘惑してテストの点を誤魔化したか? おかしいと思ったんだ。お前のような女が首席合格なんてな。女の武器を使ったのなら納得……」
言葉途中でレイはシリウスに髪を鷲掴みにされ、がつんとテラスの縁に顔面殴打だ。「がふっ!」といううめき声を上げてレイがうずくまる。抑えた手の間から赤い液体がしたたったので、多分鼻血を出したのだろう。
「シリウス!」
咄嗟に上げたセレスティナの悲鳴に「何をするんだ!」というレイの罵声が途中で消える。代わりにレイの口から漏れたのは困惑の声だ。
「シリウス?」
「そう、私だ。だが、ファーストネームを呼ばれる筋合いはない」
レイ・グラシアンが恐る恐る顔を上げれば、いつものシリウスがそこにいた。魔道具の年齢操作を解除し、今は三十六才の貫禄ある美男子だ。レイ・グラシアンを見下ろす片眼鏡をかけた青い瞳が射貫くように鋭い。レイが目を見開いた。信じられないと言いたげである。
「あ、なん、で……」
シリウスがにぃっと笑う。
「なに、魔道具を使って若返っていただけだ。それよりも……あばずれとは誰の事だ? 教師も誘惑してテストの点を誤魔化した? とんだ言いがかりだな」
レイ・グラシアンは目に見えて狼狽えた。
「も、申し訳ありません。ま、まさか、お相手が公爵様本人だとは思いもせず……てっきり公爵様の親戚と浮気をしていると思いました。で、ですから、少々懲らしめようとしただけで……」
「言い訳はいい。さぁ、来るんだ」
ぐいっと首根っこを引っ掴まれ、ずるずると引きずられる。
「ちょ、ちょっと待……」
「ああ、きちんと顔を拭け。血塗れでは皆が騒ぐ」
乱暴に顔をハンカチでぬぐわれ、さらに悲鳴だ。多分、鼻が折れているのだろう。
「待って、シリウス! 何をする気なの?」
セレスティナが追いすがれば、シリウスが笑った。宥めるように栗色の髪をさらりとすく。
「何、ほんのデモンストレーションだ」
「デモンストレーション?」
「そう。彼は君の実力を認められないようだから、ここで君との能力差を見せてやる」
「あ、あの、いえ、いいわ、シリウス。そこまでしなくても。不正をしていないことはシリウスも教師の方々も分かっていると思うし……シリウス?」
レイ・グラシアンを引きずったまま背を向け、シリウスが歩き出す。シリウスは担任教師であるエバ・マシュートを探し出し、ニッコリ笑顔で提案した。
「計算勝負、ですか?」
教師のエバが困惑気味にシリウスの提案を繰り返す。
「そうだ、いい余興になる。グラシアン侯爵令息は計算クラブに所属しているし、ティナも計算は得意だ。今この場で二人を競わせろ」
「でしたら、他に参加したい生徒達を集めて……」
「ははは、必要ない。不正を行ったとティナを侮辱したのでさらし者……身の程を知ってもらおうと思っただけだ」
「は、え? オルモード公爵夫人を侮辱?」
流石にそれはと言いたげにエバの顔がさぁっと青ざめる。
公爵夫人を侮辱……不敬罪に相当するだろう。
「そうだ。テストの結果は不正をしたからだと言い切ったぞ。グラシアン侯爵家への抗議は後回しにするとして、ここでこのくそったれをきっちり締め上げ……二度と立ち直れないようにプライドズタズタ……仕置きを加えようかと思う」
「あの、ところどころ物騒な言葉が混じって……」
「返事は?」
圧のあるシリウスの笑顔にエバは屈服した。
「は、はははははい! 厳正な審査をさせて頂きます!」
びしぃっとエバ・マシュートの背が伸びる。
急遽、計算勝負をする舞台が整えられた。問題を表示する魔道掲示板と、回答者用の椅子が二つ用意され、興味津々たくさんの生徒達が周囲に集まっている。
出される問題は五桁同士のかけ算で、教諭のエバが問題を提示するという手はずだ。計算スピードを競うので、先に十問正解した方が勝ちである。だが、魔道計算機は使用不可だと聞かされ、レイ・グラシアンは担任のエバに食ってかかった。計算クラブでは魔道計算機の操作スピードを競うのに、どうしてと言いたいらしい。
「数学のテストで魔道計算機の使用は認められていないだろう?」
ぴしゃりとシリウスに言い切られ、レイ・グラシアン侯爵令息は黙った。不正行為という言いがかりに対する意趣返しなのだから、当然と言えば当然であろうか。その様子を目にしたセレスティナは、そんなもの必要ないのにとひっそり思う。彼女に取っては簡単な計算問題だったからだ。
「あの、シリウス?」
「いつも通りやればいい。そら、遊びで私と一緒になって十桁同士のかけ算を暗算でよくやるだろう? 今回はたったの五桁だ。楽勝だな?」
シリウスの言葉を耳にしたレイ・グラシアンは目を剥いた。嘘だろと唇の動きが告げる。
「でも、あの……」
ちらちらと顔色を失ったレイ・グラシアンに視線を送った。
「彼はやりたくないみたい。それに、私はシリウスが分かってくれていたらそれで……」
「女の天才はいない。こう言われて悔しくはないか?」
そう言われてセレスティナは縮こまる。
「わ、私は天才なんかじゃ……」
「ティナ、ティナ、私を見なさい」
ふっと顔を上げれば、真剣なシリウスの顔がある。圧倒する何かがあって、セレスティナは口をつぐんだ。シリウスはいつだって優しい白銀の天使様だけれど、意志を押し通そうとする時の彼には逆らえない。逆らってはいけないという気にさせられる。
「ティナ。君が自分の為にがんばれないというのなら、そうだな……。同じ女生徒の為にがんばってみたらどうだ?」
「同じ女生徒の為?」
「そうだ。過去、君と同じ立場になった女生徒がいないとはいいきれまい? 男以上の能力を示しても、不正を行ったと君と同じように言われた者がいるかもしれない」
セレスティナは黙り込んだ。確かにいない、とは言い切れない。女性蔑視は女性であるなら誰もが感じているだろう。特に秀でた能力をもっている女性は……
「そういった蛮行がまかり通るのは、女は男より劣った生き物だという前提が、世論に横たわっているからだ。誰もが無意識のうちにそう考える。ごく自然にな。だから、覆せ。君が持つ能力を示して他を圧倒するといい。ああ、ティナ、ティナ、私のティナ。君が私の背すら超えて羽ばたく姿を見れたらどんなにか……」
手の甲に口づけられ、セレスティナは目を見開いた。
シリウスを超えて? そんなこと自分は考えたこともなかった。シリウスに追いつけたら、そう考えはしたけれど……シリウスの考えは自分より一歩も二歩も先を行っている。見据える未来の先が、考えるスケールが違うんだわ。
「ここで君が奮闘すれば、君の後に続こうとする女性も出るだろう」
シリウスがそう言って笑った。
能力を潰される……ええ、そうかもしれないわ。一生懸命頑張っても、不正だと言いがかりをつけられて脇へ押しやられる。きっと今までに何度もあったんじゃないかしら。私にはシリウスがいるから、こうして真っ直ぐに歩けるけれど……もし、私が平民だったら? なんの後ろ盾もなければ、侯爵令息の圧力に屈していたかもしれない。
――少しは強くならないとね。
これはシャルお姉様の言葉。そうね、引いちゃいけない場合もあるんだわ。
「……やるわ」
「それでいい。手は抜くな?」
出来ればけっちょんけっちょんに、二度と立ち上がれないようにしてやれ。
そう囁かれて顔が引きつった。
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