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第三章 愛と欲望の狭間
第百三十七話 君との思い出をもう一度
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寝室にて額を氷で冷やしながら、シリウスは呻いた。完璧こぶが出来ている。自分がやった容赦のない頭突きのせいだ。テーブルに頭を打ち付けるなど、どうかしている。本当に一体自分はどうしてしまったのか……
自虐趣味などない、先程そう叫んだが、この調子だとその発言すら怪しい。自分を痛めつけて喜ぶ趣味があると思いたくはないが……
「シリウス、大丈夫?」
セレスティナにそう問われて、シリウスはびくりとなった。彼女と向き合うと、どうしても調子が狂う。不快ではないが、いつもと違う感覚に戸惑うばかりだ。
「ああ、平気だ」
「何かして欲しいことはある?」
セレスティナがそう言って笑う。
して欲しいこと……ハルが傍で待機しているし、部屋の外にはダグラスもいる。特に必要ないのだが……
シリウスはベッドの端にこしかけたまま、ちらりと部屋の隅に立つハロルドを見やり、セレスティナに視線を戻す。
――じゃあね、パパ。ティナと仲良くね?
娘のシャーロットは他の連中を引き連れ、そう言って姿を消した。気を利かせたとも言えるが、いらない気遣いだ。どう接して良いのかすら分からない。
「……君は良かったのか?」
シリウスがそう問うと、セレスティナが不思議そうに首を傾げた。
「私と、その……結婚?」
「ええ、もちろんよ。どうして?」
「どうしてって……」
年が違いすぎる、シリウスはそう言おうとしたが、かの少女の視線は揺るがない。真っ直ぐな新緑の瞳を見つめ、今更か、そう考え直し、口にするのを止めた。
あと少しで成人なら自分で将来を判断できる年だ。合意の上なら何も言うまい。そうだ、開発中の魔道具は……
「シリウス、どこへ行くの?」
「研究室へ」
あそこがどうなっているのか気になる。
「私も一緒に行ってもいい?」
「……君には面白くないだろう?」
魔工学の講義をしようものなら、貴婦人には大抵欠伸をかみ殺される。そう思っての発言だったが、セレスティナは微笑んだ。
「いいえ、面白いわ? 私、魔工学は大好きだもの。シリウスと一緒に魔道具を作るのは楽しいわ」
大好き……楽しい?
つい、がしっと彼女の肩を掴んでしまう。
何せ、幼いシャルもイザークも魔工学の講義そっちのけで、ボール遊びに夢中だった。何度試してみても、パパの話はつまんなーいで終わりである。ひっそり何度涙したか。年が幼すぎるのかと一旦は諦めたのだが……
「もしかして君は王立魔道学園の生徒か? 専攻は魔工学科?」
「え? ええ」
セレスティナが肯定すると、シリウスの目が爛々と輝く。
「ど、どの程度学んだ? もうすぐ十八才なら魔工学の基礎は終えているな? そうだ、新説の魔法力学はどうだ? 興味あるか? 魔工学の講義ならいくらでもしてやるぞ?」
セレスティナがくすくすと笑った。相変わらずだと言いたげに。
「王立魔道学園の卒業試験にもう受かっているわ? なので、その、これでも一応、一人前の魔工技師なの」
シリウスの興奮の度合いが、更に上昇する。
「ははは、いいぞ! 私と同じ飛び級で進学か! 君が作った魔道具を見せてくれ!」
「シリウスの研究室に……きゃっ?」
「よし、行こう!」
セレスティナの言葉途中で、シリウスは彼女をお姫様抱っこし、走り出す。記憶を失う前の行動が無意識に出てしまっただけといえるが、それが普段の自分ではありえない行動であることに、興奮しまくっていたシリウスは気が付かない。
一方、セレスティナの頬がほんのり色づく。以前のシリウスがここにいるような気がして。じんわりとした喜びが広がった。
ダグラスを入り口に待機させ、セレスティナを抱えたシリウスは、ハロルドを伴って急ぎ研究室へと足を踏み入れる。セレスティナが差し出した空飛ぶ靴は、夜色のパンプスで、星屑をちりばめたようなデザインだ。
それを受け取ったシリウスは、急ぎ分解し、中の構造を目にして歓喜した。所々稚拙な部分はあるが、魔工式の組み立て方が素晴らしい。これを目の前の少女が? どうしても興奮してしまう。
「これは幾つの時の作品だ?」
「十五才の時よ」
「十五才! は、はは……」
養女にしたがるわけだと、シリウスは納得してしまう。彼女の才は群を抜いている。そこでふと、セレスティナの言葉を思い出す。
――シリウスと一緒に魔道具を作るのは楽しいわ。
彼女はそう言っていた……
「もしかして私と共同研究を?」
シリウスがそう問うと、セレスティナがはにかむように笑う。
「そんなに大層なものじゃないわ。シリウスが一方的に私を助けてくれているのよ。シリウスは私の専属講師だもの。手取り足取りいろんな事を教えてくれるの」
「専属講師……」
自分の入れ込みようが手に取るように分かる。きっと彼女の才に夢中だったに違いない。
「君が作った最新の魔道具はあるか?」
今の彼女の実力が知りたい。さぞ素晴らしいに違いない。期待に胸を膨らませ、シリウスがそう口にすると、セレスティナがふと思い出したように言った。
「最新……あ、そうだわ。二人のお誕生日用にと作った魔道具があるわ。すっかり渡しそびれてしまったわね」
セレスティナが手にした袋から取り出したのは、マイク型の魔道具だった。
「見ててね?」
セレスティナが笑う。マイク型魔道具を耳に引っかけて装着し、歌を歌った。すると、金の粉が吹き出すようにキラキラと彼女の体が輝き始め、それと同時に、手のひらに乗せていた種が発芽し、みるみるうちに成長し始めた。
シリウスは目を見張った。
「これ、は……」
「どう? 素敵でしょう? 時の秘技の応用なの。歌えば、手で触れた植物の生長を促せるのよ? 種から花を咲かせたり、実をならせたり、まさに魔法使いよね? 大量の植物を育てようとすると魔力消費が爆上がりするから、畑の作物を育てるのには不向きだけれど、二人を楽しませたくて、遊び道具として作ったの。喜んでくれるといいのだけれど」
時の秘技。まさか……
シリウスはこくりと喉を鳴らした。
「君は神の設計図を見た事があるのか?」
この世界を形作った神の設計図――空を彩る星々から人間に至るまで、その基本となる設計図が、神の次元には存在している。まさに神秘の宝庫だ。あそこにアクセス出来るのなら、時の秘技を手にできるだろうが……今の魔工技師達の技術では不可能だ。時を操る魔工式はまだ導き出されていない。自分の頭脳に封じられたままだ。それを彼女が手にできたということは……
「ええ、あるわ? 何度も」
セレスティナが笑って答えた。
シリウスの心に走った衝撃はいかほどか……
魂の片割れを見つけたようなそんな感覚だった。暗闇の中に差し込む光のように感じた事だろう。人は孤独のままではいられない。どうしたって心を分有できる存在を求めてしまう。自分の心を映す相手がいることは、この上もない喜びである。
「シリウスもそうで……」
しょう? そう言いかけたセレスティナの声が止まった。シリウスに抱きしめられたからだ。奇跡だ……そんなシリウスの言葉を聞いた気がした。
奇跡……こそばゆくて仕方がない。シリウスに抱きしめられ事が嬉しくて、セレスティナは甘えるように身をすり寄せてみたけれど、次の瞬間、シリウスは勢いよく離れた。
「す、すまない!」
かなり慌てている。
「未婚の女性に、その、随分と失礼な真似を……」
シリウスの慌てぶりに、セレスティナは目を見張ってしまう。
まじまじと見入ってしまった。
もしかして、照れているの? こんなシリウスは初めて見るわ。女性の扱いに慣れていない、そんな感じが……いえ、でも、そうね。もともと彼は遊び人ではなかったし、十三才も若返ってしまったのだもの。きっと精神が今よりずっと若いのね。
セレスティナはふふっと笑った。
「これくらい何てことないわ。だって、私、シリウスとはいつも一緒に寝ているのよ?」
ついつい揶揄ってしまうと、シリウスが目を剥いた。
「はあ? いや、ちょ……ま、待て。ま、まさか、私が君の寝床に潜り込んだのか? まだ結婚していないだろう?」
セレスティナはくすくすと笑ってしまう。
「十五才の頃からだから、シリウスにとっては子供をあやすようなものよ」
そう、私が寂しがったから、あなたはそうしてくれた。今思えば、本当になんてお願いをしたのだろうと思う。
「十五才!」
シリウスが叫ぶ。オーマイガーッというような感じで空を振り仰いだ。
「ま、まさか、その時に婚約を?」
「婚約をしたのは十六才の誕生日だったわ」
セレスティナにそう答えられて、シリウスは手で顔を覆う。
「ということは、十六才の君に三十四才の私は恋慕したのか? 変態……あ、いや……」
ぐったりとした風体でシリウスが首を横に振る。
「もうすぐ十八才の君は、綺麗で魅力的だと思う。魔工学の才能が群を抜いて素晴らしい。今の君なら結婚したいと思っても不思議はないが、が! 婚約した時が十六才。三十四才のいい大人が何をやって……。心が折れそうだ」
「自分の話を理解してくれることが嬉しいって、シリウスはそう言ってくれたわ?」
セレスティナがおずおずとそう言い添えた。
「話を理解……」
「ええ、私の傍にいると安らぐって……。私の存在がとっても、その、喜びだって。シリウスは恥ずかしくなるくらい私を褒めてくれるの。同じ夢を見て、同じ音を奏でる私と一緒にいられることが、嬉しくて仕方がないって。君が愛おしいって。いつだってそれを態度で示してくれたのよ?」
セレスティナがそっと恥ずかしそうに新緑の瞳を伏せる。
シリウスはそんな彼女をじっと見つめた。
存在が嬉しい、喜び……
それは今の自分でも理解出来る。魔工学が好きで、自分と同じように神の設計図にアクセス出来るのなら、それは取りも直さず、自分を理解出来る存在だからだ。自分の夢を分有し、共有できる。自分が見る世界を目にし、理解してくれる唯一無二の存在……。手放したくない、手に入れたい、そう考えても不思議はないだろう。
だから、早期婚約を? 他の男に取られたくなくて? ありうる……。自分は策略家だ。手に入れたいと思えば、どんな手を使ってもやり遂げるだろう。
今一度栗色の髪に手を伸ばせば、やはりセレスティナの顔がふわりとほころぶ。嬉しそうに……
シリウスは目を見張った。
それに、そうだ、これだ。最初は驚きの方が先に立って、それ以外の自分の感情を流してしまったが、嬉しいんだ。確かに喜びを感じている。こうして彼女の笑う姿が嬉しくて仕方がない。三十四才の自分は彼女に恋をしたのか? たった十六才の少女に?
「シリウス?」
気が付けば泣いていた。理由も分からず涙が溢れてくる。いろんな感情がない交ぜになってよく分からない。嬉しいのか悲しいのか悔しいのか……
不意にセレスティナに抱きしめられて、シリウスはびくりと一瞬身を固くしたが、身を引くことはしなかった。じんわりと温かい。同じように背に腕を回し、セレスティナを抱きしめ返した。やはり心地良い。そう感じる。彼女の存在が喜び……ああ、分かる気がする。きっと未来の自分は彼女を必要としたんだろう。
十三年分の記憶がない……
そのことが無性に気になりだした。サマンサとの過去よりも、目の前の少女と過ごした記憶の喪失が気になって仕方がない。十三年は長い。一体どんな体験を自分はしたのだろう。三ヶ月後に結婚……自分が望んだというのなら、きっと浮かれていたに違いない。彼女と過ごした日々は一体どんなものだったのか。
思い出したいのに思い出せない。もどかしい……
シリウスはそこではっとなる。そうだ! 子供達と同じように彼女の事も記録しているかもしれない。自室を漁れば……
「そうだわ。シャルお姉様とイザークお兄様のお誕生会をやり直しましょう!」
シリウスが動く前に、セレスティナがそう口にした。
自虐趣味などない、先程そう叫んだが、この調子だとその発言すら怪しい。自分を痛めつけて喜ぶ趣味があると思いたくはないが……
「シリウス、大丈夫?」
セレスティナにそう問われて、シリウスはびくりとなった。彼女と向き合うと、どうしても調子が狂う。不快ではないが、いつもと違う感覚に戸惑うばかりだ。
「ああ、平気だ」
「何かして欲しいことはある?」
セレスティナがそう言って笑う。
して欲しいこと……ハルが傍で待機しているし、部屋の外にはダグラスもいる。特に必要ないのだが……
シリウスはベッドの端にこしかけたまま、ちらりと部屋の隅に立つハロルドを見やり、セレスティナに視線を戻す。
――じゃあね、パパ。ティナと仲良くね?
娘のシャーロットは他の連中を引き連れ、そう言って姿を消した。気を利かせたとも言えるが、いらない気遣いだ。どう接して良いのかすら分からない。
「……君は良かったのか?」
シリウスがそう問うと、セレスティナが不思議そうに首を傾げた。
「私と、その……結婚?」
「ええ、もちろんよ。どうして?」
「どうしてって……」
年が違いすぎる、シリウスはそう言おうとしたが、かの少女の視線は揺るがない。真っ直ぐな新緑の瞳を見つめ、今更か、そう考え直し、口にするのを止めた。
あと少しで成人なら自分で将来を判断できる年だ。合意の上なら何も言うまい。そうだ、開発中の魔道具は……
「シリウス、どこへ行くの?」
「研究室へ」
あそこがどうなっているのか気になる。
「私も一緒に行ってもいい?」
「……君には面白くないだろう?」
魔工学の講義をしようものなら、貴婦人には大抵欠伸をかみ殺される。そう思っての発言だったが、セレスティナは微笑んだ。
「いいえ、面白いわ? 私、魔工学は大好きだもの。シリウスと一緒に魔道具を作るのは楽しいわ」
大好き……楽しい?
つい、がしっと彼女の肩を掴んでしまう。
何せ、幼いシャルもイザークも魔工学の講義そっちのけで、ボール遊びに夢中だった。何度試してみても、パパの話はつまんなーいで終わりである。ひっそり何度涙したか。年が幼すぎるのかと一旦は諦めたのだが……
「もしかして君は王立魔道学園の生徒か? 専攻は魔工学科?」
「え? ええ」
セレスティナが肯定すると、シリウスの目が爛々と輝く。
「ど、どの程度学んだ? もうすぐ十八才なら魔工学の基礎は終えているな? そうだ、新説の魔法力学はどうだ? 興味あるか? 魔工学の講義ならいくらでもしてやるぞ?」
セレスティナがくすくすと笑った。相変わらずだと言いたげに。
「王立魔道学園の卒業試験にもう受かっているわ? なので、その、これでも一応、一人前の魔工技師なの」
シリウスの興奮の度合いが、更に上昇する。
「ははは、いいぞ! 私と同じ飛び級で進学か! 君が作った魔道具を見せてくれ!」
「シリウスの研究室に……きゃっ?」
「よし、行こう!」
セレスティナの言葉途中で、シリウスは彼女をお姫様抱っこし、走り出す。記憶を失う前の行動が無意識に出てしまっただけといえるが、それが普段の自分ではありえない行動であることに、興奮しまくっていたシリウスは気が付かない。
一方、セレスティナの頬がほんのり色づく。以前のシリウスがここにいるような気がして。じんわりとした喜びが広がった。
ダグラスを入り口に待機させ、セレスティナを抱えたシリウスは、ハロルドを伴って急ぎ研究室へと足を踏み入れる。セレスティナが差し出した空飛ぶ靴は、夜色のパンプスで、星屑をちりばめたようなデザインだ。
それを受け取ったシリウスは、急ぎ分解し、中の構造を目にして歓喜した。所々稚拙な部分はあるが、魔工式の組み立て方が素晴らしい。これを目の前の少女が? どうしても興奮してしまう。
「これは幾つの時の作品だ?」
「十五才の時よ」
「十五才! は、はは……」
養女にしたがるわけだと、シリウスは納得してしまう。彼女の才は群を抜いている。そこでふと、セレスティナの言葉を思い出す。
――シリウスと一緒に魔道具を作るのは楽しいわ。
彼女はそう言っていた……
「もしかして私と共同研究を?」
シリウスがそう問うと、セレスティナがはにかむように笑う。
「そんなに大層なものじゃないわ。シリウスが一方的に私を助けてくれているのよ。シリウスは私の専属講師だもの。手取り足取りいろんな事を教えてくれるの」
「専属講師……」
自分の入れ込みようが手に取るように分かる。きっと彼女の才に夢中だったに違いない。
「君が作った最新の魔道具はあるか?」
今の彼女の実力が知りたい。さぞ素晴らしいに違いない。期待に胸を膨らませ、シリウスがそう口にすると、セレスティナがふと思い出したように言った。
「最新……あ、そうだわ。二人のお誕生日用にと作った魔道具があるわ。すっかり渡しそびれてしまったわね」
セレスティナが手にした袋から取り出したのは、マイク型の魔道具だった。
「見ててね?」
セレスティナが笑う。マイク型魔道具を耳に引っかけて装着し、歌を歌った。すると、金の粉が吹き出すようにキラキラと彼女の体が輝き始め、それと同時に、手のひらに乗せていた種が発芽し、みるみるうちに成長し始めた。
シリウスは目を見張った。
「これ、は……」
「どう? 素敵でしょう? 時の秘技の応用なの。歌えば、手で触れた植物の生長を促せるのよ? 種から花を咲かせたり、実をならせたり、まさに魔法使いよね? 大量の植物を育てようとすると魔力消費が爆上がりするから、畑の作物を育てるのには不向きだけれど、二人を楽しませたくて、遊び道具として作ったの。喜んでくれるといいのだけれど」
時の秘技。まさか……
シリウスはこくりと喉を鳴らした。
「君は神の設計図を見た事があるのか?」
この世界を形作った神の設計図――空を彩る星々から人間に至るまで、その基本となる設計図が、神の次元には存在している。まさに神秘の宝庫だ。あそこにアクセス出来るのなら、時の秘技を手にできるだろうが……今の魔工技師達の技術では不可能だ。時を操る魔工式はまだ導き出されていない。自分の頭脳に封じられたままだ。それを彼女が手にできたということは……
「ええ、あるわ? 何度も」
セレスティナが笑って答えた。
シリウスの心に走った衝撃はいかほどか……
魂の片割れを見つけたようなそんな感覚だった。暗闇の中に差し込む光のように感じた事だろう。人は孤独のままではいられない。どうしたって心を分有できる存在を求めてしまう。自分の心を映す相手がいることは、この上もない喜びである。
「シリウスもそうで……」
しょう? そう言いかけたセレスティナの声が止まった。シリウスに抱きしめられたからだ。奇跡だ……そんなシリウスの言葉を聞いた気がした。
奇跡……こそばゆくて仕方がない。シリウスに抱きしめられ事が嬉しくて、セレスティナは甘えるように身をすり寄せてみたけれど、次の瞬間、シリウスは勢いよく離れた。
「す、すまない!」
かなり慌てている。
「未婚の女性に、その、随分と失礼な真似を……」
シリウスの慌てぶりに、セレスティナは目を見張ってしまう。
まじまじと見入ってしまった。
もしかして、照れているの? こんなシリウスは初めて見るわ。女性の扱いに慣れていない、そんな感じが……いえ、でも、そうね。もともと彼は遊び人ではなかったし、十三才も若返ってしまったのだもの。きっと精神が今よりずっと若いのね。
セレスティナはふふっと笑った。
「これくらい何てことないわ。だって、私、シリウスとはいつも一緒に寝ているのよ?」
ついつい揶揄ってしまうと、シリウスが目を剥いた。
「はあ? いや、ちょ……ま、待て。ま、まさか、私が君の寝床に潜り込んだのか? まだ結婚していないだろう?」
セレスティナはくすくすと笑ってしまう。
「十五才の頃からだから、シリウスにとっては子供をあやすようなものよ」
そう、私が寂しがったから、あなたはそうしてくれた。今思えば、本当になんてお願いをしたのだろうと思う。
「十五才!」
シリウスが叫ぶ。オーマイガーッというような感じで空を振り仰いだ。
「ま、まさか、その時に婚約を?」
「婚約をしたのは十六才の誕生日だったわ」
セレスティナにそう答えられて、シリウスは手で顔を覆う。
「ということは、十六才の君に三十四才の私は恋慕したのか? 変態……あ、いや……」
ぐったりとした風体でシリウスが首を横に振る。
「もうすぐ十八才の君は、綺麗で魅力的だと思う。魔工学の才能が群を抜いて素晴らしい。今の君なら結婚したいと思っても不思議はないが、が! 婚約した時が十六才。三十四才のいい大人が何をやって……。心が折れそうだ」
「自分の話を理解してくれることが嬉しいって、シリウスはそう言ってくれたわ?」
セレスティナがおずおずとそう言い添えた。
「話を理解……」
「ええ、私の傍にいると安らぐって……。私の存在がとっても、その、喜びだって。シリウスは恥ずかしくなるくらい私を褒めてくれるの。同じ夢を見て、同じ音を奏でる私と一緒にいられることが、嬉しくて仕方がないって。君が愛おしいって。いつだってそれを態度で示してくれたのよ?」
セレスティナがそっと恥ずかしそうに新緑の瞳を伏せる。
シリウスはそんな彼女をじっと見つめた。
存在が嬉しい、喜び……
それは今の自分でも理解出来る。魔工学が好きで、自分と同じように神の設計図にアクセス出来るのなら、それは取りも直さず、自分を理解出来る存在だからだ。自分の夢を分有し、共有できる。自分が見る世界を目にし、理解してくれる唯一無二の存在……。手放したくない、手に入れたい、そう考えても不思議はないだろう。
だから、早期婚約を? 他の男に取られたくなくて? ありうる……。自分は策略家だ。手に入れたいと思えば、どんな手を使ってもやり遂げるだろう。
今一度栗色の髪に手を伸ばせば、やはりセレスティナの顔がふわりとほころぶ。嬉しそうに……
シリウスは目を見張った。
それに、そうだ、これだ。最初は驚きの方が先に立って、それ以外の自分の感情を流してしまったが、嬉しいんだ。確かに喜びを感じている。こうして彼女の笑う姿が嬉しくて仕方がない。三十四才の自分は彼女に恋をしたのか? たった十六才の少女に?
「シリウス?」
気が付けば泣いていた。理由も分からず涙が溢れてくる。いろんな感情がない交ぜになってよく分からない。嬉しいのか悲しいのか悔しいのか……
不意にセレスティナに抱きしめられて、シリウスはびくりと一瞬身を固くしたが、身を引くことはしなかった。じんわりと温かい。同じように背に腕を回し、セレスティナを抱きしめ返した。やはり心地良い。そう感じる。彼女の存在が喜び……ああ、分かる気がする。きっと未来の自分は彼女を必要としたんだろう。
十三年分の記憶がない……
そのことが無性に気になりだした。サマンサとの過去よりも、目の前の少女と過ごした記憶の喪失が気になって仕方がない。十三年は長い。一体どんな体験を自分はしたのだろう。三ヶ月後に結婚……自分が望んだというのなら、きっと浮かれていたに違いない。彼女と過ごした日々は一体どんなものだったのか。
思い出したいのに思い出せない。もどかしい……
シリウスはそこではっとなる。そうだ! 子供達と同じように彼女の事も記録しているかもしれない。自室を漁れば……
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