上 下
90 / 166
第三章 愛と欲望の狭間

第百二十八話 胡椒クッキーの行方

しおりを挟む
「クローゼ、これは?」

 菓子の山に目をとめたエルランドが、妹のクローディアに問う。
 ここは学園内にある留学生用の宿舎だが、クローディアは王族なので特別室をあてがわれており、内装は素晴らしい。ふかふかの絨毯に、光源はシャンデリアだ。

「ティナお姉様の魔道オーブン発売記念で、売り出していたお菓子を買ってきたの」

 クローディアがサクサクとカボチャクッキーを口にしながら言う。ほっぺたが落ちそうと上機嫌だ。

「人間の作ったお菓子だそうです。こんなものを王女様が食すなんて……」

 お茶の給仕をしていた侍女のカーラは、何とも不満そうだ。

「全部食うのか、これ?」

 エルランドが呆れたように言う。テーブルの上には、菓子が山と積まれている。

「もちろんよ。全種類買ってきたの。あ、でもぉ……ティナお姉様が作ったにんじんマフィンだけは、手に入らなかったのよね。残念だわ。売店に行った時にはもう、売り切れちゃってて……」
「ふーん? 人気だったんだな?」
「それはもう! ティナお姉様の手作りだもの!」

 クローディアが当然と言いたげに鼻高々だ。

「ん? こっちのクッキーは? 真っ黒だけど……ああ、胡椒か」

 ふんふんと袋の匂いを嗅ぎ、エルランドが言う。

「そっちはシャルの手作りらしいわ」
「へー……シャーロット嬢もティナちゃんも公爵令嬢なのによくやるな」

 エルランドは、ぽいっと胡椒クッキーを一つ口に入れ……げほげほと盛大に咳き込んだ。

「お兄様?」

 クローディアが不思議そうにくいっと首を傾げる。狼獣人だが、相変わらず子犬のように可愛らしい。

「かっら! 何だこりゃ、胡椒入れすぎ!」

 エルランドの金色の目が涙目だ。

「あー……そうそう、胡椒をサービスしたって言ってたわ」

 エルランドはぶんぶん首を横に振る。

「いやいやいやいやいやいや、これ、サービスの域超えてるから! クッキーじゃなくて、胡椒そのまんま食ってるみてーだよ」
「胡椒そのまんま……」

 じーっとシャーロットが作った胡椒クッキーを見て、クローディアはえへへと笑う。

「お兄様?」
「……俺は食わねーぞ。甘党だかんな。辛いのは苦手だ」

 エルランドがきっぱり言ってのける。

「カーラ、は無理よね……」

 クローディアがしょんぼりと肩を落とし、侍女のカーラがごほんと咳をする。

「……あの半竜が作ったものですか?」
「ええ、そうよ?」
「わ、わたくしが、その……た、食べてもよろしいですわ?」
『え゛』

 エルランドとクローディアの声が唱和する。

「カーラは辛いものが好きだっけ?」

 カーラが再びごほんと咳払いをする。そっぽを向いた頬が少し赤い。

「は、半分でも彼女はドラゴン様ですからね。ま、ちょっぴり敬意を表しまして……」
「敬意……」

 クローディアの呟きを慌てて否定する。

「ほ、ほんのちょっぴりです! ちょっぴり! 半分は人間ですからね、ああもう! とにかく、クローディア様が召し上がらないのでしたら、わたくしが! 嫌々ですが!」

 カーラは手にした胡椒クッキーを、ざらあっと口の中に放り込む。それを見たクローディアは目を剥いた。

「カ、カーラ? だ、大丈夫?」
「いや、無理しない方が……」

 二人の視線が、豹獣人のカーラに釘付けだ。クッキーを咀嚼している彼女の顔が、今や真っ赤である。相当辛いに違いない。紅茶を何杯も口にしつつ、カーラは口の中の物をゴックンと飲み込んだ。

「お、おいしゅうございました」

 ぜーはーぜーはーと肩で息をしつつ、カーラは涙目でそう言ってのける。クローディアがぽつりと言った。

「カーラ……見直したわ」
「ああ、すげえな。俺、真似出来ねぇ」

 二人して頷き合う。


◇◇◇


「ママ、これなぁに?」

 小さな子供が、母親が扱う魔道オーブンを不思議そうに眺める。親子がいるのは釜のあるこじんまりとした台所だ。

「魔法の箱よ。実演を見たけれど凄かったわ」

 母親が魔道オーブンを操作し、プリンがあっという間に出来上がったのを見て、子供は歓声を上げた。

「うふふ、ビックリした? ええ、ママもビックリよ。お料理が楽しくなりそう」

 母親が楽しそうに言う。
 平民が料理に使う熱源は薪か炭なので、火の調節や管理が大変である。それがこうして手軽に調理出来るようになったのだ。喜ばないわけがない。
 おいしいプリンを毎日口に出来るようになった子供は、開発者のセレスティナにお礼の手紙を書いた。ありがとう、魔法使いのお姉さん、と。
 オルモード邸にそんな手紙がたくさん届き、セレスティナは喜んだ。

「あちこちで感謝されまくっているみたいね」

 温室のティールームで、手紙を見つつシャーロットが笑う。

「ティナは卒業前なのに凄いな。一人前の魔工技師も顔負けじゃないか」

 ジャネットがそう口にする。

「そういや、エリーゼの話って、何だったんだ?」

 お菓子を売りさばいた時の事を、ふと思い出したイザークが言う。セレスティナがふわりと笑った。邪気のない笑みだ。

「応援しているから、がんばってって激励されたわ。エリーゼは良い人ね」

 セレスティナの返答に、イザークは何ともいいようのない顔をする。

「良い人、ねぇ……」
「ちょっとイメージ違うわね?」

 シャーロットがそう言い添えた。

「そう?」
「うん、なんつーか……」
「彼女って、したたか?」

 イザークとシャーロットは、そう口にし頷き合う。二人はセレスティナよりもエリーゼと付き合いが長い。なにせ王立魔道学園に通う前から彼女の事を知っている。
 シャーロットが言った。

「悪い子じゃないわよ? それは分かってる。でも、エリーゼの場合、打算的なところがあるのよね。利益を優先させるようなところがあるのよ。だから、ティナから魔道オーブンの仕組みを聞いて、二人っきりで話したいって言った時は、てっきり……」
「てっきり?」
「あ、ううん、何でもない。思い違いだったみたいね」

 シャーロットが笑って誤魔化した。そう、エリーゼがセレスティナを利用しようとしているのではと、シャーロットは勘ぐった。なので話し合いの場までセレスティナについて行ったのだが、思い違いで良かったと思う。

「チョコレートケーキが出来ましたよ。どうぞ召し上がれ」

 料理長のブーシェがケーキの載った皿を手に登場だ。
 セレスティナが彼にプレゼントした魔道オーブンは、一時間を一秒に縮める優れもので、火力も大きさもプロ仕様である。料理の幅がさらに広がったと毎日ご機嫌だ。
 ブーシェが手にしたチョコレートケーキを目にして、シャーロットとイザークは喜んだ。二人とも大の甘い物好きである。

「旦那様にはこちらをどうぞ」

 ブーシェがシリウスに差し出したのは、ビターなチョコレートボンボンだった。

「おいしい?」

 シリウスが口にするチョコレートボンボンに、セレスティナは興味津々だ。
 だがこれは、シリウスの為に作られた菓子である。アルコール濃度がかなり高かったようで、ちびちびとそれを口にしていたセレスティナは、お茶会が終わる頃にはすっかり出来上がっていた。甘えん坊と化した彼女は、シリウスにぴったりくっついて離れようとしない。

「……酔うと、ティナってこうなるの?」

 シャーロットがぽつりと言う。
 抱きついて離れず、「シリュウ、しゅき……」と口にする舌っ足らずなセレスティナをまじまじと眺めた。頬がほんわりピンク色。可愛い、シャーロットは掛け値なしにそう思った。よしよしと頭を撫でたくなってしまう。

「そうだ。まさか菓子で酔っ払うとは……」

 シリウスが片手で顔を覆う。

「申し分けございません。その……旦那様用にと作ったもので……」

 ブーシェがそう言って謝った。

「んー? いいんじゃない? 全然気にする必要なんてないわ。きっとこれって、神様からのプレゼントよ。わたくしに可愛い妹をくれるつもりなのね」

 ほほほとシャーロットは小悪魔の笑いだ。

「シャル……」
「何よ、ティナならあとちょっとで十八才よ。文句ある?」

 シリウスがぴしゃりと言った。

「いい加減にしなさい。たとえここで結婚しても、避妊するから子供は出来ない!」

 シャーロットは目を見開いた。

「は? えぇ! そーなの?」
「あ、た、り、ま、え、だ! ティナが卒業式に出られなくなるだろう!」
「あー……まぁ、そっか。そうよ、ね……」

 シリウスにぴったりひっついて離れないセレスティナを眺め、シャーロットははふうとため息をつく。ひょいっと肩をすくめた。

「じゃ、ま、てきとーに頑張って?」
「こ、このまま放置する気か?」
「だってパパだもん。ティナに絶対手を出さないって自信ある。何をしても結果は一緒でしょ? つまらないからもう行くわ」
「いや、ちょ、待……」

 シャーロットの後に、イザークとジャネットも続く。どうしようもないと言いたげに。

「旦那様。入浴用の衣装を……」

 用意しましょうかという侍女のメリーの言葉を、シリウスは遮った。

「……今日はこのまま寝る」

 シリウスは憮然とそう言い切った。前回のような天国と地獄のループなど冗談じゃない、そう言いたげに。ティナの酔いが覚めた朝方、風呂にはいればいい、シリウスはそう考え、セレスティナを抱えて歩き出す。
 これで一件落着かと思いきや、そうは問屋が卸さなかった。

「シリュウ、しゅき……」

 ベッドの中でも、セレスティナは甘え放題だ。彼女が抱きつけば、たっぷりとした胸の感触は否が応でも分かる。甘い吐息が耳をくすぐり、柔らかな太ももが絡みつく。甘えん坊と化したセレスティナがくっついて離れず、やはり天国と地獄のループだったことは言うまでもない。
 がんばれ?(天の声)

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

愛されていないのですね、ではさようなら。

杉本凪咲
恋愛
夫から告げられた冷徹な言葉。 「お前へ愛は存在しない。さっさと消えろ」 私はその言葉を受け入れると夫の元を去り……

この度、双子の妹が私になりすまして旦那様と初夜を済ませてしまったので、 私は妹として生きる事になりました

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
*レンタル配信されました。 レンタルだけの番外編ssもあるので、お読み頂けたら嬉しいです。 【伯爵令嬢のアンネリーゼは侯爵令息のオスカーと結婚をした。籍を入れたその夜、初夜を迎える筈だったが急激な睡魔に襲われて意識を手放してしまった。そして、朝目を覚ますと双子の妹であるアンナマリーが自分になり代わり旦那のオスカーと初夜を済ませてしまっていた。しかも両親は「見た目は同じなんだし、済ませてしまったなら仕方ないわ。アンネリーゼ、貴女は今日からアンナマリーとして過ごしなさい」と告げた。 そして妹として過ごす事になったアンネリーゼは妹の代わりに学院に通う事となり……更にそこで最悪な事態に見舞われて……?】

お飾り王妃の愛と献身

石河 翠
恋愛
エスターは、お飾りの王妃だ。初夜どころか結婚式もない、王国存続の生贄のような結婚は、父親である宰相によって調えられた。国王は身分の低い平民に溺れ、公務を放棄している。 けれどエスターは白い結婚を隠しもせずに、王の代わりに執務を続けている。彼女にとって大切なものは国であり、夫の愛情など必要としていなかったのだ。 ところがある日、暗愚だが無害だった国王の独断により、隣国への侵攻が始まる。それをきっかけに国内では革命が起き……。 国のために恋を捨て、人生を捧げてきたヒロインと、王妃を密かに愛し、彼女を手に入れるために国を変えることを決意した一途なヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は他サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID:24963620)をお借りしております。

【完結】私は死んだ。だからわたしは笑うことにした。

彩華(あやはな)
恋愛
最後に見たのは恋人の手をとる婚約者の姿。私はそれを見ながら階段から落ちた。 目を覚ましたわたしは変わった。見舞いにも来ない両親にー。婚約者にもー。わたしは私の為に彼らをやり込める。わたしは・・・私の為に、笑う。

【完結】婚約者に忘れられていた私

稲垣桜
恋愛
「やっぱり帰ってきてた」  「そのようだね。あれが問題の彼女?アシュリーの方が綺麗なのにな」  私は夜会の会場で、間違うことなく自身の婚約者が、栗毛の令嬢を愛しそうな瞳で見つめながら腰を抱き寄せて、それはそれは親しそうに見つめ合ってダンスをする姿を視線の先にとらえていた。  エスコートを申し出てくれた令息は私の横に立って、そんな冗談を口にしながら二人に視線を向けていた。  ここはベイモント侯爵家の夜会の会場。  私はとある方から国境の騎士団に所属している婚約者が『もう二か月前に帰ってきてる』という話を聞いて、ちょっとは驚いたけど「やっぱりか」と思った。  あれだけ出し続けた手紙の返事がないんだもん。そう思っても仕方ないよでしょ?    まあ、帰ってきているのはいいけど、女も一緒?  誰?  あれ?  せめて婚約者の私に『もうすぐ戻れる』とか、『もう帰ってきた』の一言ぐらいあってもいいんじゃない?  もうあなたなんてポイよポイッ。  ※ゆる~い設定です。  ※ご都合主義です。そんなものかと思ってください。  ※視点が一話一話変わる場面もあります。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。