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【コミック1巻】&【小説3巻】発売記念SS

レナードの追憶:前編

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「フルハウス、お前の負け」

 カードを手にした優男のレナード・ソールが、そう言ってにやりと笑う。
 彼はオーギュストの護衛の一人だ。年は二十代後半といったところで、元詐欺師というだけあって愛想は良いが、どこかとらえどころのない男である。
 そして、レナードの相手をしているのが相棒のゴールディ・ザザだ。
 体格の良い男でゴリラのような強面である。レナードの手札を見たゴールディの表情は変わらない。相変わらずむっつり顔だ。
 今二人がいる場所はドルシア子爵邸にある使用人用の休憩室で、中央に設置されたローテーブル越しに、向かい合う形でソファに腰掛けている。

「……やっぱり分からん」

 ぽつりとゴールディがそう言えば、レナードはカードを繰る手を止めた。

「何が?」
「イカサマの方法」

 ゴールディの言葉にレナードが顔をしかめた。

「はぁ? お前、これがイカサマだって言いたいのかよ?」
「違うのか?」
「ちげーよ。俺だってイカサマばっかりしているわけじゃねーっての」
「でも、オーギュスト様にはイカサマを見抜かれたんだよな?」

 ゴールディがそう言うと、レナードが居心地悪そうに視線を逸らした。

「ん、まぁな……そしてそっくり同じ事をやり返されたよ。あれはまいった」
「そん時はどんな手を使った?」
「どんな手って……。カードを配る順番を入れ替えただけ。ほら、こんな感じだ」

 レナードのカードを配る手をじっと見たゴールディは、怪訝そうである。

「んー……分からねーか。ゆっくりやるとこんな感じだ」

 イカサマの方法がわかるよう、レナードはカードを繰る手を遅くした。すると、カードを普通に配っているように見せて、意図したカードが自分のところへ来るよう、順番を入れ替えて配っているのが分かる。
 ようやくゴールディは納得し、口元を弛めた。

「ああ、強い手札が自分のところにくるようにしていたのか」

 レナードがイタズラっぽく片目を瞑った。

「そーいうこと。でも、仕掛けが分かっても誰でも出来るって訳じゃねーぞ?」

 そう、手先の器用さが要求されるだろう。

「オーギュスト様は出来た」

 ゴールディがずばっと指摘し、レナードが肩をすくめる。

「そこなんだよなー……オーギュスト様の場合、見ただけで相手のやっていることを真似出来るってどんだけだよ。度胸もすげーから、ギャンブルでも負け知らずだ」
「ギャンブルで負けたからオーギュスト様の手下になったのか?」

 ゴールディがそう問うと、レナードは苦笑する。

「ははは、まっさか。俺の場合は親父の意志を継いだってとこか?」
「ああ、そういや、お前の父親は王家の影だったな」

 ゴールディが訳知り顔で言い、レナードが頷く。

「そーいうこと。で、ゴールディ、お前は? 元海賊がどうしてオーギュスト様の護衛をするようになったんだよ?」
「……恩人だから」
「へえ? 憲兵にとっ捕まって縛り首にでもされかかったか?」
「まぁ、そんなもんだ」

 ゴールディの返答にレナードは目を丸くする。

「えぇ? 本当かよ、それ?」

 冗談だったんだが、とレナードは大笑いする。そう、冗談だった。縛り首になりかけた海賊を助けるなど、リスクが大きすぎて普通なら誰もやらない。
 ああ、でも、オーギュスト様らしいな。
 レナードはそんな風に考える。

「もう一勝負どうだ?」
「イカサマなしで?」
「どうだろうな? ま、イカサマを見抜く練習でもしたらどうだ?」

 はははとレナードが笑い、配られたカードをゴールディが手に取った。同じようにカードを手にしたレナードは、真向かいに座るゴールディにちらりと目を向ける。

 俺がオーギュスト様の護衛になった理由、か……

 略奪行為を繰り返した強面の元海賊だが、ゴールディは根が真面目だ。言われたことはきっちりこなす。
 対して、レナードはぱっと見真面目そうに見えるが、ちゃらんぽらんである。相棒であるゴールディとは、見た目も性格も全く違う。唯一の共通点はオーギュストに対する忠誠心であろうか。
 レナードは己の髪をくしゃくしゃとかき回した。

 問われてつい「親父の意志を継いだ」なんて格好良いこと言っちまったけど、あれは建前なんだよなぁ。まったく的外れってわけじゃないが、本当のことなんかこっぱずかしくて言えやしねぇ。実際はオーギュスト様の演奏の腕に惚れ込んだからだ。
 そう、酒場でたった一度聞いた音色が忘れられず、オーギュストにつきまとったのが事の始まりである。

 ――ああ? 演奏代だぁ? 今日は殆ど弾いてねーだろが。

 店の片隅に置かれた鍵盤楽器を指さし、酒場の亭主が声を荒げたが、少年は食い下がった。

 ――だ、だって! 客がコップを投げつけてきたから……

 手を怪我して弾けなかったんだと少年が言い訳を口にする。
 だが、酒場の亭主は表情を弛めない。

 ――手を怪我して演奏できねーなら、給金なんか出せるわけないだろ? さぁ、帰った帰った。うちはな、慈善事業で店をやっているわけじゃねぇんだ。
 ――待って待って、手ぶらで帰ったら母さんに怒られるよ。
 ――そんなん、知ったことか!

 腹の突き出た酒場の店主は、すげなく少年を追い払おうとした。けれど、それを止めたのがオーギュストだ。
 その光景を思い出したレナードの眼差しに懐かしむ色が浮かぶ。

 ああ、そうだ。昨日の事のように思い出せる。そこに割って入ったのが仮面を着けたオーギュスト様だったんだ。
 白い仮面をした黒衣の男――オーギュストが金貨を差し出し、曲のリクエストをすれば、少年は喜んで飛びついた。日銭を稼がなければならない少年にしてみれば渡りに船だったろうが、それを目にしたレナードは、随分と酔狂な奴だと思った。曲のリクエストくらいで金貨を出す奴はいない。銅貨で十分だ。

 が、怪我をした少年の右手はやはり上手く動かない。失敗を繰り返す少年を目にしたオーギュストは文句を言うでもなく、隣に腰掛け、少年の右手の代わりを務めた。横に並んで右手のパートを弾いたのである。
 これまたレナードは奇妙に思った。自分で弾けるんなら曲のリクエストなんかする必要ねーのにと、そう思ったのだ。自分で弾けばいい。

 その後、ぴったり息の合った二人の演奏に酒場の客達が興味を示し、やたらと曲のリクエストが入った。そして最後の一曲はオーギュストが引き受けることとなる。リクエストされた曲を少年が知らなかったからだ。
 耳にした音色に、レナードははっとさせられた。
 弾き手が違うとこうも違うものか……

 胸をぶったたかれたような衝撃だった。心の叫びがそのまま伝わってくるようで……泣いていた奴もいたが、レナードも同じ気持ちである。曲が終わっても誰もが無反応だ。しんっと静まりかえった中、あの少年が真っ先に拍手し、それでレナードは我に返った。もちろんわっと周囲が沸いた。拍手の嵐である。

 ――ジャック様!

 群がった酒場の客達をかき分けてやってきたのは影のザインだ。二言三言耳打ちし、それを聞いたオーギュストは曲のリクエストをする客を尻目に、傍で見張りをしていた巨漢のゴールディを連れて姿を消した。
 客はがっかりしたが、それはレナードも同じだった。たった一度聞いたあの音色が忘れられず、足繁く例の酒場に顔を出したけれど、それっきりである。

 だから偶然、本当に偶然、カード賭博の場でオーギュストを見かけたとき、レナードは考えるより早く同じテーブルについていた。興奮したことは言うまでもない。そして、レナードは度肝を抜かれることとなる。オーギュストにイカサマを見抜かれ、そっくりそのままやり返されたからだ。
 手元に配られるカードが毎回同じ……こんな偶然あるわけがない。
 冷や汗をかくレナードの前で、オーギュストの仮面の下の唇が弧を描く。

「……二度とやるな?」

 そう言われれば、警告だと分かる。
 オーギュストの酷薄な笑い方にレナードはぞくりと総毛だった。
 仮面卿。
 裏社会を牛耳っている大物の一人である。広まりつつあったその名を、レナードは無意識に目の前の男に当てはめていた。なにせ、こうして向かい合ったときの重圧が凄い。まるで凄腕の暗殺者を前にしたかのようである。
 そこそこ勝ったところで、オーギュストはその場を辞した。その後をレナードが追う。建物の外に出ればチラチラと雪が降っていた。吐く息が白い。

 オーギュストを呼び止めて、もう一度演奏を聴かせて欲しいと素直に頼めばよかったのだろうが、レナードはためらった。気恥ずかしさが先に立ったのだ。だからもうちょっともうちょっとと引き延ばしているうちに、最悪の事態を招いてしまった。どうやら後をつける不審者になっていたらしい。

「……何の用だ?」

 角を曲がった途端、そう声をかけられ、レナードはぎくりとする。
 オーギュストが角の向こうに消えたので、レナードが歩調を速め後を追えば、そこにオーギュストがいた。角を曲がった先で待ち伏せされたのである。
 ちらちらと粉雪が舞う中に佇む白い仮面の男は、やはり不気味だった。レナードを見据える緑の瞳がやたらと鋭い。

 次の瞬間、オーギュストにステッキで攻撃され、レナードはそれを間一髪かわしたが、その反応がさらにオーギュストの警戒心を煽ったようだ。オーギュストの殺気が強まり、レナードはしまったと思う。父親仕込みの体術が裏目に出た形だ。
 レナードは制止するように、片手を前に突き出した。

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 俺はあんたとやり合う気は……」
「……会ったのは二度目だな?」
「え?」
「一度目は酒場。二度目は賭博場……目的は?」

 オーギュストにそう問われて、レナードは目を剥いた。
 え、ちょ……俺、あの時、群衆に紛れていたのに、俺の顔を覚えて? ちょ、待て待て待て! マジやばい!
 攻撃されるたびに鋭さを増し、危機感を覚えたレナードが必死で説得した。

「ま、待ってくれ! 俺はもう一度あんたの演奏を聴きたかっただけなんだ!」

 ふっと攻撃の手が緩んだので、レナードはたたみかけた。

「ほ、ほら! 酒場での演奏が素晴らしかったから! 本当にそれだけなんだ! 妙な行動をとっちまったのは謝る、謝るから、勘弁してくれ!」

 仮面の向こうの緑の瞳が値踏みをするように動く。

「訓練はどこで受けた?」
「あ、あー……親父から?」

 レナードはそう答えた。
 別に鍛えて欲しかったわけじゃない。殆ど無理矢理だな。

「父親の名は?」
「アリソン・ソール」

 そう告げた途端、仮面の男からすっと殺気が消えて、レナードは驚いた。

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