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仮面卿外伝【第二章 太陽が沈んだその後に】

第十二話 偽装された愛

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 アンバーが丸太小屋に戻れば、奥の部屋から欠伸混じりにフルールが起きだしてきた。

「ねえ……昨夜の事……あれ、夢?」
「夢ではありませんよ」

 アンバーに断言され、フルールは顔をしかめた。夢だと思いたかったらしい。同じように起きだしてきたダニーが、きょろきょろと周囲を見回した。

「……オーギュスト殿下とあの化け物女は?」
「殿下はもう起きていらっしゃるわ。あの女は……まだ寝ているみたいね?」

 というより、殿下は寝ていらっしゃらないんじゃないかしら。
 アンバーはそう危惧してしまう。抱っこしたローザの可愛らしい寝顔を見て、アンバーはぐっと唇を噛みしめる。

 魔女の血を飲めば、殿下に敵愾心を抱くって……それだと、殿下はずうっとローザ様と触れ合えないって事ですよね。うっ……本当に、あの魔女は性根がねじ曲がっている。

 ローザの子守をダニーに頼み、フルールと一緒になって昼食の準備をしていると、卵を手にしたリズが姿を見せた。

「これを殿下に」
「ありがとうございます」

 アンバーの手に産みたての卵がのせられる。

「あのう、リズさん。昨夜もう一人ここに転がり込んだ女がいるんですけれど……」

 アンバーがおずおずと言うと、リズは神妙な顔で頷いた。

「ああ、殿下から聞いているよ」

 オーギュストがリズのいた鶏小屋までやって来たという。

「もう一人厄介になるからって追加の金貨を下さった。いらないと言いたいところだけれど、ありがたくもらったよ。なにぶんうちは貧しくてね……予想外の収入で随分楽になった。ただ、なるべく関わらないようにと注意もされたね。魔女だからと」
「……信じますか?」

 アンバーがそろりと言う。

「殿下がおっしゃるのなら、まぁ、そういうことなんだろうね?」

 半信半疑といったところか。でも、追い出されなくて良かったとアンバーは思う。普通なら、あんな薄気味悪い女と関わりたいとは思わない。
 フルールが割り込んだ。

「おばあちゃん! 本当に本当にあれは魔女なのよ! 不死身なの! 私見たんだから! 首にナイフを突き立てられても平気で笑ってるの!」

 リズがぷっと吹き出した。

「ははは、それはまた、凄いねぇ。兵士に欲しがる連中がわんさといそうだ」
「や、やめてよ、おばあちゃん……あんなのが大勢いて攻め込んでこられたら、たまらないわ」

 フルールがぶるりと体を震わせた。そこだけは同感だとアンバーは思う。



 昼食の席でアンバーは驚き、目を見張った。例のケイトリンという化け物女とオーギュストが仲よさげにしているからだ。

 ローザ様の件があるから、ご機嫌取り?
 アンバーはそう思うも、必要以上にオーギュストの愛想がいいような気がしてしまう。まるで恋人同士のようにも見えるほどである。あそこまでする必要があるのだろうか?

「あのう、殿下?」
「何だ?」

 オーギュストの視線がこちらを向くも、アンバーは何て言っていいのかわからない。

「え、その……食事は美味しいですか?」

 結局アンバーは、当たり障りのないことを口にする。

「ああ、うまい」
「オーギュ、こっち向いて。食べさせて上げる、はい、あーん」

 ケイトリンが果物を差し出し、オーギュストが大人しくそれを口にし、咀嚼する。事情を知らない者なら、仲が良くていいですねと、微笑ましく思うのだろうが……
 アンバーは気が気ではない。相手にしているのはオーギュストの愛妻だったブリュンヒルデの仇なのだ。異様な何かを感じてしまう。

 もし、自分があの立場だったら……
 ちらりとオーギュストに視線を走らせ、アンバーはぞっとした。身の毛もよだつという表現が的確か。ケイトリンという女に、あんなにべったりひっつかれようものなら、絶対悲鳴を上げるか、突き飛ばしている。憎しみと生理的嫌悪で、自分だったらおかしくなりそうだ。

 なのに、殿下は……
 ふっとオーギュストが手に巻いた布に目が行き、アンバーの表情が曇る。何とも痛々しい。
 そう、手の皮がずるむけるまで拳を打ち付け、オーギュストが大木の幹を削ったのは、つい先程の事だ。夢ではない。魔女を殺す……そう言った彼の決意は嘘ではないと思う。だとしたらこれが、それに何か関係があるのだろうか?

 アンバーはちらちらと二人の様子を窺った。
 太陽のような笑顔……自分も好きだった彼の姿の筈なのに、以前とは少し違っているように見える。微かな違和感……気のせいだろうか? 不吉で冷たい何かが忍び寄るようで、心のもやがどうしても晴れない。

「ごちそうさま」

 アンバーは手にしたスプーンを置く。どうしても食事が喉を通らなかった。



「何よあれ!」

 食事を終え、オーギュストとケイトリンの二人がいなくなった途端、フルールが食器に八つ当たりし、がちゃんと派手な音を立てた。いちゃつく二人の姿に憤慨したらしい。

「……静かにして下さいませんか? せっかくローザ様が眠ったのに、起きてしまいます」

 アンバーが文句を言うと、フルールがきっと睨み付けた。

「だって、どうしてよ? 殿下はなんであんな女と! 妻がいなくなったから、別の女をって考えるのは分かるけど、あんな女がいいの? 殿下はあんな化け物女が好み? ガリガリに痩せていて、目だけぎょろっとしていて、薄気味悪いったらないわ!」

 つつくところそこですか? 
 アンバーは不愉快極まりなかった。
 ブリュンヒルデ様が死んだばかりなのに、なんって不謹慎な……。あれはブリュンヒルデ様を殺した仇です。異様な光景だと気が付いて下さい。何の疑問もなく、殿下が後妻を選んでいると考えるあなたの頭が湧いてます。花畑が詰まった脳に蛆が湧いていませんか?
 アンバーが憤然と言う。

「殿下には殿下のお考えがあるのです。わたくしどもが口を出すことではありません」

 フルールが憤った。

「でも! だったらわたしでもいいじゃない!」

 はあ? 自分でもって……
 アンバーは呆れた。身の程知らずもいいところである。

「オーギュスト殿下は王族です。恐れ多いことを。口を慎んで下さい」
「でも、もう平民でしょう?」

 フルールが食い下がり、アンバーとにらみ合う形となる。
 一体何でしょう、これは。わたくしには理解出来ません。たとえ平民になったとしても、殿下に尊き血が流れているというのは変わらないというのに……。不敬にも程があります。
 横で二人の会話を聞いていたダニーが割り込んだ。

「……ねーちゃん、殿下を狙ってるの? でも、今はやめたほうがいいよ。ブリュンヒルデ様を亡くしたばかりで、殿下はそんなこと考えてないと思う」

 そうですよ。ダニーの言う通りです。弟は賢いですね。
 姉弟なのにこうまで違うのかとアンバーは思う。フルールがきっとダニーを睨み付けた。

「でも、あの女と!」

 憤るフルールにダニーは冷めた目を向けた。

「あれ、化け物じゃん。ねーちゃんも見ただろ? ナイフ首にぶっさしてもぴんぴんしてた。殿下はあれのご機嫌取ってるだけだと思う」
「ご機嫌って……」

 ダニーが呆れたように言った。

「ねーちゃんって、都合良くいろんなこと忘れるの? あの化け物の機嫌損ねたら、殿下の子供が殺されるんだろ? そう言って殿下を脅してたじゃん。街中の人間が敵になるんだっけ? そんな真似どうやってやるのかわからないけど、不死身の化け物だもんな。多分、やれるんだと思う。それ、俺と同じように、ねーちゃんもしっかり聞いたと思うけどな?」

 フルールがむくれたように口を閉じる。だって、とか、でも、とかもごもご言っているので、納得はしていないようだ。ダニーがふうっと息を吐き出した。

「……ねーちゃん、あの女にあんな風にひっつかれたらどう? 嬉しい?」

 ダニーの台詞に、フルールが顔をしかめた。

「嫌に決まってるわ」
「だろ? 多分、殿下もそうだと思う。俺もそうだもん。それが普通じゃん?」
「え……」
「薄気味悪いって、皆思うってことだよ。ちょっと考えれば分かると思うんだけどなぁ」

 ダニーはそう言って姉のフルールをたしなめた。そんな二人を交互に眺めたアンバーは、本当にどっちが年上か分からない、ひっそりそう思った。



 見た目だけは平和な月日が、ひと月ふた月と過ぎてゆく。そう、見た目だけは穏やかで平和だ。ケイトリンという化け物女はオーギュストが傍にいればご機嫌で、特に問題を起こさない。これをして欲しい、あれをして欲しいと我が儘を言うけれど、多分、許容範囲だ。普通なら……
 そう、普通ならば、だ……

 過剰なスキンシップも、恋人同士なら容認できよう。だがそれが、殺したいほど憎い女であればどうなるか……

 精神にかかる負荷は筆舌に尽くしがたいと、簡単に予測がつく。嫌悪感をおくびにも出さず、笑顔で対応する彼の精神的苦痛はいかばかりか……
 見た目では推し量れそうにないので、アンバーはかえってひやひやだった。見た目は仲睦まじい恋人同士のように見えてしまうからだ。


 よく晴れた日の午後、アンバーは森へ入った。
 彼女はこうして時折森へ入り、ブリュンヒルデの墓に花を手向けに行っていた。そこには大抵、オーギュストの花が手向けられているけれど……

 案の定、アンバーが墓へ行けば、そこには既に新しい花が手向けられていて、オーギュストの訪れを告げていた。アンバーはそれにじっと見入ってしまう。彼はいつだって、こうしてブリュンヒルデの墓に新鮮な花を絶やさない。
 やっぱり、魔女を殺すと言ったあの言葉は夢じゃない。殿下は一体何を考えて……

 どれほどそうしていただろう、サラサラという川の音に交じって、吐き戻すような音が聞こえ、アンバーははっとなる。木立の向こうだ。座り込んでいた墓の前から立ち上がり、アンバーが急いで駆けつければ、何とオーギュストが川縁で吐いていた。
 大変!

「殿下、お体の具合が悪いのですか?」

 全部吐き終わるまで背をさすり、落ち着いた頃、オーギュストが言う。

「大丈夫だ」
「顔色が……」
「何でもない」
「無理をなさっていませんか?」
「……」

 帰ってくるのはやはり沈黙だ。何となく気まずい。無理をしていないわけがない。でも、他になんと言えばいいのだろう?
 アンバーが意を決したように言う。

「魔女を殺す方法を伺っても?」
「聞かない方がいいと思うがな」

 オーギュストにそう諭されても、アンバーは引けなかった。聞いてはいけないと思い、今の今まで沈黙を貫いたけれど、このままでいいはずがない。大きく息を吸い込み、覚悟を決める。

「聞かせてください、お願いします」

 沈黙の時間はそう長くはなかったと思う。

「……魔女と相思相愛になればいい」

 そんなオーギュストの台詞にアンバーは我が耳を疑った。
 今、なんて……
 アンバーの驚きが伝わったのか、オーギュストが苦笑した。

「聞いた通りだ。魔女と相思相愛になればいい。そうすれば秘薬の力が反転し、普通の人間に戻る」

 再度そう言われ、アンバーは目を剥いた。
 相思相愛……それって……

「で、殿下があの魔女を愛するってことですか?」

 思わず叫んでしまった。

「そうだ」

 オーギュストに肯定されても、にわかには信じられなくて……
 うそ、でしょう?

「い、いえ、でも……可能、なんですか?」

 アンバーが喘ぎ喘ぎ言う。不可能に思えてしまう。あれは憎い憎い仇なのだ。だが、アンバーのそんな考えをオーギュストが一蹴した。乱れた黒髪を手でかき上げる。

「大丈夫だ。偽装すればいい」
「偽装……?」
「愛しているのだと、あの魔女に心から信じさせればいい。魔女を騙すんだ。あれが愛されたと思えば秘薬が反応する。秘薬の主人はあれだから……あの女の判断が鍵なんだ。私に愛されたと思わせればいい。く、ははは。猜疑心の固まりのような女を信じさせるのは至難の業だろうが」

 アンバーはオーギュストの台詞を噛みしめた。
 愛されたのだと魔女に信じさせれば、魔女を殺せる……。それでケイトリンにやたらと親切で愛想が良かったのだとアンバーは理解する。憎悪を笑顔の奥に押し込めて、偽りの愛を囁く。

 ぞくりと総毛立った。
 最後まで殿下はもつのだろうか? たったふた月で体に変調をきたしている。これがずっと続けば、もっと酷いことになりそうな気がして……

「他に方法は……」

 声がどうしても震えてしまう。

「ない。もう戻れ。あの女が変に勘ぐると、お前に被害が行く。私との接触は必要最小限にするんだ、いいな?」

 ぐいっとオーギュストに肩を押され、アンバーは不承不承その場を後にした。今一度振り返れば、オーギュストは川を覗き込んでいる。まだ吐き足りないのだろうか? アンバーは心配しつつもそっとその場を離れた。


◇◇◇


「愛している、ケイトリン」

 川辺の水たまりに自分の顔を映して、オーギュストが言う。

「愛している、ケイトリン」
「愛している、ケイトリン」

 何度も何度もそう口にする。オーギュストは再度吐き気を催すも、それをぐっとこらえ、水に映る自分の顔を確かめる。愛しい者に向けていた表情を、彼はこうして意識的に作った。それこそ疑う余地のないように、細部にわたって偽装していたのである。

 表情、仕草、声音……ブリュンヒルデに向けていたそれをあの女に……。こうなると癒やしを与えてくれる筈のブリュンヒルデの微笑みが、今は逆に辛かった。思い出を汚されるようで……
 けれど、オーギュストは気付かないふりをする。胸に走る痛みに蓋をする。それがさらなる傷を生むことになっても……
 ローザ……たった一つ残った光だ。私の宝……失ってたまるか……



 オーギュストが小屋に帰れば、珍しくアンバーの姿が見えず、ローザが泣いている。普通であればあやしてやるところだが……
 おしめなら変えるだけでも、そう思ったのが間違いだったのかもしれない。おしめは濡れておらず、オーギュストに抱き上げられて、ローザがさらに激しく泣き出した。腹が空いていたのかも知れない。オーギュストがそう考え、陶器製の哺乳瓶を口に当てても飲もうとしない。

「頼む、ローザ、飲んでくれ」

 駄目なのか?
 オーギュストが持て余しているところへ、アンバーが帰ってきた。

「も、申し訳ありません! こちらへ」

 アンバーがローザを抱き上げ、哺乳瓶を口に当てれば、んくんくと大人しく飲み始める。やはり腹が空いていたようだ。オーギュストは落胆を隠せず、うなだれた。

「……腹が空いていていても、私の手からは乳を飲もうとしないんだな……」

 分かってはいたことだが……。そう、分かってはいたが、頭では理解しているつもりでも、その事実をこうして見せつけられると、やはりこたえる。

「殿下のせいではありません」
「そう、だな。分かってはいるが……」
「オーギュ、こんなところにいたの? 探しちゃったよ」

 甲高い声はケイトリンのものだ。オーギュストは反射的に、手を掛けていた揺り籠の骨組みを砕いてしまい、息を大きく吐き出した。
 落ち着け……心を落ち着けないと、顔が強ばる。

「ああ、少し赤ん坊の様子を見に……」

 オーギュストが振り返れば、柔らかな微笑みを口元に浮かべている。そう、誰をも魅了するあの微笑みだ。ケイトリンが満足げに笑う。

「ふうん? そいつさ、泣いてばっかで鬱陶しくない? ほんっとオーギュも物好きだね。赤ん坊なんてあたい、ちっとも好きじゃない。ビービー泣くだけの役立たずだもん」

 ケイトリンがきゃははと笑う。甲高い声で不快感を煽られる笑い方だ。
 アンバーはその言いように憤るも、はっとなる。オーギュストは自分よりももっと腹を立てているに違いない、アンバーはそう思い、そろりとオーギュストを見上げるも、彼は予想に反して微笑んだままだ。自分と同じように不快に感じているだろうに、見事だった。
 ケイトリンが上機嫌で赤い薔薇の花束を掲げた。

「そうだ、ほらほら、赤い薔薇を買ってきたよ。オーギュに似合う花! あたいが直接触ると花が枯れちゃうから、ダニーって子に飾ってもらおう」

 腕を組み、二人揃ってその場から立ち去った。アンバーは何とも言えない気持ちになる。いつ、この地獄から解放されるのだろうかと、そんなことを考えた。

「ローザ様、あなたのお父様はオーギュスト殿下ですよ? いつか、彼にあやされて笑えるようになるといいですね?」

 アンバーは自分の希望をそっと口にした。

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