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仮面卿外伝【第一章 太陽と月が出会う時】

第四話 エスコート役は譲れない

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 宮殿へ帰れば、今度は婚約披露を兼ねた誕生パーティーの支度が始まった。
 ブリュンヒルデに侍女達が総出でドレスを着せつけ、宝石で飾り立てる。何もかもが念入りだ。金の髪を梳り、綺麗に化粧をし終えると、アンバーがブリュンヒルデを褒めちぎった。

「姫様、お綺麗です! オーギュスト殿下も絶対見惚れます!」

 ブリュンヒルデが身にまとっているのは、刺繍の美しいピンクパープルのドレスで、胸元を飾るのはこれまた素晴らしい大粒のピンクダイヤである。
 アンバーが笑った。

「首飾りはオーギュスト殿下からの誕生日プレゼントですよね? よくお似合いです」

 そう、ブリュンヒルデが身につけている装飾品は全て、オーギュストからの贈り物である。特に婚約指輪と胸元の首飾りは、希少な大粒のピンクダイヤを使った一品で、見事だった。
 そこへ、ドアをノックする音が響き、アンバーのテンションが更に上がった。

「あ、きっと、オーギュスト殿下がお迎えに来たんですよ」

 身支度を調えていた侍女達が一列に並び、ドアを開けるも、現れたのは何と、皇太子ギデオンである。夜会服に身を包んでいても、盛り上がる筋肉は隠しようがなく、見ているだけで暑苦……逞しい兄であった。ブリュンヒルデが目を丸くする。

「お兄様?」
「ははは、妹の晴れ姿を見に来たぞ。本当に綺麗だ。今回は俺がエスコートしてやる。どうだ? 嬉しいだろう?」

 ギデオンが上機嫌でそう言い放つも、いえいえ、それは駄目ですよと、侍女達から総出の心の突っ込みが入る。誰も口に出しはしないが……
 ブリュンヒルデは困ってしまった。

「いえ、お兄様、今回はオーギュが……」
「ああ、あいつなら腹下し……」
「していない! 私の飲料に下剤を盛ったのはやっぱりお前か!」

 割って入ったのがオーギュストだ。

「ひででででででで!」

 オーギュストに鼻をぎゅうううっとつままれ、ギデオンが悲鳴を上げる。夜会服に身を包んだオーギュストが現れると、やはり侍女達の目に陶酔の色が浮かぶ。さわさわとした熱気が広がった。

「下剤?」

 ブリュンヒルデが不思議がると、ギデオンが慌てまくった。

「知らん、知らん、俺は知らんぞ! 言いがかりだ!」

 ギデオンがオーギュストに詰め寄り「何で飲んでない!」とひっそり耳打ちする。オーギュストのこめかみにピキリと青筋が浮かんだ。

「あんな物、誰が飲むか! と言うか! リンドルンの王太子の私に、下剤を盛るって国交問題に発展するって思わないのか!」

 ギデオンはふんっとふんぞり返る。

「思わない! この俺はブリュンヒルデの兄だからな! 文句を言えるもんなら言ってみろ!」

 すっとオーギュストが半眼になった。

「ほほう? だったら今度は私が、お前に特別製の下剤を盛ってやろうか? 三日間下痢ピーで苦しめ、この野郎……」

 オーギュストの宣戦布告に、ギデオンが目を剥いた。

「品行方正な王太子様が、下痢ピーなんて下品な言葉を口にしていいのかよ? お前を慕っている女どもが卒倒するぞ!」

 等々、ひそひそ口喧嘩が止まらない。

「お兄様?」
「あー、いやいや、何でもない。で、ほら、エスコート……」
「するのは私だ! いい加減諦めろ!」

 この間もオーギュストはギデオンと組み手である。激しく拳が飛び交い、蹴りが遠慮なく入る。下手に手を出せば絶対巻き添えを喰らう。いや、止めに入った者だけが割を食うに違いない。

「……姫様の婚約者は、オーギュスト殿下以外無理なのでは?」

 凄まじい攻防戦を前に、ぼそりとアンバーが言う。もう一人の侍女が頷いた。

「そ、そうですね。戦神と組み手って普通は吹っ飛ばされますし……」

 目の前の光景を見ながらしみじみ言う。
 ヴィスタニア帝国は精霊信仰で、ギデオンは巨人の先祖返りだと言われている。その彼とやり合って、普通なら吹っ飛ばされるところを耐えられるのは、オーギュスト自身も聖王リンドルンの血を引いた怪力の持ち主だからに他ならない。

「本当、オーギュスト殿下はお強いですよね」

 侍女の一人が言う。惚れ惚れするといいたげな口調だ。

「それでいてお美しい、惚れ惚れしてしまいます」
「きっとブリュンヒルデ様のように精霊に愛されておられるんですよ」

 うんうんと侍女達一同頷く。
 ブリュンヒルデが声を荒げた。

「お兄様! いい加減にしてください! 婚約発表の場ですよ! 今日のエスコート役はオーギュと決まっています!」

 ブリュンヒルデに叱られ、ようやくギデオンが引っ込む。
 オーギュストにエスコートされ、ブリュンヒルデが歩き出せば、ブリュンヒルデぇええええええという情けない声が背後から追いかけてきたが、彼女はつんっと顔を背け無視した。本当にいい加減にしてほしいものである。
 オーギュストと共に歩きつつ、ブリュンヒルデが謝った。

「ごめんなさい、オーギュ……兄が、いろいろ、その……」
「ああ、いや、気にしなくていい。いつもの事だ。それより、言いそびれたね。ドレス、似合っているよ。綺麗だ」

 オーギュストに微笑まれれば、やっぱり頬が熱を持つ。ブリュンヒルデは嬉しそうに笑い、ありがとうと口にした。
 婚約披露を兼ねた誕生会の場に入場すれば、主賓である二人は注目の的だ。さわさわという熱気が広がっていくのがよく分かる。

 壇上には正装した皇帝と皇后が並んで座っていて、二人を歓迎してくれた。皇后は赤毛の美しい女性で、皇帝は金の髪の頑健な体付きの男だ。ギデオンの猛々しさは、どうやら父親譲りのようである。ただし、どう見てもギデオンの体の大きさは突出している。
 皇帝が従者から手渡されたグラスを高々と掲げた。 

「さあさ、皆の者! こたびは我が娘ブリュンヒルデと、リンドルン王国の王太子オーギュスト・ルルーシュ・リンドルンの二人が婚約を交わす運びとなった。実にめでたい! ヴィスタニア帝国とリンドルン王国との末永い和平を願って、乾杯しようではないか!」

 皇帝に倣い、会場に集った者達が同じようにグラスを掲げる。中身を飲み干せば、ヴィスタニア帝国の高位貴族達が次々と二人に挨拶をしに来た。

「ご婚約おめでとうございます、オーギュスト王太子殿下、ブリュンヒルデ皇女殿下」

 両国間の末永い和平を願ってと、皆がこぞって口にする。高位貴族達の挨拶が一通り終われば、今度はダンスだ。オーギュストがブリュンヒルデに向かって手を差し出した。

「ヒルデ、私と踊ってもらえるか?」
「ええ、よろこんで」

 二人のダンスを中心に熱気が広がっていく。ゆったりとした音楽に合わせて、ふわりふわりとブリュンヒルデのドレスがたなびく。

 ――本当に夢みたいだわ。オーギュの花嫁になれるなんて……

 魅入られたように緑の瞳から目が離せない。ふわふわと雲の上を歩くよう。
 ダンスを終えて、二人がフロアから下がると、プロトワ王国の第一王子であるオレールが歩み寄った。妹のダーラ王女を連れている。どちらもホワイトブロンドの長い髪に赤い瞳をしていて、双子ではないが、よく似た顔立ちをしていた。

「ご婚約おめでとうございます。オーギュスト王太子殿下、ブリュンヒルデ皇女殿下」

 オレール王子が胸に手を当て、貴族の礼をする。何とも優雅な仕草だ。

「ブリュンヒルデ皇女殿下は、本当にお美しくなられましたね。あなたのような美しい伴侶を持てるなんて、オーギュスト殿下が羨ましい」
「光栄ですわ、オレール王子殿下」

 ブリュンヒルデが微笑んだ。

「出来れば我が国とも縁を結んで頂きたかったのですが……残念です。そうそう、オーギュスト王太子殿下、側室はお考えですか?」

 オレールにそう問われ、オーギュストが失笑した。

「まだ、結婚もしていません」
「ははは、そうですね。私の妹があなたに懸想していたので、つい先走ってしまいました。どうぞお許しください」

 オレールが謝罪する。ブリュンヒルデがちらりと横手を見れば、ダーラの赤い瞳が挑戦的に輝いたような気がした。ダーラ王女の年は同じ十六才で、白に近いブロンドはブリュンヒルデのそれに負けず劣らず美しい。

「それにしてもあなたは聖王リンドルンによく似ている。生き写しです」

 オレールがそう口にし、オーギュストが眉をひそめる。

「彼の肖像画は残っていませんが……」

 そう、王国の創設者なのに、不自然なほど彼の絵姿はない。二代目以降の肖像画は全てそろっているのに、彼の姿だけが切り取られたかのように空白だ。
 オレールが女性のようにたおやかな顔に笑みを浮かべた。

「そうでしょうね。彼自身が自分の姿を残したがらなかったようです。不吉の象徴として」
「不吉の象徴?」
「自分の姿は災厄を招くと、そう信じていたようです。当時の大神官の記述にそのような文章が残っているんですよ。真偽は定かではありませんが」

 ずいっとオレールが身を乗り出し、じいっとオーギュストを見据える。

「けれど……何となく分かる気もします。魅入られるとでもいうのでしょうかね? 特にそのグリーンアイが……。何とも蠱惑的だ。聖王というより、あなたの場合はまるで魔性のよう。美しすぎるというのも、反って不幸を招きそうで恐ろしいですね?」
「もう、お兄様ったら! 嫌なことをおっしゃらないで! オーギュスト殿下に失礼よ」

 傍に控えていたダーラがぐいっと兄の腕を引っ張った。

「ははは、冗談だよ、冗談。そうだ、彼の姿を見たければ、一度我が国へいらしてください。一枚だけ残っているんですよ。大神官と並んで描かれている彼の肖像画が。如何ですか?」
「そうですね。機会があれば」
「その際は妹をよろしく」

 オレールが笑い、ブリュンヒルデはそっと目を伏せた。
 側室……持たないで、とは言えないわね。子を残すことは王家にとって最も重要だもの。

「気にしなくていい。側室を持つ気はないから」

 オーギュストにそう耳元で囁かれ、ブリュンヒルデはびくりとなる。

「でも……」
「確かに代々の王の殆どが側室持ちだが、自分の血にこだわらなければいいんだ。子が出来なかった場合は、兄弟の子を王太子にすればいい。王族の血筋であれば問題はないのだから。ああ、そうそう、私に生き写しだと言った聖王リンドルンは、ただ一人の王妃を愛したらしいぞ?」

 ブリュンヒルデが驚いて見上げれば、すかさずキスだ。

「私は君がいればそれでいいんだ」

 オーギュストがそう言って笑った。ブリュンヒルデはその姿に目を細める。
 魔性のグリーンアイ。いいえ、違うわ。だってこんなにも温かいもの。
 やはり彼から目が離せない。ぼうっとなってしまう。そこへオレールが進み出て、ブリュンヒルデに向かって手を差し出した。

「一曲踊って頂けませんか? ブリュンヒルデ皇女殿下」
「え? ええ、喜んで」

 ブリュンヒルデははっとなった。オーギュストに見とれていたと分かり、気恥ずかしさ倍増だ。慌てて差し出された手を取る。
 オレールと共にブリュンヒルデがダンスフロアに移動すれば、その場に残されたオーギュストにはたくさんの貴婦人が殺到した。誰もが色めきだっている。
 ブリュンヒルデと踊りながら、その様子に目をとめたオレールが言う。

「やはりモテますね、彼は」
「ええ、仕方ないわ。とても魅力的ですもの」
「時に……あなたはオーギュスト王太子殿下のどこに惹かれたんでしょう?」

 どこに……オレールの言葉で思い出すのは、どうしたって自分を見つめる蠱惑的な緑の瞳だ。

「まるで灼熱の太陽のよう……」

 ぼんやりとブリュンヒルデがそう口にすれば、オレールが首を捻った。

「性格が、ということでしょうか?」

 オレールにそう問われて、はっと我に返った。そうよ、オーギュの存在に圧倒されるなんて、言っても伝わらないわよね、ブリュンヒルデはそう考え、微笑んだ。

「え、ええ、そうね……彼はとても優しいわ?」

 優しく勇敢で、剣を持つ姿は雄々しく逞しい。
 けれど、自分が惹かれてやまないのは、あの眼差しかもしれない。見つめられるだけで心と体がかっかと燃えるよう。ええ、そうね。灼熱の太陽に恋をしたらこんな感じかも知れないわ。触れたら火傷をすると分かっていても、手を伸ばさずにはいられない。

「私はどうでしょう? 優しくはありませんか?」

 オレールに微笑まれて、ブリュンヒルデは目を丸くしてしまう。彼は今や、女性のようにたおやかな顔に切なげな色を浮かべていた。

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