華麗に離縁してみせますわ!

白乃いちじく

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仮面卿外伝【第一章 太陽と月が出会う時】

第一話 幸せな目覚め

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 君と出会ったのは私が九才の時で、君が六つの時だった。
 木に登って降りられなくなった子猫を助けようと、侍女達が止めるのも聞かず木に登ったというのだから、実に君らしい。こちらはそんな事情を全く知らぬまま、ただ騒ぎの現場に駆けつけ、木の枝を折って降ってきた君を受け止めた。天使を目にしたかと思うほどあどけない君は、とても可愛らしかった事を覚えている。

 ――あなたはだあれ?
 ――僕はリンドルン王国の第一王子、オーギュスト・ルルーシュ・リンドルンです。初めまして、小さな姫君。以後お見知りおきを。

 そう言って笑いかければ、君はリンゴのように真っ赤になった。
 今でも時折思う。君と出会えたことは私にとって最良だったけれど、君に取ってはどうだったろうか、と……。幸せにすると誓ったのに、君は我が子の成長すら見ることなく儚くなった。幸せだったか? そう問いたくても答えてくれる君はいない……
 私は幸せだった。この上もなく。でも、君は? 今でも答えは出ない……

◇◇◇

 天蓋付きの豪奢なベッドの上で目を覚ましたブリュンヒルデは、嬉しそうに微笑んだ。金のまつげに縁取られた彼女の大きな瞳は、鮮やかな碧である。
 彼女は大陸列強国の一つ、ヴィスタニア帝国の第一皇女だ。そしてつい先日、恋い慕っていた人との婚約が結ばれたばかりで、浮かれまくっていた。窓から差し込む朝日に左手をかざせば、そこには婚約指輪が燦然と輝いている。

 オーギュの婚約者になれるなんて、夢みたいだわ!

 ブリュンヒルデは身もだえするように、ごろごろとベッドの上を転がった。
 彼女の思い人は、隣国の王太子オーギュスト・ルルーシュ・リンドルンである。幼なじみであり、優しいお兄さんとして慕っていた人で、漠然と彼のお嫁さんになれたら、そんな風に思ったのはいつだったろう?

 見目麗しい彼は国民的人気が高く、多くの縁談が殺到していたと聞く。そうしたあまたの美姫に取り囲まれてもなお、彼は自分の手を取ってくれた。嬉しくて仕方がない。

 ふわりと猫の尾っぽがブリュンヒルデの頬を撫でた。まるで起きてとでも言うように。小さな頃、ブリュンヒルデが助けた真っ白い子猫は、こうして一緒に寝るほど大の仲良しとなっていた。ブリュンヒルデは微笑み、ふわっふわのビビの体を抱きしめ、囁いた。

「おはよう、ビビ。ね、見てみて? とっても素敵でしょう?」

 浮かれたブリュンヒルデが、オーギュストから贈られた婚約指輪を光にかざす。大粒のピンクダイヤがキラリと輝いた。カッティングされた大粒のピンクダイヤも素晴らしいが、それを飾る細工も目を見張るほど美しい。

 なーおと猫のビビが機嫌良く鳴く。ざりっとした頬の感触はビビが頬を舐めたからだ。そこへ、侍女のアンバーが元気いっぱい、ひょっこり顔を出した。

「さあさ、姫様、起きて下さい。今日はオーギュスト殿下がいらっしゃいますよ。綺麗に着飾ってお出迎え致しましょう」

 くりくりとした快活そうなアンバーの鳶色の瞳が、ブリュンヒルデを見下ろしている。そう、明日はブリュンヒルデの十六才の誕生日だ。婚約披露を兼ねた誕生パーティーが開かれる予定となっていて、もちろん婚約者となったオーギュストも招かれている。

「本日のお召し物は婚約指輪に合わせて、ピンクのレースドレスに致しましょうか?」
「ええ、お願い」

 ブリュンヒルデが微笑んだ。アンバーはブリュンヒルデに選んだドレスを着せると、ドレッサーの前に座る彼女の美しい金の髪を鼻歌交じりに梳る。何とも楽しそうだ。化粧を施し終えると、アンバーがほうっとため息を漏らした。

「お綺麗ですよ、姫様。絶対、オーギュスト殿下は惚れ直します」
「ふふ、ありがとう」

 ブリュンヒルデはどうしてもそわそわと落ち着かない。
 オーギュも綺麗って言ってくれるかしら?

 朝食後、アンバーを連れたブリュンヒルデが温室へと向かえば、招待客であるシシリア王国のブリトニー王女殿下とカレン王女殿下の二人とばったり出会った。明日執り行われる予定の婚約披露宴には、各国からたくさんの賓客が招かれている。

「ご機嫌よう、ブリュンヒルデ皇女殿下」

 第一王女のブリトニーが足を止め、にっこり笑って挨拶をした。茶色の髪を結い上げた彼女は、雰囲気も表情も柔らかい。対して、第二王女のカレンは見るからに気が強そうだ。

「ご機嫌よう、ブリトニー王女殿下、カレン王女殿下」

 ブリュンヒルデもまた挨拶を返すも、第二王女のカレンはどことなく不機嫌そうで、ぷいっとそっぽを向いてしまった。

「もう、行きましょう、お姉様」

 カレン王女が口にしたのはヴィスタニア語ではなく、母国語のシシリア語だ。ああ、そうかとブリュンヒルデは思い当たる。まだ幼いので母国語以外の言葉を話せないのだろう、そう考えた彼女はシシリア語で挨拶をし直した。

「ご機嫌よう、カレン王女殿下。いいお天気ね?」

 流暢なシシリア語を耳にして、カレン王女はビックリしたように顔を上げた。自国の言葉で話され、驚いたのかもしれない。シシリアは小さな国だ。かの国の言葉を話す異国人は少ない。主流となるのはやはり三大列強国の言葉だろう。

 カレン王女は何やら気まずそうにもじもじとし、何かを言いかけたが、そのまま脇をすり抜け、さあっと逃げるようにその場を辞した。それを目にしたブリトニー王女は驚いたようだ。

「え? あ……カレン? あ、あの、申し訳ありません、皇女殿下」

 慌てて失礼を詫び、ブリトニーがカレンを追いかけた。

「どうしたのかしら?」

 ブリュンヒルデが首を傾げ、アンバーが眉をひそめた。

「さあ? でも、失礼ですよ、あれ。シシリア王家は一体どんな教育をされているんでしょう?」
「まだ、子供よ? 大目に見て上げましょう」

 ブリュンヒルデがそう言ってカレン王女を庇った。第二王女であるカレンの年はまだ十才だ。自分も木登りをしたり、かくれんぼをしたりして侍女達を困らせた覚えがある。これくらいは可愛いものだと、そう思ったのだ。

 ふと気が付けば、なにやら表が騒がしい。
 ブリュンヒルデは窓に近寄り、到着した馬車を目にして顔を輝かせた。青地に銀の鷹を描いた旗は、リンドルン王国のものである。侍女のアンバーもまた興奮を隠せなかったようで、はしゃいだ声を上げた。興奮からか頬が赤い。

「姫様、行きましょう! オーギュスト殿下が到着されたんですよ!」

 流石に宮殿内の廊下を走るのは、はばかられる。なので、ブリュンヒルデはできる限りの速度で歩いた。
 馬車止めまで歩いて行けば、真っ先に目に入ったのが、馬車の前に立ち、ヴィスタニアの外交官と話しているオーギュストの姿だ。漆黒の髪と青い衣服がふわりと風にあおられる。乱れた髪を手ぐしで直す彼の仕草を目にして、とくんとブリュンヒルデの心臓が脈打った。
 やっぱり素敵……

「オーギュ!」

 はしたない、そう思ったけれど、喜んだブリュンヒルデは小走りになってしまった。ブリュンヒルデに目をとめたオーギュストが笑った。

「やあ、ヒルデ、ご機嫌よう。元気だったか?」

 彼の笑顔を目にした周囲の侍女達がざわりと揺れる。
 オーギュの場合は、いつもこうよね……
 ブリュンヒルデはひっそり思う。

 彼の姿を見ただけで、誰もが目に熱を帯びる。彼に夢中になってしまう。緑の瞳は蠱惑的で、艶やかな黒髪に縁取られた端正な顔立ちは、まるで天の細工物のよう。何よりも存在そのものが陶酔を誘う。人を惹きつけてやまない魅力がある。

 初めて出会った時は、精霊にでも抱きとめられたのかと思ったほどだ。背に羽は? なんて大真面目に言って、オーギュストに笑われたことを思い出す。

 ――羽はないよ、小さな姫君。僕は人間だからね。

 ここヴィスタニアは精霊信仰だ。なので神や天使よりも精霊の方がなじみ深い。と、そこへ野太い男の声が響き渡った。どどどどどどという地響きと共に。

「オーギュストおおおおおおお! ここで会ったが百年目えぇえええええええ!」

 遠くから走ってきた赤銅色の髪に金の瞳をした猛々しい大男は、妹のブリュンヒルデを愛してやまない皇太子ギデオンである。常人を凌ぐ巨体なので目立ちまくりだ。
 土煙を上げる勢いで駆けより、その勢いを利用して、オーギュストに跳び蹴りを食らわそうと地を蹴った。巨体に似合わず身が軽い。

「ふははははは! もらったぁ!」

 得意満面ギデオンが言い切り、外交官達が慌てた。慌てまくった。

「ギ、ギデオン皇太子殿下!」

 外交官達が止める間もあらばこそ、表情一つ変えず、その攻撃を短い呼気と共に、回し蹴りで返り討ちにしてのけたのがオーギュストである。派手な破壊音と共にギデオンの巨体が馬車に突っ込み、扉が大破だ。が、これくらいでめげる男ではなかった。

「ふははははは! 甘い甘い甘いぞぉ! オーギュストぉ! こんなもん屁でもないわぁ!」

 宣言通り、ドアを壊した馬車の中から、ギデオンががばあっと起き上がる。そのギデオンの眼前に、オーギュストがすっと紙を突きつけた。随分と冷静だ。慣れきっているのかもしれない。

「何だ、これ?」

 ギデオンがぱちくりと瞬きをする。

「……請求書だ」
「はぁ? 請求書?」

 オーギュストの台詞にギデオンが目を白黒させる。

「馬車の修理代」

 大破した馬車を指差しオーギュスがさらっと言う。

「お、おまおま、お前がやったんだろうが! しかもなんだ、このぼったくり値段!」

 ギデオンが目を剥き、ビリビリと紙片を破って捨てた。

「馬車が壊れた原因はお前だからだ、阿呆」

 身を翻したオーギュストにギデオンが追いすがろうとすれば、ブリュンヒルデが声を荒げた。

「お兄様! 毎度毎度いい加減にして下さい! オーギュに失礼ですわ!」
「はいぃ!」

 びしぃっとギデオンの背筋が伸びる。
 そう、ブリュンヒルデの言葉通り、二人の間に結婚話が持ち上がった頃から、皇太子ギデオンはこうして何かとオーギュストにつっかかるようになった。ブリュンヒルデと結婚したければ、この俺を叩きのめしてからにしろ! と宣言し、宣言通り悉く返り討ちにされているにもかかわらず、これである。何とも諦めの悪い男であった。

「ヒルデ、少し見ない間に随分と綺麗になった」

 ブリュンヒルデの手を取り、オーギュストがそこに口づければ、またもやギデオンが激高する。ブリュンヒルデが嬉しそうに頬を染めたのが、これまた面白くなかったようだ。

「認めん、認めん、俺は認めんぞおおおおお! 勝負だ、勝負しろ、オーギュスト! 剣闘技場へ来い! 俺の目の黒いうちはブリュンヒルデを嫁になんかやらん!」
「……国家間できちんと婚約を結んだんだ。いい加減諦めろ」

 オーギュストが冷たくそう言い放つ。ブリュンヒルデを伴ったオーギュストが歩き出すと、追いかけようとしたギデオンを今度は外交官達が止めた。

「お、お待ちください! 皇太子殿下!」
「彼はリンドルンの王太子です!」
「皇帝から大目玉を食らいますよ!」
「ぬおおおお! 離せぇ!」

 結構な騒ぎだったが、オーギュストは完全に無視し、ブリュンヒルデを伴って歩き出した。そう、いつもの事である。

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