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1巻

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   第一章 夜会の薔薇は離縁したい


    第一話 お互い様ですわ


「お前ほどみにくい女はいないな」

 新婚初夜での旦那様の第一声がこれです。
 ちょっと失礼じゃありませんか?
 バークレア伯爵夫人となったローザは、貴族らしい微笑みを浮かべたまま、夫となった男の美麗な顔をじっと見返す。目の前の夫は、黒髪に黒い瞳の美男子だ。すらりと背が高く、見惚みとれる女性も多いだろう。
 しかし、自分の容姿をみにくいと言われたのは初めてだと、ローザは思う。なにせ、自分にむらがる男達は、そろってかゆくなるような美辞麗句しか口にしない。
 金髪碧眼のこの顔は、女神様にたとえられることもあるくらいなんですけどね? 大抵の男はメロメロになってくれます。

「顔色を変えもしないか、全く可愛げのない」

 夫となった男が顔をしかめ、そう吐き捨てる。
 これっくらいで顔色を変えていたら、我が家では生きていけませんよ、旦那様? 生き馬の目を抜くって言葉をご存じありませんか?
 ローザは心の中でそう付け加えた。
 ここは主寝室で三方に扉があり、向かい合う二つの扉はそれぞれの部屋に繋がっている。天蓋てんがい付きのベッドは豪奢ごうしゃで、そこに腰かけたローザは初夜を迎えた女性として当然のごとく薄いぴらぴらとした寝衣を身につけているが、夫になった男は、きっちり夜会服を着込んだままだ。
 背筋もびしっと伸びていて、絵になりますね、旦那様。
 ローザは夫となった男の顔をまじまじと眺めた。
 誠実そうに見える柔らかな美貌は、こうして不愉快そうな顔をしていても十分女性にモテそうです。どうせならその顔を生かして金持ちのパトロンでも引っかければ良かったのにと思いますが、そういったこともできない朴念仁ぼくねんじんなんですね、旦那様。プライドばかり高い男はこれだから困ります。愛でお腹はふくれません。しっかりお金を稼ぎませんと……
 そんな思いでローザが男の顔をじっと眺めていると、彼は顔をしかめ、ふいっと視線を逸らした。

「……抱く気にもならない。興ざめだ。さっさと寝ろ」

 夫となったエイドリアン・バークレア伯爵は、そう言い捨てて立ち去った。
 でしたら、嫁にもらわなければ良かったのでは?
 ローザはそう思ったものの、バークレア伯爵はお金で身売りしたようなものなので、これは致し方ないかもしれないと思い直す。
 一人置き去りにされたローザはベッドから降りると、先程までバークレア伯爵が座っていた椅子に腰かけ、そのまま侍女が用意してくれたワインをあおった。
 ん? これは美味しい。
 ラベルを見て、ああ、バークレア領内のワインかと、ローザは納得する。
 確か昨年、葡萄ぶどうも冷害で大損害を出したんでしたわね。
 そんな事を思い出す。
 前バークレア伯爵だった旦那様のお兄様は大のギャンブル好きで、トラブルが絶えず、大借金を残し若くして亡くなったとか……
 その借金返済の目処めどが立たないまま、領内の農作物は冷害で軒並みやられ、税収が激減。ここぞとばかりに父が旦那様の借金を肩代わりし、こうして自分の娘を押しつけたと……
 結婚後、わたくしに子供が生まれたらその子に家督を譲らせてバークレア伯爵家を乗っ取ろう、そんな感じですわね。ご愁傷様しゅうしょうさま。ええ、可愛い婚約者がいたにもかかわらず、無理矢理別れなければならなかった悔しさは分かりますが、こちらにあたられてもひたすら困ります。
 わたくしも被害者なんですから……
 父のドルシア子爵に逆らったりしたら、娘のわたくしでも翌日にはテーム川に浮かぶんですよ。実の娘でも容赦ないですからね。なにせ父は、裏社会に存在していた二大勢力のフェリペ一家とカルデロ一家を抑え込んで第三勢力のボスとしてのし上がりましたから、ええ、一筋縄ではいきません。もの凄く悪知恵が働きます。
 そんな父の二つ名は仮面卿かめんきょう
 自分にびへつらう者には寛容を、逆らう者には見せしめを、です。
 小さい頃、なんの気なしにお父様に逆らって、いや、子供だったから単なる口答えだったような気がしますけれど、その直後に川に放り込まれましたからね。
 ですから、あなたの婚約者だった女性にも危害が及ばないよう、しっかり忠告して差し上げたというのに、何故むざむざ襲われる羽目になったんでしょうね。不甲斐ない……
 思わずため息が漏れる。
 本当、一体何をやっているんでしょうねぇ、あの男は。
 わたくしとの結婚が嫌なら、援助を申し出てくれた他の女性をしっかり捕まえれば良かったでしょうに、あれも嫌、これも嫌では単なる駄々っ子ですわよ、旦那様。
 ええ、ご自分の不甲斐なさを棚に上げて恨まれても困りますわ。恨みたいのなら、どうぞ強欲な父を恨んで下さい。というか、借金を清算できなかった甲斐性なしのご自分を責めて下さい。
 後は大借金を残して、さっさとあの世へとんずらしたあなたの兄、前バークレア伯爵に怒りをぶつけて下さいませ。
 そこでローザは、ふと小首を傾げてしまった。
 つくづく不思議なんですが、旦那様は何故あの顔で金持ちの女を引っかけて、みつがせなかったんでしょうか? 使えるものはなんでも使う、それくらいの気概きがいがないと無理ですよ、旦那様。正攻法であんな莫大ばくだいな借金、返せるわけがないじゃないですか。もうちょっと頭の回る男なら、表面上は新妻の機嫌を取って父から金を巻き上げる、くらいはやると思うんですけどねぇ。なのに、それもなし……
 はぁ、本当に情けないです。そんな調子だから没落するんですよ。あのくそだぬきにつけ込まれるんです。本当に甲斐性なしですね、旦那様。
 どうせなら、ああいった中身残念なイケメンより、中身イケメンのはげデブ親父の方が良かったですわ。被害者はあの男だけじゃなくて、こちらもですと、そう言いたいですわね。全くもってあなたはわたくしの好みではありません。
 ローザはため息を漏らし、手にしたワインを呑み干した。


   ◇◇◇


 なんなんだ、あの女は……
 新婚初夜を放棄し、夫婦共用の寝室から出た後、バークレア伯エイドリアンは独りごちる。
 みにくいとののしっても顔色一つ変えない。どうしてあんな女に目を付けられたんだか……
 ため息が漏れる。
 夜会で一緒になるたび、色目を使ってきた。私に気があるようだが、うっとうしくて仕方がない。既に婚約者がいると言って突っぱねても、彼女は気にもとめなかった。
 ――ええ、知っているわ、そちらの可愛らしいお嬢さんよね。
 綺麗な顔に妖艶ようえんな微笑みを浮かべて、そう言ってのけた。多くの男達をとりこにした微笑みだ。
 だが、そんなもの私には通用しない。その時は、顔色を失った婚約者のセシル・ランドルフ男爵令嬢を安心させたくてその肩をぐっと引き寄せた。
 ――でも、バークレア伯爵は、相当額の負債で首が回らなかったんじゃなかったかしら? もう少し財産を持ったお嬢さんを引っかけ……いえ、財力のあるお嬢さんと懇意こんいになさった方がよろしいのでは?
 自分の方が相応しいとでも言いたいのか? この成金の毒花が。
 エイドリアンは心の中でそう吐き捨てた。
 お前の父親は男爵位を金で買ったようなもので、さらには子爵家の娘をたらし込んで、そこに婿むこ入りしたんだ。ドルシア子爵と名乗っていても、あいつには貴族の血など一滴も入ってはいない。ただの平民の成り上がりだ。
 エイドリアンは視線を険しくし、言い放った。
 ――君にそんな事を言われる筋合いはない。抱えた負債は私がなんとかする。彼女を愛しているんだ。
 すると、彼女は声を立てて笑った。
 ――何がおかしい!
 むっとなった。セシルに対する愛を侮辱ぶじょくされた気がした。
 ――あら、失礼。随分ずいぶんと青くさ……いえ、純情な方もいらっしゃるのだと思っただけですわ。素敵ですわね、夢見がちなお二人さん? うらやましいですわ。愛で借金がなくなるのでしたら、わたくしも喜んでお二人の結婚に賛成しましたけれど。お急ぎになった方がよろしいですわよ? 父がもう手を回しましたから。
 ――何?
 ――あなたの借金を父が全額肩代わりいたしましたの。つまり、現時点のあなたは、わたくしの父に巨額の借金をしているということになりますわね。近いうちに父がその借金の取り立てに行くと思います。その時までに全額ご用意なさい。そうすれば、あなたの希望通りそちらの可愛らしいお嬢さんと結婚できてよ?
 エイドリアンは目をいた。
 ――ちょ、ちょっと待て! 全額用意なんて、できるわけがない!
 ――まぁ、情けない。
 ローザが顔をゆがめた。軽蔑したような眼差しだ。
 ――早くも白旗ですか。なんとしても揃えると言い切るくらいの気骨を見せるかと思いましたのに……。不甲斐ないこと。でしたら、そちらのお嬢さんとの結婚は諦めた方がよろしいですわ。現実を見ることです。あんまり駄々をこねるようですと……
 ローザがにっこりと微笑んだ。
 ――そちらの可愛らしいお嬢さんの身が危なくなりますわよ?
 そう言って、くすくすと楽しそうに笑う。エイドリアンは血の気が引く思いだった。
 ――なんだと?
 ――父のドルシア子爵は仮面卿です。こう言えばお分かりになりますわよね? 当然、荒っぽい連中とも懇意こんいにしていますわ。手段は選びません。あなたが承知しないとなると、彼女に消えてもらいたいと、父はそう思うでしょうね。
 自信たっぷりにそう言われ、エイドリアンは困惑した。
 仮面卿? 知らんぞ、そんなものは……
 戸惑ったものの、エイドリアンはひるむことなくローザに詰め寄った。どんな相手だろうと関係ない、脅しになんか屈してたまるか、そんな思いだった。
 ――セシルに手を出すと許さないぞ! この売女ばいため!
 ――あら、威勢だけはよろしいですこと。でしたら、その言葉通り、彼女を守ってみせて下さいませ、素敵なナイトさん? さらわれたりせぬよう、用心することですわ。警備は厳重になさいませ。優秀な護衛をおつけになることですわね。わたくしの忠告を、ゆめゆめお忘れなきように……
 そう言って優雅に一礼し、彼女は立ち去った。
 そのわずか数日後の事だ。セシルが暴漢に襲われたと連絡が入った。慌ててランドルフ男爵邸に行くと、彼女は軽傷で済んだものの精神的ショックが大きくて寝込んでいるという。
 ――申し訳ないが……
 そんな話の後に、セシルの父親から婚約解消を打診された。
 どうやら脅されたらしい。このままバークレア伯爵と結婚すれば命はない、と。
 一体誰の脅しか分からないが、鮮やかな手並みは素人のものではないと感じたようで、裏組織が絡んでいるに違いないと察したセシルの父親はおびえたのだ。
 裏組織……やはり仮面卿とやらの仕業しわざか? 
 エイドリアンは悔しげに顔をゆがめた。
 セシルの父親はしがない男爵だ。なんの後ろ盾もない。気持ちは分かる。エイドリアンは泣く泣くセシルを諦めることにした。今の自分の財力ではろくな護衛も雇えそうにない。
 その後、父親のドルシア子爵と共に意気揚々と結婚の打診をしに来たあの女が憎たらしくて仕方がなかった。どこまで汚い手を使うのかといきどおった。心底腹が立っていたので、あの時は顔の上半分をおおう白い仮面を付けたドルシア子爵の姿すら、おくすることなく受け入れてしまったほどだ。
 なるほど、それで仮面卿?
 バークレア伯爵邸の居間で向かい合って座りつつ、エイドリアンはちらちらと何度もドルシア子爵の仮面に目を向けた。侍女のテレサがれてくれた紅茶はすっかり冷めてしまっている。
 ほんの少し冷静さを取り戻せば、その異様さは際立った。目にした当初、どうして平静でいられたのか自分でも不思議で仕方がない。仮面の奥から覗く緑の瞳は鋭利で、のしかかるような威圧感がある。仮面でおおわれていない口元を見ると顔立ちは整っているような気がするが、笑い方が酷薄だ。
 多分、作り笑い、なんだろうな。なんだこれ、本当に薄ら寒い……
 エイドリアンは終始気圧けおされたまま、ドルシア子爵が提示する条件にただただ聞き入った。そも、こちらには逆らうすべなどない。莫大ばくだいな金額を記した借用書を前に萎縮いしゅくするばかりだ。
 話なかばでローザに意識を向ければ、やはり見惚みとれるほど美しかったが、嫌悪しか感じない。娼婦と変わらないと思った。見た目は綺麗だけれど、恐ろしい毒花だ。
 そう、彼女の見た目に騙された男はたくさんいる。社交場で彼女にむらがる男はたくさんいたはずなのに、何故私なのか……。自分になびかなかった男を手に入れたいと、そう思ったのかもしれない。
 悔しさが込み上げた。
 彼女との結婚を了承したことで膨大な借金は消えたが、感謝などできようはずもない。
 嫌々ローザと結婚し、やしきに迎え入れたが、愛する気など毛頭なかった。後悔すれば良いと思う。無理矢理手に入れたとしても、自分が愛されることなどないと思い知るがいい。そう思っての暴言だ。なのに……

「お前ほどみにくい女はいないな」

 その言葉に対するローザの反応は、不思議そうに首を傾げただけ。

「あら、そうですの。この顔は男性受けすると思っていましたけれど、そうでない方もいらっしゃるなんて。世の中は広いですわね」

 そう言って、けろりとしたものだ。全くもって忌々いまいましい。今に見ていろ……



    第二話 貧乏にも程がありますわ


「おはようございます、奥様」

 奥様? ああ、わたくしの事ね……あら、良いお天気だわ。
 降り注ぐ朝日に目を細め、ローザが欠伸あくびをしながら起き上がると、寝衣を引っ張られる感触で、自分にすがりついている可愛らしい男の子の存在に気がついた。
 ローザは思わず目を丸くする。

「マンマ……」

 なんて言ってくれちゃったりするし、あらあ、可愛いわね。

「坊ちゃま、駄目ですよ! いつの間に!」

 そばかすの浮いた、人懐っこい顔立ちの侍女のテレサが、慌てて男の子を引き剥がそうとするも、ローザはそれをやんわりと退け、自分の膝に抱き上げてやる。きゃっきゃとご機嫌だ。

「この子はどなた?」

 ローザがあやしてやりながらそう問うと、侍女のテレサが恐縮しきった様子で答えた。

「旦那様のおい様でございます。まだその、母親が恋しい年頃で……」

 申し訳ございませんと、テレサが蚊の鳴くような声で付け加える。
 そりゃあ、そうでしょうね。見た感じ、まだ二‌、‌三歳くらいだもの。ということは、このおいっ子が旦那様の最後の血縁者というわけね。
 しみじみ見つめてしまう。茶の巻き毛の愛らしい顔立ちだ。少し旦那様に似ているかしら?

「この子の名前は?」
「ウォレンとおっしゃいます」

 ウォレン・バークレアか。
 確か、弟夫妻は事故で他界し、旦那様がこの子を引き取ったのよね。他に親類縁者はなし。だから父に目を付けられた。生まれた孫に家督を譲らせた後、自分が実権を握りやすい環境を選んだのだ。ほんっとあくどい。
 膝に乗せた男の子は、あやしてやるとご機嫌だ。
 あらあら、子供は無邪気で良いわね。笑う顔が可愛い。うふふ、あのしかめっ面の旦那様に似たら駄目よ? 愛想良くなさいな?
 おいのウォレンをあやしながら、ローザは今後のことを考える。
 とにもかくにも、お金が必要ね。お父様に孫はまだかとせっつかれる前に、逃亡資金を貯めてとんずらしないと、何をされるか分からない。でも、ああ、そうよ!
 ローザは目をキラキラと輝かせた。
 とにかく自由よ! 自由なんだわ! ああ、なんて素敵な響き! あれこれ命令をする父がいないだけで、こんなにも気持ちが軽くなるなんて知らなかったわ! うふふ、なんとかしてみせましょう!

「奥様、お食事はどうなさいますか? 食堂で? それともこちらへお持ちいたしますか?」

 ローザが心の中で張り切っていると、侍女のテレサがそう声をかけてくる。
 んー、そうね……

「旦那様はどうしていらっしゃるの?」
「朝食もとらず、登城なさいました」

 ああ、顔も合わせたくないってことね。あからさまねぇ。わたくしのように腹の中でののしって、にこにこしていればいいのに。ほんっとダメンズだわ。
 まぁ、良い方に考えれば、旦那様の感性は真っ当と言えるのかもしれないけれど、表面を取りつくろうこともできない馬鹿ってことにもなりそう。貴族社会でそれは致命的よ。自分の思っていることを逐一ちくいち相手にばらしてどうするの、もう。
 ローザはベッドから降り、テレサに手伝ってもらって身支度を調ととのえる。
 腹の探り合いが必要な場では、何を言われても微笑みが標準よ。でないとすぐに足をすくわれるわ。そういう意味では、自分の思い通りに行動できるバークレア伯爵様は、いいご身分よね。こうして好き勝手に振る舞っても、なんの問題もないんですもの。

「食堂へ行くわ。この子の分もお願い」
「よろしいのですか?」

 テレサに意外な顔をされてしまう。

「ええ、一人で食べるよりずっといいわ」
「子供のお世話は大変ですよ?」
「大丈夫、慣れているわ」

 またまた意外な顔をされてしまった。
 ええ、慣れているんです。父のに利用される子供達のお世話は、一体誰がやらされていたと思っているんでしょう? この、わ、た、く、し、です!
 見た目は楚々そそとしたお嬢様に見えるでしょうけれど! はっきり言って、父が課す日々の教育が過酷すぎて、どんな状況でも生き抜いていける力が付いてしまいましたとも! 炊事掃除洗濯、なんでもござれですわよ! やしき中をぴっかぴかに磨き上げるなんてことも、造作ぞうさもありませんわぁ!
 ほーっほっほっほっと、ローザは心の中で高笑いを上げたものの、食堂へ行く道すがら、本当にやしきを磨き上げた方がいいという事実に気がついた。
 ちょっと……なんですかこれは。とにかく汚い。うえぇ……
 人がいる場所だけ綺麗にしてあるという感じで、そこら中ほこりだらけである。うっわ……と呆れ返った。人手が全く足りていない。本当にド貧乏なんだと実感してしまう。
 ああ、それで……
 結婚式後の披露宴会場をわざわざ別にした理由はこれかと、ローザは思い至った。
 こんなに荒れたやしきで、お披露目パーティーなんてできないものね。貸し邸宅のこぢんまりとした広間での披露宴は、わたくしに対する嫌がらせかと思いましたけれど、資金不足だっただけなのね。昨夜は部屋に案内された後、そのままもってしまったので、やしきの状態になんて気がつかなかったわ。これはなんとかしないと駄目ね。
 ほこりで汚れていく靴を見ながら、ローザは危機感を募らせる。
 じゃないと逃亡資金を貯めるなんて夢のまた夢だわ。まとまったお金がないと、あのたぬき親父に途中でとっつかまって、売り飛ばされる未来しか見えないもの。
 ローザが案内された食堂は立派だった。重厚な内装で、かつての栄華の名残があったものの、やはり掃除が行き届いていない。あちこちほこりだらけである。
 繊細な彫刻のほどこされた長テーブルの端に腰かけたローザは、そこで貴族の食事にしてはかなり質素な物を口にした後、ウォレンを連れて庭に出てみた。
 やっぱりウォレンはご機嫌ですわね。庭は草ぼうぼうですけれど……
 ウォレンに向けていた笑顔がつい引きつってしまう。
 ほんっとド貧乏なのね! 女をえり好みしている場合ですか、旦那様! かのお嬢さん、とついでこなくてほんっと良かったと思うわ! 絶対、辛酸しんさんめてたわよ、これ!
 それでも愛があれば、なんてくっさい台詞せりふを言うのかしら?
 顎に手を当て、ローザは考える。
 どの辺でを上げるのか、ちょっと見てみたい気もするけれど、わたくしと結婚してしまった以上、それは無理ですものね。かのお嬢さんは手頃な物件で手を打った方が、絶対幸せになれると思うわ。こちらはとりあえず、草むしりでもしましょうか、はあ……



    第三話 がっつり鍛えましたの


「何をしている?」

 せっせと日課の草むしりをしていたローザが振り返ると、そこには不機嫌そうなエイドリアンがいた。
 明るいうちに旦那様がいらっしゃるとは、珍しいですわね。
 ローザはそんな風に思う。
 結婚後の旦那様は、新婚初夜を放棄した翌日から毎日、朝早くお出かけになり、夜遅くまで帰っていらっしゃいません。今日は休職日なのかしら。

「草むしりです」

 ローザは手を止めずに、そう答えた。ローザの今の格好は、作業着に帽子をかぶった、庭師と同じ姿だ。引っこ抜いた雑草の山があちこちに積み上がっている。

「それは見れば分かる」

 分かるのなら聞かないで下さい。

「私が聞いているのは、何故、そんな真似をしているかということだ」
「庭が荒れているので、整えないと見栄えが悪いからです」
「だから、何故お前がそれをやる必要がある!」

 怒鳴らないで下さいよ、もう。

「わたくし以外にやる方がいらっしゃいますか?」

 エイドリアンがぐっと言葉に詰まった。
 いないですよね? あのくそだぬきからの援助金は、全部借金返済に消えましたものね? 生活資金はまだまだ足りていませんよ?

「とりあえず邪魔です。手伝う気がないのならやしきに戻って下さい」
「邪魔……」
「ええ、邪魔です。そこでぼーっと突っ立っていられると本当に迷惑です。それともやしきの掃除でもなさいますか? ほこりがたまり放題ですから、清掃していただけると助かります」
「……分かった、勝手にしろ」

 吐き捨てるように言い、エイドリアンは立ち去った。
 ええ、勝手にさせていただきます。こつこつ節約して資金を貯めて、ここからおさらばさせていただきますとも! 取り戻せ、花の青春! ああ、男性にこびを売らなくてもいい生活は、本当に快適ですわね。あのくだらない美辞麗句を聞かなくて済むんですものね、ほーっほっほっほっ。快適ですわぁ。
 ローザはむしった草を放り投げ、うっとりとなった。
 自由って、素敵だわ。こうして体を動かすのも素敵……


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