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7.魔女の生まれた日
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魔法使いの呪いが封じ込められた日を皮切りに、イレニカは湖を見て回るジュードの後ろをついてくるようになった。そのたびに彼女の幻想めいた未来図についてを聞かされることになったが、ジュードがわざと嫌な顔をしてもイレニカはその胸の高鳴りを引っ込めようとはしない。聞けば、こうして自分と近い歳の子どもと過ごしたことは数えるほどしかなかったらしい。自分の将来の夢についてを気兼ねなく語らい合うのが夢だったとイレニカは語った。
「それなら、どうして姿を偽っているんだ」
集落の者たちに対して、イレニカは相変わらず偽りの姿をとり続けていた。
「そのほうが皆には受け入れてもらえるでしょう? 実際、わたしを歓迎してくれていたじゃない」
イレニカは鼻唄を歌いながら軽い足取りで先へ進んでいく。
その姿はもう怪しい魔法使いの女ではなく、魔法を見せびらかしたいただの少女だ。
湖を半周したとき、イレニカの足が止まった。
「わたし、もうじきここを出て行こうと思ってるの」
それはジュードにとって思いもよらない言葉だった。
「出ていく? 君はここが気に入ったんじゃなかったのか」
「潮時ってことよ。呪いは封じ込めたし、集落の人たちが倒れることはもうないわ。役目は終えた。そろそろ次の人々を手助けするつもりよ」
彼女は言ってのけたが、ジュードはわずかな違和感を感じていた。湖を渡ってまでイレニカは集落に住みたいと言ってきたのだ。こうもあっさりと出ていくものだろうか。
「どうしてそんなにことを急ぐんだ?」
イレニカは何も言わない。よく回るその口が黙っているのを見るのは気分がよかったが、それよりも気がかりなことがあった。彼女はまた、何かを隠そうとしている。どうにかして聞き出せないか焦慮していると、思ってもないことを口にしてしまった。
「僕たち、もう友だちじゃないか」
思わず口を押さえたが、時を巻き戻すことはできなかった。視線を上げるとイレニカが意地悪く目を細めている。
「そう。わたしたちって友だちだったのね。わたし知らなかった」
「……さっきの理由を教えてくれよ」
「いいわ。教えてあげましょう」
イレニカが指を振ると、地面に落ちていた枯れ葉がふわりと浮き上がった。彼女はいつだって、どんなときでも魔法を使わずにはいられないらしい。
「わたしを魔女だと思っている人たちがいるみたいなの」
魔法使いと響きは似ているが、聞き慣れない言葉だった。
「魔女だって? 魔法使いと何が違うんだ?」
「悪い魔法使いにつけられる名前よ。私利私欲のために魔法を使って人々を脅かす存在のこと」
「君のことじゃないか」と言おうとして、ジュードは踏みとどまった。イレニカの口にするその響きにどこか暗いものを感じとったからだ。
「皆が君のことを悪く言っていたのか?」
ついこの間まで、イレニカのことを全知全能のように扱っていたのは集落の人間たちだ。そんなことは考えづらかった。
イレニカはそれきり口を開かなくなった。
きっかけはジュードが夕食の時刻に遅れたことだった。イレニカと別れた帰り道、ジュードの足取りは石のように重かったのだ。
「ジュード、あなたいったいどうしちゃったのよ!!」
ジェナの叫びが鼓膜を揺らした。勢いよく手をついたせいで、その手のひらは赤みを帯びている。食卓に並べられた料理たちがひっくり返っていた。
「ジェナこそどうしたんだよ。せっかく作ってくれた夕食が台無しじゃないか」
「もう我慢できないわ! あなたまでどうしてあの女に関わるのよ! 一緒に湖に行ったりなんかして……!」
いつもの陽気なジェナはどこにもいなかった。
「あの女は魔法使いよ。私たちとは違ういきものだって、あなたも理解していたじゃない」
「イレニカは、自分なりの目的を持って生きているだけなんだ。魔法使いだって、皆が悪人なわけじゃない」
それはいつか、あの軽薄なエーリクが自分に言った言葉だった。
「あの女は同じよ……私の父さんと母さんを殺した魔法使いとね。そう遠くないうちに、あなたはそのことを思い知るわ」
ジェナのあまりに冷たい瞳に、ジュードは目を逸らしてしまった。
ジェナとの出来事があってから数日後、湖で待ち合わせをしていたジュードは、いつまでもやってくる気配のないイレニカに痺れを切らした。
「自分でついてくるって言ったんじゃないか」
このまま待っていても日が暮れるだけだろう。ジュードはひとりで湖の巡回をはじめることにしたが、その日は妙な胸騒ぎがおさまらなかった。懐の青い宝石がやけに冷たく感じるせいだろうか。呪いが戻りかけているのではないかと心配になったジュードは集落に引き返すことにした。
「いったい何があったんだ……」
集落はまるで嵐に襲われたようだった。あらゆる建物がひしゃげ、あちこちの大地が抉られている。そこらじゅうに漂う嫌な匂いにジュードは心当たりがあった。人の肉が焼けるにおいだ。
立ち尽くすジュードの耳に入ってきたのは、待ちわびていた筈の声だった。
「戦士アレック! お前を討ち取る者なり!」
歓声が上がる。
そこにいたのは集落に住む全ての人々だった。
人々に囲まれて叫んでいるのは、集落を出ている筈のアレックだった。いつの間に戻ってきたのだろうか。そのそばにはジェナが寄り添っている。
アレックとジェナの視線の先には、誰かが跪いていた。
赤い髪の間からは青い瞳がのぞいている。
「忌々しい魔女め!」
その首めがけて、斧が振り下ろされた。
戦士アレックが討ち取った証は湖におさめられた。
「あんがい呆気なかったと思ってるでしょう?」
イレニカの首が沈められた晩、湖のほとりで泣き腫らすジュードの前にその悪夢は現れた。思わず伸ばしてしまったジュードの手を、優しく包み込んでくる。
湖に浮かぶ幻影に向かって、ジュードは問いかけた。
「僕を憎んでいないか」
「いいえ、ちっとも。友達でしょう?」
イレニカはおどけて首をかしげたが、その瞳はぎらぎらと輝いている。
「わたしね、本物の魔女になることにしたの、これからは自分の思うがままに魔法を使うつもり」
嬉しそうに身を翻す幻影から、ジュードは目を離せなかった。
「わたしと一緒に行きましょう? こんなところ、あなたには似合わないわ」
イレニカはジュードの頬に手を添える。
「わたしがあなたに奇跡を分けてあげる」
青い瞳と視線を交えたとき、ジュードはふと思った。目の前の悪夢は、本当に悪夢なのだろうか。
――唇は温かかった。
完
「それなら、どうして姿を偽っているんだ」
集落の者たちに対して、イレニカは相変わらず偽りの姿をとり続けていた。
「そのほうが皆には受け入れてもらえるでしょう? 実際、わたしを歓迎してくれていたじゃない」
イレニカは鼻唄を歌いながら軽い足取りで先へ進んでいく。
その姿はもう怪しい魔法使いの女ではなく、魔法を見せびらかしたいただの少女だ。
湖を半周したとき、イレニカの足が止まった。
「わたし、もうじきここを出て行こうと思ってるの」
それはジュードにとって思いもよらない言葉だった。
「出ていく? 君はここが気に入ったんじゃなかったのか」
「潮時ってことよ。呪いは封じ込めたし、集落の人たちが倒れることはもうないわ。役目は終えた。そろそろ次の人々を手助けするつもりよ」
彼女は言ってのけたが、ジュードはわずかな違和感を感じていた。湖を渡ってまでイレニカは集落に住みたいと言ってきたのだ。こうもあっさりと出ていくものだろうか。
「どうしてそんなにことを急ぐんだ?」
イレニカは何も言わない。よく回るその口が黙っているのを見るのは気分がよかったが、それよりも気がかりなことがあった。彼女はまた、何かを隠そうとしている。どうにかして聞き出せないか焦慮していると、思ってもないことを口にしてしまった。
「僕たち、もう友だちじゃないか」
思わず口を押さえたが、時を巻き戻すことはできなかった。視線を上げるとイレニカが意地悪く目を細めている。
「そう。わたしたちって友だちだったのね。わたし知らなかった」
「……さっきの理由を教えてくれよ」
「いいわ。教えてあげましょう」
イレニカが指を振ると、地面に落ちていた枯れ葉がふわりと浮き上がった。彼女はいつだって、どんなときでも魔法を使わずにはいられないらしい。
「わたしを魔女だと思っている人たちがいるみたいなの」
魔法使いと響きは似ているが、聞き慣れない言葉だった。
「魔女だって? 魔法使いと何が違うんだ?」
「悪い魔法使いにつけられる名前よ。私利私欲のために魔法を使って人々を脅かす存在のこと」
「君のことじゃないか」と言おうとして、ジュードは踏みとどまった。イレニカの口にするその響きにどこか暗いものを感じとったからだ。
「皆が君のことを悪く言っていたのか?」
ついこの間まで、イレニカのことを全知全能のように扱っていたのは集落の人間たちだ。そんなことは考えづらかった。
イレニカはそれきり口を開かなくなった。
きっかけはジュードが夕食の時刻に遅れたことだった。イレニカと別れた帰り道、ジュードの足取りは石のように重かったのだ。
「ジュード、あなたいったいどうしちゃったのよ!!」
ジェナの叫びが鼓膜を揺らした。勢いよく手をついたせいで、その手のひらは赤みを帯びている。食卓に並べられた料理たちがひっくり返っていた。
「ジェナこそどうしたんだよ。せっかく作ってくれた夕食が台無しじゃないか」
「もう我慢できないわ! あなたまでどうしてあの女に関わるのよ! 一緒に湖に行ったりなんかして……!」
いつもの陽気なジェナはどこにもいなかった。
「あの女は魔法使いよ。私たちとは違ういきものだって、あなたも理解していたじゃない」
「イレニカは、自分なりの目的を持って生きているだけなんだ。魔法使いだって、皆が悪人なわけじゃない」
それはいつか、あの軽薄なエーリクが自分に言った言葉だった。
「あの女は同じよ……私の父さんと母さんを殺した魔法使いとね。そう遠くないうちに、あなたはそのことを思い知るわ」
ジェナのあまりに冷たい瞳に、ジュードは目を逸らしてしまった。
ジェナとの出来事があってから数日後、湖で待ち合わせをしていたジュードは、いつまでもやってくる気配のないイレニカに痺れを切らした。
「自分でついてくるって言ったんじゃないか」
このまま待っていても日が暮れるだけだろう。ジュードはひとりで湖の巡回をはじめることにしたが、その日は妙な胸騒ぎがおさまらなかった。懐の青い宝石がやけに冷たく感じるせいだろうか。呪いが戻りかけているのではないかと心配になったジュードは集落に引き返すことにした。
「いったい何があったんだ……」
集落はまるで嵐に襲われたようだった。あらゆる建物がひしゃげ、あちこちの大地が抉られている。そこらじゅうに漂う嫌な匂いにジュードは心当たりがあった。人の肉が焼けるにおいだ。
立ち尽くすジュードの耳に入ってきたのは、待ちわびていた筈の声だった。
「戦士アレック! お前を討ち取る者なり!」
歓声が上がる。
そこにいたのは集落に住む全ての人々だった。
人々に囲まれて叫んでいるのは、集落を出ている筈のアレックだった。いつの間に戻ってきたのだろうか。そのそばにはジェナが寄り添っている。
アレックとジェナの視線の先には、誰かが跪いていた。
赤い髪の間からは青い瞳がのぞいている。
「忌々しい魔女め!」
その首めがけて、斧が振り下ろされた。
戦士アレックが討ち取った証は湖におさめられた。
「あんがい呆気なかったと思ってるでしょう?」
イレニカの首が沈められた晩、湖のほとりで泣き腫らすジュードの前にその悪夢は現れた。思わず伸ばしてしまったジュードの手を、優しく包み込んでくる。
湖に浮かぶ幻影に向かって、ジュードは問いかけた。
「僕を憎んでいないか」
「いいえ、ちっとも。友達でしょう?」
イレニカはおどけて首をかしげたが、その瞳はぎらぎらと輝いている。
「わたしね、本物の魔女になることにしたの、これからは自分の思うがままに魔法を使うつもり」
嬉しそうに身を翻す幻影から、ジュードは目を離せなかった。
「わたしと一緒に行きましょう? こんなところ、あなたには似合わないわ」
イレニカはジュードの頬に手を添える。
「わたしがあなたに奇跡を分けてあげる」
青い瞳と視線を交えたとき、ジュードはふと思った。目の前の悪夢は、本当に悪夢なのだろうか。
――唇は温かかった。
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