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6 癒えない傷

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 昼休みになり、僕は会社の屋上に行きコンビニで買って来た弁当を食べていると「ご一緒していいですか?」と隣に志穂がやって来た。いつものお喋りな志穂は無言のまま数分が経過した。
「どうかした?」
 志穂は食べながら遠慮がちに言った。
「あのっ」
「ん?」
「失礼なのは分かってるんだけど、昨日の横断歩道で誰か知り合い亡くなったの?」
「あぁ」
「そうなんだ…もしかして彼女? ?」
「あぁ…お前は超能力者か?」
「違いますよ」
「分かってるよ。調べたのか?」
 無言になる志穂。僕は微かに口の端を持ち上げ「分かってるんだ。もう四年たったし、忘れた方が良いんだって事ぐらい。でもさ…」遮るように「ごめんなさい!」と志穂は頭を下げた。
「え? 何が?」
「あの事故起こしたの、なんです」
 それを聞いて僕は一瞬志穂を睨み、怯える志穂は視線を反らせた。
「ごめん…。そっか、志穂の…」
「本当にごめんなさい…」
「志穂に謝れても…」
「でも…あの日兄はッ」
「もういいって…」
「不眠の中それでもトラックに乗らなきゃいけなくてッ」
「もういいって言ってんだろ! もういいんだ…頼むからやめてくれ、聞きたくないんだ…」
 俯き僕は志穂に泣き顔を見られたくなくて手で覆った。
「本当にごめんなさい…」
 呟き志穂は行ってしまった。

 もし死後の世界があるなら僕は朝美に会えるだろうか…。

 そんな事考えながら、涙でぼやけた視界の中、緑のフェンスに向かって歩いていた。
 一歩、一歩、歩む足。
 朝美に会えるんじゃないかと期待してる自分がそこにいた。
 ねぇ、朝美今行くよ…。

 突然スマホが鳴り出し、僕は我に返り涙をぬぐい通話ボタンを押した。
「はい」
「円佳だけど」
「分かってるよ」
「和紀の部屋にピアス忘れて来ちゃった見たいなんだけど捨てずに取って置いてね」
「捨てないよ」
 病院内のアナウンスだけが無情に聞こえて来た。
「…何かあった?」
「いや、たいした事じゃ無いよ」
「何?」
「…ちょっと屋上から飛び降りそびれた…」
「…」
 再びアナウンスが鮮明に聞こえ出し無言の円佳に「聞いてる?」と言おうとすると「鹿」とスピーカーが音割れする程の音量で叫ばれ耳がキーンとなった。
「今どこ?」
「会社の屋上」
「直ぐ中に入りなさい!」
「大丈夫だって」
「良いから!」
 強い口調で言われ、受話器から鼻を啜る音が聞こえ出し、僕は急いで弁当を畳み屋内に入った。
「中に入ったよ。大丈夫だから泣くなよ…」
「バカ…」
「ごめん…」

 いつも円佳を泣かせてばかりだな…。

 僕は屋上入口に通じる階段に座った。
 ひんやりとしていて高ぶっていた感情が冷えて行った。
「ねぇ、何があったの?」
「会社の後輩に、朝美を死なせた人の妹がいた」
「そっか…」
「で、謝られた。謝られても朝美は死んだのに…って思ってたら急に朝美に会いたくなって…」
「うん」
「いつの間にか足がフェンスに向かってた。でも、もう大丈夫だから…」
「うん。分かった…」
 そのあと言葉が続かなくなり僕は「そういえばピアスって何処に置いたか覚えてる?」と話題を変えると「うん、たぶんテーブルに置いたんだと思うけど」と円佳は話を合わせてくれた。
 他愛もない話をして、気持ちを落ち着かせデスクに戻ろうと廊下を歩いていると自動販売機横の長椅子に座り俯く志穂を見つけ僕は隣に座った。
 一瞥し僕だと認識した志穂は顔を上げ、口を開いた。
「あの…私…」
 泣いたのだろうか、志穂の目が赤かった。
「さっきは悪かった。志穂が責任を感じる事じゃ無いよ」
「でも…」
「先輩に楯突く気か?」
 僕は志穂の髪をクシャクシャッとした。
「何するんですかー」と手グシで直す志穂。
「俺は誰かを責めたい分けじゃないんだ。誰かを責めた所で朝美はかえって来ない分けだし、志穂が責任を感じる事じゃないよ。だから…いつもみたいに笑ってくれないかな…」
「うん…」
 志穂はじっと潤んだ瞳でこちらを見つめ、ぎこちない笑みを作った。
「変な顔…」
「ヒドーイ」
「昼飯食べれた?」
「ううん」
「俺も」
 言うと志穂は口の端を持ち上げた。

 誰かを恨んだり、責めたい分けじゃない。

 責めるとしたらあの時何も出来なかった自分だけ…。

      *        *       *

 アパートに帰り、部屋の鍵を開けるとリビングの明かりに照らされ玄関に円佳の靴を見つけた。

 ん? あぁ…。

 今朝、僕は円佳に合鍵を渡して先に出社し、円佳に鍵を預けた事を思い出した。

 やっぱり来たんだ…。

 中に入ると、膝を抱えた円佳がベッドに座っていた。
「ただいま…」
「バカじゃないの…」
 じっと僕を見つめる円佳の瞳が潤み出した。
「大丈夫だって言ったろ…悪かったよ…」
 僕は円佳を抱きしめた。
「もうしないから…」
「絶対?」
「ん…たぶん」
「たぶんって何よ!」
 ムッとした円佳は僕の腕を振りほどき立ち上がると微かに笑み、言った。
「顔見て安心したから帰るね」
「え?」
「新米ドクターは大変なんだよ。カルテは書かなきゃいけないし、雑務はあるし、和紀の事ばかり構ってなんていられないんだらかね!」
「そっか…。いつも心配ばかりかけて、ごめんなさい」
「うん…」
「今度電話するよ」
「うん、じゃ…」
 円佳の後ろ姿を見送った。
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