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最終章 誰よりも大きなおかえりなさいを貴女へ

その一歩は、またいつか

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 その後。


 料亭開き屋に飯食いに行って、どんちゃん騒ぎした。
 帰宅した後は、マリオンとパミュが、二人同じ部屋で床につく。
 

 あるいは、床についたまま、一夜話明かしたかもしれない。
 ガキのお泊り会っていや、そんなもんだろ?


 セイレーンは、仕込み十文字槍を抱きながら、二人の目が届かない場所で、密やかに夜の番をし、体質上眠ることができない俺は、そんなセイレーンに気が付きながら、自室で『いつものように』床を見つめて、夜を明かした。


 全員で作った、夢のような時間。


 それは、日の出とともに、影のように消えていく。


 早朝。


 陽の光が、カーテンを開けた窓から注いでいる。


 居間に、パミュ。
 

 見守るように、マリオン、ティアラナ、セイレーン、そして俺が、パミュの前に立っている。
 

 パミュが笑顔で手を振る。
 

 『またね』と。


 また『会おうね』と。


『いつでも会えるわけでは、ない』からと。


 そう顔にト書きしながら。






 そして。






 空間を擦る音。
 パミュの姿は陰も形もなく消えていた。


 しばらくの間、マリオンは、いなくなった空間を、ジッと見つめていた。


 信じたくなかったのだろう。


 真実を推測して、本人から聞かされて、それでもまだ。

 
 パミュがエルメルリアにはいなかったこと。


 パミュが本当は、姫であったこと。


 天才と呼ばれていても、それはエルメルリアの中での話。


 エルメルリアの一町娘でしかない自分が、いつまでも関われる存在じゃ、ないってこと。


 この一瞬でマリオンは全て理解したはずだ。
 

 マリオンは、エルメルリアの一町娘でしかないとは言っても、それでも、凡人より多くのものが見えてしまう、天才なんだ。


 ふと。


「ティアラナさん」


 マリオンが、言った。
 震えた声音で。
 

 顔は、向けていない。
 あるいは、向けられないのか。


「お兄さん、セイレーンさん」


 パミュがいた場所に向かって、呼びかけていく。


 そして。


 マリオンが、振り返った。
 

 目尻にたまっていた涙が、虚空に散った。

 
 笑顔だった。


 いつもの小生意気な笑顔じゃない。
 いつもの、才能にあぐらをかいた笑顔でもない。
 

 真っ直ぐな、未来をジッと見据える、十三歳の、笑顔。


「今日は本当に……」


 フワリ。


 マリオンの蒼い髪が、浮いて、落ちる。






「今日は本当に!! 大切な機会をいただき、ありがとうございましたっ!!」






 震える声を、気持ちで押し切るような、そんな声。


 感謝がそうさせるのか、泣きっ面を見られたくなかったのか、マリオンはしばらく、頭を上げなかった。


「それじゃあ」


 目尻の涙を拭いながら、マリオンが顔を上げる。


「マリオン帰りますね」


 つらさや寂しさ。
 それらを一杯一杯、口に含んでかつ、光に昇華させたような、そんな――


「協会区に戻って、やらなくちゃいけないこと、一杯できちゃいましたから」


 そんな、笑顔で。


 セイレーンがスタスタと、マリオンに近づいた。
 今度は腰巻きに手は入れていない。
 セイレーンが、両手を背中で組んで、口を開いた。


「今度グインシーにまで連れて行って上げるよ、マリオン」
「いえ、大丈夫です」
「あらら。もしかして、嫌われちゃった?」
「いや……そうじゃなくて。パミュのところには、自力で行きます。いつか……パミュの隣に並べるぐらいの、立派な魔術師になって」


 心打つ台詞だった。
 セイレーンは文字通り、心を撃たれたように、動かなくなった。
 そして。
 ビシッと、未来を見つめるマリオンの頭に、手刀を打ち込む。


 マリオンが顔を向ける。
 セイレーンは、アゴを持ち上げ、そんなマリオンを見下ろしていた。


 栗色のポニーテールが、フワリと揺れる。
 綺麗に並んだ白い歯は、山の実を照らす光のようだった。


「伝えとく。ハルモニカに」


 マリオンがコクンと、頭を下げた。


 やめてくれとは、言わないんだな。

 
 そう思って、俺は笑った。


「白亜様。あたし、この子を協会区にまで送っていきますね」
「ふふふ。乱暴はしないでくださいね、セイレーンさん」
「決めてるんでね」
「?」
「自分の才能も、人生も、全部あいつの幸せのために使うって、決めていますから。だからまあ、今のマリオンには、何もできそうに、ないですね」
「ふふふ」


 ティアラナが笑う。
 いあいあ。
 笑ってっけど、要するに、さっきまでは危害を加えるつもりだったわけだろ?
 怖いやつだぜ、ほんと。


「それでは、あたし達はこれで。失礼します、白亜様」

 
 セイレーンが手を振り、マリオンが今一度、頭を下げる。
 やや気まずそうだった。
 さっきは勢いで礼を言えたが、やはり苦手意識は持たれたままなのかもしれない。


 扉が開き、閉まる。
 そして。


「あ、ロゼッタ!! まーた盗み聞きしてるー!!」
「だーれが盗み聞きなんてするか、誰が!! ティアラナさんが連絡くれたから、迎えに来てやったんでしょうが!!
 ってか、あんた今日の仕事はさすがに休みなよ? つーか一週間は休みな。支部長にはもう言ってあるから」
「何で!! マリオン元気だし!! ロゼッタより仕事できる自信全然あるし!!」
「あーもううっさい!! とにかく今日は休む!! 学校(あそび)じゃないんだから、失敗したらこっちが困るって言ってんの!! ほんと小生意気で分からず屋なんだから、あんたは!!」
「やーだ!! 仕事して、ロゼッタに菌全部移してやる。ケホケホケホケホケホ」
「あーもうやめろっつの!! あんたはもう!!」


 扉を挟んだ状態でもわかる、二人の声。


 部屋の中に残った俺とティアラナは、顔を向けあって、笑っちまった。


 ロゼッタには言いづらいことなんだけどさ、案外、マリオンを小生意気にさせているのは――


 いや、これは心の中でも、言わない方がいいかもな。


 セイレーンを含めた、三人の和気あいあいとした声が、遠ざかっていく。
 

 残された、俺たち二人。


 波の音が響いている。


 よくよく考えてみると、やっと二人きりになったなと思った。


 やっと、あの状況にまで、巻き戻ったなと。


 あの状況ってのはまあ、ハッキリ言うと、キスをしようとしていた、あの状況にまでだ。


 今からでも、戻れたりしないだろうか……?


 最低? 台無し?

 
 ええい黙れい。


 よっく考えてみたら、むしろいい雰囲気だったりするではないか。


 聞こえてくる小波の音。
 静かで涼やかなこの空気。


 な? いい感じだろ?


 やましい感情を持ちながら、ティアラナを見つめる。


 ティアラナもまた、俺の顔を紫暗の瞳で見上げてきている。


 そして。


 ティアラナが、俺の心を見透かしたように、意地悪く笑った。


「さ、今日もお仕事頑張るかー」


 両手を上げて、クルリと背を向ける。


 頑張るのはいつも俺なのだが……。
 

 そんな、正論ながら、不貞腐れたことを思う俺であったのだが、チラリと、目に映ったそれを見て、俺は何も言えなくなった。


 ティアラナが笑顔で振り返る。


 いつもなら、その細くなった目元に、薄っすら歯を見せた口元に、目が離せないところなのだが――


 今日(いま)は。


 ティアラナの耳元で光る、星のようなピアスに、目がチラチラと、向いていた。


 似合ってるぞ。
 なんて粋な台詞、俺に言えるはずもなく。


「似合ってる?」


 そう尋ねられて、やっと俺は、恋のド素人らしく、頬を掻きながら、頭をやや、下ろしながら、どうにかこうにか――


「あぁ。――似合ってる」
 

 言いたかったことを、口にした。
 





   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





 
 波の音が聞こえる。
 引いてまた押し寄せる。


 エルメルリアとギルドフルーレを繋ぐ南浜区には、文字通り砂浜がある。


 白いワンピースを着た褐色少女が、砂浜に打ち上げられた貝を見つけては拾っている。ちなみに今は結構朝っぱらである。
 時間は見てないけど、朝七時ぐらいかな。


 何とはなしにジッと見つめていた俺の側に、褐色少女が走り寄ってきた。
 バシャバシャと浅瀬に足を踏み入れ、橋の手すり越しに笑顔を向けてきた。


「おはよう、魔術師ギルドのお兄さん」
「あ、あぁ。どうも」


 誰?
 わざわざここまで来てもらってアレだけど、誰?


「お兄さん、いっつも海の上を歩いてるね」
「ん? まあ魔術師だからな」
「もったいない」
「え?」
「海も、砂浜も、はだしで歩くとすっごい気持ちいいのに!!」


 目を見開いて、俺は少女を見つめた。
 少女の裸足は、海の中に沈んでいる。
 透き通った海の先に、砂の中に沈み込む裸足が見えた。


「だから今度試してみてよ!!」


 一本欠けた歯も気にせず笑う少女。
 俺も釣られて、笑ってしまった。
 

 今度と言わず、今試してみようじゃないか。


 なーんて、心の中の俺は、言ってんだけどさ。
 言えない、というより、言おうと思った時には、合理的な、自分にとってのみ、最良の動きをしていてさ。


 俺は、手を振って、海の上を歩いたまま、少女の前を通り過ぎた。


「おう」


 踏みしめる雪の音。
 今更ながら、これは違うと思った。
 だから。
 振り返って、俺は、自分に言える精一杯の気持ちを口にした。


「またいつか、歩いてみるよ」
「絶対だよー!!」


 即座に返ってくる言葉。
 意外と好感度が下がっていないようで、俺は安心した。
 

 雪の上を歩く。
 そうだな。
 

 またいつか。
 あの子供を見つけたら、歩いてみよう。


 さすがに、一年もいれば、あの子が若い間に、会うことができるだろう。


 目の前。
 仕事先であるエルメルリアが、今日も神陽玉に負けることなく、輝いていた。


 < 八百年生きた俺が十代の女に恋をするのはやはり罪だろうか? 完結>
 
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