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誰がための呪

全ては蒼空の下で起きたこと

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 波の打ち寄せる音が聞こえる。窓から差し込む陽光が、朝を教えた。机の上に置いていた写真立てが、光に照らされ映えている。
 

 映っているのは俺とティアラナ。例の、腕を組んで撮った写真だった。
 一日中ベッドに座り、呆然としていた俺は、床がまばゆく輝いていくのを、静かに見つめて、そろそろいいかと、腰を持ち上げた。


 写真立てに近づき、机の引き出しを開けた。中身は全て出してあった。汚れるのが嫌だったから。
 四角い箱だけが、引き出しの中に納めてあった。


 何やかんやであれから一週間経っている。ティアラナと出会ってからで換算すると、およそ一月。正確には二十九日。四月も終わっていた。


 一週間考えた。
 渡すのをやめようと思ったこともある。
 それでも俺は、やっぱりこうだって、そう思った。

 
 それを手にとり、引き出しを閉めた。扉を開けて、階段を下りる。最後の一段を下り終えて、横手を見つめた。
 窓から、陽光が差し込んでいる。
 ティアラナは、足の高いテーブルの前に座って、依頼書の束をパラパラとめくっていた。

 
 俺はやや、緊張しながら、足を運んだ。


「おはよ、ビュウくん。で、今日の仕事なんだけど――」


 目も向けず、仕事の打ち合わせに入ろうとするティアラナ。別に嫌われているから、目を向けられてないってわけじゃないと思う。ただそんな気もするということは、やっぱり、心の中にモヤモヤするものが、あるというわけで。


 女心は秋の空、とも、言いますし。


「ビュウくん?」


 ティアラナが顔を上げ、見つめてくる。
 それとほぼ同時に、ティアラナの前に、俺はそれを置いた。


『女の子の機嫌を直す方法は二つしかない』
『ほう』
『一つは、夜空から星をとってきて、それを彼女に渡すこと』


 縦に長い箱。王都グインシーで密やかに買っていた、ネックレス。
 キョトンとするティアラナ。
 俺は素早く目を逸らした。


「とってきたぞ」


 波の音一つ。
 その間、こいつが何も言わねぇものだから、俺は恐る恐る、ティアラナに目を向けた。
 ティアラナは、何度も瞬きしながら、それを見ていた。


「あ!! あー」


 ポン。


 広げた掌に、拳の槌を打つティアラナ。

 
 おいおい、まさかこいつ、自分で言ったことを――というか、諸々のイベント全部、忘れてたんじゃ――
 ……と思ったが、今になって気がついた。
 

 これは俺の落ち度であったと。
 

 俺は確かに、星のような宝石をつけたピアスを、ティアラナに渡した。
 が、正確に言えば、星のような宝石をつけたピアスが入った『箱』を、ティアラナに渡したのだ。

 そしてティアラナは、箱の中身を知らない。
 

 俺ってやつはほんと……バカっ!!
 

「いや、あーっと、これはだな、お前が前に言ってたじゃんか? 女の子の機嫌を直す方法は二つしかないってさ。
 だからそのー、グインシーに行った時に、えーっと……」


 身振り手振りを入れて説明し、その後、伏し目がちに、説明を続けた。
 情けない。
 顔から火が出そうだ。
 だから言ったじゃん、言ってないけど。
 俺は呪われてるんだってば。
 女に優しくしようとすると、絶対にこの、変な失敗してさ……。
 そういうことができない星の下に生まれてるんだよ、俺は……。


「プッ」


 ティアラナが、吹き出すようにして、笑った。
 ぐうの音も出ない。
 穴があったら入りたいとはこのことだ。
 悔しく哀しい。
 そんな俺の気持ちを吹き飛ばすような、ティアラナの笑顔が、視界に入った。


 ティアラナは、ピンと肘を伸ばしていた。
 俺が渡したプレゼントを、両手で持ちながら。


「やったー!!」


 子供みたいに高い声が、耳朶を打つ。
 わざとらしくはあった。
 多分俺のために喜んでくれたのだろうって、ひねくれ者の俺は即座に思う。
 それでも俺は、好きな女に喜んでもらえるというのが、ただただ、嬉しくて――。
 
 
 ちょっと、人には見せられない顔で、笑ってしまった。
 

 ティアラナが、口元に箱を押し当てる。
 嬉しいと、恥ずかしいの色を、隠すように。
 相変わらずどこか気障で、決まっている。
 

 どうしてティアラナを好きになったのか。
 

 可愛いからか。
 若いからか。
 俺の隣に立てるからか。
 絶対に気が合うからか。


 多分それは、どれも正しい。
 だけど、一番の理由はきっと――


 こけそうになった時、こいつがいつも、支えてくれたから。


 嬉しいと思う以上に尊敬していた。
 

 そんな考え方があるのかと。
 八百年生きた俺の心を、その年で、埋めることができるお前に。
 もう二度と、こんな魔術師には、出会えないだろうなって、そう思っていた。


 だから、俺は……。
  

 できるなら、叶うなら――
 俺にできる精一杯で、何かを、返したいって――
 

「ティアラナ」


 呼びかけていた。
 特に何かを考えるわけでもなく。
 背を押されたように、ソッと。
 ティアラナが俺を見上げる。
 何かを期待するような顔で。
 

 応えたいって、そう思った。


「あ」


『家族もいない。故郷もない。年すらも語れない。
 女風に言うなら、絶対に捕まってはならない『バカな』男だ、俺は』


『綺麗な華だ。しかし愚かではなかった。知的でもある。おいそれと抜かれないよう、崖の上に咲いていた。
 その華を抜けるものは、紛れもなく、英雄。
 俺は……ティアラナにとって、黒い翼をはやした……』


 俺さえ、いなければ――!!


 脳天を殴られたように、その思考が頭によぎる。
 魔装が大きく揺れたのが、自分でもわかった。
 

 ま、まあ今回は、もうここまでで十分かな?
 俺みたいな魔法使いがだぜ? 本当によくやったよ。誰が誉めずとも、俺が誉めるね。
 

 何かを返す? バカバカしい。俺(おまえ)が一体、この八百年で、何を積み上げてきたというのだ? 死体の山だけじゃねぇか。
 何より人間でさえない。次元の違う存在が、同じレールに立って、人の運命を狂わせているだけだ。
 本当にティアラナのためを思っているなら、何かを渡したい、返したいと、思っているなら、今すぐにでも、この席(となり)を、本来の――


「言ってほしいな」

 
 ティアラナが言った。
 紫暗の瞳が斜め下を向いている。


「言ってほしい。あたしは。もしも気持ちが、あたしと同じ場所にあるのなら。ビュウくんの口から、その言葉を聞いてみたい」


 ティアラナの言葉。
 同時に、カーテンが揺れた。
 内側から外側に。


 俺が積み上げてきたものの中で、唯一人後に落ちないと断言できるものが、魔術だった。


 だからこれだけでわかる。
 あのティアラナが、整纏を解いているということ。あるいは魔装で、先に語っている可能性もあるということ。
 今のティアラナは、魔術師というより、十八歳の女の子だった。

   
『覚悟はあるのか?』


 口を開こうとすると、また誰かが問いかけてくる。
   

『そこに正義はあるのか?』


 きっと、自責の化物だろう。


 うるさいから、はっきり言おう。
 

 そんなものはない。
 どこにもない。
 あるはずがない。
 

 年の差は八百歳。加えて言えば、俺はこの世界の住人でさえない。いるはずなんだ。本来ティアラナと結ばれるべき天才が、この交鳥(せかい)のどこかに。
 

 それでも俺が、ティアラナを一番幸せにできるんだと、胸張って言えるなら、それでいいと思う。
 

 しかし俺ってやつは、女と付き合ったことのない魔法使いだ。
 

 どうして幸せにできるだろう? きっとしくじる。最後には嫌われている未来が、容易に想像できる。


「あのさ」


 いやむしろ、失敗した方がいいのかもしれない。
 最後までいかなければ、秘密を知られることもない。
 勘違いしてくれるな。
 別に、ティアラナをどうこうしたいとか、そういうわけじゃない。
 ただ俺は……。


「あー、えーっと……」


 決して、お前のことを嫌いなわけじゃないって。
 むしろ好きなんだって。
 そのことだけは、絶対に、知っておいてほしくて。


「お、俺はさ?」


 今にも飛んでいきそうなぐらい、声音が上がった。


「お、俺はそのー、だ、濁流派の魔術師だからよ」
「うん」
「清流派と濁流派の魔術師は、意外と気が合ったりするらしい」
「う、うん……」
「だからさ」
「うん」


 沈黙。
 視線が混じり合う。
 俺はやや、俯き気味になった。
 こんがらがった思考が、俺に頭をあげさせない。


「俺はその……好き、なんだ。誰よりも。お前のこと」


 もうグッチャグチャである。
 前置きの意味がわからない。
 だからの意味もわからない。
 ルールを無視して駒を動かし、はい王手、なんて……。


 恥ずかしさで、唇が尖った。
 いつもの俺なら、即座に目を伏せていたことだろう。


 失敗した。
 だから俺はダメなんだって。


 しかしこいつは、俺に卑屈になる暇を、与えなかった。
 

 ティアラナが、両手を結んでいる。
 顎を持ち上げ、見せてくるその顔は、淑やかでありながらも、子供らしく、喜びを一切隠すことなく――


「うん!!」


 笑っていた。


 多分、こんなことを言うと、ガキにさえ、笑われると、思うんだけど……。


 今、惚れたって、そう思った。


 海鳥の鳴き声が聞こえる。
 俺とティアラナは、聞こえていないかのように、見つめ合っていた。
 風が強く吹き始める。
 絹のカーテンが、フワリと、持ち上がった。
 

『無茶言うな』
『それができなければ――』
『できなければ?』


 海鳥の鳴き声が、遠ざかっていく。
 蒼空だけが、ことの顛末を知っていた。
   
   
 
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