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ティアラナさんの唇を奪え

ティアラナの唇を奪え

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 ティアラナが、手櫛で髪を梳いている。
 

 そんなこと言われたら、目を向けられるってわかっているくせに、今気づきましたと言わんばかりの顔で、俺に目を向けてきて――その長い黒髪で、口元を隠す。
 

 口元を隠しているのに、笑っているってことがはっきりとわかる、そんな顔。


 こいつ……。


 まーたよからぬこと企んでるんじゃないだろうな……。


「えー会場が大変慌ただしい状況になっております。ではここで、会場の皆様を納得させるために、ティアラナさんにその真意を聞いてみたいと思います。ティアラナさん。ビュウ=フェナリスを選ばれたのには一体どういう理由が?」

「え? 温かったから」

「それは、心が?」


「いや、料理が」


「うわあああああああああああ!! やはり、やはり、やはり、ビュウ=フェナリスの作戦勝ちどうわああああああああああ!! 許されていいのでしょうか、こんなことが。ああしかしこれもルールです。我々はこのルールに従って、ことを進めていくしかないのです。
 それでは、ビュウ=フェナリスさん! ティアラナさん!! 正面に!! どうぞ!!」
 

 ティアラナが、スカートを内ももにつけて、席を立つ。
 
 俺はというと、突然謎の半裸男にマネキンのように担がれて、場の中央に下ろされた。
 正面にはティアラナ。俺達二人をグルリと囲むようにして、四百人の見物人が、血眼になって見据えている。  
 

 OH。
 

 思わず、元日本人とは思えぬ声が零れ出た。
 

 パパパパー。
 パパパパー。
 パパパパっ、パパパパっ、パパパパっ、パパパパっ――
 パーラーラーララーラ、ラ、ラ、ラー、ラー、ラララー。


 ペレが金で集めた楽団が、楽器を持ち上げ音をかき鳴らすってお前これ結婚式やんけ。
 
 俺が心の中でツッコんでいる最中。

 
 一歩。
 ティアラナが踏み込む。
 

 二歩、三歩。
 おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおい。
 

 俺は同じ歩数分下がり、空間の上で指を走らせた。


『何か策があるんだろう? 教えとけ。これじゃ合わせようにも合わせられん』


 空筆。
 魔力で空間に文字を綴る技法の一。
 この文章を読むためには、魔力を通して世界を視る技法、見鬼を使えなければならない。
 しかし、見鬼は高等技法。
 

 この場でこの文章を読めるのは、ティアラナただ一人。
 

 俺はティアラナが何か返してくるかと、見鬼を発動させた。
 しかしティアラナは、口元を楚々と隠して、顔を赤くするだけだった。


「うわあああああああああ!! 情けない、情けなさすぎる男だ、ビュウ=フェナリス!! 
 一体いつまで逃げ続けるつもりなのか!? 夜までか!? 皆が飽きるまでか!? それとも、他の参加者が作った料理のように、ティアラナさんの熱が冷めるまでか!? お前がとってる清廉ぶった行動は、お前以外を粗暴に貶める行為だと何故気づかん!!」


 バンバンと机を叩きながら、ターニャが言った。
 例によってえらく熱が入ってんな、こいつ……。
 しかし。
 ちょっとそうかもと、思ってしまった。
 

 よよよよ、よーし。
 

 やって、やろうじゃねぇかよ。
 

 足を踏み出す。
 

 一歩。
 二歩。
 

 ティアラナは、下がらなかった。
 
 
 マジかこいつ……。
 
 
 心のどこかで、下がってほしいと思う自分もいた。
 しかし、ターニャの言う通りでもあった。
 

 また逃げるのか?
 

 バカげた企画だ。こんなことでキスするぐらいなら、死んだ方がマシだと、普段の俺なら考える。

 
 しかし、こいつは俺のことを選んでくれた。

 
 消去法で考えれば普通はパミュを選ぶはず。それが最も無難で、ダメージの少ない解決法だからだ。

 
 それでもこいつは、俺を選んだ。周りから色々言われるのは明白なのに、それでも俺のことを選んでくれたのだ。


 だったら、応えたい。
 誰でも応えるわけじゃない。
 パミュなら、下がるだろう。
 マリオンでもそうだ。
 

 だけどお前は……。






『絶対に気が合うと思う』






 か。


 だったら……いいよな。
 

 ――
 

 いや。
 
 
 待て、俺。
 
 
 つま先で擦るようにして、足を止めた。
 口元に手をあてがう。


 気が合うってことは、考え方が似ているってことだ。
 俺だったらこの局面、例え好いていてもティアラナは選ばない。
 好きな女とキスをするチャンスだったとしても、想いを、やんわりとでも、伝える機会だったとしても、こんなアホらしい場所で、好きな女とキスをするぐらいなら俺は――
 

 この企画を、なかったことにする方法を考え出す。
 

 そしてティアラナは、八百年生きている俺以上の知略知慮の持ち主。


「だ、駄目だあああ!!」


 見物人の一人が言った。人混みから発せられたので、声質的に男ということしかわからない。


「そうだ!! こんなこと、許しちゃいけない!! 女性への冒涜じゃないか!!」


 もう一人。どの口が言うねんとツッコミたくなるような言葉が、どこからか上がった。その言葉はウイルスよりも早く人々の心に感染し、瞬く間に四百人の大音声を生み出した。それに囲まれてる俺の心情たるや、推して知るべしである。


「みんな、ティアラナさんを守れえええええええええええええええええええええ!!」


 一斉に雪崩れ込んでくる。
 ティアラナの姿が、人壁に遮られて、すぐに見えなくなった。
 

 あのやろ……っ。
 こういうことかよ、くそ!!
 

 俺はバキボキと指を鳴らして一回屈伸。


「わかったよ、上等だよ、やってやるよ、トーシロどもが!! かかってこいや!!」


 俺は向かってくる連中に向かって駆け出していった。


「おっとすごいぞビュウ=フェナリス。意外とというか、メチャクチャ強い。剣闘士、フール、漁師、これだけの男を相手に見事なまでの立ち回――おっと、閃光が瞬く。誰かが閃光弾を投げた模様。おっと爆発したぞ。おーすごいすごい。これは今日のケイニー診療所は大忙しではないでしょうか! おっとここで自警団の登場です。率いているのは、あーっとこれはまずい。
 自警団第一部隊隊長、エルメルリア闘技場三百戦無敗の男、フェイン=ラケシスの登場だーっ! 闘技場関係者でこの人の怖さを知らない人はモグリです!! さながら山が噴火したかのように、悪党どもが我先にと、というわけであたしもこのへんで、さようならー」


 煽る相手がいなくなって、やっとこターニャはマイクを置き、逃げ出したようだ。荒くれどもも、何かの災害に直面したかのように離散していく。


「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……」


 素手だけで百人近くをのしていた俺は、その場に座り込んだ。名誉のために言っておくが、閃光弾も爆発物も、俺じゃねえからな。多分フールギルドの連中だろう。あいつらマジで……。


 ふと、影が包み込んできた。振り返ると、ヨレた金髪を後ろで縛ったオヤジが立っていた。
 

 第一部隊隊長フェイン=ラケシス。


「思っていたよりヤワだな。四百人ばかりの素人を退けただけで、もう足腰立たないのか」


 こいつ……。
 言ってくれるぜ。


「うるへー。俺はな、暴力反対派のリーダーなんだよ。こんなとこで、力発揮してられっか。お前みたいな奴に、目つけられたらやだからな」

「アッハッハ。笑える冗談だ。まあ安心して座っていたまえ。本来なら、君にも事情聴取という形で出頭してもらわなければならないのだがね。誰あろう、自警団筆頭出資者であるティアラナさんの要請だ。更に言えば、君を大層気に入っているペレさんは、自警団大口出資者の三番手。忖度するさ。全てね」


 自警団筆頭出資者? ティアラナが? ……おっそろしい奴だぜ、本当に。
 

 金持ちが権力を買収する。よくある話だが、十八歳、しかも、街に居ついて半年ですることかよ――あれ?
 

 俺は周囲を見渡した。


「パミュは?」
「パミュくん? ああ……いたのかな? この場に」


 フェインが尋ねてくる。
 瞳孔が開いた。
 

 もしもあいつが、魔王クジャ=ロキフェラトゥの娘であったなら、この状況は――
 

「しまった!!」
 

 思わず口に出し、俺は駆けだしていた。
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