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最終話ー28
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「スィー!」
力強い承知の声々が、校庭の空に鳴り渡っていった。
校舎の中で固唾を呑んで見守っている一同に向けて、フラヴィオが手を振る。
「陛下が、「大丈夫だ」って……「もうすぐ終わる」って」
と耳の利くルフィーナから伝えられると、皆の強張った身体から力が抜けていった。
その中、ひとり不安げな様子でいるヴァレンティーナがベルの手を握った。
「そ、そうよね……大丈夫よね? あの大きなピピストレッロの炎を見たときは、一瞬とても焦ったけど……父上たちを見ていると余裕があるし、大丈夫よね?」
ベルが「スィー」と答えて、手を握り返した。
「大丈夫ですよ、ティーナ様。私もあのバケモノが回復したときは不安で溜まりませんでしたが、結局のところ『力の王』と『力の王弟』、『人間卒業生』が3人揃ってしまえば天下無敵だったようです。無論、レオ様たちのお力もあって」
「きっとあと15分もあれば終わりますよ。ご心配なく」
と、止血をするために校舎に戻って来たアラブ。
ルフィーナが「待ってて」と言って、民衆を掻き分けながら近くの保健室に入っていった。
「そ、そうよね……大丈夫なのよね」
と言いながらも、まだどこか不安を拭い切れていない様子のヴァレンティーナが、ベルとアラブの顔を交互に見ながら問う。
「コニッリョの力を借りなくても、大丈夫なのよね……?」
「スィー、ティーナ様。朝が来れば、ハナたちやリエンさんがやって来てくれますし」
「そうです。ちょっとした怪我なら止血すれば朝まで持つでしょうし、大丈夫かと。ちなみに自分も怪我をしましたが、傷はそんなに深くありませんし、メッゾサングエなので止血をすれば余裕です」
「あ、アラブさん。ルフィーナさんが戻って来ました。すぐに止血しましょう」
「スィー。ありがとうございます、ベルさん。終わったら自分もすぐに校庭へ戻ります」
とアラブの傷の手当が始まる傍ら、ヴァレンティーナが「そうよね」と呟いて窓の外を見る。
ムサシ・ジルベルト兄弟やファビオの疲労は顕著だし、頼りになる大将アラブは負傷したしで不安になるが、それはこちらに限ったことではなく、空の黒の塊からは炎がほとんど降って来なくなっていた。
一方で、戦場に出たばかりのレオナルドはまだまだ元気にアラバルタを振り回し、何より力も体力も並外れているフラヴィオとフェデリコ、アドルフォの3人は大きなオスのピピストレッロを弄んでいるようにさえ見える。
(そうよね……)
ヴァレンティーナの心の中を、ようやく安堵が満たしていく。
(コニッリョのグワリーレが無くたって、父上たちならきっと大丈夫……)
校庭のほぼ中央で大きなオスのピピストレッロと戦っている3人が、代わる代わる翼の根元を武器で叩き付け、飛んで来る爪を回避しながら顔を見合わせた。
「偉く硬いな。刃がほとんど通らぬぞ。もしかして首より硬いのではないか?」
「スィー、兄上。どうやら翼の根元が身体の中で一番硬く出来ているようです」
「しかし、早くせねば。剣が駄目になる覚悟で、俺が満身の力を込めてやってみましょう」
と少し後退ったアドルフォが助走を付けて跳び上がり、両翼の根元に有りっ丈の力を込めて大剣を叩き付ける。
するとその刃が、根元の半分まで食い込んでいった。
「おお」
とフラヴィオとフェデリコが感嘆した次の刹那、赤の唇から出た叫声が響き渡っていった。
劈くような声が夜空にけたたましく木霊し、校舎の中から女子供の悲鳴が上がる。
特にルフィーナとシルヴィアが耐えられない様子で耳を塞ぎ、失神していたアレッサンドロが「わぁっ!」と飛び起きる――
「な、何っ……? 何の音なのこれ!? 耳が痛いよ!」
「音じゃなくて声だ、アレックス! ああ、痒い!」
と止血中だったアラブが、ブヨやアブにでも刺されたかのように耳を掻きむしる。
「なんなんだ、この声は! ガットの耳にはきつ過ぎる! 今度は何をしているんだ、あのバケモノは!」
校庭にいるレオナルドが、異変を感じて兜の面頬を上げ、周囲を見回した。
「この声、何か普通じゃない。痛みとか、殺される恐怖とか、そういうのじゃない……何か、不吉なことが起きそうな……」
と、黒の塊を見上げる――
「――アラブ将軍ごめんなさい、怪我をしているのに。ジルとムサシ兄上、ファビオさんもごめんなさい、とても疲れているのに」
呼ばれた4人が、「え?」とレオナルドを見た。
「決死の覚悟で、僕を手伝って!」
雨あられのごとく、無数のピピストレッロが飛来してきた。
「クソ、助けを呼ぶ声だったのか!」
と、アラブが校舎から飛び出していく。
「お兄ちゃん、まだ包帯が!」
「いい、ルフィーナ! それどころじゃなくなった! こんなに一度に降って来られたら、奴が延々と回復を繰り返してしまう!」
大きなオスのピピストレッロの周囲へと降り立って来るその仲間を、レオナルドと4人が残りの力すべてを尽くして倒していく。
「父上、伯父上、ドルフ叔父上、急いでください!」
「ああ、分かったレオ! すぐに終わらせるから頑張ってくれ!」
とフラヴィオが「ドルフ!」と言うと、それは「スィー」の返事をした。
「俺がこいつを押さえ付けておきましょう」
と、刃物としては使い物にならなくなった大剣を鈍器のように振るい、大きなオスのピピストレッロの膝に叩き付ける。
するとそれは骨なのか岩石なのか判断に難しい音を立てて砕け、その下の骨があらぬ方向へと折れ曲がった。
中型剣一本分ほど低くなった白の巨体の手にも大剣を叩き付けると、その部分は細い骨をしている故に刃が通り、指が10本飛んでいった。
そしてアドルフォが大剣を白の灰の上に突き刺し、腕と腕を組み合うようにして白の巨体を押さえ付ける。
「さあ、陛下、大公閣下。このバケモノが魔法でまた回復してしまう前に!」
「ああ、分かった!」
フラヴィオがその右翼の、フェデリコが左翼の根元を武器で叩き付ける。
先ほどまでは見上げていた的が、自身の目線よりも低くなったことで、跳躍せずとも力が込めやすくなり、アドルフォが入れた切れ込みが一撃ごとに少しずつ深くなっていく。
しかしその間、けたたましい声は止まず、その周りに降りてくるピピストレッロも止まない。
それをレオナルドたちが懸命に排除するが、数があまりにも多くて間に合わず、結局また翼の切れ込みが再生していってしまう。
「レオ、もっと頑張ってくれ! 追い付いていないぞ!」
「スィー、父上! 頑張っています!」
「奴に魔法を唱えらているうちは難しいかと!」
「んじゃどうすりゃいいんだよ、アラブのおっさん!」
浮き沈みを繰り返す校舎の中が、緊張で張り詰めていく。
「どうしよう」
とルフィーナの声が震えた。
「あの大きなオスのピピストレッロが、またさっきの魔法を唱えています。レオナルドさんたちがあんなに頑張って降りてくるピピストレッロを倒しているのに、間に合わなかった分がどんどん吸収されていってしまって…! これじゃ、空の黒の塊が無くなるまで翼が切り落とせないんじゃ……!」
「どっちなの」
と、ヴァレンティーナが酷く動揺しながら声高になる。
「コニッリョの力はいるの、いらないの。どっちなの。危ないなら、これ以上家族を失ってしまうなら、やっぱり私、今すぐコニッリョの皆を呼びに行かなきゃっ……!」
と校舎から出て行こうとしたヴァレンティーナを、天使たちが慌てて引っ張り戻す。
「なりません、ティーナ様! フラヴィオ様は――コニッリョから見た『人間界の王』は、先ほど信頼を失ってしまったのです! コニッリョはもう、助けてはくれません! ティーナ様の御身が危険に晒されるだけでございます!」
「でもベル、このままじゃ……!」
そのとき、目を覚ましたら冷たくなっていた一番上の兄の胸に突っ伏して泣いていたアレッサンドロ。
ふと立ち上がり、「母上」とルフィーナの手を引っ張った。
「あのバケモノが魔法を唱えているからいけないのですね?」
「そうだけど……どうしたの、アレックス?」
「気を失っているあいだに、魔法がちょっと回復しました。僕が奴の魔法を止めてみせましょう」
と言うなり、アレッサンドロが校舎を飛び出していく。
「待って、アレックス! なんの魔法使うの! 風? それとも彼らの弱点――水?」
「闇です! 初めてだから、成功するかどうか分からないけど!」
「闇?」と鸚鵡返しに問うたルフィーナの傍ら、シルヴィアが「そっか!」と声高になった。
周りの一同の顔々を見る大きな若草色の瞳が、明るく煌めいている。
「大丈夫よ、みんな! 心配しないで! わたしは風属性だけど、光属性グワリーレや無属性バッリエーラ――つまり治癒魔法と支援魔法が得意でしょ? でもアレックスはわたしと反対で、一番得意なのは風属性の攻撃魔法で、次に相対する地を除く他の属性の攻撃魔法なの。そしてその次に得意なのが、妨害魔法なのよ」
「妨害魔法いったら闇魔法でしょうか」
「そうなの、ベル母上。だからアレックスが得意なのは、闇属性のタロウくんやハナちゃんが身近にいてくれたお陰かもしれないけど」
「そういうこと、アレックス……!」
とそれが何の魔法を使おうとしているか察したルフィーナも、まだ分かっていない他の一同も再び窓の外へ顔を向ける。
アレッサンドロは、フラヴィオたちから数メートル近くまで駆け寄っていった。
「目を覚ましたか、アレックス。でも危ないからおまえはもういい、下がっていろ」
「ノ、父上。僕は父上から、弱い者を守るために生まれて来たって教わりました。僕だってマストランジェロ一族の男だって教わりました。僕が起きたら、そう認めてくださったランド兄上が亡くなっていました。僕は、こいつが許せない……!」
大きなオスのピピストレッロに右手を翳したアレッサンドロの、父親譲りの金の髪が揺らいでいく。
「タロウくんとハナちゃんの見よう見まね……」
「大丈夫か、それ」
と呟いたアラブの目線の先、アレッサンドロの手の平に闇が渦巻いていく。
そして、
「フレッチャ・デル・スィレンツィオ!」
と唱えると、手の平から出た闇色の矢が、大きなオスのピピストレッロの喉元を貫いていった。
それは一瞬で消えただけでなく、その喉は無傷に見えた。
しかし、辺りにけたたましく響き渡っていた声が鳴り止んでいく。
「――効いた!」
とアラブと、校舎の中のルフィーナ・シルヴィアの声が揃った。
「今です、父上、フェーデ叔父上、ドルフ叔父上」
と再び魔法の力を使い尽くしたことで、ふらついているアレッサンドロが大きなオスのピピストレッロを指差す。
「そいつはもう、声を出すことが――魔法を唱えることが、出来なくなりました。でも僕の魔法じゃ、タロウくんやハナちゃんと違って少しのあいだしか効かないから、すぐに翼を切り落としてください。そして殺された皆の仇を打って、生き残っている皆を守ってくださ……い……――」
と再び気を失ったアレッサンドロを、「どわぁっと!」と慌てて支えたファビオが、急いで校舎へと連れていく。
「よくやった、アレックス! 今のうちに一気に畳みかけるぞ、フェーデ!」
「スィー、兄上!」
飛来してくるピピストレッロの数はさほど変わりは無かった。
でも声を失ったことで、魔法を唱えることが出来ないでいる大きなオスのピピストレッロの両翼の根元に、再び2人の刃が食い込んでいく。
それは逃げようとしているのが誰の目にも分かったが、アドルフォに押さえ付けられていて身動きが取れないでいた。
「おとんはバケモノよりバケモノでござったか」
「『人間卒業生』? 『バケモノ卒業生』の間違いだろ」
と息子二人にからかわれるアドルフォが少し恥ずかしそうに「うるさいぞ」と返すと、周りにいる一同から笑いが漏れた。
「いやいや、助かったぞ『バケモノ卒業生』」
「陛下……」
「『バケモノ卒業生』がいなければ、こうは行かなかった」
「大公閣下まで……」
校舎の中、ルフィーナが「ふう」と息を吐いて額の汗を拭う。
「どうやら今度こそ大丈夫みたいです。あの大きなピピストレッロ、沈黙魔法が効いたことで魔法を唱えられないみたい」
「アレックス様のお陰ですね。レオ様に続き、予想外のことをやってくれました。流石は未来のカプリコルノ国を支えてくれる魔法剣士です」
とベルが、また気を失って戻ってきたアレッサンドロを腕に抱いて頬擦りする。
「本日――1498年7月8日、並びに昨日は、私たちカプリコルノ国民、またサジッターリオ国民にとって、生涯忘れられない悲しみの日になりました。この深い悲しみを糧にし、またどこの国よりもたくさんの笑顔が咲く国を取り戻しましょう。命を落とされてしまった皆様が、草葉の陰で安心して見守っていられますように」
涙交じりの「スィー」の声々が校舎の中に上がった。
精神的に疲労困憊した校舎の中に、今度こその確信めいた安心感が広がっていく。
脱力して床にへたり込んだり、今か今かと窓に張り付いたりしながら、偉大な『力の王』たちの凱旋を待つ。
そんな中だった――
「ドルフ!」
「おとん!」
「ドルフ叔父上!」
「アドルフォ閣下!」
と、校庭にいる一同の叫声がルフィーナとシルヴィアの耳に届いて来た。
二人がはっとそちらを見るなりに叫ぶ――
「――どうして!」
校舎から見たアドルフォは背を向けていて、他の皆には何が起こっているのか分からなかった。
でも二人は感じていた。
「どういうことなの、母上! アレックスの魔法がもう切れちゃったの?」
「たぶん違う。だってそうだとしたら、またさっきみたいにうるさい声で仲間を呼んでいるはずだから……!」
ベルが二人の顔を交互に見ながら、「どうしたのですか?」と問うた。
訊かなくても分かったのは、ここに来てまた事態が一転したということだった。
「あの大きなオスのピピストレッロが、何を……?」
二人が皆の顔を見回しながら、こう答えた。
「魔法を、使ってる!」
アドルフォの黒の外套が、燃え上がっていった。
力強い承知の声々が、校庭の空に鳴り渡っていった。
校舎の中で固唾を呑んで見守っている一同に向けて、フラヴィオが手を振る。
「陛下が、「大丈夫だ」って……「もうすぐ終わる」って」
と耳の利くルフィーナから伝えられると、皆の強張った身体から力が抜けていった。
その中、ひとり不安げな様子でいるヴァレンティーナがベルの手を握った。
「そ、そうよね……大丈夫よね? あの大きなピピストレッロの炎を見たときは、一瞬とても焦ったけど……父上たちを見ていると余裕があるし、大丈夫よね?」
ベルが「スィー」と答えて、手を握り返した。
「大丈夫ですよ、ティーナ様。私もあのバケモノが回復したときは不安で溜まりませんでしたが、結局のところ『力の王』と『力の王弟』、『人間卒業生』が3人揃ってしまえば天下無敵だったようです。無論、レオ様たちのお力もあって」
「きっとあと15分もあれば終わりますよ。ご心配なく」
と、止血をするために校舎に戻って来たアラブ。
ルフィーナが「待ってて」と言って、民衆を掻き分けながら近くの保健室に入っていった。
「そ、そうよね……大丈夫なのよね」
と言いながらも、まだどこか不安を拭い切れていない様子のヴァレンティーナが、ベルとアラブの顔を交互に見ながら問う。
「コニッリョの力を借りなくても、大丈夫なのよね……?」
「スィー、ティーナ様。朝が来れば、ハナたちやリエンさんがやって来てくれますし」
「そうです。ちょっとした怪我なら止血すれば朝まで持つでしょうし、大丈夫かと。ちなみに自分も怪我をしましたが、傷はそんなに深くありませんし、メッゾサングエなので止血をすれば余裕です」
「あ、アラブさん。ルフィーナさんが戻って来ました。すぐに止血しましょう」
「スィー。ありがとうございます、ベルさん。終わったら自分もすぐに校庭へ戻ります」
とアラブの傷の手当が始まる傍ら、ヴァレンティーナが「そうよね」と呟いて窓の外を見る。
ムサシ・ジルベルト兄弟やファビオの疲労は顕著だし、頼りになる大将アラブは負傷したしで不安になるが、それはこちらに限ったことではなく、空の黒の塊からは炎がほとんど降って来なくなっていた。
一方で、戦場に出たばかりのレオナルドはまだまだ元気にアラバルタを振り回し、何より力も体力も並外れているフラヴィオとフェデリコ、アドルフォの3人は大きなオスのピピストレッロを弄んでいるようにさえ見える。
(そうよね……)
ヴァレンティーナの心の中を、ようやく安堵が満たしていく。
(コニッリョのグワリーレが無くたって、父上たちならきっと大丈夫……)
校庭のほぼ中央で大きなオスのピピストレッロと戦っている3人が、代わる代わる翼の根元を武器で叩き付け、飛んで来る爪を回避しながら顔を見合わせた。
「偉く硬いな。刃がほとんど通らぬぞ。もしかして首より硬いのではないか?」
「スィー、兄上。どうやら翼の根元が身体の中で一番硬く出来ているようです」
「しかし、早くせねば。剣が駄目になる覚悟で、俺が満身の力を込めてやってみましょう」
と少し後退ったアドルフォが助走を付けて跳び上がり、両翼の根元に有りっ丈の力を込めて大剣を叩き付ける。
するとその刃が、根元の半分まで食い込んでいった。
「おお」
とフラヴィオとフェデリコが感嘆した次の刹那、赤の唇から出た叫声が響き渡っていった。
劈くような声が夜空にけたたましく木霊し、校舎の中から女子供の悲鳴が上がる。
特にルフィーナとシルヴィアが耐えられない様子で耳を塞ぎ、失神していたアレッサンドロが「わぁっ!」と飛び起きる――
「な、何っ……? 何の音なのこれ!? 耳が痛いよ!」
「音じゃなくて声だ、アレックス! ああ、痒い!」
と止血中だったアラブが、ブヨやアブにでも刺されたかのように耳を掻きむしる。
「なんなんだ、この声は! ガットの耳にはきつ過ぎる! 今度は何をしているんだ、あのバケモノは!」
校庭にいるレオナルドが、異変を感じて兜の面頬を上げ、周囲を見回した。
「この声、何か普通じゃない。痛みとか、殺される恐怖とか、そういうのじゃない……何か、不吉なことが起きそうな……」
と、黒の塊を見上げる――
「――アラブ将軍ごめんなさい、怪我をしているのに。ジルとムサシ兄上、ファビオさんもごめんなさい、とても疲れているのに」
呼ばれた4人が、「え?」とレオナルドを見た。
「決死の覚悟で、僕を手伝って!」
雨あられのごとく、無数のピピストレッロが飛来してきた。
「クソ、助けを呼ぶ声だったのか!」
と、アラブが校舎から飛び出していく。
「お兄ちゃん、まだ包帯が!」
「いい、ルフィーナ! それどころじゃなくなった! こんなに一度に降って来られたら、奴が延々と回復を繰り返してしまう!」
大きなオスのピピストレッロの周囲へと降り立って来るその仲間を、レオナルドと4人が残りの力すべてを尽くして倒していく。
「父上、伯父上、ドルフ叔父上、急いでください!」
「ああ、分かったレオ! すぐに終わらせるから頑張ってくれ!」
とフラヴィオが「ドルフ!」と言うと、それは「スィー」の返事をした。
「俺がこいつを押さえ付けておきましょう」
と、刃物としては使い物にならなくなった大剣を鈍器のように振るい、大きなオスのピピストレッロの膝に叩き付ける。
するとそれは骨なのか岩石なのか判断に難しい音を立てて砕け、その下の骨があらぬ方向へと折れ曲がった。
中型剣一本分ほど低くなった白の巨体の手にも大剣を叩き付けると、その部分は細い骨をしている故に刃が通り、指が10本飛んでいった。
そしてアドルフォが大剣を白の灰の上に突き刺し、腕と腕を組み合うようにして白の巨体を押さえ付ける。
「さあ、陛下、大公閣下。このバケモノが魔法でまた回復してしまう前に!」
「ああ、分かった!」
フラヴィオがその右翼の、フェデリコが左翼の根元を武器で叩き付ける。
先ほどまでは見上げていた的が、自身の目線よりも低くなったことで、跳躍せずとも力が込めやすくなり、アドルフォが入れた切れ込みが一撃ごとに少しずつ深くなっていく。
しかしその間、けたたましい声は止まず、その周りに降りてくるピピストレッロも止まない。
それをレオナルドたちが懸命に排除するが、数があまりにも多くて間に合わず、結局また翼の切れ込みが再生していってしまう。
「レオ、もっと頑張ってくれ! 追い付いていないぞ!」
「スィー、父上! 頑張っています!」
「奴に魔法を唱えらているうちは難しいかと!」
「んじゃどうすりゃいいんだよ、アラブのおっさん!」
浮き沈みを繰り返す校舎の中が、緊張で張り詰めていく。
「どうしよう」
とルフィーナの声が震えた。
「あの大きなオスのピピストレッロが、またさっきの魔法を唱えています。レオナルドさんたちがあんなに頑張って降りてくるピピストレッロを倒しているのに、間に合わなかった分がどんどん吸収されていってしまって…! これじゃ、空の黒の塊が無くなるまで翼が切り落とせないんじゃ……!」
「どっちなの」
と、ヴァレンティーナが酷く動揺しながら声高になる。
「コニッリョの力はいるの、いらないの。どっちなの。危ないなら、これ以上家族を失ってしまうなら、やっぱり私、今すぐコニッリョの皆を呼びに行かなきゃっ……!」
と校舎から出て行こうとしたヴァレンティーナを、天使たちが慌てて引っ張り戻す。
「なりません、ティーナ様! フラヴィオ様は――コニッリョから見た『人間界の王』は、先ほど信頼を失ってしまったのです! コニッリョはもう、助けてはくれません! ティーナ様の御身が危険に晒されるだけでございます!」
「でもベル、このままじゃ……!」
そのとき、目を覚ましたら冷たくなっていた一番上の兄の胸に突っ伏して泣いていたアレッサンドロ。
ふと立ち上がり、「母上」とルフィーナの手を引っ張った。
「あのバケモノが魔法を唱えているからいけないのですね?」
「そうだけど……どうしたの、アレックス?」
「気を失っているあいだに、魔法がちょっと回復しました。僕が奴の魔法を止めてみせましょう」
と言うなり、アレッサンドロが校舎を飛び出していく。
「待って、アレックス! なんの魔法使うの! 風? それとも彼らの弱点――水?」
「闇です! 初めてだから、成功するかどうか分からないけど!」
「闇?」と鸚鵡返しに問うたルフィーナの傍ら、シルヴィアが「そっか!」と声高になった。
周りの一同の顔々を見る大きな若草色の瞳が、明るく煌めいている。
「大丈夫よ、みんな! 心配しないで! わたしは風属性だけど、光属性グワリーレや無属性バッリエーラ――つまり治癒魔法と支援魔法が得意でしょ? でもアレックスはわたしと反対で、一番得意なのは風属性の攻撃魔法で、次に相対する地を除く他の属性の攻撃魔法なの。そしてその次に得意なのが、妨害魔法なのよ」
「妨害魔法いったら闇魔法でしょうか」
「そうなの、ベル母上。だからアレックスが得意なのは、闇属性のタロウくんやハナちゃんが身近にいてくれたお陰かもしれないけど」
「そういうこと、アレックス……!」
とそれが何の魔法を使おうとしているか察したルフィーナも、まだ分かっていない他の一同も再び窓の外へ顔を向ける。
アレッサンドロは、フラヴィオたちから数メートル近くまで駆け寄っていった。
「目を覚ましたか、アレックス。でも危ないからおまえはもういい、下がっていろ」
「ノ、父上。僕は父上から、弱い者を守るために生まれて来たって教わりました。僕だってマストランジェロ一族の男だって教わりました。僕が起きたら、そう認めてくださったランド兄上が亡くなっていました。僕は、こいつが許せない……!」
大きなオスのピピストレッロに右手を翳したアレッサンドロの、父親譲りの金の髪が揺らいでいく。
「タロウくんとハナちゃんの見よう見まね……」
「大丈夫か、それ」
と呟いたアラブの目線の先、アレッサンドロの手の平に闇が渦巻いていく。
そして、
「フレッチャ・デル・スィレンツィオ!」
と唱えると、手の平から出た闇色の矢が、大きなオスのピピストレッロの喉元を貫いていった。
それは一瞬で消えただけでなく、その喉は無傷に見えた。
しかし、辺りにけたたましく響き渡っていた声が鳴り止んでいく。
「――効いた!」
とアラブと、校舎の中のルフィーナ・シルヴィアの声が揃った。
「今です、父上、フェーデ叔父上、ドルフ叔父上」
と再び魔法の力を使い尽くしたことで、ふらついているアレッサンドロが大きなオスのピピストレッロを指差す。
「そいつはもう、声を出すことが――魔法を唱えることが、出来なくなりました。でも僕の魔法じゃ、タロウくんやハナちゃんと違って少しのあいだしか効かないから、すぐに翼を切り落としてください。そして殺された皆の仇を打って、生き残っている皆を守ってくださ……い……――」
と再び気を失ったアレッサンドロを、「どわぁっと!」と慌てて支えたファビオが、急いで校舎へと連れていく。
「よくやった、アレックス! 今のうちに一気に畳みかけるぞ、フェーデ!」
「スィー、兄上!」
飛来してくるピピストレッロの数はさほど変わりは無かった。
でも声を失ったことで、魔法を唱えることが出来ないでいる大きなオスのピピストレッロの両翼の根元に、再び2人の刃が食い込んでいく。
それは逃げようとしているのが誰の目にも分かったが、アドルフォに押さえ付けられていて身動きが取れないでいた。
「おとんはバケモノよりバケモノでござったか」
「『人間卒業生』? 『バケモノ卒業生』の間違いだろ」
と息子二人にからかわれるアドルフォが少し恥ずかしそうに「うるさいぞ」と返すと、周りにいる一同から笑いが漏れた。
「いやいや、助かったぞ『バケモノ卒業生』」
「陛下……」
「『バケモノ卒業生』がいなければ、こうは行かなかった」
「大公閣下まで……」
校舎の中、ルフィーナが「ふう」と息を吐いて額の汗を拭う。
「どうやら今度こそ大丈夫みたいです。あの大きなピピストレッロ、沈黙魔法が効いたことで魔法を唱えられないみたい」
「アレックス様のお陰ですね。レオ様に続き、予想外のことをやってくれました。流石は未来のカプリコルノ国を支えてくれる魔法剣士です」
とベルが、また気を失って戻ってきたアレッサンドロを腕に抱いて頬擦りする。
「本日――1498年7月8日、並びに昨日は、私たちカプリコルノ国民、またサジッターリオ国民にとって、生涯忘れられない悲しみの日になりました。この深い悲しみを糧にし、またどこの国よりもたくさんの笑顔が咲く国を取り戻しましょう。命を落とされてしまった皆様が、草葉の陰で安心して見守っていられますように」
涙交じりの「スィー」の声々が校舎の中に上がった。
精神的に疲労困憊した校舎の中に、今度こその確信めいた安心感が広がっていく。
脱力して床にへたり込んだり、今か今かと窓に張り付いたりしながら、偉大な『力の王』たちの凱旋を待つ。
そんな中だった――
「ドルフ!」
「おとん!」
「ドルフ叔父上!」
「アドルフォ閣下!」
と、校庭にいる一同の叫声がルフィーナとシルヴィアの耳に届いて来た。
二人がはっとそちらを見るなりに叫ぶ――
「――どうして!」
校舎から見たアドルフォは背を向けていて、他の皆には何が起こっているのか分からなかった。
でも二人は感じていた。
「どういうことなの、母上! アレックスの魔法がもう切れちゃったの?」
「たぶん違う。だってそうだとしたら、またさっきみたいにうるさい声で仲間を呼んでいるはずだから……!」
ベルが二人の顔を交互に見ながら、「どうしたのですか?」と問うた。
訊かなくても分かったのは、ここに来てまた事態が一転したということだった。
「あの大きなオスのピピストレッロが、何を……?」
二人が皆の顔を見回しながら、こう答えた。
「魔法を、使ってる!」
アドルフォの黒の外套が、燃え上がっていった。
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