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最終話ー23
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――胸に怪我を負い、気を失っているアレッサンドロを背負ったムサシが学校へと向けて疾走していると、前方にアヤメ・テツオ親子とファビオの姿が見えた。
「こら、テツオ! 止まり! テツオ!」
「止まってくだせえだ、テツオ様! 学校さ避難しねえと、危ねえですだよ!」
と捕まえようとするアヤメとファビオの手をひょいひょいと避けながら、弓を持ったテツオが先頭を駆けてくる。
やがてアヤメがゴンナの裾で躓いて「あっ」と転ぶと、ファビオが急停止した。
「だ、大丈夫ですだか、アヤメ殿下ぁーっ!」
「いたた……ウチは大丈夫や。ファビオさん、テツオを追ってや! ――って、ムサシ!」
ムサシはやって来るテツオに「こら!」と眉を吊り上げた。
「こんなところで何をやっているでござるか、テツオ! すぐに学校へ避難するでござる!」
それは「おっちゃん!」と言いながら、ムサシの目前で息を切らしながら立ち止まった。
自身の顔をそのまんま幼くしたその顔に、滝のような汗が流れている。
「おっちゃん、おとんは? テツオのおとん、無事なん? おっちゃんはこんなところで何してるん?」
「アレックス殿下が怪我をしたから、シルビー殿下の下へ向かっている途中でござるよ。ランド殿下は今ジルと一緒に戦っているでござるから、早くアレックス殿下を学校へ届けて戻って来ないと二人が危な――」
「おっちゃん、後ろ! 危ない!」
とテツオが突如声を上げると、はっとして折れた刀を抜刀しながら振り返ったムサシ。
そこには何も見当たらなかった。
その隙に、テツオがムサシの横をすり抜けていく。
「こら、テツオ!」
「おっちゃんが素直で助かったわ!」
慌てて追い駆けようとしたムサシだが、怪我を負っているアレッサンドロを想えばそうは行かなかった。
テツオから遅れてやってくるアヤメとファビオの方へと駆けて行く。
「姉上、ファビオ殿! 拙者がテツオを連れ戻すでござるから、アレックス殿下を学校まで――シルビー殿下のところまでお願い申しまする!」
「アレックス殿下! 酷い傷だべ、大変だべ! 早く治癒魔法を掛けねえと……!」
ムサシはアレッサンドロをファビオに背負わせると、「では!」とテツオを追って踵を返していった。
しかし途中、ファビオの「アヤメ殿下!」という声が聞こえて来て振り返ると、アヤメが追い駆けて来ていた
「姉上! 姉上はファビオ殿と学校へ行ってくだされ!」
「いやや!」
と返したアヤメが、ファビオを追い払うように手を振る。
「ファビオさんははよ学校行ってや! アレックスが危ないやろ!」
「あっ、えとっ……」
と動揺したファビオは、アヤメに「はよ!」と催促されると、「スィー!」と承知して学校の方へと駆けて行った。
「ムサシ、テツオを置いて行かれへんからウチも行く!」
「だからテツオは拙者が連れ戻すでござるから、姉上は学校へ――」
「いやや言うてるやろ! テツオやて心配やし、それに怖いねんっ……」
とアヤメの声が震え、涙が零れていく。
「ランド、危ないのやろっ…? このままお別れになってしまうのかもしれへんのやろっ……? そんなの、いややもん!」
とアヤメがゴンナを膝までまくり上げて、テツオの後を追っていく。
「姉上!」
焦ったムサシだったが、疾走するファビオの姿はもう遠く、仕方なくアヤメも一緒に連れていく。
テツオが次に見えた角を右折すると、そこにオルランドとジルベルト、大きなオスのピピストレッロの姿があった。
「おとん! おっちゃん! 今、テツオが助けたる!」
と、持ってきた弓矢を構える。
オルランドとジルベルトが「止めろ!」と叫んだが、それよりも早くテツオは矢を放っていた。
ムサシから弓矢を習っていたテツオの矢は、それなりに鋭く飛んでいき、フランジャのようになっている翼を靡かせた。
そして岩に当たったような硬い音を立てて翼の根元に当たり、地面に落ちる。
「さっすがテツオや! ええとこに当てた! 刺さらんかったけど、きっともうちょっとで翼を落とせるところやった!」
オルランドとジルベルトの目前、突如浮遊した大きなオスのピピストレッロ。
その顔を真下から見上げた二人の背筋に、氷を落とされたような寒気が走る。
「――テツオ、逃げろ!」
二人同時に声を上げた。
オルランドはテツオへ向けて駆け出し、ジルベルトは跳び上がって大剣の切っ先で白の足を切り付け、標的を変えようと試みる。
しかし狂気じみた殺気が滲む赤の瞳は、テツオを一点に捉えたまま動かなかった。
鋭利な爪を光らせ、息をも吐かせぬ速度で白の巨体が飛んでいく。
一瞬でオルランドを通り越し、テツオの小さな身体が真っ二つにされようか寸前、ムサシが飛び出してきた。
それはテツオを抱えて飛んだ後、石畳の上を自身の背を犠牲にして滑っていった。
「テツオ! ムサシ!」
響き渡ったアヤメの悲鳴。
立ち上がる余裕すら与えられないほど狂乱する爪を転がって避けるムサシの下に、駆け付けたオルランドが盾になる。
剣を叩き付けられると、先ほどとは段違いの衝撃が腕に走った。
(――剣が折れる)
白の顔を見上げれば、大きく歪み、白目が無くなったのかと錯覚するほど赤く血走っている。
「ムサシ、早くテツオを安全な場所へ!」
「スィー!」
とテツオを抱きかかえているムサシがやっと立ち上がり、三歩ほど駆け出す。
しかし赤の瞳に追われていることに気付き、すぐにオルランドの背後に戻った。
「テツオが狙われたままでござる……!」
「どうしてだ…! テツオの矢が翼の、それも根本に当たったからか……!?」
「おそらくは。レオが言っていた通りならば、ピピストレッロは両翼を根本から切り落とされれば魔力をすっかり失うだけでなく、合計6秒以上も動けなくなるでござりまするから。狙われるのを恐れて当然でござりましょう」
ジルベルトが「待ってろ!」と叫びながら駆けてくる。
「今、標的をオレに変えてやる!」
しかしもう、オルランドの耳には剣の悲鳴が聞こえていた。
(――折れる)
刀身の九割が、宙を舞っていく。
間髪入れずに、振り下ろされてくる爪。
避けるか、避けないか。
反射的に前者を選びそうになった身体を、後者を選んだ頭が強引に引き止める。
(私の背には、テツオがいる)
避けるわけにはいかなかった。
それは、駆け付けて来たジルベルトが飛び跳ね、大きなオスのピピストレッロの翼の根元を剣で叩き付けたのと、ほぼ同時のこと。
「ランド!」
「おとん!」
オルランドの首元から腰に掛けて、爪が深く切り裂いていった。
「あっ……!」
と見開かれたジルベルトの狼のような琥珀色の瞳に、オルランドの首元から噴き出る血飛沫が映る――
「――このイカソーメンヤロウ!」
割れ鐘のような声を轟かせたジルベルトへと、爪の標的が変わった。
怒濤の如く襲ってきたそれを予測して剣で防御したが、足がしっかり着地する前で踏ん張っておらず、大きく弾き飛ばされる。
砲弾のように飛んでいったジルベルトの身体は、背から貴族の邸宅の角にぶつかり、石壁を崩しながらめり込んで落下した。
「ジル!」
ムサシがアヤメの下に急いでテツオを送り届け、オルランドがジルベルトの下へ死に物狂いで駆け寄る。
ぴくりとも動かなくなったジルベルトを背にして、大きなオスのピピストレッロの前に折れた剣で防御の構えを取りながら立ちはだかった。
「馬鹿、ジル…! おまえは死ぬなって、言っただろう……!」
刀身を九割も失った剣では、長く鋭利な爪を防ぎ切ることは難しく、さらにオルランドの身体に傷が出来ていく。
しかしそれがもう分からないくらい、首から下が真っ赤に染まっていた。
「ランド殿下!」
ムサシもまた折れた刀を抜刀し、二人の下へ向かおうとすると、オルランドが首を横に振って制止した。
「ムサシ、アヤメとテツオを連れて学校へ行ってくれ。ジルは頑丈だから、きっと気を失っているだけだ。目を覚ますまで、私が意地でも守ってみせる。だから頼む、私の妻子を連れてすぐに学校へ行ってくれ」
「いやや!」
と泣き叫び、駆け寄ろうとした妻子の足を、またオルランドが「駄目だ」と言って止める。
「こっちに来たら駄目だ、二人共。いいかい、生きるんだ。私の分もだ」
「なんやねん、それ! ランドも一緒に生きてや! 王太子やってこと分かっとんの! これまで二人で、将来のために一緒に勉強して、一緒に生きてきたやん! これからもずっとずっと、力を合わせて生きて、立派な国王と王妃になろうや! ウチ、別に王妃になりたいんちゃうし、勉強やてめっちゃ苦手やけど、ランドのためならって頑張ってきたんやで!」
「うん……ごめん。ありがとう、アヤメ。君が私と一緒に頑張ってくれたことは、本当に私の励みだった。勉強に疲れて嫌になっても、隣にある君の笑顔を見るだけで不思議とやる気が湧き起こって、前向きになれたんだ。『マストランジェロ王家前代未聞100連敗王太子』になってドン底まで落ち込んでいた私を拾ってくれたし、可愛いテツオを産んでくれたし、君には本当に感謝しかない。でも、もうその苦労からも解放される。テツオも将来、私みたいに国のことばかりを考えなくて良くなる。未来のカプリコルノ国王は、ここで私が生きようが死のうが、どうにもこうにもティーナ一択だ」
とオルランドが、面頬を上げて妻子を見る。
血色の無くなってきているそこに、優しく微笑する目元が見えた。
「アヤメもテツオも、好きなことをたくさんして生きて欲しい。私は趣味の楽器演奏をほとんど出来なかったから、たまにでいいからテツオが代わりにやってくれると嬉しいな。あとさっき、王太子から解放されたら休日に姫通りでアヤメと服屋を開こうなんて考えて、ワクワクしてたんだ。アヤメ、やっておいてくれる?」
「楽器なんてテツオがいくらでもやったる! せやけど、いやや! テツオ、おとんとサヨナラしとうない!」
「うん……テツオ。父上もだよ。さようならなんてしたくない」
「ほな、生きてウチと一緒に服屋やろうや! ウチ、おじいちゃんおばあちゃんになってもランドと一緒に居られると思っとったのに!」
「うん……アヤメ。私もそう思ってたんだ。晩年には、可愛いおばあちゃんになった君と手を繋いでいるはずだったんだ。でも……」
オルランドの瞳に涙が見えた。
「ごめんね――」
トドメを刺すように、オルランドの胸元に爪が突き刺さった。
「ランド!」
「おとん!」
辺りに響き渡った親子の絶叫に、地鳴りのような足音が混じる。
ムサシがはっとして振り返ると、ジルベルトのものよりも3倍は大きな大剣を構えながら駆けてくるアドルフォの姿があった――
「――このバケモノがぁっ!」
「おとんもでござる……」
小さく突っ込みが漏れたムサシと、泣き叫ぶ親子の目前、アドルフォが大きなオスのピピストレッロの脳天目掛けて大剣を振り下ろす。
しかしそれは当たる直前に俊敏に高く浮遊していて、アドルフォの大剣は虚空を切って地面に直撃した。
石畳の上を亀裂が走り、正面にあった貴族の邸宅の石壁を破壊する。
大きなオスのピピストレッロの爪が突き刺さっていたことで一緒に浮遊したオルランドの身体は、アドルフォの上に落ちてきた。
「ランド殿下!」
とアドルフォがその身体を左腕で受け止めると、朦朧としながらも意識はあるようだった。
「ドルフ叔父上……?」
「頼む、もう少し耐えてくれ! 今シルビー殿下の下へ連れていく!」
ムサシが「おとん!」と言いながら、大きなオスのピピストレッロを指差した。
アドルフォがそれを見上げると、それは学校のある方向を向いていた。
そして瞬きをした一瞬間に、その場から居なくなっていた。
「――まずい……! 学校には今、大公閣下しかいないんだ!」
「急ぐでござる! 拙者が姉上とテツオを連れていくでござるから、おとんはランド殿下とジルを連れて行ってくだされ! 拙者は刀が折れてしまったが、ジルの大剣がある故に大丈夫でござるから!」
承知したアドルフォが、左肩にジルベルトとオルランドを纏めて担ぎ、右手に大剣を持って学校へ疾走していく。
空を仰げば、大きなオスのピピストレッロの姿はもう見えなかった。
「ドルフ叔父上……」
オルランドの消え入りそうな声が聞こえた。
「学校は大丈夫ですか……」
「大丈夫じゃないが、意外と大丈夫かもしれん。何故なら天使軍の問題児たちが、予定より陛下を早く到着させてくれそうだからだ」
「アレックスは……」
「ああ、さっきアレックス殿下を背負ったファビオと擦れ違った。近くにはピピストレッロがいなかったし、それもおそらく大丈夫だろう」
オルランドが小さく安堵の息を吐いた。
「シルビーはきっと、何度も治癒魔法を使えるほど回復していないはずです。残りの治癒魔法は、どうかジルに……」
「何を言っているんだ! どう見てもジルよりランド殿下の方が重傷だ!」
オルランドが「ノ」と首を横に振った。
「シルビーの残りの治癒魔法では、この深い傷は治せないでしょう。それに、私は王太子として未来のカプリコルノに優秀な戦士を残さないといけません。それがジルですから、ジルを死なせるわけにはいきません」
「言いたいことは分かるが、王太子殿下だって死なせるわけには行かないぞ」
オルランドが再び「ノ」と言った。
「次の国王はティーナです。父上も今、そう思っています」
「ああ、同意する。だが、そうだとしても、家族をこれ以上失うわけには行かない!」
オルランドの小さな「ごめんなさい」が聞こえた。
「ドルフ叔父上……これは、父上とフェーデ叔父上にも」
「なんだ?」
オルランドが顔を上げると、ムサシと共に後を追いかけてくる妻子の泣き顔がぼんやりと見えた。
「私の大切な妻子を――アヤメとテツオを、どうかお守りください……――」
「こら、テツオ! 止まり! テツオ!」
「止まってくだせえだ、テツオ様! 学校さ避難しねえと、危ねえですだよ!」
と捕まえようとするアヤメとファビオの手をひょいひょいと避けながら、弓を持ったテツオが先頭を駆けてくる。
やがてアヤメがゴンナの裾で躓いて「あっ」と転ぶと、ファビオが急停止した。
「だ、大丈夫ですだか、アヤメ殿下ぁーっ!」
「いたた……ウチは大丈夫や。ファビオさん、テツオを追ってや! ――って、ムサシ!」
ムサシはやって来るテツオに「こら!」と眉を吊り上げた。
「こんなところで何をやっているでござるか、テツオ! すぐに学校へ避難するでござる!」
それは「おっちゃん!」と言いながら、ムサシの目前で息を切らしながら立ち止まった。
自身の顔をそのまんま幼くしたその顔に、滝のような汗が流れている。
「おっちゃん、おとんは? テツオのおとん、無事なん? おっちゃんはこんなところで何してるん?」
「アレックス殿下が怪我をしたから、シルビー殿下の下へ向かっている途中でござるよ。ランド殿下は今ジルと一緒に戦っているでござるから、早くアレックス殿下を学校へ届けて戻って来ないと二人が危な――」
「おっちゃん、後ろ! 危ない!」
とテツオが突如声を上げると、はっとして折れた刀を抜刀しながら振り返ったムサシ。
そこには何も見当たらなかった。
その隙に、テツオがムサシの横をすり抜けていく。
「こら、テツオ!」
「おっちゃんが素直で助かったわ!」
慌てて追い駆けようとしたムサシだが、怪我を負っているアレッサンドロを想えばそうは行かなかった。
テツオから遅れてやってくるアヤメとファビオの方へと駆けて行く。
「姉上、ファビオ殿! 拙者がテツオを連れ戻すでござるから、アレックス殿下を学校まで――シルビー殿下のところまでお願い申しまする!」
「アレックス殿下! 酷い傷だべ、大変だべ! 早く治癒魔法を掛けねえと……!」
ムサシはアレッサンドロをファビオに背負わせると、「では!」とテツオを追って踵を返していった。
しかし途中、ファビオの「アヤメ殿下!」という声が聞こえて来て振り返ると、アヤメが追い駆けて来ていた
「姉上! 姉上はファビオ殿と学校へ行ってくだされ!」
「いやや!」
と返したアヤメが、ファビオを追い払うように手を振る。
「ファビオさんははよ学校行ってや! アレックスが危ないやろ!」
「あっ、えとっ……」
と動揺したファビオは、アヤメに「はよ!」と催促されると、「スィー!」と承知して学校の方へと駆けて行った。
「ムサシ、テツオを置いて行かれへんからウチも行く!」
「だからテツオは拙者が連れ戻すでござるから、姉上は学校へ――」
「いやや言うてるやろ! テツオやて心配やし、それに怖いねんっ……」
とアヤメの声が震え、涙が零れていく。
「ランド、危ないのやろっ…? このままお別れになってしまうのかもしれへんのやろっ……? そんなの、いややもん!」
とアヤメがゴンナを膝までまくり上げて、テツオの後を追っていく。
「姉上!」
焦ったムサシだったが、疾走するファビオの姿はもう遠く、仕方なくアヤメも一緒に連れていく。
テツオが次に見えた角を右折すると、そこにオルランドとジルベルト、大きなオスのピピストレッロの姿があった。
「おとん! おっちゃん! 今、テツオが助けたる!」
と、持ってきた弓矢を構える。
オルランドとジルベルトが「止めろ!」と叫んだが、それよりも早くテツオは矢を放っていた。
ムサシから弓矢を習っていたテツオの矢は、それなりに鋭く飛んでいき、フランジャのようになっている翼を靡かせた。
そして岩に当たったような硬い音を立てて翼の根元に当たり、地面に落ちる。
「さっすがテツオや! ええとこに当てた! 刺さらんかったけど、きっともうちょっとで翼を落とせるところやった!」
オルランドとジルベルトの目前、突如浮遊した大きなオスのピピストレッロ。
その顔を真下から見上げた二人の背筋に、氷を落とされたような寒気が走る。
「――テツオ、逃げろ!」
二人同時に声を上げた。
オルランドはテツオへ向けて駆け出し、ジルベルトは跳び上がって大剣の切っ先で白の足を切り付け、標的を変えようと試みる。
しかし狂気じみた殺気が滲む赤の瞳は、テツオを一点に捉えたまま動かなかった。
鋭利な爪を光らせ、息をも吐かせぬ速度で白の巨体が飛んでいく。
一瞬でオルランドを通り越し、テツオの小さな身体が真っ二つにされようか寸前、ムサシが飛び出してきた。
それはテツオを抱えて飛んだ後、石畳の上を自身の背を犠牲にして滑っていった。
「テツオ! ムサシ!」
響き渡ったアヤメの悲鳴。
立ち上がる余裕すら与えられないほど狂乱する爪を転がって避けるムサシの下に、駆け付けたオルランドが盾になる。
剣を叩き付けられると、先ほどとは段違いの衝撃が腕に走った。
(――剣が折れる)
白の顔を見上げれば、大きく歪み、白目が無くなったのかと錯覚するほど赤く血走っている。
「ムサシ、早くテツオを安全な場所へ!」
「スィー!」
とテツオを抱きかかえているムサシがやっと立ち上がり、三歩ほど駆け出す。
しかし赤の瞳に追われていることに気付き、すぐにオルランドの背後に戻った。
「テツオが狙われたままでござる……!」
「どうしてだ…! テツオの矢が翼の、それも根本に当たったからか……!?」
「おそらくは。レオが言っていた通りならば、ピピストレッロは両翼を根本から切り落とされれば魔力をすっかり失うだけでなく、合計6秒以上も動けなくなるでござりまするから。狙われるのを恐れて当然でござりましょう」
ジルベルトが「待ってろ!」と叫びながら駆けてくる。
「今、標的をオレに変えてやる!」
しかしもう、オルランドの耳には剣の悲鳴が聞こえていた。
(――折れる)
刀身の九割が、宙を舞っていく。
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避けるか、避けないか。
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避けるわけにはいかなかった。
それは、駆け付けて来たジルベルトが飛び跳ね、大きなオスのピピストレッロの翼の根元を剣で叩き付けたのと、ほぼ同時のこと。
「ランド!」
「おとん!」
オルランドの首元から腰に掛けて、爪が深く切り裂いていった。
「あっ……!」
と見開かれたジルベルトの狼のような琥珀色の瞳に、オルランドの首元から噴き出る血飛沫が映る――
「――このイカソーメンヤロウ!」
割れ鐘のような声を轟かせたジルベルトへと、爪の標的が変わった。
怒濤の如く襲ってきたそれを予測して剣で防御したが、足がしっかり着地する前で踏ん張っておらず、大きく弾き飛ばされる。
砲弾のように飛んでいったジルベルトの身体は、背から貴族の邸宅の角にぶつかり、石壁を崩しながらめり込んで落下した。
「ジル!」
ムサシがアヤメの下に急いでテツオを送り届け、オルランドがジルベルトの下へ死に物狂いで駆け寄る。
ぴくりとも動かなくなったジルベルトを背にして、大きなオスのピピストレッロの前に折れた剣で防御の構えを取りながら立ちはだかった。
「馬鹿、ジル…! おまえは死ぬなって、言っただろう……!」
刀身を九割も失った剣では、長く鋭利な爪を防ぎ切ることは難しく、さらにオルランドの身体に傷が出来ていく。
しかしそれがもう分からないくらい、首から下が真っ赤に染まっていた。
「ランド殿下!」
ムサシもまた折れた刀を抜刀し、二人の下へ向かおうとすると、オルランドが首を横に振って制止した。
「ムサシ、アヤメとテツオを連れて学校へ行ってくれ。ジルは頑丈だから、きっと気を失っているだけだ。目を覚ますまで、私が意地でも守ってみせる。だから頼む、私の妻子を連れてすぐに学校へ行ってくれ」
「いやや!」
と泣き叫び、駆け寄ろうとした妻子の足を、またオルランドが「駄目だ」と言って止める。
「こっちに来たら駄目だ、二人共。いいかい、生きるんだ。私の分もだ」
「なんやねん、それ! ランドも一緒に生きてや! 王太子やってこと分かっとんの! これまで二人で、将来のために一緒に勉強して、一緒に生きてきたやん! これからもずっとずっと、力を合わせて生きて、立派な国王と王妃になろうや! ウチ、別に王妃になりたいんちゃうし、勉強やてめっちゃ苦手やけど、ランドのためならって頑張ってきたんやで!」
「うん……ごめん。ありがとう、アヤメ。君が私と一緒に頑張ってくれたことは、本当に私の励みだった。勉強に疲れて嫌になっても、隣にある君の笑顔を見るだけで不思議とやる気が湧き起こって、前向きになれたんだ。『マストランジェロ王家前代未聞100連敗王太子』になってドン底まで落ち込んでいた私を拾ってくれたし、可愛いテツオを産んでくれたし、君には本当に感謝しかない。でも、もうその苦労からも解放される。テツオも将来、私みたいに国のことばかりを考えなくて良くなる。未来のカプリコルノ国王は、ここで私が生きようが死のうが、どうにもこうにもティーナ一択だ」
とオルランドが、面頬を上げて妻子を見る。
血色の無くなってきているそこに、優しく微笑する目元が見えた。
「アヤメもテツオも、好きなことをたくさんして生きて欲しい。私は趣味の楽器演奏をほとんど出来なかったから、たまにでいいからテツオが代わりにやってくれると嬉しいな。あとさっき、王太子から解放されたら休日に姫通りでアヤメと服屋を開こうなんて考えて、ワクワクしてたんだ。アヤメ、やっておいてくれる?」
「楽器なんてテツオがいくらでもやったる! せやけど、いやや! テツオ、おとんとサヨナラしとうない!」
「うん……テツオ。父上もだよ。さようならなんてしたくない」
「ほな、生きてウチと一緒に服屋やろうや! ウチ、おじいちゃんおばあちゃんになってもランドと一緒に居られると思っとったのに!」
「うん……アヤメ。私もそう思ってたんだ。晩年には、可愛いおばあちゃんになった君と手を繋いでいるはずだったんだ。でも……」
オルランドの瞳に涙が見えた。
「ごめんね――」
トドメを刺すように、オルランドの胸元に爪が突き刺さった。
「ランド!」
「おとん!」
辺りに響き渡った親子の絶叫に、地鳴りのような足音が混じる。
ムサシがはっとして振り返ると、ジルベルトのものよりも3倍は大きな大剣を構えながら駆けてくるアドルフォの姿があった――
「――このバケモノがぁっ!」
「おとんもでござる……」
小さく突っ込みが漏れたムサシと、泣き叫ぶ親子の目前、アドルフォが大きなオスのピピストレッロの脳天目掛けて大剣を振り下ろす。
しかしそれは当たる直前に俊敏に高く浮遊していて、アドルフォの大剣は虚空を切って地面に直撃した。
石畳の上を亀裂が走り、正面にあった貴族の邸宅の石壁を破壊する。
大きなオスのピピストレッロの爪が突き刺さっていたことで一緒に浮遊したオルランドの身体は、アドルフォの上に落ちてきた。
「ランド殿下!」
とアドルフォがその身体を左腕で受け止めると、朦朧としながらも意識はあるようだった。
「ドルフ叔父上……?」
「頼む、もう少し耐えてくれ! 今シルビー殿下の下へ連れていく!」
ムサシが「おとん!」と言いながら、大きなオスのピピストレッロを指差した。
アドルフォがそれを見上げると、それは学校のある方向を向いていた。
そして瞬きをした一瞬間に、その場から居なくなっていた。
「――まずい……! 学校には今、大公閣下しかいないんだ!」
「急ぐでござる! 拙者が姉上とテツオを連れていくでござるから、おとんはランド殿下とジルを連れて行ってくだされ! 拙者は刀が折れてしまったが、ジルの大剣がある故に大丈夫でござるから!」
承知したアドルフォが、左肩にジルベルトとオルランドを纏めて担ぎ、右手に大剣を持って学校へ疾走していく。
空を仰げば、大きなオスのピピストレッロの姿はもう見えなかった。
「ドルフ叔父上……」
オルランドの消え入りそうな声が聞こえた。
「学校は大丈夫ですか……」
「大丈夫じゃないが、意外と大丈夫かもしれん。何故なら天使軍の問題児たちが、予定より陛下を早く到着させてくれそうだからだ」
「アレックスは……」
「ああ、さっきアレックス殿下を背負ったファビオと擦れ違った。近くにはピピストレッロがいなかったし、それもおそらく大丈夫だろう」
オルランドが小さく安堵の息を吐いた。
「シルビーはきっと、何度も治癒魔法を使えるほど回復していないはずです。残りの治癒魔法は、どうかジルに……」
「何を言っているんだ! どう見てもジルよりランド殿下の方が重傷だ!」
オルランドが「ノ」と首を横に振った。
「シルビーの残りの治癒魔法では、この深い傷は治せないでしょう。それに、私は王太子として未来のカプリコルノに優秀な戦士を残さないといけません。それがジルですから、ジルを死なせるわけにはいきません」
「言いたいことは分かるが、王太子殿下だって死なせるわけには行かないぞ」
オルランドが再び「ノ」と言った。
「次の国王はティーナです。父上も今、そう思っています」
「ああ、同意する。だが、そうだとしても、家族をこれ以上失うわけには行かない!」
オルランドの小さな「ごめんなさい」が聞こえた。
「ドルフ叔父上……これは、父上とフェーデ叔父上にも」
「なんだ?」
オルランドが顔を上げると、ムサシと共に後を追いかけてくる妻子の泣き顔がぼんやりと見えた。
「私の大切な妻子を――アヤメとテツオを、どうかお守りください……――」
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