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最終話ー22
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――ジルベルトが「兄貴!」と声を上げて、ムサシを背に庇う。
矢が無くなったことで、刀で戦っていたムサシだったが、それは大きなオスのピピストレッロの爪に叩かれると容易に真っ二つにされてしまった。
「このバケモノを相手にするには、薄くて脆い打刀では無理でござったか」
「ああ。こいつ硬ぇわ、怪力だわで、オレの大剣もボロボロだ。それに疲れてきたし、やべえなこりゃ……」
と兄弟が、周りにいるピピストレッロ相手に戦っているオルランドとアレッサンドロに目を向ける。
さっきまで多数群がっていたそれらは残り少なくなっていたが、2人の疲労も目に見えて著しかった。
特に魔法を使い果たしたアレッサンドロはふらふらで、シルヴィアのように今にも失神しそうだった。
「おい、しっかりしろアレックス! やられるぞ!」
「スィー、ジル兄上。大丈夫です。僕はレオ兄上に代わって戦場に出るって言ったんだから、レオ兄上の分も戦わないと……」
「おまえはもう充分に戦った! レオの分も戦った! ムサシと共に学校へ避難していろ!」
「ノ、ランド兄上」
とアレッサンドロが首を横に振った。
剣を両手で懸命に振るっているが、少し前からほとんどが虚空を切っていた。
「どうしてそんなことを言うのですか、ランド兄上」
「え?」
「僕だって、弱い者を守るために生まれて来たって父上に教わりました。僕だって、立派なマストランジェロ一族の子だって教わりました。僕を認めてくださっていないから、そんなことを言うのですか」
「何を言っているんだ、アレックス。おまえは私の弟で、その通り立派なマストランジェロ一族の男だ」
とオルランドが思っていることをそのまま口にすると、アレッサンドロが声高になった。
「だったら、僕を戦わせてください! 僕だって戦えるんだ! 僕だってみんなを守ることが出来るんだ! 僕だって兄上たちと同じなんだ! 僕だって、立派なマストランジェロ一族の男なんだ! 僕だって……僕だって!」
何の罪もないのに民衆に忌み嫌われ、偉大な『力の王』の子だと認められなかった王子の心の吐露だった。
身の丈に合わせた小さな剣で、ピピストレッロに向かっていく。
しかし、ふらふらの状態では機敏なピピストレッロに交わされてしまい、やはり刃が空振りしてしまう。
そして鋭利な爪を一振りされると、小さな胸に赤い三本線を作って仰向けに倒れた。
「――アレックス!」
オルランドがアレッサンドロの周りのピピストレッロの首を跳ね飛ばし、駆け寄ってきたムサシが急いでアレッサンドロを背負う。
「シルビー殿下が目を覚ましていたら、グワリーレが使えるはずでござる!」
「待って…! 僕はまだ……!」
とアレッサンドロが伸ばした手を、オルランドが握り締めた。
「アレックス、おまえはもう充分によくやったんだ。おまえの魔法があったから、私もアラブ将軍も余裕をもって戦えたし、軽傷で済んだんだ。おまえの活躍は、民衆も兵士もちゃんと見てきた。おまえをマストランジェロ一族の男だと認めない者はもういない。おまえは未来のカプリコルノを支える重要な魔法剣士で、今ここで命を落としてはいけない。ここは下がって生きるんだ、アレックス。いいな?」
「スィー…ランド兄上……」
とアレッサンドロが気を失うと同時に、ムサシが学校へと向けて駆け出した。
「耐えるでござるよ、二人共! おとんたちが無理なようだったら、拙者が武器を持って戻って来るでござる!」
「なるべく早く頼むぞ、兄貴! オレももうやばいからな!」
オルランドは残り数匹になったピピストレッロを灰にすると、ひとりで大きなオスのピピストレッロの相手をしているジルベルトの方へ加勢した。
「大丈夫か、ジル」
「あんまりだ。剣がボロボロで切れ味も最悪だし、叩き切ろうにもこいつの身体が硬すぎてどうにもなんねぇ」
「私の弟たちが手っ取り早くバケモノの翼を切り落とさなかったのは、剣が通らなかったということなんだろうか」
「たぶんそうだ。こいつの翼の根元、すげぇぶっといぞ」
「そうか……だから代わりにこんなフランジャみたいな洒落た翼に」
「なんだそれ? イカソーメンだろ?」
ジルベルトを攻めていた大きなオスのピピストレッロが、オルランドの方へと向く。
オルランドがその爪を咄嗟に剣で受けると、踏ん張ったはずの足が後方へと押しやられた。
「なるほど……これはまずい。炎を使わずとも、この怪力だけでカプリコルノを滅ぼしてしまう。こんなバケモノ、父上たちしか……」
「さっき馬車にいた皆はそろそろ学校へ避難し終わったよな? ならもう、こいつを学校まで誘導していっておとんたちに任せるか?」
「それは不安だ。何故なら、村から学校へ向かってる父上が辿り着くのはまだ時間が掛かる。今、学校は大変なことになっていて、フェーデ叔父上とドルフ叔父上が手一杯なんだ。私たちが助勢しようにも疲労困憊だし、こいつまで連れて行ってしまったら学校に避難した皆を守り切れるかどうか」
とオルランドが、少しのあいだ黙考した。
「ハーゲンと赤ん坊がここへ来るまでには、あとどれくらい掛かるだろう」
「アラブのおっさんが、帰りのテレトラスポルトは届かないから途中から走って帰ってくるって言ってたぞ。その前にまずハーゲンを探さなきゃいけないし、もうしばらく掛かるだろ」
「そうだな……」
と返したオルランドが、「よく聞け」と話を切り替えた。
「さっきアレックスにも言ったが、ジル、おまえはここで命を落としてはいけない。おまえは未来のカプリコルノのために、生きなければならない」
「お互い様だろ、カプリコルノ王太子」
「そうだ、私は王太子だ。だから兄弟・従兄弟の中で、誰よりも国のことを考えて生きて来なければならなかったし、そうしてきたつもりだ。私は前々から思っていたが、今、改めて身に染みてこう感じている。カプリコルノの国王に相応しいのは私ではない、『力の王』ではない。ヴァレンティーナ・マストランジェロだと」
とオルランドが、悔しそうに涙を浮かべた。
「コニッリョを仲間にするために父上たちは頑張ってきたが、結局ティーナが『人間界の王』になることだったんだ。ここは宝島というだけで狙われるし、プリームラ貴族もいるし、国王になる者は常に命の危険と隣り合わせで生きることになるが、さらにアクアーリオに嫁いだせいでティーナ自身が君主としての自信を喪失してしまったが、それでもティーナに国王をやってもらうべきだったんだ。父上も今きっと、同じことを思っている」
「悲観しすぎだろ。あともうちょっとでコニッリョを仲間に出来るところだったんだからよ」
「そうだが、すでにティーナが国王だったならどうなっていた? とうにたくさんのコニッリョが仲間になっていて、優秀な治癒魔法があって、兵士全員が優に持ち堪えられるほどのバッリエーラがあって、炎だって静めることが出来たんじゃないのか。誰も家族を失うことなく、こんな悲惨な事態には陥らなかったんじゃないのか」
「それはそうだが……今さらどうこう言っても遅ぇだろ」
「ああ、そうだ。だが、二度とこの悲しみを繰り返さないために、今のところ王太子の私は未来のカプリコルノのために、やらなければならないことがある」
とオルランドが、そのとき大きなオスのピピストレッロの爪を受けていたジルベルトを、肩で押し退け、剣戟の相手を代わった。
「行け、ジル」
「は……?」
「重傷を負う前に、早く学校へ行くんだジル。さっきも言ったが、おまえはここで命を落としてはいけない。未来のカプリコルノを――女王ヴァレンティーナ・マストランジェロを守るために、生きなければならない。父上たちはもうおっさんだし、私の弟・従兄弟たちはチビたちを除いてもう居ない。この先ティーナを守るのはおまえの使命だ、ジル」
「分かった、それは分かった。だが、ふざけんな……オレは、ガルテリオも見捨てなきゃいけなかったんだぞ!」
とジルベルトが声を荒げると、オルランドが短く笑った。
「それはたぶん違うだろう、ジル? ガルテリオは強いおまえを頼り、信じて、大切な者を託したはずだ。ガルテリオはおまえに救ってもらったんだ。私だってそうだ。私はもう死ぬと決まったわけじゃないが、妻子を残して先に逝くかもしれないからな。そういう意味でも未来のカプリコルノには必ずおまえに居てもらわなきゃ困る。中途半端に生まれて来た私に対し、おまえが将来最強になるのは確実だからな。未来のカプリコルノに必要なのは、私よりおまえなんだ」
今度はジルベルトが失笑した。
「どうなってんだよ、うちの王太子は。どうやら、とっとと自分だけ逃げたらしいお隣の王太子の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいね」
「止めてくれ、本気で吐き気がする」
「ああ、嘘だ。忘れてくれ。でもちょっと真面目すぎだろカプリコルノ王太子。自己中になれとは言わねえけど、もう少し自分のためにあっても誰も怒らねえよ」
「そうは行かない。代々マストランジェロ王家の国王は力で国を守ってきた。皆が『力の王』と言えるほど強かったというわけではなく、私のように中途半端な国王・王太子も存在しただろうが、皆最後まで国のために働いてきたことには変わりない。だから私もそうでなければならない。未来のカプリコルノ国に最強の戦士を――おまえを残すことは、私の仕事なんだ」
とオルランドが、ふと残念そうな微笑を浮かべた。
「でもまぁ……本音を言うと、もっと自由に生きてみたかったというのはある。王太子や王子じゃない、庶民の子に生まれてたらって考えることがあるんだ。ジルは小さかったから覚えていないだろうが、昔、父上が記憶喪失になった振りをして『庶民ごっこ』をしたことがある。私はあのときの父上の気持ちが分かるんだ」
その声に涙が混じる。
「私が庶民の子だったら、今私は何をしていただろう。サイトウ家に婿入りして、レオーネ国にいただろうか」
「庶民じゃ王女と結婚できねーだろ」
「それもそうか。じゃあ、アヤメも庶民ってことで。それで、こんな悲惨なことに巻き込まれていなくて、この時間向こうは朝だから、アヤメとテツオの笑顔見ながら朝餉を食べていたんだろうか。仕事は何をしていただろう。将来のための勉強に追われて、ほとんど楽しむ暇が無かった趣味――楽器の演奏が出来る楽士とかいいな。でもアヤメが裁縫得意だから、夫婦で服屋を営むのも楽しそうだ。仕事が終わって家に帰ったらテツオがいて、3人で食卓を囲んで、今日一日あんなことがあった、こんなことがあったって、笑ったり怒ったりしながら話していて……」
とオルランドが言葉を切った。
「長くなった、ごめん。分かったらもう行ってくれ、ジル。学校に辿り着いたら、怪我しない程度に叔父上たちを手伝ってくれると助かる。このバケモノが学校へ行ったとき、叔父上たちに余力が無く、父上も居なかったら最悪だからな」
「……分かった」
と後ろ髪を引かれる思いで、学校へ向けて駆け出したジルベルト。
角を左折してその姿が見えなくなったと思ったや否や、踵を返してきた。
雄叫びを上げながら猛牛のように突進し、8歳ながら身長160cm、体重は筋骨隆々76kgの黒の身体に勢いを付け、大剣の切っ先を大きなオスのピピストレッロの腹に突き刺していく。
「痛いな……」
と大きなオスのピピストレッロの心境を代弁したオルランドが、はっとして声を上げる。
「なっ、何をしているんだジル! 怪我をする前に早く学校へ行け!」
「やっぱ嫌だ!」
白の巨体の腹に刀身の根元まで突き刺した大剣を抜こうとしたジルベルトが、すんなりと行かず手間取っていると、その兜を白の手が掴んだ。
放り投げられて、石畳の上を転がる。
「ジル!」
とオルランドが慌てて背に庇うと、それは「大したことねえよ」と言って立ち上がった。
言葉通りなのかもしれないが、疲労が溜まっていることで、いくらか鈍重な動作になっている。
「それより、考えてみろよ。これからはティーナが国王になるってんなら、もう王太子から解放されるんだぞ。完全にとは言わねえけど、今より自由に生きられるんだぞ。これまで勉強につぎ込んでた時間に楽器の演奏だって出来るし、服屋がやりたきゃ休日に経営権もらって姫通りあたりでやりゃいいだろ。王太子が国のことを一番に考えなきゃいけないのは分かったが、自分の幸せとか、残される妻子のこととか、もう少し考えろよ」
「もちろん、アヤメとテツオのことを考えていないわけじゃない。今、本当に申し訳なくて溜まらない」
「オレには」
「え?」
「オレには申し訳なくないのかよ。おまえが死んだら、おまえの妻子の泣き顔を見て、溺れたみてえに苦しくなんのはオレなんだよ。どいつもこいつもオレに押し付けやがって、いい加減じわじわムカついてきた。言っとくが、オレだって……オレだってまだガキだからな! 8歳だからな! 8歳だぞ、8歳!」
「ご……ごめんごめん、うん。そうだな、うん。8歳には重荷だったな、うん。落ち着け」
大きなオスのピピストレッロが腹から抜いて捨てた大剣を、ジルベルトが拾い上げる。
「心配すんな。オレは死ぬつもりはない。学校におとんと大公のおっさんの2人しかいなくて、こいつを連れていくのが不安だっつーなら、こいつをここでボコボコにして弱らせてから連れてきゃいい」
「ボコボコに出来る相手じゃないから困ってるんじゃないか。私はコラードやガルテリオ、リナルドよりも力が劣るし、おまえはすでに強いが、それでもまだ子供だし、疲労で思うように動けないし、逆に二人纏めてボコボコにされて死ぬのが落ちだ」
「けど兄貴だって戻って来てくれるんだし、怪我したってシルビーのグワリーレで死なねえくらいには傷が治るはずだ。それに翼がここまでボロボロにされてりゃ、傷の治り具合も遅くなってるだろ。ボコボコは無理でもチョビチョビ傷付けてりゃ、尻も積もれば何とかで――」
「『塵』も積もれば、だ」
「尻の方がいいだろ。ああ、乳派?」
「何の話だ」
「女の身体で一番好きな部分は?」
「二の腕かな」
「へー」
「だから……」
何の話をしているのかとオルランドが再び突っ込もうかとき、ジルベルトが大きなオスのピピストレッロに向かっていった。
降ってくる爪を大剣で受け止めながら、隙を狙って白の身体に小さな傷を付けていく。
「なんとかなるって言ってんだよ! 死ぬ決意してねーで生きろよ! 自分のために、家族のために! テツオなんてまだ3つなんだし、可哀想だろ! もう一度言うが、オレは死ぬつもりはない! 将来は必ず女王ティーナの護衛になる! 安心しろ!」
「分かったよ」
とオルランドは溜め息を吐くと、止まっていた剣を振るった。
「ありがとう……ジル。たしかに、王太子から解放された世界を想像すると楽しすぎて、無性に生きたくなるな。いや、決して死にたい訳じゃないが」
「だろ。生きろ」
それから程なく、先ほどアレッサンドロを学校へ連れていったムサシの声が響いて来た。
「止まるでござるよ! こら! テツオ!」
「――テツオ?」
矢が無くなったことで、刀で戦っていたムサシだったが、それは大きなオスのピピストレッロの爪に叩かれると容易に真っ二つにされてしまった。
「このバケモノを相手にするには、薄くて脆い打刀では無理でござったか」
「ああ。こいつ硬ぇわ、怪力だわで、オレの大剣もボロボロだ。それに疲れてきたし、やべえなこりゃ……」
と兄弟が、周りにいるピピストレッロ相手に戦っているオルランドとアレッサンドロに目を向ける。
さっきまで多数群がっていたそれらは残り少なくなっていたが、2人の疲労も目に見えて著しかった。
特に魔法を使い果たしたアレッサンドロはふらふらで、シルヴィアのように今にも失神しそうだった。
「おい、しっかりしろアレックス! やられるぞ!」
「スィー、ジル兄上。大丈夫です。僕はレオ兄上に代わって戦場に出るって言ったんだから、レオ兄上の分も戦わないと……」
「おまえはもう充分に戦った! レオの分も戦った! ムサシと共に学校へ避難していろ!」
「ノ、ランド兄上」
とアレッサンドロが首を横に振った。
剣を両手で懸命に振るっているが、少し前からほとんどが虚空を切っていた。
「どうしてそんなことを言うのですか、ランド兄上」
「え?」
「僕だって、弱い者を守るために生まれて来たって父上に教わりました。僕だって、立派なマストランジェロ一族の子だって教わりました。僕を認めてくださっていないから、そんなことを言うのですか」
「何を言っているんだ、アレックス。おまえは私の弟で、その通り立派なマストランジェロ一族の男だ」
とオルランドが思っていることをそのまま口にすると、アレッサンドロが声高になった。
「だったら、僕を戦わせてください! 僕だって戦えるんだ! 僕だってみんなを守ることが出来るんだ! 僕だって兄上たちと同じなんだ! 僕だって、立派なマストランジェロ一族の男なんだ! 僕だって……僕だって!」
何の罪もないのに民衆に忌み嫌われ、偉大な『力の王』の子だと認められなかった王子の心の吐露だった。
身の丈に合わせた小さな剣で、ピピストレッロに向かっていく。
しかし、ふらふらの状態では機敏なピピストレッロに交わされてしまい、やはり刃が空振りしてしまう。
そして鋭利な爪を一振りされると、小さな胸に赤い三本線を作って仰向けに倒れた。
「――アレックス!」
オルランドがアレッサンドロの周りのピピストレッロの首を跳ね飛ばし、駆け寄ってきたムサシが急いでアレッサンドロを背負う。
「シルビー殿下が目を覚ましていたら、グワリーレが使えるはずでござる!」
「待って…! 僕はまだ……!」
とアレッサンドロが伸ばした手を、オルランドが握り締めた。
「アレックス、おまえはもう充分によくやったんだ。おまえの魔法があったから、私もアラブ将軍も余裕をもって戦えたし、軽傷で済んだんだ。おまえの活躍は、民衆も兵士もちゃんと見てきた。おまえをマストランジェロ一族の男だと認めない者はもういない。おまえは未来のカプリコルノを支える重要な魔法剣士で、今ここで命を落としてはいけない。ここは下がって生きるんだ、アレックス。いいな?」
「スィー…ランド兄上……」
とアレッサンドロが気を失うと同時に、ムサシが学校へと向けて駆け出した。
「耐えるでござるよ、二人共! おとんたちが無理なようだったら、拙者が武器を持って戻って来るでござる!」
「なるべく早く頼むぞ、兄貴! オレももうやばいからな!」
オルランドは残り数匹になったピピストレッロを灰にすると、ひとりで大きなオスのピピストレッロの相手をしているジルベルトの方へ加勢した。
「大丈夫か、ジル」
「あんまりだ。剣がボロボロで切れ味も最悪だし、叩き切ろうにもこいつの身体が硬すぎてどうにもなんねぇ」
「私の弟たちが手っ取り早くバケモノの翼を切り落とさなかったのは、剣が通らなかったということなんだろうか」
「たぶんそうだ。こいつの翼の根元、すげぇぶっといぞ」
「そうか……だから代わりにこんなフランジャみたいな洒落た翼に」
「なんだそれ? イカソーメンだろ?」
ジルベルトを攻めていた大きなオスのピピストレッロが、オルランドの方へと向く。
オルランドがその爪を咄嗟に剣で受けると、踏ん張ったはずの足が後方へと押しやられた。
「なるほど……これはまずい。炎を使わずとも、この怪力だけでカプリコルノを滅ぼしてしまう。こんなバケモノ、父上たちしか……」
「さっき馬車にいた皆はそろそろ学校へ避難し終わったよな? ならもう、こいつを学校まで誘導していっておとんたちに任せるか?」
「それは不安だ。何故なら、村から学校へ向かってる父上が辿り着くのはまだ時間が掛かる。今、学校は大変なことになっていて、フェーデ叔父上とドルフ叔父上が手一杯なんだ。私たちが助勢しようにも疲労困憊だし、こいつまで連れて行ってしまったら学校に避難した皆を守り切れるかどうか」
とオルランドが、少しのあいだ黙考した。
「ハーゲンと赤ん坊がここへ来るまでには、あとどれくらい掛かるだろう」
「アラブのおっさんが、帰りのテレトラスポルトは届かないから途中から走って帰ってくるって言ってたぞ。その前にまずハーゲンを探さなきゃいけないし、もうしばらく掛かるだろ」
「そうだな……」
と返したオルランドが、「よく聞け」と話を切り替えた。
「さっきアレックスにも言ったが、ジル、おまえはここで命を落としてはいけない。おまえは未来のカプリコルノのために、生きなければならない」
「お互い様だろ、カプリコルノ王太子」
「そうだ、私は王太子だ。だから兄弟・従兄弟の中で、誰よりも国のことを考えて生きて来なければならなかったし、そうしてきたつもりだ。私は前々から思っていたが、今、改めて身に染みてこう感じている。カプリコルノの国王に相応しいのは私ではない、『力の王』ではない。ヴァレンティーナ・マストランジェロだと」
とオルランドが、悔しそうに涙を浮かべた。
「コニッリョを仲間にするために父上たちは頑張ってきたが、結局ティーナが『人間界の王』になることだったんだ。ここは宝島というだけで狙われるし、プリームラ貴族もいるし、国王になる者は常に命の危険と隣り合わせで生きることになるが、さらにアクアーリオに嫁いだせいでティーナ自身が君主としての自信を喪失してしまったが、それでもティーナに国王をやってもらうべきだったんだ。父上も今きっと、同じことを思っている」
「悲観しすぎだろ。あともうちょっとでコニッリョを仲間に出来るところだったんだからよ」
「そうだが、すでにティーナが国王だったならどうなっていた? とうにたくさんのコニッリョが仲間になっていて、優秀な治癒魔法があって、兵士全員が優に持ち堪えられるほどのバッリエーラがあって、炎だって静めることが出来たんじゃないのか。誰も家族を失うことなく、こんな悲惨な事態には陥らなかったんじゃないのか」
「それはそうだが……今さらどうこう言っても遅ぇだろ」
「ああ、そうだ。だが、二度とこの悲しみを繰り返さないために、今のところ王太子の私は未来のカプリコルノのために、やらなければならないことがある」
とオルランドが、そのとき大きなオスのピピストレッロの爪を受けていたジルベルトを、肩で押し退け、剣戟の相手を代わった。
「行け、ジル」
「は……?」
「重傷を負う前に、早く学校へ行くんだジル。さっきも言ったが、おまえはここで命を落としてはいけない。未来のカプリコルノを――女王ヴァレンティーナ・マストランジェロを守るために、生きなければならない。父上たちはもうおっさんだし、私の弟・従兄弟たちはチビたちを除いてもう居ない。この先ティーナを守るのはおまえの使命だ、ジル」
「分かった、それは分かった。だが、ふざけんな……オレは、ガルテリオも見捨てなきゃいけなかったんだぞ!」
とジルベルトが声を荒げると、オルランドが短く笑った。
「それはたぶん違うだろう、ジル? ガルテリオは強いおまえを頼り、信じて、大切な者を託したはずだ。ガルテリオはおまえに救ってもらったんだ。私だってそうだ。私はもう死ぬと決まったわけじゃないが、妻子を残して先に逝くかもしれないからな。そういう意味でも未来のカプリコルノには必ずおまえに居てもらわなきゃ困る。中途半端に生まれて来た私に対し、おまえが将来最強になるのは確実だからな。未来のカプリコルノに必要なのは、私よりおまえなんだ」
今度はジルベルトが失笑した。
「どうなってんだよ、うちの王太子は。どうやら、とっとと自分だけ逃げたらしいお隣の王太子の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいね」
「止めてくれ、本気で吐き気がする」
「ああ、嘘だ。忘れてくれ。でもちょっと真面目すぎだろカプリコルノ王太子。自己中になれとは言わねえけど、もう少し自分のためにあっても誰も怒らねえよ」
「そうは行かない。代々マストランジェロ王家の国王は力で国を守ってきた。皆が『力の王』と言えるほど強かったというわけではなく、私のように中途半端な国王・王太子も存在しただろうが、皆最後まで国のために働いてきたことには変わりない。だから私もそうでなければならない。未来のカプリコルノ国に最強の戦士を――おまえを残すことは、私の仕事なんだ」
とオルランドが、ふと残念そうな微笑を浮かべた。
「でもまぁ……本音を言うと、もっと自由に生きてみたかったというのはある。王太子や王子じゃない、庶民の子に生まれてたらって考えることがあるんだ。ジルは小さかったから覚えていないだろうが、昔、父上が記憶喪失になった振りをして『庶民ごっこ』をしたことがある。私はあのときの父上の気持ちが分かるんだ」
その声に涙が混じる。
「私が庶民の子だったら、今私は何をしていただろう。サイトウ家に婿入りして、レオーネ国にいただろうか」
「庶民じゃ王女と結婚できねーだろ」
「それもそうか。じゃあ、アヤメも庶民ってことで。それで、こんな悲惨なことに巻き込まれていなくて、この時間向こうは朝だから、アヤメとテツオの笑顔見ながら朝餉を食べていたんだろうか。仕事は何をしていただろう。将来のための勉強に追われて、ほとんど楽しむ暇が無かった趣味――楽器の演奏が出来る楽士とかいいな。でもアヤメが裁縫得意だから、夫婦で服屋を営むのも楽しそうだ。仕事が終わって家に帰ったらテツオがいて、3人で食卓を囲んで、今日一日あんなことがあった、こんなことがあったって、笑ったり怒ったりしながら話していて……」
とオルランドが言葉を切った。
「長くなった、ごめん。分かったらもう行ってくれ、ジル。学校に辿り着いたら、怪我しない程度に叔父上たちを手伝ってくれると助かる。このバケモノが学校へ行ったとき、叔父上たちに余力が無く、父上も居なかったら最悪だからな」
「……分かった」
と後ろ髪を引かれる思いで、学校へ向けて駆け出したジルベルト。
角を左折してその姿が見えなくなったと思ったや否や、踵を返してきた。
雄叫びを上げながら猛牛のように突進し、8歳ながら身長160cm、体重は筋骨隆々76kgの黒の身体に勢いを付け、大剣の切っ先を大きなオスのピピストレッロの腹に突き刺していく。
「痛いな……」
と大きなオスのピピストレッロの心境を代弁したオルランドが、はっとして声を上げる。
「なっ、何をしているんだジル! 怪我をする前に早く学校へ行け!」
「やっぱ嫌だ!」
白の巨体の腹に刀身の根元まで突き刺した大剣を抜こうとしたジルベルトが、すんなりと行かず手間取っていると、その兜を白の手が掴んだ。
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「ジル!」
とオルランドが慌てて背に庇うと、それは「大したことねえよ」と言って立ち上がった。
言葉通りなのかもしれないが、疲労が溜まっていることで、いくらか鈍重な動作になっている。
「それより、考えてみろよ。これからはティーナが国王になるってんなら、もう王太子から解放されるんだぞ。完全にとは言わねえけど、今より自由に生きられるんだぞ。これまで勉強につぎ込んでた時間に楽器の演奏だって出来るし、服屋がやりたきゃ休日に経営権もらって姫通りあたりでやりゃいいだろ。王太子が国のことを一番に考えなきゃいけないのは分かったが、自分の幸せとか、残される妻子のこととか、もう少し考えろよ」
「もちろん、アヤメとテツオのことを考えていないわけじゃない。今、本当に申し訳なくて溜まらない」
「オレには」
「え?」
「オレには申し訳なくないのかよ。おまえが死んだら、おまえの妻子の泣き顔を見て、溺れたみてえに苦しくなんのはオレなんだよ。どいつもこいつもオレに押し付けやがって、いい加減じわじわムカついてきた。言っとくが、オレだって……オレだってまだガキだからな! 8歳だからな! 8歳だぞ、8歳!」
「ご……ごめんごめん、うん。そうだな、うん。8歳には重荷だったな、うん。落ち着け」
大きなオスのピピストレッロが腹から抜いて捨てた大剣を、ジルベルトが拾い上げる。
「心配すんな。オレは死ぬつもりはない。学校におとんと大公のおっさんの2人しかいなくて、こいつを連れていくのが不安だっつーなら、こいつをここでボコボコにして弱らせてから連れてきゃいい」
「ボコボコに出来る相手じゃないから困ってるんじゃないか。私はコラードやガルテリオ、リナルドよりも力が劣るし、おまえはすでに強いが、それでもまだ子供だし、疲労で思うように動けないし、逆に二人纏めてボコボコにされて死ぬのが落ちだ」
「けど兄貴だって戻って来てくれるんだし、怪我したってシルビーのグワリーレで死なねえくらいには傷が治るはずだ。それに翼がここまでボロボロにされてりゃ、傷の治り具合も遅くなってるだろ。ボコボコは無理でもチョビチョビ傷付けてりゃ、尻も積もれば何とかで――」
「『塵』も積もれば、だ」
「尻の方がいいだろ。ああ、乳派?」
「何の話だ」
「女の身体で一番好きな部分は?」
「二の腕かな」
「へー」
「だから……」
何の話をしているのかとオルランドが再び突っ込もうかとき、ジルベルトが大きなオスのピピストレッロに向かっていった。
降ってくる爪を大剣で受け止めながら、隙を狙って白の身体に小さな傷を付けていく。
「なんとかなるって言ってんだよ! 死ぬ決意してねーで生きろよ! 自分のために、家族のために! テツオなんてまだ3つなんだし、可哀想だろ! もう一度言うが、オレは死ぬつもりはない! 将来は必ず女王ティーナの護衛になる! 安心しろ!」
「分かったよ」
とオルランドは溜め息を吐くと、止まっていた剣を振るった。
「ありがとう……ジル。たしかに、王太子から解放された世界を想像すると楽しすぎて、無性に生きたくなるな。いや、決して死にたい訳じゃないが」
「だろ。生きろ」
それから程なく、先ほどアレッサンドロを学校へ連れていったムサシの声が響いて来た。
「止まるでござるよ! こら! テツオ!」
「――テツオ?」
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オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。
気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。
でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!)
大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです!
神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。
前半は転移する前の私生活から始まります。

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