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第48話ー2

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 ――1493年8月15日。

 プリームラ町から王都オルキデーアへと向かっている馬車の中に、3人の女の愉快げな笑声が響いている。

 5年前に大逆罪で処刑されたプリームラ貴族――エルバ伯エステ・スキーパの母親(72歳)と妻(50歳)、娘(28歳)だった。

 プリームラの牢に5年間投獄され、つい先ほど出所したところだ。

 それ以前からそうだったように、獄中では霜降り肉とバターブッロ、砂糖たっぷりの菓子ばかりを食べ、ふかふかのレットで好きなときに起きて好きなときに眠り、天気の良い日はプリームラ城の裏庭で好きなだけワインヴィーノを飲んで生活していた。

 運動もしようと思えば自由に出来たが、嫌いなので一切せず、お陰でもともと丸かった身体は真ん丸になり、化粧の下の顔は吹き出物とシミやシワ、タルミだらけになっていた。

「獄中生活も、なかなか悪くない生活だったんだけどねぇ」

「そうですわね、お義母様。プリームラ城の優雅なお庭とのお別れが残念」

「大丈夫よ、おばあ様、お母様。だってこれからあたくしたちには、憧れの宮廷暮らしが待ってるんだもの!」

 と、高らかな笑声が響く。

「まさか本当に、宮廷の家政婦長が私たちを侍女にしてくれるなんてね。しかも女王陛下の侍女なんて、なんて素晴らしい」

「カンクロ女王陛下ってどんなお方なのかしら。ていうか、カンクロ女王陛下は本当にいて、そして本当に陛下の寵姫なの? 本当なら流石酒池肉林王陛下だわ」

「あたくしたちが知ってる情報って、どこまで正しいのかしら。近い親族なら面会できたけど、あたくしたちには居なかったから、外の情報は看守からたまに聞く程度だったし、知らないことが多いと思うわ」

 3人が顔を見合わせる。

「たしかなのは、ヴィットーリア王妃陛下が亡くったことと、陛下がどういうわけかメッゾサングエと再婚したこと、それから王子・王女殿下たちが結婚したことだろう。そんなことを看守が嘘を吐くわけがないからね」

「他にあと何か聞いたかしら? 例えば……あの、奴隷のこととか」

 馬車の中に重たい空気が流れる。

 歯ぎしりの音が響いた。

「許すんじゃないよ、あの奴隷を――ベルを! 私の息子や孫を殺したのは、あの小娘だ……!」

「ええ、分かっていますお義母様。入所前に宮廷使用人に召し上げられたと聞いていますから、あの奴隷はわたくしたちの部下でしょう。女王陛下の侍女になるわたくしたちの上司なんて、家政婦長と執事くらいなんですから」

「でも、ベルは『天使』なんでしょう? だからお父様やお兄様たちは大逆罪になったって」

「フン、何が天使だい。天使の中で私たちより身分が上の女なんて――オルキデーア貴族は本当は私たちより下だけど、それは置いておいて――2番目の天使の大公夫人と、5番目の天使の王女殿下、それから6番目の天使の大公閣下のご令嬢くらいだ。まぁ、今はもっと増えているかもしれないけどね」

「侯爵夫人ベラドンナさんは、おばあ様?」

「あれは駄目だ。私たちプリームラ貴族を裏切ったバケモノ侯爵と結婚した女なんだから。それ以前に姉のヴィットーリア王妃陛下共々、成り上がり男爵家の娘じゃないか。殺したりしたら流石にまずいけど、誇り高きプリームラ貴族が『天使』の称号に怯えるんじゃないよ。ベルに恨みを晴らしてやるのさ、陛下の見えないところでね」

 馬車が王都オルキデーアの東門から中に入って行くと、3人の顔が明るくなった。

「懐かしいね。やっぱり王都は都会で良い」

「あら、学校や教会が新しくなってるわ。頑丈そうねー」

「ねぇ、見て。前は貴族も庶民も女はみんな髪を長くしていたのに、今は短いのもあちこちにいるわ。しかもみんな、前髪を眉のところで切って、後ろの髪は顎の高さで切ってる。きっと最新の流行なのね、あたくしも切ろうかしら」

 馬車はやがて、宮廷オルキデーア城へと続く上り坂へと入って行った。





 ――宮廷オルキデーア城の1階にある客間の中に、60代の老夫婦が居た。

 妻の方は家政婦長ピエトラで、外見年齢がまだ30代後半と若く、一見して年の差夫婦か親子に見える。

 夫である白髪の執事ファウストが、どこか心配そうに隣に座っている妻を見た。

「ピエトラや」

「なんだい、ファウスト」

「やっぱり止めた方が良いんじゃないかい。エルバ伯爵夫人たちを、女王陛下の侍女にするというのは。女王陛下はきっと、思い出したくないことを思い出してしまう」

「あの子の精神は柔じゃないから心配はいらないよ。あと、しないよ」

 ファウストが「え?」と首を傾げると、ピエトラが言葉を付け足した。

「ベルの侍女には。しないよ、彼女たちを」

 返答に困っているファウストを見ながら、ピエトラが続ける。

「彼女たちには侍女って伝えてあるけど、正しくは下級使用人としてこき使ってやるのさ」

「どういうことだい?」

 その問いには答えず、ピエトラが「どう思う?」と訊き返した。

「彼女たちは、反省したと思うかい?」

 そう問われたファウストが、「いいや」と首を横に振った。

「思えないね。少しでも反省していたなら、女王陛下宛に謝罪の手紙が届いていたと思うよ」

「ああ、そうなんだ。彼女たちは反省していないんだよ。何もかも自分たちが正しいと驕る。それが無駄に誇り高いプリームラ貴族だ。罪を犯したって、さっぱり刑罰になっていないプリームラ貴族用の牢獄生活が拍車をかけている気がするよ」

 と溜め息交じりに言ったピエトラが、「それでね」と続ける。

「外の情報はほとんど入って来ない獄中生活の中で、どうやら彼女たちはベルがカンクロ女王だってことを知らされていないようなんだ」

「そんなことないんじゃないかい? だって、身近な者は面会できるだろう?」

「それがもう皆亡くなっていて、彼女たちに面会できるほど近い親近はいないんだ。それに考えてみな、ファウスト。カンクロ女王がベルだって知ってたら、その侍女になりに来るわけがないじゃないか」

「言われてみればそうだね」

「お陰でまんまと宮廷に呼ぶことが出来た。ベルがどんなに辛い想いをして来たか思い知らさせて、私が必ず謝罪させてやるよ。ベルの足元で、額を床にくっ付けさせてね」

 ファウストが妻の顔をじっと見つめる。

「ずいぶん怒っているね」

「当たり前じゃないか。ベルを想うと私は許せないよ。宮廷にいつまでいられても見苦しいし、長いこと謝罪しないようなら力尽くで頭を床にくっ付けてやるよ」

「私の妻はいつまでも逞しくて元気だね」

「なんだい、その台詞は。私に求婚するとき、一生守るって言ったじゃないか」

「あのときの君は可憐だった……」

「あんたも私と一緒にちゃんと鍛えなよ。宮廷を守る役目の私たちは、素直に爺さん婆さんになるわけには行かないんだから」

 間もなく、客間の扉が開かれた。

 エステ・スキーパとその母親、妻子が、使用人と共に中に入って来る。

「こんにちは家政婦長様、執事様」

 と少し古びたドレスヴェスティートスカートゴンナを持ち上げながら会釈をした3人に、ピエトラとファウストが作り笑顔で「こんにちは」と返した。

「どうぞお掛けになってください」

 とピエトラが食卓を挟んだ向かいの椅子を手で指すと、3人が嬉しそうに従った。

「手紙でお知らせした通り、カンクロ国の女王陛下の侍女でよろしかったですか?」

「ええ、もちろんですわ家政婦長様。女王陛下はどのようなお方なのでしょう?」

「勇敢で賢く、高貴で、とてもお綺麗な方ですよ」

「陛下の寵姫っていうのは本当?」

「今はそうですが、将来はご結婚されます」

「新しい王妃陛下はどうしてメッゾサングエなの?」

「コニッリョを我々人間の仲間にするため、とだけ言っておきましょう」

「コニッリョを!」

 と3人が驚愕した様子で騒ぎ出すと、ピエトラが「お静かに」と静めた。

「他に知りたいことはありませんか?」

 3人が顔を見合わせた。

「あります。家政婦長様、ベルは――ベルナデッタはこの宮廷に?」

「ええ、いますよ。今は乳母の部屋かと」

 また顔を見合わせた3人の顔に薄ら笑いが浮かんだ。

「乳母ですって」

「下級使用人だね」

「でも子供を産んだのね。結婚したの?」

 ピエトラが「していませんが」と口を挟むと、今度は噴き出した。

 しかし真顔でいるピエトラとファウストを見、口元を押さえて悲しんでいる様子を見せる。

「なんて可哀想な子。男に捨てられてしまったのね」

「仕方ないね、みすぼらしい子だったからね」

「でももしかしら、天罰かもしれないわね」

 今度はピエトラとファウストが顔を見合わせた。

 隠し切れていない、予想を裏切らない無反省ぶりに、互いの口から小さな呆れの溜め息が漏れていく。

「ベルに会いたいですか?」

 とピエトラが問うと、3人は「もちろん」と声を揃えた。

「では、こちらへ」

 とピエトラが立ち上がると、3人が付いて行った。

 1階の廊下を歩きながら、宮廷の中を見回して目を輝かせ、はしゃぎ声を響かせる。

 途中、擦れ違う使用人たちに軽蔑の眼差しを向けられていることに、まったく気付いていないようだった。

『中の中庭』の前を通ったときに、「陛下たちよ!」と勝手に離れて中を覗き込む。

「ああ、やっぱりお美しいね、陛下と大公閣下は。まったく衰えていないよ」

「王子殿下たち大きくなったわねー。あれはオルランド王太子殿下よね。あ、サジッターリオ国王にご即位したらしいコラード陛下がいらしているわ。大きいわねー。それから他は……もう誰が誰なんだか分からないわ」

「何あの子、素敵! 陛下と大公閣下そっくり! ――って、きゃあ! バケモノ侯爵2世がいる!」

 現在、午前の鍛錬中で、走り込みの真っ最中だったフラヴィオたちがぎょっとして3人の姿を見る。

 ピエトラが「来なさい!」と声を上げると、それらはようやく付いて来た。

 そして乳母の部屋の前で「ここです」とピエトラが立ち止まると、気取った様子で身嗜みを整え、咳払いをした。

「いいわ、家政婦長様。ベルに会わせて」

「ええ、どうぞ」

 と、ピエトラが乳母の部屋の扉を開ける。

 3人の目に、最初に入ったのはその後ろ姿だった。

 その頭から足元まで、上下に目を動かして見つめる。

 町で流行っているらしい髪型と同じ栗色の髪は艶々と輝き、簡素な作りではあるが、高級な生地の黒のヴェスティートを着ていた。

 記憶にあるベルは散切り頭をしていて、襤褸ぼろを着ていた故に、この時点ですでに別人のように見えた。

 少し戸惑って目を合わせた3人の傍ら、ピエトラが呼ぶ。

「ベル」

 それは、「スィー」と返事をしながら振り返った。

 その刹那、3人の心臓が一瞬強く飛び跳ねた。

 栗色の瞳に捉えられ、反射的に俯く。

(――誰……!?)

 俄かには信じられないその姿があった。

 記憶の中の汚れてやつれていた頬はふっくらとし、まるで絹のような肌に生まれ変わっている。

 皮を一枚纏っただけの骸骨だった身体は女っぽくなって、死んだ魚のようだった瞳は生気と自信に煌めいている。

 そしてその雰囲気には、奴隷の頃とは似ても似つかない、犯しがたい気品と威厳が満ち溢れていた。

(これが、あのベル……!?)

 記憶に残っているか細かった声が、凛とした気高さを纏って響く。

「ごきげんよう」

 同様の言葉を返したつもりの3人の声は、ぼそぼそとしてベルの耳には届かなかった。

 伸し掛かる劣等感に顔を上げることが出来なく、込み上げる羞恥心にこの場から逃げ出したい衝動に駆られる。

 しかし足が竦んで動けなく、助けを求めてピエトラを見た。

 氷のような目があった。

「何をしているのです、あなた方は。私は、一言もベルが『乳母』だなんて言っていませんよ?」

「え……?」

 と、3人の声が震えた。

 同時に、察する。

(もしかして、ベルが――)

 ピエトラの高らかな声が、廊下まで響き渡っていった。

「こちらの方こそ、カンクロ国女王ベルナデッタ・アンナローロ陛下です! 跪きなさい!」


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