酒池肉林王と7番目の天使

日向かなた

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第43話ー2

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 ――本日カンクロ国王ワン・ジンは、現在母の住居となっている離宮で食事をし、母を誘って朝廷に出、また母が暮らす離宮の庭で母と魔法泥ダンゴを作って、母とお喋りしていた。

(明らかに変だわ、この子)

 と思うワン・ジンの母――カンクロ国王太后の目には、何らかの大きな喜びを隠し切れない様子の息子が映っていた。

「最近私の相手をしなかったのに、突然どうしたのかしらジンジン?」

「別に俺はいつも通りです」

 と平然を装っているが、庭の泥ダンゴは大小合わせて100個は超えようか量に達していた。

 息子は小さい頃からこうだった。

 寂しいとき、嬉しいとき、悲しいとき、機嫌が悪いときなど、ちょっとでも心が平静でないときに魔法で泥ダンゴを作る癖がある。

 100個はおそらく新記録で、何かに心を大きく突き動かされている証拠だった。

「妙に嬉しそうに見えるけど?」

「別に普通です」

「嘘おっしゃい」

「はい、嘘です。最近、工部にやらせていたあちこちの治水工事が完了し始めたんです。本日に至っては、さっき母上も工部尚書から聞いたでしょう? 氾濫を繰り返し、ウン千年も民衆を悩ませてきた一番の大河の堤防建設が完了したと」

「あーはいはい、堤防が堅固になってこれで大河の氾濫は防げるでしょう、民衆の笑顔が増えるでしょう、そんなことに国庫金を使って善良な国王陛下ですこと」

「はい」と胸を張るワン・ジンに、母が再び「嘘おっしゃい」と突っ込む。

「そんなこと以上の何か別のことで喜んでるわね、あなた?」

「はい、嘘です。正直に言うと、最近母上がおとなしくしていてくれているのが嬉しいからです」

「嘘おっしゃい」

「いいえ、これは嘘ではありません。だからこうしてたまには親愛なる母上と過ごしたいと思い、訪ねて来ているんです」

 王太后から小さく溜め息が漏れる。

 どんなに問い質そうが、息子は何を隠しているのか白状しそうにない。

(ま、あの女のことでしょうが)

 その居場所はもう突き止めてある。

 何が息子をこうさせているのか、直接目で確認するのが早かった。

「厠へ行ってくるわ」

 息子の「いってらっしゃい」を聞くなり、副都イビスコへとテレトラスポルトで飛んだ。

 息子とあの女、リエンで暮らしている邸宅の門前にやって来たら中を覗き込み、誰もいないことを確認してから中庭の中心に飛ぶ。

 東西南北の方向に建物があるが、どこにいるのか悩まずとも、基本主人夫婦が暮らす北の正房にいることは分かった。

 その正房の窓の脇へとまた飛び、音を立てないよう、そっと中を覗き込む。

(――なるほどね)

 理解するまでに5秒もいらなかった。

 中にいたガット・ネーロに気付かれたと分かり、すぐさまその場から息子の下へとテレトラスポルトする。

 息子は無邪気な子供のような笑顔で、泥ダンゴを積み上げて遊んでいた。

「見てください、母上」

 と振り返ったその眉間のシワはすっかり無くなり、瞳は爛々と輝いていた。

「この泥ダンゴの塔、5階建ての建物くらいあるかもしれない」

 きっと息子は、今か今かと待っている。

 これから訪れる幸福な未来を脳裏に思い描き、心の中では欣喜雀躍している。

 でもそれは夢で、幻で、バッリエーラが破砕する時のような音を立てて崩れ去ろうとしている。

「可哀想にね、ジンジン……」

 母に抱き締められたワン・ジンが、「え?」と小首を傾げる。

「でも大丈夫よ。母上とリエンは、あなたを本当に愛しているからね。山に行けば、あなたを受け入れてくれる兄弟姉妹や仲間だっているわ。大丈夫よ、あなたは独りじゃないから」

「母上……?」

 動揺を見せる息子の頬を撫でた王太后が、「いいこと」と語調を強くして続けた。

「現実を見て来なさい。辛いかもしれないけど、その目でちゃんと見て来なさい。あの女は――エミは、何ひとつあなたに応えてくれないの。あなたを愛していないから。あの女は、ずっとずっと、あなたを騙していたのよ。私は先に山に行って、仲間を集めておくから……いいわね?」

 そう言って母は、ワン・ジンにバッリエーラを10枚掛けてからテレトラスポルトでその場を後にした。

(何が起きてる……今、何が)

 細かいことは分からずとも、母の言葉や様子、バッリエーラを10枚も掛けられたことで大方のことは察した気がした。

「――エミっ……!」

 副都イビスコの邸宅の中庭へと飛び、正房へと駆け込む。

 牀のある寝室へと向かい、扉を開けるなりに目に飛び込んできたものを見て息を呑んだ。

「リエン! どうした!」

 それは白目を剥き、鎖でグルグル巻きにされて床に転がっていた。

 どうしたも何も、確信した。

(カプリコルノ国王がいる)

 絶対の死が脳裏を横切り、背筋に寒気を覚えながら部屋の中を見回す。

 現在、時刻は夕方4時。

 6月故にまだ明るく、ほんのり茜色が差しているそこにあったのは、牀に腰かけているベルの姿だった。

「エ…エミっ……」

 そして、その腕にはおくるみに包まれた赤ん坊がいた。

「産まれたのかっ……!」

 ベルが「はい」と答えると、たった今死を予感したことも忘れて高揚した。

「男か、女か? 俺の子は……――」

 駆け寄ろうとして、足が固まる。

 よく見たら、おくるみから覗いていた。

 金の髪。

「――は……?」

 歩いて数歩近寄ったら、母親そっくりな顔が見えた。

 でもその目が開いたら、青い瞳が見えた。

「……嘘だろ……?」

 呆然とする。

 祖父母――ベルの親が金髪碧眼ということも考えられるが、普通に考えてみたらそうじゃなかった。

 それに一切の魔力が見えず、それは何よりも人間である証拠だった。

「カ…カプリコルノ国王の子だと、知っていたのか、エミ……?」

「いいえ。生まれるまで、まるで」

「そ、そうだよな……おまえも知らなかったんだよな」

 ベルに向かって手を伸ばした。

「よこせ」

 ベルが無言で見つめ返してきた。

「どうした? 聞こえなかったのか、エミ? そのガキを俺によこせ」

「この子をどうするのですか」

「どうする?」

 鸚鵡返しに問うたワン・ジンが、失笑した。

「決まってるだろ? それは俺の子じゃなく、カプリコルノ国王の子だ。殺すに決まってるだろ? それ以外の選択肢がどこにあるんだ? さっさとよこせ」

「嫌です」

「おまえは母親だから、そう思って当然なんだろうな。だが大丈夫だ、安心しろ。すぐに俺の子を作ってやる。だから早くよこせ」

「嫌です」

 と、愛おしそうに赤ん坊を腕に抱き直すベルを見て、ワン・ジンの身体が小刻みに震えていく。

 突如、疑いが湧いてきた。

「エミ……おまえ、カプリコルノ国王を覚えているのか?」

「はい」

「それはいつ思い出したんだ? まさか最初からか?」

「はい」

「ずっと俺を騙していたということか?」

「はい」

 短く「ふ」と笑ったワン・ジンが、涙を呑み込んだ。

 次の刹那には怒りが噴火の如く込み上げ、顔が大きく歪み、消えていた眉間のシワが戻ってくる。

「だったら約束通り殺してくれる! 俺のものにならないというのなら、カプリコルノ国王のガキ共々死ね!」

 と、ワン・ジンがベルとサルヴァトーレに襲い掛かろうか刹那、目前に見覚えのある金髪碧眼の男が現れた。

 その傍らには、ガット・ネーロのメスもいる。

 反射的に一歩飛び退り、男の方の顔を見上げたらその碧眼が冷然と光っていた。

「おまえ……ベルを愛していないな」

 その指先だけで10枚のバッリエーラが破砕され、首に手が掛かる。

「――うっ……!」

 足が宙に浮き、見上げていたその顔が自身の目線の高さよりも下に来た。

 首に掛かっている手を両手で剥がそうとするがビクともせず、ワン・ジンの脳裏に再び絶対の死が過ぎる。

「おい、小童」

 氷のように冷たく、低い声だった。

「おまえがベルに好かれるために努力してきたことは内閣大学士から聞いたし、おまえがベルを好いていたのは分かる。だが、愛してはいない。余に似ていたならまだしも、ベルそっくりで天上天下唯一無二の愛くるしい赤子を殺そうと思い至った上に、ベルが俺のものにならないなら死ね? 何だ、それは? おまえが心から愛しているのは自分自身であって、ベルではない。ベルを愛していたと言い張るなら、余の足元にも及ばぬと返しておく。おまえにもきっと、余程の想いがあるのだろうと思っていたが……」

 とフラヴィオの手に力が籠ると、ワン・ジンの視界に暗闇がちらついた。

「その程度で余からベルを盗み、穢し、挙げ句の果てに母子共々命を奪おうとしたのか……!」

「――ご主人様っ!」

 突如、目を覚ましたリエンの叫喚が鳴り渡った。

 鎖で固められた身体を床の上で暴れさせながら、半狂乱になって「離せ!」と喚く。

 ワン・ジンの首を掴んでいるフラヴィオの手を、ハナが掴んだ。

「ここで殺す予定じゃなかっただろ、フラビー」

「そうだったな」

 とフラヴィオがワン・ジンを離すと、それは床の上に四肢を付いてむせ返った。

 リエンがすぐさま転がって近付き、ワン・ジンに身体の一部を掴ませる否やにテレトラスポルトでこの場を去る。

 入れ違いに駆け込んできた内閣首輔――マー・ルイが、フラヴィオの前に跪く。

「戦の準備が整いました、フラヴィオ・マストランジェロ陛下。王太后の仲間が棲息する山の麓近くです」

「王太后の方にはどれくらいのカーネ・ロッソがいるのだ?」

「恐らくではありますが、30万前後になるかと。こちらにも将軍たちのカーネがいますが、数は圧倒的に及んでいません」

「そうか。では人間・カーネ問わず将兵は皆下がらせてくれ。余計な犠牲者を出したくは無い」

 マー・ルイが動揺したのが分かった。

「フェデリコ大公閣下などにも、そのようなことを申しつけられましたが、しかしっ……」

「大丈夫だって、30分で終わるから心配するな」

 とハナが軽い口調でマー・ルイを宥めた後、フラヴィオを見た。

「兄貴とナナ・ネネも連れてくるよ。あたいら4匹がテレトラスポルトや補助係として、フラビー・リコたん・アドぽん・アラブさんに1匹ずつ付けばいいだろ?」

「ああ、充分だ。あと余だけ鎧を装備していなかったから、一応持って来てくれ」

「分かった。ピアスは? あ、いいね」

 もう3月からずっと戦いの色――赤のオルキデーア石のピアスになっている。

 フラヴィオが、サルヴァトーレを抱っこしているベルを抱き上げた。

 つまり2人纏めて抱っこした。

「アモーレ」

 とベルの唇にバーチョした後、息子の唇も奪おうとしたらあいだにハナの手が割り込んできた。

「将来、初めての接吻相手が父親だと分かったら泣くぞ」

「むぅ」

 と唇を尖らせ、仕方なく息子の頬にバーチョする。

「先にトーレとカプリコルノに帰っていろ、アモーレ」

「え? もちろんトーレはすぐに帰しますが、私はここに残って――」

「駄目だ、危ない」

「そうそう。あたいが送るからさ」

 とハナが続き、マー・ルイも「そうです」と言うと、ベルの栗色の瞳に困惑の色が浮かんでいった。

「…わ…分かりました……」

「それじゃ」

 とベルとサルヴァトーレを連れて一旦その場を去ったハナは、30秒後にタロウとナナ・ネネを連れて戻ってきた。

 4匹で、持ってきたド派手な黄金の板金鎧と赤の外套を、せっせとフラヴィオに装備し。

 その後、中庭に待機しているダイ・ケイ将軍の愛犬のテレトラスポルトで戦場に飛ぶ。

 そこで待ち構えていた将兵――ワン・ジンや王太后に対する反乱軍が、フラヴィオの姿が見えるなり一斉に跪いていく。

 それらはフラヴィオの「下がってくれ」に耳を疑い、その言葉通りの身振り手振りの合図に目を疑う。

「ほーら、はよせーい! 力の王の邪魔したらあかん、下がれーい!」

 と、反乱軍の先頭で馬に騎乗しているマサムネが、半ば強引に将兵を下がらせていく。

「で、でもマサムネ殿下、力の王陛下とはいえ、いくらなんでも……!」

「ええからええから、熊将軍! 大丈夫やから、あいつらは! 人間のくせに意味不明やから、あいつらは!」

 騒然とする将兵の目線の先、マサムネの猫4匹が『力の王』と『力の王弟』、『人間卒業生』、『濃いメッゾサングエ』にバッリエーラを10枚ずつ掛けていく。

 ド派手に煌めく黄金の板金鎧――『力の王』が中央に。

 控えめな光を放つ白銀の板金鎧――『力の王弟』が右側に。

 飛び抜けて巨大な黒光りの板金鎧――『人間卒業生』が左側に。

 三方に比べると少し目立たない鈍色の板金鎧――『濃いメッゾサングエ』は、『力の王』から10歩後方に。

 それら4人に猫が1匹ずつ付くと、見守っている将兵たちが固唾を呑んだ。

「こっちの準備は良いぞ」

 力の王の声が、山の麓に密集しているカンクロ国王・王太后軍に向かって響いた。

 その2匹の姿は最奥にあるのか見えず、また返事も聞こえてこない。

「何だ、まだか? あー、早く帰りたい。帰って、アモーレとトーレにチュッチュしたいのだ」

「でしょうね、兄上。トーレのなんと愛らしいことでしょう。私の可愛い生徒そっくりだ」

「本当にな。俺はぱっと見で普通にベルの娘かと思ったぞ。でもあくまでも息子なんですし、くれぐれも唇にバーチョかまさないでくださいよ、陛下?」

「何言ってるのだ、ドルフ。余はそんな酷いことしないぞ。息子のファースト・キスプリーモ・バーチョを奪うだなんて、そんな」

「そうですか、安心しました兄上。でもトーレは、ティーナやビアンカが産まれたとき並に守ってやらないと。うちのレオには可哀想なことをしました。絶世の美乳児とはいえ男だし、兄上や私似だからか弱い気がしないからと油断してしまったせいで、プリーモ・バーチョの相手が誰だか不明なくらいかまされてしまって……。しかも乳母いわく、『老若男女』の『老』と『男』を組み合わせた奴かもしれないって」

「何? レオの奴、そんな可哀想なことになっていたのか!」

「なんてお気の毒なんだ、レオナルドさん! 現実を知ったら将来泣きますから、天使の誰かが相手ということにした方が良いですよ! ところで今日、絶世の美王女ヴァレンティーナ殿下は14歳になったわけですが、プリーモ・バーチョはまだ守られているんですか?」

「いや、なんだその、アラブ……」

「スィー、アドルフォ閣下? なんか兜の中の汗凄くありません?」

「いや、その、ティーナのプリーモ・バーチョの相手は、もしかしたら俺2世――ジルベルトかもしれん……」

「――え!?」

 と、明らかに今する内容ではない会話で盛り上がる4人の一方、見守っている将兵たちが「あっ!」と声を上げた。

 戦が開始されたらしく、カーネ・ロッソの軍が牙を剥き出しにし、一丸となって突撃してきている。

 同時に空から降って来る石や、激しく揺れる地面から突き出す岩を、マサムネの猫4匹が片腕一本で「よっと」と鎮めていく。

「ちょっと待て! それはどっちからしたのだ? ティーナからじゃないよな?」

「ええ、すみません陛下。うちのジルの初恋がティーナっぽくて、先日ブチかましているのを目撃しました……」

「オイ、あいつ!」

「まぁ、良いではありませんか兄上。ジルの身体は巨大ではありますが2歳児には変わりありませんし、私はアクアーリオ王太子のような男よりはジルの方が何百倍もティーナを任せられる」

「それはたしかにな。そういえばカンクロとの石材貿易が止まって以降、止むを得ずアクアーリオとの貿易を再開したわけだが……宰相はなんて言うかな」

「自分は、ヴァレンティーナ殿下がまだアクアーリオ語を中心に勉強しているらしいところが気になります。やはりアクアーリオ王太子との婚姻をお考えなのでは」

「げっ」

 と、カーネ・ロッソの軍がすぐ近くまで迫って来ているにも関わらず、まだ会話に夢中になっている4人。

 見兼ねたダイ・ケイ将軍が「危ねぇ!」と飛び出そうか寸前。

「気が進みませんねぇ」

 とアラブが溜め息交じりに風魔法――中級トルナードを起こして敵を巻き上げ、軍を乱していく。

「本当にな」

 と声をハモらせた3人も続いて溜め息を吐くや否や、その右手が動いた。

 将兵の目には、3人の武器の刃が軽く虚空を切ったように見えた。

 次の刹那にはバッリエーラが破砕する音が鳴り響き、カーネ・ロッソたちの首が血飛沫と共に飛んで、真っ白な灰が宙を埋め尽くしていく。

「この話はまた後にしましょう、兄上。戦が始まっているようです」

「そうだな、さっさとワン・ジンと王太后を成敗して帰国しよう。ハイ、突撃」

 まるで顎が外れたかのように、将兵たちの口があんぐりと開いていった。


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