酒池肉林王と7番目の天使

日向かなた

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第42話ー4

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 ――カンクロ国、4月。

「なぁ、最近王太后が少しおとなしくなった?」

「陛下が王太后を諫めたって噂、本当なんじゃない?」

「最近の陛下って善良だもんな」

「違う、王妃陛下が善良なんだ。カプリコルノ国から来た天女のような王妃陛下が、俺たちを救ってくださっているんだ」

「いっそのこと、女王陛下になってくださればいいのに。早くお目に掛かりたいわ。――って、あっ! あの屋根にいるのってレオーネ国の密偵じゃない?」

「またここに? 最近は他の町に現れたって話、ほとんど聞かないのに」

「どうやら宮廷を探ってるっぽいんだよな」

 そんな会話が王都ロートで暮らす民衆のあいだでされている頃。

 ベルとワン・ジン、愛犬のリエンが暮らす副都イビスコの邸宅には、町医者リンリーが訪れていた。

 食卓に4人で着き、その話にワン・ジンが真剣に耳を傾けている。

「産まれるのが遅いと思ったら、そうか……半々のメッゾサングエでも、8ヶ月掛かったりするのか」

「はい、陛下。ですから、カーネ・ロッソの血が三分の一のメッゾサングエとなったら、まだお腹にいても何ら不思議なことではないでしょう」

「そうだよな。カーネは魔力が低い分、人間に近いのが出来るしな。といっても、流石に人間ほどは掛からないよな。来月中には産まれるか?」

「再来月の上旬あたりまで掛かってもおかしくないかと」

「そうか、もう少しか」

 と、ワン・ジンが隣に座っているベルの大きくなった腹を撫でる。

 蹴ったのが分かると、「お」と小さな牙を見せて笑んだ。

 向かいの席から主の幸福の横顔を見つめてるリエンが口を開く。

「ね、ねェ、ご主人様? 王妃陛下の陣痛が始まったラ、どこに連れて行くべキ? しばらくはここでいいノ?」

「陣痛って、長いのか?」

 とワン・ジンがリンリーを見る。

「そうですね。メッゾサングエでも人間でも個人差が大きいのですが、王妃陛下は初産ですから陣痛開始からご出産まで、大体半日くらいは掛かると見積もってください。陣痛が始まって最初のうちはまだ余裕があり、食事なども出来ますので、すぐに移動しなくても良いのですが……ご出産の際は、如何致しましょう? ここでも良いですし、王都にある私の自宅でも良いですし。何なら、一番安心できる大学士堂に準備をしておくのも手でしょう」

「うん……」

 と腕組みするワン・ジンの顔に不安の色が浮かぶ。

「これまでは母上から守る意味で、大学士堂が一番安全だったんだが……最近、王都にはレオーネの密偵が駆除し切れないくらい湧くんだよな。もう大学士堂にも行かない方が良いかもしれん」

「大丈夫だヨ。リエンが直接大学士堂の中にテレトラスポルトすれバ、王妃陛下の姿は外から見えないかラ。でも逆ニ、この町には密偵いなくなったヨ?」

「だな……じゃあ、陣痛が始まってから出産まで、すべてここがいいか」

 リンリーが「承知しました」と言い終わるや否やに、リエンが声高にこう言った。

「ご主人様ハ、王太后陛下の相手しててネ!」

「エミの出産のときか?」

「そウ! リエンは王妃陛下のお産の手伝いするかラ、ご主人様は王太后陛下が絶対ここに来ないようにしててよネ! あと仕事もちゃんといつも通りしてネ! 休んだりしたラ、それこそ王太后陛下に怪しまれるかラ!」

「そうだな、分かった。じゃーエミの付き添いはおまえに任せるから、産まれたら俺に知らせに来てくれ」

 リエンが承知すると、ワン・ジンがふと立ち上がった。

「これから昼の仕事だが、その前に俺は母上のところに行ってくる。リエンはちょっと離宮を片付けて来てくれ。でかい離宮を3つほど」

「え? 王妃陛下を離宮に移すノ?」

「違う、母上にやるんだ。子供が生まれてからもここにいるわけには行かないから、母上に後宮から出て行ってもらうんだ」

「嫌がるんじゃなイ?」

「ああ、説得するのに時間が掛かりそうだが……でももう、駄目だ。最近母上はおとなしくしているようにも見えるが、人間の女を受け入れたわけじゃない。エミも産まれる子供の命も危ない。俺はもう、母上と一緒に暮らすことは出来ない。国庫金も溜まってきたことだし、宮廷の城壁を強化して、守備兵をこれでもかというくらい置いて、部外者は誰も入れないようにして、後宮でこれからエミと生きていくんだ」

 ワン・ジンとリエンが邸宅から飛んでいった後、ベルとリンリーが顔を見合わせた。

「宰相閣下にメロメロですね、陛下」

 とリンリーは冗談交じりに言って笑ったが、ベルの方は沈んだ表情をしていた。

 出産の日が近付くにつれ、ベルの笑顔が消えていく。

「リンリー先生……私はこの子を産めるのでしょうか。顔を見たいとは思えないのですが」

「自然といきみたくなるので大丈夫です。むしろ、私が合図を出すまでいきまないよう、堪えてください」

「分かりました。頑張って兵器を出します」

「宰相閣下」

 と、リンリーが小さく溜め息を吐いて微笑する。

「今はこれだけしか言えませんが……希望を捨ててはいけません。お腹の子を愛して差し上げてください――」





 ――5月の末日。

 就寝前に、リエンがベルに茶を淹れて差し出した。

「何の茶だ?」

 とワン・ジンが問うと、リエンがこう返した。

「人間がよく眠れるようになるお茶だっテ。リンリー先生が、妊娠後期の妊婦は情緒不安定になりやすいからっテ。ちょっとしたことでイライラしたリ、悲しくなったりするみたいだヨ」

「そうなのか。人間って大変だな……って、ハッ! そうか、それでエミは日に日に落ち込んでいくのか。俺が悪いのかと思って、焦ったぞ。なんだ、そういうものなのか」

 と安堵の表情をして、ワン・ジンが茶を飲んでいるベルの栗色の頭を撫でる。

「なぁ、髪伸ばさないか?」

「伸ばしません」

「リエンの頭には団子が一個だから、おまえの頭には団子を二個作りたいんだ。おまえとリエンを並べると、泥ダンゴが三つ並んでるみたいで胸がキュンとする俺の気持ちが分からないか?」

「普通に分かりません。エミはエミの丸っとした後頭部がお気に入りなのです。髪を伸ばしたり団子を作ってしまったりしたら、エミのまるまる後頭部が台無しでございます」

「は?」と間の抜けた声を出したワン・ジンが、ベルの後頭部を撫でて笑い出す。

「そうだったか、悪かった。たしかに形いいもんな? 俺の団子趣味もアレなんだろうけど、おまえの趣味も面白いなー」

 愉快そうに笑っている主を尻目に、リエンが「明日のお茶も貰ってくル」と言ってその場からテレトラスポルトした。

 飛んだ場所は大学士堂で、中には内閣大学士4人とリンリー、熊将軍ダイ・ケイとその愛犬がいた。

 リエンが「飲ませたヨ」と言うと、張り詰めた様子の一同の中、リンリーが落ち着いた様子で口を開く。

「茶葉を多めにしておきましたから、明日の朝頃には王妃陛下の陣痛が始まるでしょう。私は本日ここに泊まりますので、陣痛が始まりましたら迎えに来てください、リエンさん」

「わ、分かったネ」

 ダイ・ケイが「で?」とリエンに問う。

「産まれた子がカプリコルノ陛下の子だったら、どうするか決めたのか?」

「――……う、うン」

 と、リエンが強張った顔で頷いた。

「に…人間のお産だと、たまに聞くでショ? 死産だったっテ……」

「なるほど。それならワン・ジン陛下は仕方ないと思うだろうが、赤ん坊の死体はどうする気だ?」

「て、手頃な赤ん坊を攫って来て殺すネ」

「産まれた子――カプリコルノ陛下の子はどうすんだ?」

「こ……殺すネ」

「なるほど」

 と返したダイ・ケイの髭面がたちまち引き攣り、こめかみに血管が浮いていく。

「クソ犬が!」

 と繰り出された大きな拳を、リエンが咄嗟に両手で受け止める。

「リエンはっ……リエンは、ワン・ジン陛下の飼い犬だもン! それがご主人様の幸せのためだもン! リエンの邪魔するなラ、おまえたちだって殺してやるからナ!」

 と、テレトラスポルトで大学士堂を後にする。

 ダイ・ケイが顔を真っ赤にして声を荒げた。

「飼い主も飼い主なら、その犬も犬だ! もう許せん!」

「カーネ・ロッソというのはそういうものぞよ。それに、最近の陛下は善良だった」

 とゴ・カクが言うと、シー・カクが眉を顰めた。

「ゴ・カク殿はたまにワン・ジン陛下を庇うな」

「そういうわけではないが、おぬしらもう少し敬意を持っても良かろうて。先王陛下と王太后陛下、そしてワン・ジン陛下の親子3人には消すことの出来ない罪や恨みがあり、民衆が救世主――カプリコルノ宰相閣下・陛下を支持するのは分かる。しかし、わしはたしかにワン・ジン陛下が国を良い方向へ導いたのをこの目で見たぞよ。そこは素直に評価すべきだと思わんか」

「まぁ、たしかに」

 とサン・カクが同意した傍ら、苛立ちの収まらないらしいダイ・ケイが熊のように吼えた。

「今さら、おせぇぇぇんだよぉぉぉっ! 反乱軍の準備も整ったことだし、産まれた子がどっちの子でも俺はもう出陣するぜ! いいな、マー中堂!?」

「いいえ、お待ちなさいダイ・ケイ将軍。王太后陛下の軍――野生カーネ・ロッソの集団とも戦うことになるのです。力の王のお力は必要です」

「でも産まれた子がワン・ジンの子だったら、宰相閣下は嫌がるじゃねぇかよ!?」

「そうですが、こちらの負けは目に見えています」

 と、マー・ルイがダイ・ケイの愛犬(オス・14歳)に顔を向ける。

「テレトラスポルトは充分に練習したのですね?」

「しタよー。近くナラちゃんと飛べる。だからカプリコルノは無理ダゾ?」

「ここと副都イビスコが行き来できれば充分です。出来ますね?」

「任セろ」

 その返事を確認した後、マー・ルイは妻と顔を見合わせた。

 うんと頷き合う。

「では任せましたよ、リンリー……!」


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