酒池肉林王と7番目の天使

日向かなた

文字の大きさ
上 下
220 / 303

第42話ー4

しおりを挟む
 ――カンクロ国、4月。

「なぁ、最近王太后が少しおとなしくなった?」

「陛下が王太后を諫めたって噂、本当なんじゃない?」

「最近の陛下って善良だもんな」

「違う、王妃陛下が善良なんだ。カプリコルノ国から来た天女のような王妃陛下が、俺たちを救ってくださっているんだ」

「いっそのこと、女王陛下になってくださればいいのに。早くお目に掛かりたいわ。――って、あっ! あの屋根にいるのってレオーネ国の密偵じゃない?」

「またここに? 最近は他の町に現れたって話、ほとんど聞かないのに」

「どうやら宮廷を探ってるっぽいんだよな」

 そんな会話が王都ロートで暮らす民衆のあいだでされている頃。

 ベルとワン・ジン、愛犬のリエンが暮らす副都イビスコの邸宅には、町医者リンリーが訪れていた。

 食卓に4人で着き、その話にワン・ジンが真剣に耳を傾けている。

「産まれるのが遅いと思ったら、そうか……半々のメッゾサングエでも、8ヶ月掛かったりするのか」

「はい、陛下。ですから、カーネ・ロッソの血が三分の一のメッゾサングエとなったら、まだお腹にいても何ら不思議なことではないでしょう」

「そうだよな。カーネは魔力が低い分、人間に近いのが出来るしな。といっても、流石に人間ほどは掛からないよな。来月中には産まれるか?」

「再来月の上旬あたりまで掛かってもおかしくないかと」

「そうか、もう少しか」

 と、ワン・ジンが隣に座っているベルの大きくなった腹を撫でる。

 蹴ったのが分かると、「お」と小さな牙を見せて笑んだ。

 向かいの席から主の幸福の横顔を見つめてるリエンが口を開く。

「ね、ねェ、ご主人様? 王妃陛下の陣痛が始まったラ、どこに連れて行くべキ? しばらくはここでいいノ?」

「陣痛って、長いのか?」

 とワン・ジンがリンリーを見る。

「そうですね。メッゾサングエでも人間でも個人差が大きいのですが、王妃陛下は初産ですから陣痛開始からご出産まで、大体半日くらいは掛かると見積もってください。陣痛が始まって最初のうちはまだ余裕があり、食事なども出来ますので、すぐに移動しなくても良いのですが……ご出産の際は、如何致しましょう? ここでも良いですし、王都にある私の自宅でも良いですし。何なら、一番安心できる大学士堂に準備をしておくのも手でしょう」

「うん……」

 と腕組みするワン・ジンの顔に不安の色が浮かぶ。

「これまでは母上から守る意味で、大学士堂が一番安全だったんだが……最近、王都にはレオーネの密偵が駆除し切れないくらい湧くんだよな。もう大学士堂にも行かない方が良いかもしれん」

「大丈夫だヨ。リエンが直接大学士堂の中にテレトラスポルトすれバ、王妃陛下の姿は外から見えないかラ。でも逆ニ、この町には密偵いなくなったヨ?」

「だな……じゃあ、陣痛が始まってから出産まで、すべてここがいいか」

 リンリーが「承知しました」と言い終わるや否やに、リエンが声高にこう言った。

「ご主人様ハ、王太后陛下の相手しててネ!」

「エミの出産のときか?」

「そウ! リエンは王妃陛下のお産の手伝いするかラ、ご主人様は王太后陛下が絶対ここに来ないようにしててよネ! あと仕事もちゃんといつも通りしてネ! 休んだりしたラ、それこそ王太后陛下に怪しまれるかラ!」

「そうだな、分かった。じゃーエミの付き添いはおまえに任せるから、産まれたら俺に知らせに来てくれ」

 リエンが承知すると、ワン・ジンがふと立ち上がった。

「これから昼の仕事だが、その前に俺は母上のところに行ってくる。リエンはちょっと離宮を片付けて来てくれ。でかい離宮を3つほど」

「え? 王妃陛下を離宮に移すノ?」

「違う、母上にやるんだ。子供が生まれてからもここにいるわけには行かないから、母上に後宮から出て行ってもらうんだ」

「嫌がるんじゃなイ?」

「ああ、説得するのに時間が掛かりそうだが……でももう、駄目だ。最近母上はおとなしくしているようにも見えるが、人間の女を受け入れたわけじゃない。エミも産まれる子供の命も危ない。俺はもう、母上と一緒に暮らすことは出来ない。国庫金も溜まってきたことだし、宮廷の城壁を強化して、守備兵をこれでもかというくらい置いて、部外者は誰も入れないようにして、後宮でこれからエミと生きていくんだ」

 ワン・ジンとリエンが邸宅から飛んでいった後、ベルとリンリーが顔を見合わせた。

「宰相閣下にメロメロですね、陛下」

 とリンリーは冗談交じりに言って笑ったが、ベルの方は沈んだ表情をしていた。

 出産の日が近付くにつれ、ベルの笑顔が消えていく。

「リンリー先生……私はこの子を産めるのでしょうか。顔を見たいとは思えないのですが」

「自然といきみたくなるので大丈夫です。むしろ、私が合図を出すまでいきまないよう、堪えてください」

「分かりました。頑張って兵器を出します」

「宰相閣下」

 と、リンリーが小さく溜め息を吐いて微笑する。

「今はこれだけしか言えませんが……希望を捨ててはいけません。お腹の子を愛して差し上げてください――」





 ――5月の末日。

 就寝前に、リエンがベルに茶を淹れて差し出した。

「何の茶だ?」

 とワン・ジンが問うと、リエンがこう返した。

「人間がよく眠れるようになるお茶だっテ。リンリー先生が、妊娠後期の妊婦は情緒不安定になりやすいからっテ。ちょっとしたことでイライラしたリ、悲しくなったりするみたいだヨ」

「そうなのか。人間って大変だな……って、ハッ! そうか、それでエミは日に日に落ち込んでいくのか。俺が悪いのかと思って、焦ったぞ。なんだ、そういうものなのか」

 と安堵の表情をして、ワン・ジンが茶を飲んでいるベルの栗色の頭を撫でる。

「なぁ、髪伸ばさないか?」

「伸ばしません」

「リエンの頭には団子が一個だから、おまえの頭には団子を二個作りたいんだ。おまえとリエンを並べると、泥ダンゴが三つ並んでるみたいで胸がキュンとする俺の気持ちが分からないか?」

「普通に分かりません。エミはエミの丸っとした後頭部がお気に入りなのです。髪を伸ばしたり団子を作ってしまったりしたら、エミのまるまる後頭部が台無しでございます」

「は?」と間の抜けた声を出したワン・ジンが、ベルの後頭部を撫でて笑い出す。

「そうだったか、悪かった。たしかに形いいもんな? 俺の団子趣味もアレなんだろうけど、おまえの趣味も面白いなー」

 愉快そうに笑っている主を尻目に、リエンが「明日のお茶も貰ってくル」と言ってその場からテレトラスポルトした。

 飛んだ場所は大学士堂で、中には内閣大学士4人とリンリー、熊将軍ダイ・ケイとその愛犬がいた。

 リエンが「飲ませたヨ」と言うと、張り詰めた様子の一同の中、リンリーが落ち着いた様子で口を開く。

「茶葉を多めにしておきましたから、明日の朝頃には王妃陛下の陣痛が始まるでしょう。私は本日ここに泊まりますので、陣痛が始まりましたら迎えに来てください、リエンさん」

「わ、分かったネ」

 ダイ・ケイが「で?」とリエンに問う。

「産まれた子がカプリコルノ陛下の子だったら、どうするか決めたのか?」

「――……う、うン」

 と、リエンが強張った顔で頷いた。

「に…人間のお産だと、たまに聞くでショ? 死産だったっテ……」

「なるほど。それならワン・ジン陛下は仕方ないと思うだろうが、赤ん坊の死体はどうする気だ?」

「て、手頃な赤ん坊を攫って来て殺すネ」

「産まれた子――カプリコルノ陛下の子はどうすんだ?」

「こ……殺すネ」

「なるほど」

 と返したダイ・ケイの髭面がたちまち引き攣り、こめかみに血管が浮いていく。

「クソ犬が!」

 と繰り出された大きな拳を、リエンが咄嗟に両手で受け止める。

「リエンはっ……リエンは、ワン・ジン陛下の飼い犬だもン! それがご主人様の幸せのためだもン! リエンの邪魔するなラ、おまえたちだって殺してやるからナ!」

 と、テレトラスポルトで大学士堂を後にする。

 ダイ・ケイが顔を真っ赤にして声を荒げた。

「飼い主も飼い主なら、その犬も犬だ! もう許せん!」

「カーネ・ロッソというのはそういうものぞよ。それに、最近の陛下は善良だった」

 とゴ・カクが言うと、シー・カクが眉を顰めた。

「ゴ・カク殿はたまにワン・ジン陛下を庇うな」

「そういうわけではないが、おぬしらもう少し敬意を持っても良かろうて。先王陛下と王太后陛下、そしてワン・ジン陛下の親子3人には消すことの出来ない罪や恨みがあり、民衆が救世主――カプリコルノ宰相閣下・陛下を支持するのは分かる。しかし、わしはたしかにワン・ジン陛下が国を良い方向へ導いたのをこの目で見たぞよ。そこは素直に評価すべきだと思わんか」

「まぁ、たしかに」

 とサン・カクが同意した傍ら、苛立ちの収まらないらしいダイ・ケイが熊のように吼えた。

「今さら、おせぇぇぇんだよぉぉぉっ! 反乱軍の準備も整ったことだし、産まれた子がどっちの子でも俺はもう出陣するぜ! いいな、マー中堂!?」

「いいえ、お待ちなさいダイ・ケイ将軍。王太后陛下の軍――野生カーネ・ロッソの集団とも戦うことになるのです。力の王のお力は必要です」

「でも産まれた子がワン・ジンの子だったら、宰相閣下は嫌がるじゃねぇかよ!?」

「そうですが、こちらの負けは目に見えています」

 と、マー・ルイがダイ・ケイの愛犬(オス・14歳)に顔を向ける。

「テレトラスポルトは充分に練習したのですね?」

「しタよー。近くナラちゃんと飛べる。だからカプリコルノは無理ダゾ?」

「ここと副都イビスコが行き来できれば充分です。出来ますね?」

「任セろ」

 その返事を確認した後、マー・ルイは妻と顔を見合わせた。

 うんと頷き合う。

「では任せましたよ、リンリー……!」


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

侯爵令嬢に転生したからには、何がなんでも生き抜きたいと思います!

珂里
ファンタジー
侯爵令嬢に生まれた私。 3歳のある日、湖で溺れて前世の記憶を思い出す。 高校に入学した翌日、川で溺れていた子供を助けようとして逆に私が溺れてしまった。 これからハッピーライフを満喫しようと思っていたのに!! 転生したからには、2度目の人生何がなんでも生き抜いて、楽しみたいと思います!!!

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

夫の隠し子を見付けたので、溺愛してみた。

辺野夏子
恋愛
セファイア王国王女アリエノールは八歳の時、王命を受けエメレット伯爵家に嫁いだ。それから十年、ずっと仮面夫婦のままだ。アリエノールは先天性の病のため、残りの寿命はあとわずか。日々を穏やかに過ごしているけれど、このままでは生きた証がないまま短い命を散らしてしまう。そんなある日、アリエノールの元に一人の子供が現れた。夫であるカシウスに生き写しな見た目の子供は「この家の子供になりにきた」と宣言する。これは夫の隠し子に間違いないと、アリエノールは継母としてその子を育てることにするのだが……堅物で不器用な夫と、余命わずかで卑屈になっていた妻がお互いの真実に気が付くまでの話。

【完結】番である私の旦那様

桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族! 黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。 バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。 オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。 気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。 でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!) 大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです! 神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。 前半は転移する前の私生活から始まります。

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒― 私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。 「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」 その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。 ※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています

処理中です...