酒池肉林王と7番目の天使

日向かなた

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第40話ー5

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 ――引っ越した場所は、カクタス町よりは王都に近い場所にあるらしい副都イビスコだった。

 付近にとても大きな川がある離宮の無い町で、祭りでもないのに雑踏していた。

 ワン・ジンが選んできたのは戦死したらしい将軍の庭園付きの豪邸で、商店街に近い場所にあるようだった。

 そのため邸宅の前は特に人通りが激しく、家の中でも喧噪が聞こえてくる。

 ベルがどんなに声を張り上げ、ここにいるのだと訴えても、掻き消されてしまうような感じがした。

(フラヴィオ様、私はここです)

 フラヴィオ様――

(大丈夫です)

 フラヴィオ様――

(私は生きています)

 フラヴィオ様――

(無論きちんと大国を持って帰ります)

 フラヴィオ様――

(愛しています……愛しています、フラヴィオ様。7番目の天使ベルナデッタは、永遠にフラヴィオ様だけを愛しています)

 どうやったらこの声が届くだろう。

 フラヴィオに伝える絶好の機会だった結婚式は無くなり、石材貿易も無くなってカプリコルノとの交流も途切れた。

 それでも離宮に居たならいつかはレオーネ国の密偵に見つけてもらうことが出来ただろうに、それも無い町に来てしまった。

 その上さらに、外出は許されないという。

(でもやはり、頼りになるのはレオーネ国の密偵……なんとしてでも気付いていただかなければ)

 牀の中、ワン・ジンが顔を覗き込んで来る。

 不安げに揺れている瞳があった。

「怒ってるのか?」

 殺したいくらいだ。

 でも「はい」と答える程度にしておく。

「ワン・ジン様はエミの願いを叶えてはいただけないのですね」

「わ、悪かった。カプリコルノ国王に関わること以外なら、なんでも叶えてやるから機嫌を直せ」

 と寝間着を脱がそうと、ワン・ジンの手が伸びてくる。

 背を向けて横臥した――避けた。

 すぐに肩を掴まれて仰向けに直されたが、顔はそっぽを向いたままでいる。

 顔まで正面を向いたらバーチョをされる。それが一番嫌だった。

「なぁ、おい……」

 困っているような、怒っているような声。

 黙っていたら、こう訊いてきた。

「何が欲しいんだ?」

 ベルは少しのあいだ考えて、「楽器を」と答えた。

 外出さえも許されないのなら、近所迷惑にならないよう昼間だけでも窓を開け、町の喧噪の中に大きな音を響かせて、自身の居場所をレオーネ国の密偵に伝えようと思った。

 レオーネ国の密偵はガットやそのメッゾサングエ故に耳が利くのだから、音を出すことは良案だった。

「楽器か、分かった。じゃあ……明日『そう』でも持って来る」

 その顔を見る。

「ソウ?」

「弦楽器だ。俺はこれの音色が好きなんだ。昔レオーネ国にも伝わってて、向こうではたしか『こと』と呼ばれていた」

 それは尚のことレオーネ国の密偵の注意を引けるように感じた。

「それでいいか?」

「はい。エミはこれから毎日、ワン・ジン様のために筝を奏でましょう――」

 ――その宣言通りに日々を過ごした。

 カンクロ国について勉強する一方で、毎日毎日筝を弾いた。

 カプリコルノの弦楽器に関してもそうだが、最初のうちは指が痛くなったり、強く弦を弾けなくて音が小さかったりした。

 でも痛みに関してはリエンの治癒魔法で治ったし、懸命に弦を強く弾いてイビスコ町に音色を響かせた。

 日に日に塀の外に民衆が集まるようになり、ワン・ジンもうっとりと聴き惚れるようになった頃――10月末。

「凄いヨ、王妃陛下! 塀の外にお客がいっぱいいるヨー!」

「そうですか、リエンさん」

 とベルは窓を開け、その手前に置いている筝の前に正座する。

(この調子ならば、そろそろレオーネ国の密偵にも気付いていただけるでしょう)

 と弦を強く弾き、本日も優雅な音色を町に響かせる。

 それから5分ほど経ったときのことだった――

「――うっ……」

 と、ベルが口元を押さえた。

 真っ青になっているその顔を見て、すぐさまテレトラスポルトで桶を持って来たリエン。

 察した通り、嘔吐したベルを見て狼狽した。

「どうしたノ、王妃陛下! さっき食べた朝餉に毒でも入ってたノ!? ま、まさか王太后陛下が――」

「リエンさん」

 ベルが腹部を押さえている。

 緊張した面持ちがあった。

「今日は、何日ですか……?」

「え……?」

 答えを返す余裕が無かった。

 リエンはベルの腹部に手を当てた後、テレトラスポルトして宮廷に飛び、宮廷医を呼んで来る。

 ベルとは初対面だったが、一目で察したようだった。

「――なんと、王妃陛下ですかっ……!」

 一通りの挨拶を済ませた後、リエンから事情を聞いている宮廷医が診察を始める。

 ベルとリエン、双方にとって案の定の結果が待っていた。

「おめでとうございます、王妃陛下。ご懐妊です」

 普通はこういうとき、歓喜の声が沸くものなのだろう。

 でも、部屋の中は静寂に包まれた。

(待って…待って……)

 ベルを嫌な動悸が襲う。

(どっちの子……?)

 筝を演奏することに必死になっていて、月のものが遅れていることに気付かなかった。

 先月のことを思い返してみる。

 月のものは、大抵が予定の日付ぴったり来ていた。

 でもたまに一日や二日ズレて来たことを考えると、フラヴィオの子とワン・ジンの子、どちらの可能性もあった。

「王妃陛下っ……」

 リエンがベルの両手を握り締めた。

 その様子から、同様に嫌な動悸を感じているのが伝わってきた。

 それは何故?

(フラヴィオ様の子だから……?)

 リエンならどっちの子か分かるはずだ。

 何故ならワン・ジンの子ならばメッゾサングエで魔力があり、モストロならばお腹に触れることでそれを感じるからだ。

「リ…リエンさん、あの……――」

 ワン・ジンが部屋の戸口に現れた。

「どうした、エミ! リエンが医者を連れてテレトラスポルトしたって聞いたんだが!」

 硬直した2人の傍ら、宮廷医がワン・ジンに笑顔を向けてもう一度「おめでとうございます」と言った。

「王妃陛下がご懐妊ですよ、陛下」

「――えっ!?」

 と声を上げたワン・ジンが、躓いて転びそうになりながらベルに駆け寄って来た。

「本当か!」

 と、ベルの腹部に腹を当てる。

 ベルに尚のこと緊張が走ったそのとき、リエンが満面の笑みになって声高にこう言った。

「おめでとウ、ご主人様! 世継ぎが出来たネ! ご主人様はメッゾサングエだから分かり辛いだろうけド、リエンには分かるヨ! 王妃陛下のお腹から、小さい小さい、とってもとっっっても小さい魔力を感じるよ!」

「そうか、流石だなリエンっ……! そうだよな、元々カーネ・ロッソって魔力が低いし、三分の一となったら魔力が小さ過ぎて腹越しには分からんか。ああいや、別にそんなことはいいんだエミ! 無事に俺の子を生んでくれ!」

 この日を境に、副都イビスコから筝の音色が消えた。


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