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第29話ー5
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「うん、宰相天使閣下。おれがカンクロまで手紙を届けに行ったって、怪しまれないよ」
と、ベルの寝ているレット脇の椅子に座っている新入りカーネ・ロッソの少年――テンテン。
レオーネ語はそこそこ分かるらしく、現在レオーネ語とカンクロ語を交えて3人で会話している。そのよく利く鼻が、ふと「ん?」とひくついた。
「しかし、カプリコルノに寝返ったことがバレたりしませんか?」
「大丈夫だ、宰相天使閣下。ワン・ジン殿下はおれの顔すら知らないし、おれは宮廷の伝令に手紙を渡せば良いだけだし。万が一誰かにバレたって、カプリコルノから逃げて戻って来たって言えば済むだけのことだしさ」
と言った後、戸口の方を見て尚のこと鼻をひくつかせる。眉を顰めて「くせぇな」と呟いた。
ベルの看病をしているハナが、ベルとテンテンを交互に見ながら「なぁ」と口を開く。
ベルがその顔を見ると、面白くなさそうだった。
「あたいが協力しないって言ったからか? ベルの次の危険過ぎる企みには、あたいが協力しないって言ったから、このワンコに頼ってるのかベルは?」
「それもありますが――」
「するよ、協力! ベルがワン・ジンと直接接しないで、手紙のやり取りくらいだっていうなら手伝うよ!」
「いいえ、ここはテンテンさんにお願いします。だって、今ハナが――レオーネ国のガットがカンクロ国に行くのは危険でしょう?」
「まぁ、そうだけど……。あたいはまたこの国に来れることになったんだし、ベルがあたい以外のモストロを頼るのは何か嫌だ」
「何それ……」とベルが苦笑した。
「今回はテンテンさんの方が適しているからであって、私は基本的にはハナを頼っています」
「じゃあ、いいけど……」
レットを挟んだ向こうにいるテンテンが、ハナの顔を見て「変なネコ」と言った。
「宰相天使閣下は飼い主とかじゃないんだろ? それなのになんでそういう気分になるんだ?」
「ベルはあたいの友達……っていうか、『親友』だからだ」
その言葉に、ベルが嬉しそうに「ふふ」と笑った。
「そうですね」
テンテンがまた「変なネコ」と言った。
「おれらカーネ・ロッソは群れたり友達いたりするけど、ガット・ネーロやティグラートはそういうのいないと思ってた」
「基本のガットはそうだけど、あたいは宮廷育ちだから人間みたいなところがあるんだよ」
とハナが、「ていうか」と飛び跳ねてレットを越え、テンテンの傍らに立った。驚いて「ぎゃあ」と立ち上がったテンテンの顔を、両手で掴む。
テンテンはまだ12歳の少年で、身長160cmのハナよりも少し低い位置にその茶色の瞳が来る。
「いだだだだ! 爪刺さってるよおぉぉぉ!」
「うるさい。いーーーから、覚えておけよテンテン。ていうか、飼い主たちに言っておけ。また寝返ったり、カプリコルノの情報をカンクロに漏らすようなことがあったら、あたいが許さないと。そしてあたい以上に、この宰相が許さないと。たとえカプリコルノ陛下が許したとしても、ベルは許さないぞ。おっと、逃げ切れると思うなよ? おまえらが天国に行ったとしたら引きずり戻され、地獄に行ったら行ったでより地獄を見ることになる。おまえも、飼い主らも、みぃーーーんなだ。いいな? 分かったな?」
ガタガタと戦慄するテンテンが覚えたてのカプリコルノ語で「はい」と承知すると、ベルが文句ありげにハナを見た。
「ちょっとハナ……」
「いいんだよ、軍律っていうのはこれくらいで。テンテンっていうか、飼い主の方を厳しく躾けておかないと駄目だ。カーネ・ロッソには何を言ったって、すべては飼い主次第だからな。それに、あたいが何か間違ったこと言ったかー? フラビーを裏切った輩を、ベルが許すとは思えないけど?」
数秒のあいだ黙考したベルが「そうですが」と認めると、テンテンが悲鳴を上げるように泣き出した。
そこへ、「何事だ?」とフェデリコとアドルフォが入って来る。
扉を開けたことで廊下の臭いが尚のこと室内に侵入し、テンテンが今度は「ブエェェェ!」と言って頭をレットの中に突っ込んだ。
一方、ベルとハナはようやっと異臭に気付いて顔を顰める。
「兄上の仕業だ」
とのフェデリコの言葉に、2人がなるほどと苦笑した。
「この臭いを嗅いで分かる通り、味は期待しない方が良いぞ。あと確実に昼過ぎまでは掛かるから、これでも食っててくれ」
と、アドルフォがベルの肩を抱いて上半身を起こしてやり、持って来たヨーグルトを渡す。
フェデリコはベルに林檎を渡す前に、「テンテン」とその肩を叩いた。飾り切りにした林檎のうち、ウサギになっているものをフォークに刺して渡してやる。
テンテンが「ありがとう」と言って、口の中を林檎の匂いで満たす。敢えて飲み込まないところを見ると、厨房から漂ってくる匂いがよほど辛いようだ。
「済まんな」とフェデリコが苦笑しながらテンテンの茶色の頭を撫でた後、ハナにもウサギ林檎をひとつ渡した。
「ベルのなのに、あたいとテンテンも食べていいのか?」
「ベルはもともと、林檎を半分も食べられないんだ」
とフェデリコがベッドサイドテーブルに林檎の皿を置き、ベルの頭を撫でる。
「食べられるだけ食べてくれ。無理はしなくて良い……後で兄上の手料理を食べるという試練もあることだし」
ベルが「大丈夫です」と言って微笑した。
「きちんと食べて、早く治さねばなりませんので。ヨーグルトも林檎も、フラヴィオ様の手料理もいただきます」
「私は、兄上の手料理を食べたら逆に君の体調が悪化しそうで心配なんだが」
アドルフォとハナ、テンテンが「だなぁ」と同意した。
でもベルは、微笑したままでいる。もう一度「大丈夫です」と言った。
「私はフラヴィオ様が作ってくださったというだけで、すぐにでも快復するような気がします――」
――フラヴィオは5時間後の午後0時半に、ようやっとベルの食事を持って来た。
ハナが閉め出した。
「変態はお断りだ」
そういえば、裸エプロン姿のままだったフラヴィオ。
もう料理を作り終わったことだしと、通りすがりの使用人を呼び止めて下だけ穿かせてもらう。
もう一度ベルの部屋の扉を叩くと、それは10cmばかり開いた。そこから黄色い瞳を覗かせてフラヴィオの格好を確認したハナが、「まぁいいか」と言って入室を許可する。
戸口からでも、ベルが眠っているのが分かった。
「ベルの容態はどうだ?」
「まずまずかな。さっき、フラビーの手料理食べれば治るようなこと言ってたけど……」
と、ハナがフラヴィオの両手に持たれているトレイに目を落とした。
それには温めた牛乳とツッパ、スプーンが乗っている。ツッパには、いびつな形の野菜がたくさん入っていた。
つい警戒してしまい、ハナが鼻を寄せて嗅いでみると、とりあえず今朝の強烈な匂いはしない。
「コレ、本当に食べられるものだろうな?」
フラヴィオが悄然とした様子で「うむ」と頷いた。
「アモーレの危機を目前に、余に出来ぬことなどないと思っていたのに……料理の才が皆無だった。食材や調味料、エルベの無駄遣いだとフィコにこっ酷く怒られ、最終的には塩だけの味付けになってしまった」
「逆に安心したよ」
「皆そう言うのだ」
と、口を尖らせたフラヴィオが、窓の近くにあるレットの方へと歩いて行った。
と思ったら、部屋の真ん中あたりで立ち止まった。
「こ…こんな一味も二味も足りない味気無いツッパでは、アモーレのお口に合わないのだ……」
と、ベルにツッパを持って行くのを躊躇っているらしい。
ハナが「大丈夫だって」と言った。
「塩だけのようで、フラビーの『愛』も入ってるからな。ベルは美味いって言ってくれるし、ベルのことだから本当に快復してみせそうだよ」
と「ほら」と背中を押されると、「うむ」と頷いてまた歩き出したフラヴィオ。
「アモーレ」と、ベルの紅くなっている頬に触れる。
ゆっくりと開いた瞼から見えた栗色の瞳が、フラヴィオの顔を見て嬉しそうに揺れる。
「フラヴィオ様……」
「大丈夫か?」
「スィー」と答えたベルが、フラヴィオの持っているヴァッソイオに目を向けた。
「私の食事を作って来てくださったのですか?」
「う、うむ……頑張ったのだが、その、あまり……」
と自信無さそうにするフラヴィオに、ベルは「ありがとうございます」と微笑を返した。
少し予想はしていたが、フラヴィオの指先が怪我だらけになっている。「ハナ」と言うと、それはすぐに「ほいさ」と治癒魔法グワリーレを掛けた。
「食事の前に、一度着替えるか」
とハナが言うと、「そうだな」と同意したフラヴィオ。
「んじゃまず、脱がさないといけないから、フラビーは――」
と、その言葉を遮るように、「はい」と一瞬でベルを裸にする。
「流石、脱がしの達人」
「余は酒池肉林王なり」
着替えの寝間着を着せる前に、汗で濡れたベルの身体を2人がタオルでせっせと拭いていく。
「ああ、なんということだ。アモーレがすでに痩せてしまった気がする」
と、フラヴィオがベルの胸元にチュッチュと吸い付く。
「え、ソコ?」とベルに衝撃が走った傍ら、金色の頭にはハナの手刀が振り下ろされる。
「早くしろ痴漢」
「余は酒池肉林王なり」
汗を拭き終わって新しい寝間着を着せ終わると、フラヴィオがベルの膝の上にヴァッソイオを置いた。
その上に乗っているツッパを見て、その顔が綻んでいく。
「美味しそうですね」
「そうだな」
とハナが、同意したように相槌を打った。本当は特にそう思っていないが、親友の目には純粋にそう見えているのだと分かる故に。
「ま、まだ熱いかもしれないのだ」
とフラヴィオがクッキアイオでツッパをすくい、ふーふーと息を吹きかけて冷ます。
そして『あーん』すると、ベルが「ふふ」と笑った。
「美味しいです」
「どれ?」
とハナが一口貰うと、正直一味足りない。
でもベルは、その言葉通りに味わい、噛み締めている。
「む、無理しなくて良いのだ、アモーレ。余は自分でも分かっているのだ」
ベルは「いいえ」と言って、やはり美味しそうに食べる。
「とてもとても、優しい味がします。私のためにありがとうございます、フラヴィオ様。私は風邪を引いたときに、こんなに美味しいお料理を頂いたのは初めてです」
その言葉は、あながち大袈裟ではないのかもしれない。
ベルはきっと、どんなに体調が悪くてもまともに食事を与えられず、働かされて来たのだろうから。
でも、それにしても、自分で作ったものは美味いという補正を乗せても、そんなに優れたものでは無いのに。
さっき言った通り頑張って料理したフラヴィオではあるが、この程度のこと大した苦労でもなかったのに。
ベルはまるで、世界一のご馳走でも食べているかのようにしてくれる。
一口食べるごとに「美味しい」と言って言葉通りの表情してくれるベルを見ていたら、ふと胸が詰まった。
「愛しているのだ、ベル」
と鼻を啜ってバーチョしたら、ハナが「はいはい」と呆れた風に、でもどこか微笑ましそうに言った。
「ベルの夕餉はあたいが作るからさ、フラビーはベルと一緒に居てよ」
「いや待て、ベルの夕餉は余が作るのだ」
とフラヴィオが言うと、ベルが「嫌です」と言った。
「えっ……!?」
実はやはり不味いのかと一瞬衝撃を受けたフラヴィオだったが、そうではないらしい。
「傍に居てください」
甘えた栗色の瞳があった。
「Oh……!」
と碧眼を煌めかせズボンを脱ごうとしたフラヴィオの金色の頭に、「オイ」とハナの手刀が炸裂する。
「でもま、愛の力で夜には治ってそうだよなー」
――その晩、ベルの熱が上がった。
と、ベルの寝ているレット脇の椅子に座っている新入りカーネ・ロッソの少年――テンテン。
レオーネ語はそこそこ分かるらしく、現在レオーネ語とカンクロ語を交えて3人で会話している。そのよく利く鼻が、ふと「ん?」とひくついた。
「しかし、カプリコルノに寝返ったことがバレたりしませんか?」
「大丈夫だ、宰相天使閣下。ワン・ジン殿下はおれの顔すら知らないし、おれは宮廷の伝令に手紙を渡せば良いだけだし。万が一誰かにバレたって、カプリコルノから逃げて戻って来たって言えば済むだけのことだしさ」
と言った後、戸口の方を見て尚のこと鼻をひくつかせる。眉を顰めて「くせぇな」と呟いた。
ベルの看病をしているハナが、ベルとテンテンを交互に見ながら「なぁ」と口を開く。
ベルがその顔を見ると、面白くなさそうだった。
「あたいが協力しないって言ったからか? ベルの次の危険過ぎる企みには、あたいが協力しないって言ったから、このワンコに頼ってるのかベルは?」
「それもありますが――」
「するよ、協力! ベルがワン・ジンと直接接しないで、手紙のやり取りくらいだっていうなら手伝うよ!」
「いいえ、ここはテンテンさんにお願いします。だって、今ハナが――レオーネ国のガットがカンクロ国に行くのは危険でしょう?」
「まぁ、そうだけど……。あたいはまたこの国に来れることになったんだし、ベルがあたい以外のモストロを頼るのは何か嫌だ」
「何それ……」とベルが苦笑した。
「今回はテンテンさんの方が適しているからであって、私は基本的にはハナを頼っています」
「じゃあ、いいけど……」
レットを挟んだ向こうにいるテンテンが、ハナの顔を見て「変なネコ」と言った。
「宰相天使閣下は飼い主とかじゃないんだろ? それなのになんでそういう気分になるんだ?」
「ベルはあたいの友達……っていうか、『親友』だからだ」
その言葉に、ベルが嬉しそうに「ふふ」と笑った。
「そうですね」
テンテンがまた「変なネコ」と言った。
「おれらカーネ・ロッソは群れたり友達いたりするけど、ガット・ネーロやティグラートはそういうのいないと思ってた」
「基本のガットはそうだけど、あたいは宮廷育ちだから人間みたいなところがあるんだよ」
とハナが、「ていうか」と飛び跳ねてレットを越え、テンテンの傍らに立った。驚いて「ぎゃあ」と立ち上がったテンテンの顔を、両手で掴む。
テンテンはまだ12歳の少年で、身長160cmのハナよりも少し低い位置にその茶色の瞳が来る。
「いだだだだ! 爪刺さってるよおぉぉぉ!」
「うるさい。いーーーから、覚えておけよテンテン。ていうか、飼い主たちに言っておけ。また寝返ったり、カプリコルノの情報をカンクロに漏らすようなことがあったら、あたいが許さないと。そしてあたい以上に、この宰相が許さないと。たとえカプリコルノ陛下が許したとしても、ベルは許さないぞ。おっと、逃げ切れると思うなよ? おまえらが天国に行ったとしたら引きずり戻され、地獄に行ったら行ったでより地獄を見ることになる。おまえも、飼い主らも、みぃーーーんなだ。いいな? 分かったな?」
ガタガタと戦慄するテンテンが覚えたてのカプリコルノ語で「はい」と承知すると、ベルが文句ありげにハナを見た。
「ちょっとハナ……」
「いいんだよ、軍律っていうのはこれくらいで。テンテンっていうか、飼い主の方を厳しく躾けておかないと駄目だ。カーネ・ロッソには何を言ったって、すべては飼い主次第だからな。それに、あたいが何か間違ったこと言ったかー? フラビーを裏切った輩を、ベルが許すとは思えないけど?」
数秒のあいだ黙考したベルが「そうですが」と認めると、テンテンが悲鳴を上げるように泣き出した。
そこへ、「何事だ?」とフェデリコとアドルフォが入って来る。
扉を開けたことで廊下の臭いが尚のこと室内に侵入し、テンテンが今度は「ブエェェェ!」と言って頭をレットの中に突っ込んだ。
一方、ベルとハナはようやっと異臭に気付いて顔を顰める。
「兄上の仕業だ」
とのフェデリコの言葉に、2人がなるほどと苦笑した。
「この臭いを嗅いで分かる通り、味は期待しない方が良いぞ。あと確実に昼過ぎまでは掛かるから、これでも食っててくれ」
と、アドルフォがベルの肩を抱いて上半身を起こしてやり、持って来たヨーグルトを渡す。
フェデリコはベルに林檎を渡す前に、「テンテン」とその肩を叩いた。飾り切りにした林檎のうち、ウサギになっているものをフォークに刺して渡してやる。
テンテンが「ありがとう」と言って、口の中を林檎の匂いで満たす。敢えて飲み込まないところを見ると、厨房から漂ってくる匂いがよほど辛いようだ。
「済まんな」とフェデリコが苦笑しながらテンテンの茶色の頭を撫でた後、ハナにもウサギ林檎をひとつ渡した。
「ベルのなのに、あたいとテンテンも食べていいのか?」
「ベルはもともと、林檎を半分も食べられないんだ」
とフェデリコがベッドサイドテーブルに林檎の皿を置き、ベルの頭を撫でる。
「食べられるだけ食べてくれ。無理はしなくて良い……後で兄上の手料理を食べるという試練もあることだし」
ベルが「大丈夫です」と言って微笑した。
「きちんと食べて、早く治さねばなりませんので。ヨーグルトも林檎も、フラヴィオ様の手料理もいただきます」
「私は、兄上の手料理を食べたら逆に君の体調が悪化しそうで心配なんだが」
アドルフォとハナ、テンテンが「だなぁ」と同意した。
でもベルは、微笑したままでいる。もう一度「大丈夫です」と言った。
「私はフラヴィオ様が作ってくださったというだけで、すぐにでも快復するような気がします――」
――フラヴィオは5時間後の午後0時半に、ようやっとベルの食事を持って来た。
ハナが閉め出した。
「変態はお断りだ」
そういえば、裸エプロン姿のままだったフラヴィオ。
もう料理を作り終わったことだしと、通りすがりの使用人を呼び止めて下だけ穿かせてもらう。
もう一度ベルの部屋の扉を叩くと、それは10cmばかり開いた。そこから黄色い瞳を覗かせてフラヴィオの格好を確認したハナが、「まぁいいか」と言って入室を許可する。
戸口からでも、ベルが眠っているのが分かった。
「ベルの容態はどうだ?」
「まずまずかな。さっき、フラビーの手料理食べれば治るようなこと言ってたけど……」
と、ハナがフラヴィオの両手に持たれているトレイに目を落とした。
それには温めた牛乳とツッパ、スプーンが乗っている。ツッパには、いびつな形の野菜がたくさん入っていた。
つい警戒してしまい、ハナが鼻を寄せて嗅いでみると、とりあえず今朝の強烈な匂いはしない。
「コレ、本当に食べられるものだろうな?」
フラヴィオが悄然とした様子で「うむ」と頷いた。
「アモーレの危機を目前に、余に出来ぬことなどないと思っていたのに……料理の才が皆無だった。食材や調味料、エルベの無駄遣いだとフィコにこっ酷く怒られ、最終的には塩だけの味付けになってしまった」
「逆に安心したよ」
「皆そう言うのだ」
と、口を尖らせたフラヴィオが、窓の近くにあるレットの方へと歩いて行った。
と思ったら、部屋の真ん中あたりで立ち止まった。
「こ…こんな一味も二味も足りない味気無いツッパでは、アモーレのお口に合わないのだ……」
と、ベルにツッパを持って行くのを躊躇っているらしい。
ハナが「大丈夫だって」と言った。
「塩だけのようで、フラビーの『愛』も入ってるからな。ベルは美味いって言ってくれるし、ベルのことだから本当に快復してみせそうだよ」
と「ほら」と背中を押されると、「うむ」と頷いてまた歩き出したフラヴィオ。
「アモーレ」と、ベルの紅くなっている頬に触れる。
ゆっくりと開いた瞼から見えた栗色の瞳が、フラヴィオの顔を見て嬉しそうに揺れる。
「フラヴィオ様……」
「大丈夫か?」
「スィー」と答えたベルが、フラヴィオの持っているヴァッソイオに目を向けた。
「私の食事を作って来てくださったのですか?」
「う、うむ……頑張ったのだが、その、あまり……」
と自信無さそうにするフラヴィオに、ベルは「ありがとうございます」と微笑を返した。
少し予想はしていたが、フラヴィオの指先が怪我だらけになっている。「ハナ」と言うと、それはすぐに「ほいさ」と治癒魔法グワリーレを掛けた。
「食事の前に、一度着替えるか」
とハナが言うと、「そうだな」と同意したフラヴィオ。
「んじゃまず、脱がさないといけないから、フラビーは――」
と、その言葉を遮るように、「はい」と一瞬でベルを裸にする。
「流石、脱がしの達人」
「余は酒池肉林王なり」
着替えの寝間着を着せる前に、汗で濡れたベルの身体を2人がタオルでせっせと拭いていく。
「ああ、なんということだ。アモーレがすでに痩せてしまった気がする」
と、フラヴィオがベルの胸元にチュッチュと吸い付く。
「え、ソコ?」とベルに衝撃が走った傍ら、金色の頭にはハナの手刀が振り下ろされる。
「早くしろ痴漢」
「余は酒池肉林王なり」
汗を拭き終わって新しい寝間着を着せ終わると、フラヴィオがベルの膝の上にヴァッソイオを置いた。
その上に乗っているツッパを見て、その顔が綻んでいく。
「美味しそうですね」
「そうだな」
とハナが、同意したように相槌を打った。本当は特にそう思っていないが、親友の目には純粋にそう見えているのだと分かる故に。
「ま、まだ熱いかもしれないのだ」
とフラヴィオがクッキアイオでツッパをすくい、ふーふーと息を吹きかけて冷ます。
そして『あーん』すると、ベルが「ふふ」と笑った。
「美味しいです」
「どれ?」
とハナが一口貰うと、正直一味足りない。
でもベルは、その言葉通りに味わい、噛み締めている。
「む、無理しなくて良いのだ、アモーレ。余は自分でも分かっているのだ」
ベルは「いいえ」と言って、やはり美味しそうに食べる。
「とてもとても、優しい味がします。私のためにありがとうございます、フラヴィオ様。私は風邪を引いたときに、こんなに美味しいお料理を頂いたのは初めてです」
その言葉は、あながち大袈裟ではないのかもしれない。
ベルはきっと、どんなに体調が悪くてもまともに食事を与えられず、働かされて来たのだろうから。
でも、それにしても、自分で作ったものは美味いという補正を乗せても、そんなに優れたものでは無いのに。
さっき言った通り頑張って料理したフラヴィオではあるが、この程度のこと大した苦労でもなかったのに。
ベルはまるで、世界一のご馳走でも食べているかのようにしてくれる。
一口食べるごとに「美味しい」と言って言葉通りの表情してくれるベルを見ていたら、ふと胸が詰まった。
「愛しているのだ、ベル」
と鼻を啜ってバーチョしたら、ハナが「はいはい」と呆れた風に、でもどこか微笑ましそうに言った。
「ベルの夕餉はあたいが作るからさ、フラビーはベルと一緒に居てよ」
「いや待て、ベルの夕餉は余が作るのだ」
とフラヴィオが言うと、ベルが「嫌です」と言った。
「えっ……!?」
実はやはり不味いのかと一瞬衝撃を受けたフラヴィオだったが、そうではないらしい。
「傍に居てください」
甘えた栗色の瞳があった。
「Oh……!」
と碧眼を煌めかせズボンを脱ごうとしたフラヴィオの金色の頭に、「オイ」とハナの手刀が炸裂する。
「でもま、愛の力で夜には治ってそうだよなー」
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